文政権の革新カラーが「日米韓」を塗りつぶす日
編集委員 峯岸博
日韓対立 朝鮮半島ファイル 峯岸 博 編集委員
2020/7/3 0:00 (2020/7/3 5:18更新)日本経済新聞 電子版
「南北先行」に流れやすい韓国政権の重しとなってきたのが米国だ。2万8500人規模の在韓米軍を抜きに韓国の安全保障は成り立たないからだ。
それでも文在寅(ムン・ジェイン)政権が従来の一線を越えるかもしれないとの懸念は国内外から消えない。韓国で強まる革新カラーに「日米韓」が塗りつぶされる日は来るか。
日韓や米韓の対立は日米韓の安保協力に悪影響を与える(左から韓国の文大統領、トランプ米大統領、安倍首相)=ロイター
南北関係の悪化で引責辞任した韓国統一相の後任人事が注目されている。
複数の韓国メディアは革新系与党「共に民主党」の李仁栄(イ・イニョン)前院内代表が有力と報じた。
これまで名前が挙がった李氏と任鍾晰(イム・ジョンソク)前大統領秘書室長はともに、親北朝鮮組織だった全国大学生代表者協議会(全大協)の議長OBだ。
1960年代に生まれ、80年代に全斗煥(チョン・ドファン)軍事独裁と闘った学生運動経験者は「86世代」と呼ばれ、現在、市民運動の活動家とともに政権与党の中枢を占めている。
朝鮮半島で南北分断を招いた責任は米国や日本にあるとみる人も多い。
■「自主」がキーワード
彼らと北朝鮮をつなぐキーワードが「自主」だ。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長は2018年9月、文大統領と平壌で会談し「わが民族の運命は自ら決定するという自主の原則を確認した」と強調。
両首脳は共同宣言で「条件が整えば、開城工業団地と金剛山観光事業を正常化する」と約束した。
2年近くたっても事業が動かないのは、米韓作業部会で米国がストップをかけているためだ。
北朝鮮の非核化が進展していないのが理由だが、韓国与党内で米国を非難する声が強まっている。
文大統領は年初の記者会見で「南北関係は我々の問題。もう少し主体的に発展させる意思を持つべきだ」と事業再開に意欲を示した。
6月中旬に韓国外務省の李度勲(イ・ドフン)朝鮮半島平和交渉本部長が訪米したのも様々な臆測を呼んだ。新統一相のもとで独自路線に突き進めば、米韓同盟に亀裂が生じるのは避けられない。
■GSOMIA問題の再燃も
日本は韓国人元徴用工訴訟で原告に差し押さえられた日本企業の資産売却のリスクを抱えている。
さらに、韓国との間でもう一つの大きな火種が再燃しつつある。日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の更新問題だ。
もし11月に失効させようと思えば8月までに相手国に通告する必要がある。
昨年、韓国政府は輸出管理を厳しくした日本への反発からいったん破棄を決めたが、その後、米国から説得されて失効を回避した。
今年になって勢力を拡大した革新系政権与党内で再び破棄論が首をもたげている。
日韓をめぐる環境は一段と悪化している。
GSOMIAへの対応について、韓国大統領府高官は5月時点で韓国メディアに、輸出管理をめぐる日本の回答を見守る考えを示していた。
その後も日本が動かないと、韓国政府は世界貿易機関(WTO)への提訴手続きを開始した。
政府関係者によると、通商問題で強硬路線を主導したのは、大統領府の金鉉宗(キム・ヒョンジョン)国家安保室第2次長だ。
前回も外交、国防当局の反対を押し切ってGSOMIA破棄決定の流れをつくった文大統領の側近だ。
「協定破棄は中国や北朝鮮を利する」(米政府高官)と日米は警戒する。日米韓の迅速な情報共有の三角形が乱れ、米軍のアジア戦略に狂いが生じる。
■戦時統制権の返還は悲願
文大統領が22年5月までの任期内の実現をめざすのが、朝鮮戦争後も米軍が握る戦時の作戦統制権(指揮権)の韓国軍への返還だ。
