熊本および九州地方で、大地震と余震による被害で苦しんでいる皆様、
この被害で多くの大事なものを失われてしまった皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
また、今回のことでお亡くなりになられた方々に、謹んで哀悼の意を表し、
被災地で、辛い状況の重なっているであろうご遺族様のお心が、少しでも慰められ、悲しみが癒えていきますよう、心よりお祈り申し上げます。
「なんで私がこんな目に…!」と思うような悲惨なことを体験すると、多くの人は、心が打ち砕かれてしまいます。
今回の被災地でも、そのような思いで悲しんでいらっしゃる方々も多いのでは、と…
東日本大震災の時、私の「全友人たち」の中で、最も悲惨な状況下にいて、本当に辛い、大変な体験をした友人がいました。
なぜ神様は、その友人をそこまでの悲惨な状況下に置くことをお許しになったのか…
その友人は、人の役に立つため、よく人助けをするタイプだったのですが、そんな人がよりにもよって、なぜそんな目に遭うのか、と。
でも当時、その友人は、「これも自分の使命だ」と最後には受け止めて、精一杯のことを驚くほどやっていました。
私より明らかに悲惨な体験をしていたのに、いや、だからこそ、なのでしょうか、むしろ私を逆に励ましてくれるような存在でもありました。
今回、この熊本の最初の大地震の時に、その友人はなんと、よりにもよって、仕事の関係で九州にいました。
そして職業の関係で、直ちに熊本の被災地に入って支援の現場につくことになった友人は、先週、私に連絡をくれて、
「あの時の体験が今、全部役に立っているよ!」と。
私はとても驚きましたけど、他のどんな人がその役割に就くよりも、最も適切な人が、その役割に就いたと感じました。
表面だけ見れば、東日本大震災の時に被災地にいて、熊本大地震の時にも被災地にいる、ということは、
「ただの不運」「ただの悲劇」かもしれません。
だけど、そうではないのだとーーーー
その友人が九州にいた「偶然」を、むしろ「必然」として見る時に、
その友人の人生に起こっていることの、深い意味と連続性に気づかされるのです。
「この大変さにも、何か必ず意味があるーーー」
今は本当に辛くても、そう信じて乗り切ってもらえたらと思い、少しでも希望になればと思い、ここに書かせてもらいました。
さて、そんなことを思う時、私は上に書いた友人よりも、地震についてだけは、数を多く経験していて、
おそらく、多くの日本人よりもは、震度5以上の地震を多く経験しているほうの一人に入るだろうと思います。
(東日本大震災の、本震と余震だけで3回は経験したのを含めると、過去に合計5回ほど、震度5以上を経験。
震度4以下を合わせたら、地震体験回数は、もはや数え切れません。)
そんな「地震慣れ」してきている私に書けることを、誰かの参考になればと思い、ちょっとだけ書いてみたいと思います。
今も度重なる余震に、「また余震!」と恐怖に陥ったり、うんざりされている方も多いと思いますので、
私がおススメしたいのは、「嫌な余震が…」と考えるより、むしろ、積極的に「余震を楽しむ」方法です。
これは特に、子供たちには有効です。
まず大前提として、
1: 震度5以上の激しい揺れではないこと(安全確保が最優先になるので)
2: 周囲からモノが落ちてきたりしない、安全な状況に自分たちがいること
は、必ずご確認下さい。
その上で、その揺れに合わせて、自分から積極的にリズムをつけて揺れて、明るくノリノリで楽しんでみて下さい。
ちょうど、トランポリンに乗っている子供の気分、ゴムでできた空気の遊具の上で跳ねたり跳んで遊んでいる子供の気分、です。
あるいは、「波のプール」で、波が来た時に、その波に乗って遊ぶ感覚、でしょうか。
子供が集団でいるような場所の時には、「イエ~イ!」と誰かに叫ばせて、みんなで楽しむ。
「体操のお兄さん」のようなタイプが一人でもいると、最高ですけど、もちろんあなたがリード・指導してもO.K.ですよ!(笑)
どうやるのかよくわからない人は、この動画の、00:25秒~あたりから、00:45秒あたりまでに登場する、
ノリノリで自由に踊っているお兄さんの姿を、どうぞご参考に。(笑)
テンポは、揺れに合わせるほうが良いですので、その都度自由に、自然にどうぞ。
(注:必ずしも、この動画のお兄さんの通りにしようなどとは思わないでください。)
あまりに極端に激しくジャンプしたりすると、地面が揺れていますので、足をくじいたりする可能性がありますのでご注意下さい。
(楽しくなりすぎて、はしゃいだ子供は、時にこういう行動に出ますので、ちょっとご注意。)
あくまでも、揺れに合わせて、自ら積極的にリズムをとる、がポイントです。
大人の場合、全身の力を抜いて、手足をブラブラさせたり、緊張や疲労で凝っている肩や首をボキボキと動かしながら脱力させてリズムをとる、
「脱力体操」のようなことを、揺れるたびに積極的にやってみるのも、有効です。
揺れ始めたら、ストレッチ体操タイムにする、という発想の切り替えも、多少の効果があると思います。
(いやいやながらではなく、ゲーム感覚で楽しくやるのがポイントです。)
大人で、「そんなの恥ずかしいわ!」という人の場合や、怪我や病気、高齢者でできない方々、疲れていて動きたくない方々には、次の方法をお勧めします。
