初掲載 6月1日
羽生選手に、国民栄誉賞が贈られることが決定しました。
23歳での受賞は、史上最年少になるそうです!
理由は、「厳しい修練と人一倍の努力の積み重ねにより、冬季五輪個人種目における日本人初の連覇、世界でも66年ぶりの連覇という、世界の歴史に残る快挙を成し遂げた」「多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えていることに、顕著な業績があった」からだそう。
確かに、その通りですね。(笑) 授与式は7月2日に官邸でとのこと です。
五輪で2連覇したものの、さらに現役続行を表明した羽生選手にとって、
今のタイミングがどうなのかという議論はあろうかと思いますし、
他にも、様々な感想を持たれる方がいらっしゃると思うので、このお話を受けようとも、断ろうとも、どちらにしても、羽生選手は非常に難しい立場に置かれていたと思います。
最初に話の出ていた3月初めから、結構経っていたので、すっかり忘れていた私としては、「もはやどうでもええよ賞」(笑)状態だったのですが、
不確かな「人間」から受ける栄誉よりも、天地創造主たる真の神様がどうご覧になっているかこそが最重要と思う私としては、
天地創造主であり、全知全能の神様は こうなることを やはりご存知だったと思うことと、その計り知れないご計画がなされていくことこそが 何よりも重要と思うことから、
今回のことを、素直に心から祝福したいと思います!
羽生選手、本当におめでとう!!
これがプレッシャーや、変な縛りにならずに、羽生選手はもちろん、日本の多くの人たちの本当の幸せへとつながっていきますように…!!
羽生選手が日本スケート連盟を通じて出したコメントは、以下の通りです。
「大変名誉ある賞をいただき、身に余る光栄です。
私がスケートを続けていられることも、日本のフィギュアスケートがこれほど脚光を浴び続けていられることも、フィギュアスケート界の偉人の方々がこれまで切り開いてくださったからこそだと感じております。
そして、冬季競技として、今回の平昌五輪において、多くの方々の素晴らしい活躍があったからこそとも感じております。
また、被災された方々からのたくさんの激励や想い、今まで一人の人間として育ててくださった全ての方々の想いがこの身に詰まっていることを改めて実感し、その想いが受賞されたのだと思っております。
皆さまの期待を背負い、まだ続く道を一つ一つ丁寧に感じながら、修練を怠ることなく、日々前に進んでいきます。
この賞が被災地やスケート界にとって明るい光になることを願っております。
育ててくださった方々、いつも応援してくださっている皆さまに心からの感謝を申し上げます。 本当にありがとうございます」
羽生選手は、さすがのコメントですね。
きっと都築コーチも嬉しいでしょうね!(笑)
被災地や、色んな状況を抱えていたり、痛みや困難を通っていたりといった、多くの人に希望や勇気を与える、という点では、私から見たら、どんな政治家よりも大きな力があったと 個人的には感じてきました。
こういう受賞を、この世で何よりも重視する人たちもいるだろうし、それによって態度を変える人たちも大勢出てくるだろうけれども、
これによって特に、昨日と今日とで羽生選手の「偉さ」が何か変化した、というわけでもないと私は思うので、
羽生選手がこれを受賞しようがしまいが関係なく、私は今後も、何も変わらずにいくつもりです♪
羽生選手も、気負い過ぎずに、(プルシェンコさんが先月のアイスショーで言っていたように、)
どうか 今のままで優しく、真っすぐに、素直に誠実に真剣に、勇気をもって その純粋な思いを大切に、希望と共に前に進んで生きていってほしいと思います!