米国に依存しない「自主国防」への象徴的な一歩ととらえている。
自身も政権入りした盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代の07年に米国と12年4月の韓国軍への移管で合意した。その後、韓国の能力が不安視され、保守政権下で延期を決めた経緯がある。
朝鮮戦争後も韓国にとどまる国連軍司令部との指揮系統の乱れなどを懸念する米国との交渉が難航しているとされる。
変数はトランプ米大統領だ。「米国第一」を掲げ、在韓米軍の縮小・撤退への意欲を隠さない。米韓同盟の変質は、東アジア地域における日本の安保リスクにも直結する問題だ。
■日本など「三大分断勢力」
韓国で勢いづく革新系与党について、ライバルの保守陣営は「国際情勢より、総選挙大勝の目に見える成果をあげることに血眼になっている」と批判する。
一方で革新系与党幹部が「米国のネオコンと日本、国内保守派が、韓(朝鮮)半島の平和と繁栄を妨害する『三大分断勢力』だ」と、北朝鮮の立場にも通じる主張を公言するのが韓国政界の現状だ。
韓国の文在寅大統領(中央手前)は6月25日にソウル近郊で開いた朝鮮戦争開戦70年の式典で、北朝鮮に終戦への努力を訴えた=聯合・共同
「70年を経ても韓米同盟は韓(朝鮮)半島と北東アジア地域の安全保障、安定、繁栄の基軸としての役割を変わりなく果たしている」。朝鮮戦争開戦から70年を迎えた6月25日、米韓国防当局は共同発表文にこう盛りこんだ。
南北関係が再び緊張モードに入り、中国の軍事大国化も急速に進むなかで、米韓同盟と日米韓連携は正念場に向かいつつある。
峯岸博(みねぎし・ひろし)
1992年日本経済新聞社入社。政治部を中心に首相官邸、自民党、外務省、旧大蔵省などを取材。2004~07年ソウル駐在。15~18年3月までソウル支局長。2回の日朝首脳会談を平壌で取材した。現在、編集委員兼論説委員。著書に「韓国の憂鬱」、「日韓の断層」(19年5月)。
編集委員 峯岸博
日韓対立 朝鮮半島ファイル 峯岸 博 編集委員
2020/7/3 0:00 (2020/7/3 5:18更新)日本経済新聞 電子版
「南北先行」に流れやすい韓国政権の重しとなってきたのが米国だ。2万8500人規模の在韓米軍を抜きに韓国の安全保障は成り立たないからだ。
それでも文在寅(ムン・ジェイン)政権が従来の一線を越えるかもしれないとの懸念は国内外から消えない。韓国で強まる革新カラーに「日米韓」が塗りつぶされる日は来るか。
日韓や米韓の対立は日米韓の安保協力に悪影響を与える(左から韓国の文大統領、トランプ米大統領、安倍首相)=ロイター
南北関係の悪化で引責辞任した韓国統一相の後任人事が注目されている。
複数の韓国メディアは革新系与党「共に民主党」の李仁栄(イ・イニョン)前院内代表が有力と報じた。
これまで名前が挙がった李氏と任鍾晰(イム・ジョンソク)前大統領秘書室長はともに、親北朝鮮組織だった全国大学生代表者協議会(全大協)の議長OBだ。
1960年代に生まれ、80年代に全斗煥(チョン・ドファン)軍事独裁と闘った学生運動経験者は「86世代」と呼ばれ、現在、市民運動の活動家とともに政権与党の中枢を占めている。
朝鮮半島で南北分断を招いた責任は米国や日本にあるとみる人も多い。
■「自主」がキーワード
彼らと北朝鮮をつなぐキーワードが「自主」だ。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長は2018年9月、文大統領と平壌で会談し「わが民族の運命は自ら決定するという自主の原則を確認した」と強調。
両首脳は共同宣言で「条件が整えば、開城工業団地と金剛山観光事業を正常化する」と約束した。
2年近くたっても事業が動かないのは、米韓作業部会で米国がストップをかけているためだ。
北朝鮮の非核化が進展していないのが理由だが、韓国与党内で米国を非難する声が強まっている。