1: 安全な場所で横になって目を閉じる。
2: 波にぷかぷか浮いているイメージで、身体を揺れるに任せたり、
またはハンモックで風に揺れているのを想像して、楽しくリラックス。
あるいは、
ちょっと激しいデコボコな道を通っている馬車に乗っている気分を味わったり、
ガタゴト激しく揺れる、古い列車に乗っている気分で、積極的に楽しむ。
その余震の揺れ方によって、毎回印象は異なると思うので、イメージしやすいもので、臨機応変に。(笑)
余震が来るたびに、「楽しもう!」「休もう!」「リラックス!」と言われているのだと考えて、身をゆだねて『揺れにのり』、楽にするほうが、
「また嫌な余震…」「いつまで続くの…!」と考えてストレスをためていくよりも、ずっと良いです。
東日本大震災の時には、「一日何十回」というほどの余震を私も体験しました。
揺れるたびにストレスや恐怖を感じていると、それだけでも疲れてうんざりしてしまいます。
基本的に、耐震性の進んでいる日本では、震度5を超えなければ、人が死ぬ確率というのは、ほとんどありません。
(地滑り、土砂災害、物が落下してきて当たる、相当に古い家屋の倒壊等を除く)
だから、それ以下の余震の時は、どんな方法でもよいので、積極的に揺れを楽しむ、ことをおススメしたいです。
余震があまりにも多い時は、毎回無理してやろうとはせずに、そこも臨機応変に。(笑)
東日本大震災の時、2か月以上続いた余震のせいで、何もしないで受け身で揺られてばかりいたら、
ある日突然、「地震酔い」と呼ばれる状態に、私もなってしまいました。
これは「船酔い」「車酔い」とも似たような、あるいは、めまいと似たような状況に常になることです。
あまりにも余震が続くために、自分が揺れているのが、本当の地震のせいなのか、めまいなのかがわからなくなってしまいます。
絶えずふらふら、フワフワしているような感覚になってしまいます。
そうなった場合は、とにかくまずは身体をリラックスさせて休むことが最重要だと思います。
いわゆる、激しい「船揺れ」を乗り切る方法として、
その揺れに身を委ねて、むしろ積極的に楽しむようにすると、
「揺れないで~~!(涙)」と、何かにしがみつきながら必死で抵抗しているような場合と比べて、
全く酔わないか、酔い方がマシになるという一般的な事実を思い出して、色々考えて実行してみました。
あとは、「電車は揺れるもの」であるから、誰も特に腹を立てることがないように、
「実は、地面も揺れるもの」 なのだと考えてみると、そんなにストレスもたまりません。
「知らなかったよ~♪ 空がこんなに あお~いと~は~♪」という歌がありますが、(←知っている人どのくらいいるでしょうね…)
「知らなかったよ~♪ 地面がこんなに揺れ~ると~は~♪」 という気分で、笑って歌ってみる。(笑)
そう、大地震と続く余震が起こるまで、私たちは、地面がこんなに揺れるものだとは、知らなかっただけなのですから。
人によって、合う合わない、あるかもしれませんが、何もしないよりもはマシと思うので、
どうぞご参考までに。
また、余震があまりにも続いたり、収まる気配がない場合、その地域を脱出することができる方は、脱出することを私はおススメしたいです。
「皆が大変なのに、自分だけが逃げるなんて…」と、罪悪感を感じる必要は、全然ないです。
誰に何を言われても、絶対に気にしないことです。
東日本大震災の時も、こういう心理状態に陥った方が大勢出ましたが、
被害のない地域へ避難することはむしろ、自分をも、家族をも、他人をも助けることに必ずつながっていくと信じて、堂々と移動して避難して下さい。
むしろ、支援は外部の元気な人たちや専門家に任せて、その場所から動けない人たちに、物資が少しでも行き渡って足りるように、
別の地域へ逃げられる人たちは、一時的にでも避難するべきだと私は思います。
また、そのようにして被災地から逃げてきた人たちを、他の地域の方たちが、いつも温かく受け入れてあげられる、
そんな日本であれますように…!
今現在、被災地にいる人たちにも、
あるいは今後、もしかしたら、大震災や大災害に遭遇するかもしれない人たちのためにも、
ここに書いたことが、いつか何らかの形でお役に立つことを願って…
何事にも時があり、
天の下の出来事には すべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、
植える時、植えたものを抜く時
(中略)
泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、
(中略)
求める時、失う時、保つ時、放つ時
(中略)
愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時
(中略)
神はすべてを時宜にかなうように造り、
また、永遠を思う心を人に与えられる。
(コヘレトの言葉(伝道の書) 3章1、2、4、6、8、11節 旧約聖書: 新共同訳より )
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」
(ペトロの手紙 第一 4章7節 新約聖書: 新共同訳より )