いろんな意味で。
普通、でありたいと思って、周りがどういうか、気にするタイプだと思う。
原因は、おそらくは。
一つには、親の影響。「そんなことをしたら周りに笑われる」というもの。
もう一つは、いじめ。まだ、「いじめ」という名詞が成立する前のこと。「変わっている」と言われるのは、酷く苦痛だった。
そして。子供は、変わっているものは、たいてい「おかしい」「気持ち悪い」という言葉で表現する。
実際は、さほど違いはなくても。そう言えば、相手が傷つくのを知っているから。
大人になるに従って、だんだん生きやすくはなったけど(他人のことにああだこうだと言わなくなるから)、言われないだけで、思われているのでは、と気にしてしまって動けなくなった。
ささいな例だが、お気に入りの上着があったとする。大抵どこに行くにもそれを羽織っていたとする。
すると、それしか持っていない、と馬鹿にされていたらどうしよう、と気に病み始める(例え口に出して言われなくても、心で思われているだけで嫌)。
じゃあ新しい上着を買って着るとする。勧められて、一着買うところを二着買ったとする。
すると、今度はこんなに買って、自分は浪費家ではないか、と思う。普通の人は、どれくらいの上着を持っていて、どれくらいの頻度で着るのだろうか、どれくらいであれば、自分は普通であるのか、とか思い出す。
不安の種は際限がない。いくらでも出て来る。
これを、「多少」気にする方だ、と思っていたら、「かなり」だということをカウンセリングで教わった。
…そう、実は。
子供の頃ならいざ知らず、大人になったら、他人がどんな上着をどれほど着ようと、大した問題ではない。
衝動買いで、一着買う予定のところを二着買ったとて、それですぐ浪費、とはならない。収入以上の服を買ってる、とかなら別だけど。
自分の家計に見合っていて、配偶者のOKもあるなら、何の問題もない。
…うん。
自分を追いつめるのだけは、やたらめったら得意なんだな、私。
たぶん。これが、自信がない、ということ。
諦めるべきことと、受け入れることの見分けがつきにくいこと。
自覚はできた。そうしたら、少しは不安の種が減ってくれるだろうか。