文大統領は年初の記者会見で「南北関係は我々の問題。もう少し主体的に発展させる意思を持つべきだ」と事業再開に意欲を示した。
6月中旬に韓国外務省の李度勲(イ・ドフン)朝鮮半島平和交渉本部長が訪米したのも様々な臆測を呼んだ。新統一相のもとで独自路線に突き進めば、米韓同盟に亀裂が生じるのは避けられない。
■GSOMIA問題の再燃も
日本は韓国人元徴用工訴訟で原告に差し押さえられた日本企業の資産売却のリスクを抱えている。
さらに、韓国との間でもう一つの大きな火種が再燃しつつある。日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の更新問題だ。
もし11月に失効させようと思えば8月までに相手国に通告する必要がある。
昨年、韓国政府は輸出管理を厳しくした日本への反発からいったん破棄を決めたが、その後、米国から説得されて失効を回避した。
今年になって勢力を拡大した革新系政権与党内で再び破棄論が首をもたげている。
日韓をめぐる環境は一段と悪化している。
GSOMIAへの対応について、韓国大統領府高官は5月時点で韓国メディアに、輸出管理をめぐる日本の回答を見守る考えを示していた。
その後も日本が動かないと、韓国政府は世界貿易機関(WTO)への提訴手続きを開始した。
政府関係者によると、通商問題で強硬路線を主導したのは、大統領府の金鉉宗(キム・ヒョンジョン)国家安保室第2次長だ。
前回も外交、国防当局の反対を押し切ってGSOMIA破棄決定の流れをつくった文大統領の側近だ。
「協定破棄は中国や北朝鮮を利する」(米政府高官)と日米は警戒する。日米韓の迅速な情報共有の三角形が乱れ、米軍のアジア戦略に狂いが生じる。
■戦時統制権の返還は悲願
文大統領が22年5月までの任期内の実現をめざすのが、朝鮮戦争後も米軍が握る戦時の作戦統制権(指揮権)の韓国軍への返還だ。
米国に依存しない「自主国防」への象徴的な一歩ととらえている。
自身も政権入りした盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代の07年に米国と12年4月の韓国軍への移管で合意した。その後、韓国の能力が不安視され、保守政権下で延期を決めた経緯がある。
朝鮮戦争後も韓国にとどまる国連軍司令部との指揮系統の乱れなどを懸念する米国との交渉が難航しているとされる。
変数はトランプ米大統領だ。「米国第一」を掲げ、在韓米軍の縮小・撤退への意欲を隠さない。米韓同盟の変質は、東アジア地域における日本の安保リスクにも直結する問題だ。
■日本など「三大分断勢力」
韓国で勢いづく革新系与党について、ライバルの保守陣営は「国際情勢より、総選挙大勝の目に見える成果をあげることに血眼になっている」と批判する。
一方で革新系与党幹部が「米国のネオコンと日本、国内保守派が、韓(朝鮮)半島の平和と繁栄を妨害する『三大分断勢力』だ」と、北朝鮮の立場にも通じる主張を公言するのが韓国政界の現状だ。
韓国の文在寅大統領(中央手前)は6月25日にソウル近郊で開いた朝鮮戦争開戦70年の式典で、北朝鮮に終戦への努力を訴えた=聯合・共同
「70年を経ても韓米同盟は韓(朝鮮)半島と北東アジア地域の安全保障、安定、繁栄の基軸としての役割を変わりなく果たしている」。朝鮮戦争開戦から70年を迎えた6月25日、米韓国防当局は共同発表文にこう盛りこんだ。
南北関係が再び緊張モードに入り、中国の軍事大国化も急速に進むなかで、米韓同盟と日米韓連携は正念場に向かいつつある。
峯岸博(みねぎし・ひろし)
1992年日本経済新聞社入社。政治部を中心に首相官邸、自民党、外務省、旧大蔵省などを取材。2004~07年ソウル駐在。15~18年3月までソウル支局長。2回の日朝首脳会談を平壌で取材した。現在、編集委員兼論説委員。著書に「韓国の憂鬱」、「日韓の断層」(19年5月)。