プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花を咲かせよう!

フィギュアスケートのプロでプロ・アスリート、
表現者・羽生結弦監修の公式・広報サイト 
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重大な広島公演を機に~ 花を咲かせよう!(あなたの花を咲かせよう!)へのサブタイトル変更のお知らせ

2025-01-16 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

※ ご注意: 羽生結弦が元妻詐欺の売名人間と結婚した事実も離婚した事実も一切ありません。ジャパンタイムズの記者は勝手に思い込んで書いたようですが、虚偽情報となりますのでご注意ください。(羽生結弦は自分の名前のサインを偽造した婚姻届けと離婚届けを知らないところで勝手に出されていた事実が発覚したという、前代未聞の大被害にあった被害者でしかありません。)

ジャパンタイムズの記者は、脅迫された姉が出させられた捏造離婚が事実と誤解した内容に書かれていましたが、羽生結弦に、誰かと離婚した事実は一切ありません。 元妻詐欺の売名人間に関する捏造報道は、羽生結弦のサインを勝手に偽造してまで、偽造文書を羽生結弦が知らないところで勝手に提出した人間たち(脅迫者と虐待者と売名人間が結託した)がいた被害によるものですのでご注意ください。 

Echoes of life で、「あなたらしい音」に全てピアノ曲を選び、運命の曲に、「バラード第1番」を選んだ羽生結弦の真実は、羽生結弦の意図で、明らかに証明されています。NOVAの設定は、わかる人にはわかることですが、羽生結弦の真実が多数投入されており、今までの何よりも羽生結弦らしさが表現されています。

また、羽生結弦の食事管理は、味の素がすべて徹底しています。羽生結弦が自分で食事管理もやっているみたいに勝手に書かれていましたが、それも間違え情報ですのでご注意下さい。

他人が書いた偽造サインによる偽造の婚姻届けと離婚届けを勝手に出されたという前代未聞の大被害を羽生結弦は受けましたが、他人が書いた偽造文書はもちろん、どちらも最初から完全に無効ですので、羽生結弦の現在の本当の弁護士(非公表 ねつ造離婚騒動の時に名前の出ていた弁護士ではありません)によって抹消請求されて 完全に取り消されています。

羽生結弦の戸籍に、誰かと離婚した記録も事実も、どちらも一切ありません。【公式声明】

 

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『Echoes of Life』広島公演、 たくさん応援していただき、 そしてたくさん見ていただき、 本当にありがとうございました! 広島で公演できてよかったと、心から思いました。 平和な世界でありますように 皆さんに幸せがたくさんありますように もっと頑張ります! 何も残らないように、全てを祈りに捧げました。 一生懸命をできたかなって思えています。羽生結弦」

 

私たちにとって、本当に重大な公演であった、広島公演が終了しました。

広島公演に来てくださった方々、そして 広島公演を全国の映画館で、あるいはCSテレ朝チャンネルでご覧下さった皆様には、心から感謝申し上げます。

 

広島公演は、私たちにとって、念願の公演でした。

 

羽生結弦は、脅迫されていた1日目の時に、たまたまみたいなことをちょっとだけ言いましたが、それは、

広島公演が意図したものだと語るななどと、羽生結弦は激しく 脅迫されていたからですので公表いたします。

 

それは、広島公演で、2日間に分けて、羽生結弦本人が熱く語った、ほかの羽生結弦の思いやセリフを全部聞いていれば、わかっていただけることと思います。

どれだけ広島が大好きだったか

どれだけ広島が特別だったか

どれだけの思いがあったかーーーーー

 

 

広島公演は、そしてあんなにも 原爆ドームと平和記念公園に近い 広島の会場は、決して、たまたまなんかでは実現できませんでした。

本来、スケートリンクではない 広島グリーンアリーナを長期間押さえるのは大変なこと。

 

私たちの思いをくんで、会場を抑えてくださった関係者・スタッフには、本当に、言葉に尽くせないほど、心から感謝申し上げます。

 

1年前、佐賀公演の時に、長崎と、さらに新幹線で博多から1時間くらいで広島にもよれることを

宣伝した私は、自分で宣伝したくらいですから、そのあとに実際に 広島によりました。

 

久しぶりに(といっても数年ぶりですが)来た広島は、駅周辺の工事が始まるところで、かなり変化していました。

原爆ドームと平和記念公園で 奇跡の生存被爆者だったBさんを思って、彼女との約束を思い出しながら祈り、

そして未来の平和のためにも 本気で祈りながら、改めて、

(やはり広島でやりたい。広島でやるべきだ。ここに来て、実際に見てもらうことに意味がある。)と強く感じ、

羽生結弦に、「近いうちに広島公演をやりたいね、健康で元気なうちに、絶対に実現できたらいいね…!」と話し、強くお願いしました。

 

そして、それから、丸々1年もしないうちに、広島公演は 本当に実現しました。

 

だからこそ、本当に広島公演は、涙なしでは見られませんでした。 

私も、言葉にできないほどの思いで、胸がいっぱいになりました。

 

ここまで、背後には、たくさんの闘いがありました。

意地でも妨害したい、私たちの大事な使命をつぶしたい、そのために 脅迫し続けている人間たちがいたからです。

それらを乗り越えての、実現です。

(羽生結弦は、広島公演中も、大変な思いをしていました。)

関係者の多くの方々のご尽力と、本気の思いと、強い熱意で実現された、本当に尊いものです。

 

