羽生選手が現地到着後に語ったインタビュー映像で、長く内容を収録してあったと思われるニュース映像がこちら と、こちらのニュース動画(羽生選手のインタビューは4:25以降~)です。
「やるべきことはやってこれたなというふうに思っていますし、手ごたえもあります。」
「ジャンプ簡単にしてプログラム キレイにこなせたらいいかって言われたら、
多分それは僕のスケートじゃないし、やっぱりジャンプ難しくしてその質一つ一つが高いのが僕のスケートだと思っているので、
だから何かを落とせばいいという考えは僕には存在しなくて、
何もかもを全部(レベルを)上げてやるっていう気持ちでいます。」
「今回も全力でその最大限の演技が出来たらなと」
「自分の今の究極のものを出来ればな とは思います。」
ユアタイムの映像からの抜粋
「悔しい思いもすごく引きずっているし」
「もうその悔しさしかないので」「悔しかった想いっていうのが一番強いですけれども」
「オリンピックの会場で闘ったっていうのは、非常に自分の中で大きな経験になっているので、
もちろん悔しい思いも強くありますけれども、それを晴らすためのこの世界選手権かなという風に思っています」
「もちろん、結果も点数も大事ですけれども、何が悔しかったかというと、
多分自分の演技がしきれなかったことが、一番悔しかったので、
自分の演技っていうものが、どういうものかっていうのを、この舞台で出せればいいなという風に思います」
「ジャンプ難しくして、そのうえで、全てのジャンプも、ステップもスケーティングもスピンも、その一つ一つが高いのが、僕のスケートだと思っているので、何かを落とせばいいという考えは僕には存在しなくて、何もかもをあげてやるっていう気持ちでいます」
「表現力って具体的に言葉にするのって難しいじゃないですか。言ってみれば、ポーズが綺麗だったらそれも表現力だし、極端なことを言ってみれば、「じゃあしゃべっちゃえばいいじゃん」って思うんですよね。
じゃあ、ジャッジの方に向かってしゃべっちゃえば、それはそれでもう表現しているってなっちゃうけど、でも、僕が考える表現力って、やっぱり毎回毎回感情とか、考えていることって全く違うから、その時にしかできない、にじみ出るものが、自分の表現だと思っているし、
そういったものも含め、全部が自分のスケートなのかなとは思っています。」
「自分の今の究極のものをできればなという風には思います」
(記者からの質問:究極のものを達成したら、次、何が見えてくるんですかね?)
「また難しくするだけじゃないですか(笑)」
色々なニュースで、インタビューがカットされて一部だけ報道になるので、全体というか、話の流れがあまりよくわかりませんでしたけど、ここまで出てきたら、何を言いたかったのか、何をあえて語ったのかが良くわかりましたね。
ああ、なるほど、こう言っていたのか、と。
(それでもまだカットされているのでしょうけど)
とても羽生選手らしくて、インタビューを聞いているうちに、思わず笑ってしまいました!
特に下線を引いたところの言葉。(笑)
最後の言葉を聞いたらもう、「羽生選手、4回転アクセルまで、頑張って下さいね!」としか言えませんね。
「しゃべっちゃえばいいじゃん」は、確かに「話す」のは表現の一つの手段ではあっても、それだと、もはやフィギュアスケートじゃないですね…!!(笑)これ、話下手な選手や、話好きではない選手なら、絶対に思わないことだろうと私は思いましたので、何か可笑しかったです。(笑)
ただ、これでわかったのは、羽生選手は、「それ、違うのに」「自分が表現したつもりのものが伝わっていない」「話せばわかるのに」というような、もどかしい思いをしたことがきっと何度もあったのかな、と。
しかし、しゃべれば、あるいは書けば、正確に伝わるっていうものでもないですよね。
言葉で思いを伝えることも、それなりの技術が必要なことは確かです。
それがいつでもだれでも簡単に出来て、正確に伝わるなら、この世に誤解なんてなくなっているはずだし、誰も苦労しないです。
実際、羽生選手のインタビューや、何かの一言を聞いて、同じ言葉なのに、私の受け止め方と全く違う受け止め方をする人たちというのも、世の中には結構いるので、ビックリしてしまうことも多々あります。
あるいは、自分が伝えたつもりのことが、全く違ったふうに取られていて、驚いてしまうこともあります。
そして、私がフィギュアスケートを観ていていつも思うのは、「表現」は、受け取り手の側の問題というのも、必ずあるということ。
灰色のフィルターがかかっている状態で物事を見ると、何を見たとしても、結局全部「灰色」が重なって見えるものなんだな、というのを、他の人の、特に特定選手のアンチの人たちの感想を聞くと、すごく良く判ったりします。
