日本と世界

世界の中の日本

韓国の世代間格差と若者の怒り

2020-09-22 17:31:00 | 日記
韓国の世代間格差と若者の怒り

2020年09月15日(火)11時35分

韓国の世代間格差と若者の怒り


<高成長時代にまだ少なかった大学卒としていい会社に入り家も手に入れた386世代に対し、アジア通貨危機後に社会に出た世代は安定した仕事もお金もないない尽くし>

韓国社会における世代間の葛藤が深刻化している。

朝鮮戦争以降、韓国社会の世代区分は多様な定義があり、重複する年もあるものの、大きく

(1)ベビーブーム世代(1955年~1963年生まれ)、

(2)386世代(1960年代生まれ)、

(3)X世代(1970年代生まれ)、

(4)Y世代(1980年~1995年生まれ、ミレニアル世代ともいう)、

(5)Z世代(1996年~2012年生まれ)に区分することができる。

韓国社会における世代間の葛藤は多様な世代間で起きているものの、

主には若者世代や高齢者世代、そして386世代とそれ以降に生まれた世代を中心に議論することができる。

空気を読めない一部の高齢者

まず、若者世代や高齢者世代の葛藤は主に意識の差により発生している。韓国社会には今も「儒教思想」が根強く残っている。

目上の人とお酒を飲むときには失礼がないように顔を横に回して飲む、若者は電車の優先席に座らない、普通席に座っていてもお年寄りが乗ると席を譲る等、義務ではないものの、若者が守るべきことは多い。

人口高齢化の進展に伴い、地下鉄会社が1984年から段階的に65歳以上の高齢者に対する乗車料金を無料化してきたために、地下鉄を利用する高齢者は急増した。

10年前には、無料であることを利用した格安の「老人地下鉄宅配」というビジネスも登場したほどだ。

高齢者の利用が増えたことで、若者が座って休める確率は低下した可能性が高い。

料金を払って地下鉄を利用する若者の多くが、無料で地下鉄を利用する高齢者に席を譲ることについて不満を感じても不思議はない。

しかも、一部の高齢者は若者が席を譲ることを当たり前と考えている。若者が席を譲るように大声を出したり、怒鳴ったりする。

若者だって、仕事や学業で疲れているときもあり、体の調子が良くないときもある。

そんな時には席に座ってゆっくりしたいだろう。だがそれを認めない高齢者がいる。

いくら儒教思想が大事でも、席を譲ることを強いられると、高齢者のことが嫌になり、世代間の葛藤はさらに深まるだろう。

地下鉄の席を例に若者世代と高齢者世代の葛藤を説明したが、地下鉄以外の場所でも「最近の若者はだめ」だと言いながら、若者にやたらと説教をする高齢者が存在し、世代間の葛藤の一因になっている。

若者は彼らを「コンデ」と呼び、一緒にいることをできる限り回避しようとする。

「コンデ」とは元々親や教師を指す若者の隠語で、高齢者世代(広くは中高年世代)を意味する。

彼らは、自身の経験を一般化して若者に考えや行動などを一方的に強要したり、自分の若い頃の自慢話ばかりをしたり、なんでも経験して分かっているように語る。

もちろん、高齢者のすべてが「コンデ」ではない。しかしながら韓国社会における「コンデ」は、会社、電車の中、教会等、どこにも存在している。

次は、386世代と若者世代の間の葛藤だ。

386世代とは、1990年代に年齢が30代で、1980年代に大学生活を送り民主化運動にかかわった1960年代に生まれた者を指しており、(30代、80年代、60年代の3,8,6を取って386世代と称する)現在はほぼ50代になったことで、最近では586世代とも呼ばれている。

若者世代や高齢者世代の葛藤が主に意識の差による葛藤だとすると、386世代と若者世代の間の葛藤は経済的要因に起因する。
 
現在、韓国社会の中心とも言える386世代は、政治や経済に与える影響力においてX世代やY世代を大きく上回っている。

1960年代生まれの386世代は、1970年末〜1980年代に大学に入学した。

当時の高校卒業生の大学進学率は3割を少し上回っていたので、約7割が大学に進学する今とは大学生の存在感が大きく異なる。

彼らは社会のエリートとして評価され、キャンパスのロマンスを楽しみ、マッコリを飲みながら軍事政権を批判し民主化について語った。

386世代は学業より学生運動や民主化運動に重きを置いたにもかかわらず、大きな問題なく労働市場に加わることができた。

当時の韓国経済が絶好調だったからだ。

1985年からアジア通貨危機が発生した1997年までの経済成長率は平均9.1%に達し、失業率は完全雇用ともと言える2%台にとどまっていた。

だが、1997年に起きたアジア通貨危機により状況は急変した。

ウォンが暴落し、金利が上昇すると企業倒産が相次き、街には失業者が溢れた。

1998年の経済成長率は統計が始まってから最も低いマイナス0.51%を記録し、1997年には2.6%だった失業率は1999年2月には8.8%に、さらに若者失業率は14.5%まで上昇した。