 

演出のMIKIKOさんも、広島出身です。

私は、奇跡の生存被爆者のBさんに出会ったころ、一時的に広島に住んでいましたけど、

そのころ、広島のニュースを見ていて、視点が違うな、と気付いたことがありました。 そう感じさせるものがたくさんあったのです。

私は、当時から、子供のころから 広島で広島の教育を受けて育った人たちは、日本のほかの地域で育った人たちより、認識が違う、やはり知っている知識の範囲が違うと、個人的には思っていますし、思ってきました。

証言を聞いたり触れたり、実態を知っている人がほかの地域出身者より圧倒的に多いし、被爆者への思いやりの視点が全然違っていて、そういった思いや視点が、地域のニュースにも出ていると感じていました。

 

広島公演では、「再生」がテーマとなる「ダニー・ボーイ」の演技の前に、周辺に花が咲いていく演出に、目を見張った方は多いかと思います。

とても意味のある演出で、最も印象に残る一つのシーンです。

ダニー・ボーイは、羽生結弦が渾身の祈りを込めて捧げた演技。

 

最後の、すべての人の魂の歌、は 本当に未来の希望につなげていく演技でもあります。

 

それを見て、そして広島の地を見ていて、一つの私たちの重大な使命が果たされたことを実感し、

そのうえで、これからはさらに 新たなステージに入っていきたいと強く思いました。

 

「花になろうよ!」は、羽生結弦本人が 非常にこだわって、公式・広報サイトにはぜひつけ続けてほしいと強く希望して、意味をもってつけ続けた サブ・タイトルです。

羽生結弦が非常に信頼している、指田フミヤさんが作り、羽生結弦が2012年にエキシビションのプログラムとして披露した、「花になれ」の思いを受けて、つけられました。

羽生結弦が、絶望の淵にいて苦しんでいたときに、「生きてゆけ」「僕たちも花になれる」などの珠玉の言葉の数々に 羽生結弦本人が大いに助けられ、慰められ、励まされた特別な曲だからこそ、特別な演技だったからこそ、今日まで大事にしてきた サブ・タイトルです。

 

しかし、「花になる」(※ これは象徴的表現です)だけでなく、

これからは、さらに、お一人お一人が、「花を咲かせる」ことの大事さ・大切さ・尊さを、改めて 広島公演を見ていて、強く感じました。

 

東日本大震災の被災地支援の曲で、「花は咲く」というのがありますが、それも、

羽生結弦は、指田フミヤさんの楽曲を利用して、渾身の演技をしたことを覚えている方は多いと思います。

 

もちろん、まだ咲かせることのできていない、花の つぼみでもいい。

つぼみは それはそれでとても美しいものです。

 

だけれども、そこからさらに一歩進んで、お一人お一人が本来、咲かせるべき「花」を

咲かせていくことーーー  

「あなたの花を咲かせよう!」という、人に対して、人生に対しての「花を咲かせる」意味と、

 

仙台の七北田公園で、通称「ゆづ桜」の周囲に ネモフィラの花を植えてくださっているプロジェクトのように、

悲しみに打ちひしがれている土地に、あるいは 希望を必要とする土地に、

あるいは、あなたが日々 生活するその土地に、

花がたくさんあふれていく、そんな素敵な街、そんな優しい国になったらいいなという願いを込めて、

 

サブタイトルを、「花を咲かせよう!」に変更することにいたしました。

 

羽生結弦が使命としている 被災地支援においても、重要なメッセージとなる言葉となると思います。

 

これは、公式広報の主役である、羽生結弦本人と、

この度の 広島公演後に、様々な思いを込めて、協議して決めたことですので、

ここにお知らせいたします。

 

広島公演で一つの大きな節目を迎えて、多くの方に、奇跡の生存被爆者の方の証言を読んでいただけたこと、実際に広島に来て、原爆ドームや広島の平和記念公園や、平和記念資料館(原爆資料館)に足を運んでいただいたことは、本当に私たちにとって、ありがたい、感謝なことでした。

 

羽生結弦と、日本と世界の平和への想いを広島・長崎と共に継承する~「春よ、来い」「天と地と」他プログラムたちの背景にある、 広島の奇跡の生存被爆者から受け継いだ証言

 

ここから、新たな希望を胸に、前に 進んでいきたいと思います。

 

今後とも、公式広報サイトをよろしくお願い申し上げます。

 

冬の平和記念公園内の バラ園 (真冬ですけどほんの少しだけ咲いていました) から見た 原爆ドーム

 

原爆ドームから一番 近い橋 相生橋 

 

奇跡の生存被爆者のBさんは、この相生橋を渡った 向こう側の地域で発見されたとのことでしたので、

もともとその地域に住んでいたのだろうと推測されています。

 

 

原爆ドーム周辺の地域の案内図

 

 

爆心地から一番近い橋 元安橋

橋の向こう側が、広島平和記念公園です。 平和記念資料館もあります。

 

広島公演の看板の 夜のライトアップバージョン

 

会場 広島グリーンアリーナの隣の公園 の夜のライトアップ (原爆ドーム向かい側)

夜の原爆ドームのライトアップ

 

年末の11月から、新年の1月3日まで、平和大通りでライトアップされていたイルミネーション。

「ひろしまドリミネーション」

 

昼の原爆ドーム

羽生結弦の誕生日(2歳の誕生日)の時に 世界遺産として登録された 原爆ドームの記念碑

 



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