表現されているものそのものに、「灰色」は全くなくても、そう見えてしまう。
そして、毎回にじみ出る感情や思いも表現の一つであるなら、あの時のあの場を感じた表現になったはずの、4大陸の演技も、それを良かった、素晴らしい!と思っている人も大勢いるので、決して失敗とは言い切れないと思うし、
その時の体調の中で、その制約や限界の中でだからこそやれたこと、その中で精一杯表現しようとしたからこそ出ている輝き、そういった美しさというのは、必ずあると私は思っています。
表現で重要なのは、独りよがりにならずに、出来るだけ多くの人に正しく「伝わる」「伝える」ことが出来る技術でもあり工夫でもあり、そうしようとする意思や努力であり、その源となっている「心」のあり方、がやはり最終的には非常に大きいと私は感じています。
フィギュアスケートについて言うなら、「氷の上では、その人の全てが表れてしまう」というようなことを言っていた歴代選手たちは、結構大勢いましたから、演技をやる側としてはそう感じるのかもしれません。
さて、世界選手権2017(ヘルシンキ、フィンランド)の公式練習が、
月曜からずっと男子は行われていますが、(女子は29日水曜日からショート本番)
羽生選手の曲かけ通し練習(ランスルー映像)が、こちらのHPから見ることが出来ます。
日本時間27日(月)に行われた、ショート(Let's go crazy!)の曲かけ通し練習 (※音なしです) ←クリック
身体の動き、切れはとても良いように思いました。迫力もあったし。
皆様が言うところの「ズサー」(笑)、(羽生選手によれば「レイバック・ランジ」)は、
しなやかさも言うことなく… 全体もとても良くなっているように思いました。
日本時間28日(火)午後に行われた、フリー(Hope&Legacy)の曲かけ通し練習 ←クリック
さらに、角度の違う、CBCスポーツ公式動画
前半の振付が一部また少し変わったようですが、集中力も良く、一つ一つの動作も美しくなっている感じですし、全く迷いがない…というか、表現するものへの思いがしっかりと定まったような印象を受けましたね。 流れと全体の印象はさらに良くなったと私は思いました。
ビールマンスピンが復活しています… (体調はいいということですね)
ただ、後半のジャンプがやや不調だったようで、その分、最後の最後に、リカバリー対策として、
3回転アクセル+1回転ループ+3回転サルコウ、の3連続を入れてきました!
まるでもともとそういう構成のプログラムだったかのような自然さで組み込まれていたので、
きっと色々練習してきたのだろうな…と。
ショートの本番は明後日ですけど、それまで、よくお疲れをとりつつ、良い練習&良い身体の調整が出来ますように…!!
こちらのサンケイスポーツの記事によれば、羽生選手は、
「変なプレッシャーもなく、自信を持って落ち着いて本番へ向けて調整できている。曲がかかった段階でのジャンプ一つ一つが、すごく自信を持ってやれるようになってきている」
と語ったそうです。
良かったですね!(笑)
こちらの毎日新聞の記事によれば、羽生選手は、
「あまり世界選手権という感じはしていない。(タイトルへの執着も)特にない」と冷静に話したそうです!
「今の自分の状況にすごく集中できているなと思っていますし、非常にいい状態なんじゃないかなって思っています」
「自分が出来る限界値を、とにかく最大限にもってきた状態で試合に挑むこと、が一番大事かなと思います」
「ジャンプがキレイに決まってくればもっとやはり盛り上がるし、自分ができる限界値をとにかく最大限に持ってきた状態で試合に挑むこと、が一番大事かなと思います」
こちらも 羽生選手のインタビュー入り ニュース動画
「変なプレッシャーもなく、自信をもって落ち着いて 本番に向けて調整出来ているのではないかなと思っています」
「自分が出来る限界値を、とにかく最大限にもってきた状態で試合に挑むこと、が一番大事かなと思います」
女子はいよいよ今日です。
初出場の三原選手と樋口選手は、気負い過ぎずに、自分たちが目指している演技に集中出来ますように…! 望んでも決して誰もが出られるわけではない、この大舞台を楽しんでほしいですね!
本郷選手は、チャンスが次々舞い込んでいることにも、深い意味があると思って、自信をもって臨んでほしいと思います!
枠なんてものは、ワクワクしていればきっと向こうから やってくる…♪ ♪ ♪
日本で見ているであろう宮原選手は、今は心穏やかに治療に専念してもらえれば、と思います。
骨がまだくっついていなかったのなら、休めて良かったですね。