退院できたと喜んだのもつかの間(3日目)別の病院に再入院した。
退院してからの義母は食事を全く受け付けようとせず、僅かな水分を取る(飲ませられる状態)だけだったとホームの職員さんから聞いた。
病院では不整脈が出ていたが、医師は「これは48時間以内に正常になる。入院の必要はない。」と言ったが入院をお願いした。その後、採血の結果肺炎であると分かり、処置も変わったものになった。
医師が言った言葉に衝撃を受けた。「認知症は食べることも忘れるんです」と。食べたことを忘れるとはよく聞く症状だが、その反対は全く考えたこともなかった。人間、最後に残る欲は「食欲」と言われているが、義母はそれをなくしてしまったのだろうか。ホームの看護士さんは「オシッコを忘れる人もいる」と言っていた。
グループホームでの生活も無理になったので、医療体制の整った施設または医療機関での生活になるのだが、その手だてはまだ決まっていない。が、不思議と不安はない。サムシンググレートに全てお任せの心境である。
義母の手を握りBye-byeをしていると、これまでの全てが感謝に変わっていく気がした。
ちょっと格好良すぎるようだが、そうだった。
退院してからの義母は食事を全く受け付けようとせず、僅かな水分を取る(飲ませられる状態)だけだったとホームの職員さんから聞いた。
病院では不整脈が出ていたが、医師は「これは48時間以内に正常になる。入院の必要はない。」と言ったが入院をお願いした。その後、採血の結果肺炎であると分かり、処置も変わったものになった。
医師が言った言葉に衝撃を受けた。「認知症は食べることも忘れるんです」と。食べたことを忘れるとはよく聞く症状だが、その反対は全く考えたこともなかった。人間、最後に残る欲は「食欲」と言われているが、義母はそれをなくしてしまったのだろうか。ホームの看護士さんは「オシッコを忘れる人もいる」と言っていた。
グループホームでの生活も無理になったので、医療体制の整った施設または医療機関での生活になるのだが、その手だてはまだ決まっていない。が、不思議と不安はない。サムシンググレートに全てお任せの心境である。
義母の手を握りBye-byeをしていると、これまでの全てが感謝に変わっていく気がした。
ちょっと格好良すぎるようだが、そうだった。