仙台の関係者の方々からの祝福コメントが、こちらの毎日新聞の記事に 載っています。
また、日本スケート連盟の橋本聖子会長のコメントがこちら。こちらの毎日新聞記事より
「羽生選手の国民栄誉賞ご受賞、誠におめでとうございます。希有(けう)な才能とたゆまぬ努力、そして磨きあげられた人間力がこうした評価をいただいたものと大変喜ばしく思います。これからも広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を届けるスポーツ文化の担い手として、一層ご活躍されることをお祈りしております。」
また、羽生選手は現在、早稲田大学の人間科学部通信教育課程在籍中ですが、
早稲田大学の総長からも、祝辞が届きました。こちらの早稲田大学HPより
【早稲田大学総長の祝辞】
羽生結弦選手の国民栄誉賞受賞を心よりお祝い申し上げます。
早稲田大学初の在学中での国民栄誉賞受賞の快挙を心から嬉しく思います。
羽生選手の活躍は、全国の早稲田大学関係者、早稲田ファンを大いに沸かせてくれただけでなく、スポーツの枠を超えて日本国民に大きな希望を与えてくれました。
今後も、限界に挑み続ける早稲田魂を発揮し、より一層の活躍を期待したいと思います。
本日は、ファンタジーオンアイス金沢公演の初日でした。
その演技終了後のインタビューで、再び、国民栄誉賞について羽生選手が出したコメントがこちらです。
「まず五輪2連覇ということは、やはり今までフィギュアスケート界を切り開いて下さった沢山の偉人の方々、先輩の方々がいてこその、自分の成績だと思いますし、またここまで人間として成長させていただくにあたって、様々な方々が、ご尽力下さいました。
そういった方々への感謝の気持ちを込めて、受け取りたいなという風に思っています。
またこの賞の趣旨として、被災地への支援ということも評価して頂き、この賞を受賞させて頂くことになっているので、そういった意味でも、被災地の方々への光であったり、何か前向きになるきっかけになれば、という風にも思っております。」
羽生選手の胸の内にある、まだ残っている夢の数々が、神様の御計画に沿うならば、これからも必ず実現していきますように…♪
そしてこのことが、今もどこかで人知れず苦しんでいる多くの方々への光となり、本当に救いを必要としている多くの日本人への祝福へとつながっていきますよう、心より、主イエス=キリストの御名でお祈りします!
また、本当にこれ以上、自分の利益のための都合よく利用する人たちが出てくるならば、あるいは、嘘偽りの報道や誘導やねつ造で人々を惑わすようなものがあるならば、必ずその者たちに神様からの裁定が徹底的に下されますよう、
羽生選手の全てが必ず守られますよう、
あらゆる人々の本音を知り、隠された裏をも全てご存知で、この世の神を名乗る全ての悪しき霊たちを遥かに超越した天地創造主・全知全能の神であり、人々の罪を赦す唯一の権威をお持ちで、羽生選手の心身を今日まで守り通して下さった 主イエス=キリストの御名でお祈りしています! アーメン。
スポーツ報知記事 デイリー記事 より 上記の羽生選手コメント全文を抜粋しました
授与式は7月2日になる予定だそうです。
イエスは答えて言われた。
「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方(=天地創造主たる、全知全能の神)の教えである。
この方(=天地創造主の神)の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、わかるはずである。
自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。
しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。」
(ヨハネによる福音書 7章16~18節 新約聖書 新共同訳より)
イエス=キリストの言葉
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
体は殺しても、魂を殺すことのできない者ども(=悪魔と手下の悪霊たち)を恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(=天地創造主である真の神)を恐れなさい。
二羽の雀(すずめ)が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父(=天地創造主の神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
だから、恐れるな。
あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
だから、だれでも人々の前で自分をわたし(=イエス)の仲間であると言い表す者は、わたしも天の父(=天地創造主の神)の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
しかし、人々の前でわたし(=イエス)を知らないという者は、わたしも天の父(=天地創造主の神)の前で、その人を知らないと言う。」
(マタイによる福音書 10章26~33節 新約聖書 新共同訳より)
「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。
人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。」
(ヨハネへの手紙第一 (第一ヨハネ) 4章1節 新約聖書 )
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知り得る事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物(自然・動物・人間・植物・天体物等)に現れており、これを通して神を知ることが出来ます。
従って、彼らには弁解の余地がありません。
なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」
( ローマの信徒への手紙 1章18節~23節 新約聖書 新共同訳より )