労働の質と量の改善を

アジア通貨危機に見舞われた韓国政府はIMFから融資を受ける条件として、企業、金融、公共部門、労働市場の4部門における構造改革を行った。

1998年以降、IMF の指導の下で諸改革を進めたことにより、韓国経済は少しずつ回復し始めたものの、企業は危機管理体制を緩めず、正規職の代わりに非正規職を増やす雇用対策に切り替えた。

その影響は、当時労働市場に進出し始めたX世代やその後のY世代、そして最近のZ世代まで及んでいる。

2019年時点の非正規労働者の割合は36.4%に達しており、2015年の4年制大卒者のうち、正規職として就職した人の割合は52.5%に過ぎない。

卒業すれば正規職が当たり前だった386世代とは状況が大きく変わっている。

その結果、若者世代の多くが恋愛、結婚、出産、人間関係(就職)、マイホーム、夢、希望を諦めている。

韓国社会において世代間の葛藤は、「コンデ」の存在や世代間の意識の差が一つの原因かも知れないが、最も大きい部分は経済的要因に起因している。

そして、経済的要因、つまり、経済的格差に影響を与えるのが「労働の質と量」である。

従って、今後世代間の格差や葛藤を解消するためには労働の量や質を改善するための政策を持続的に実施する必要がある。

また、世代内の不公正により格差や鬱憤が発生しないように慎重な対策を講じるべきである。

安心して働ける社会や公正な社会を実現することこそが世代間と世代内の格差や葛藤を解決する近道であることを忘れてはならない。

※本稿の詳細は、現代韓国朝鮮学会の『現代韓国朝鮮研究』第20号に近日公開される予定である。

1910年、朝鮮が植民地化された内的原因は、朝鮮の国力の弱さに容易に求めることができる

2020-09-22 15:18:59 | 日記
1910年、朝鮮が植民地化された内的原因*

李憲昶(高麗大学経済学科教授;

<要約>

1910年、朝鮮が植民地化された内的原因は、朝鮮の国力の弱さに容易に求めることができる。

1900年頃の日本は、国内総生産で朝鮮の5倍、財政規模で50倍程度であった。

帝国主義時代に朝鮮は国力において周辺強大国に対抗することも、永世中立化を実現することも難しかった。国力を飛躍的に伸ばすためには、近代工業国として発展しなければならなかった。

後進国であった朝鮮が活気あふれる工業化を推進するためには、近代国家を創出しなければならなかったが、国家の部分的改良に止まった。

開港期に多方面にわたる近代的な変化があり、その速度はアジア大陸では遅い方ではなかったが、その程度では開港後から30年程度与えられた‘時間との競争’という苛酷な挑戦に勝利することはできなかった。

そのような点で国権喪失の責任を開港期にのみ転嫁することはできない。

朝鮮の1人当たり生産高と税収の低位性により、軍事力が弱かったのは開港前の遺産である。

国際貿易と大都市での市場上層の未発達は経済発展を制約し、かつ朱子性理学という道徳主義の繁盛を産んだ環境を提供した点で、植民地になった根本的な内部要因であった。

半島国家である朝鮮は朝貢冊封体制に編入され、海禁など民間貿易に対する制約が強い状態で市場発展が図られることもなく、経済成長に根本的な制約が伴った。

ところで、朝鮮半島に限られた小国が、軍事的に強力な先進文明の大国と国境を共有するという地政学的環境において、朝貢冊封体制への編入は不可避であった。

朝貢体制の長い年月に渡って提供した中国との平和的関係からの便益が、このための貿易の犠牲を上回ったと評価された点で,朝貢体制の受容は合理的な選択でもあった。

このように東アジアの国際環境に規定された朝鮮史の軌跡が帝国主義時代に遭遇し、植民地化という結果に終わった。

朝鮮の植民地化の内的要因は弱い国力だが、朝鮮の国力を規定した根源的な要因は国際環境乃至地理的位置であったのである。

菅氏「デジタル庁新設」…韓国情報通信部より25年遅れた

2020-09-22 13:48:25 | 日記
菅氏「デジタル庁新設」…韓国情報通信部より25年遅れた

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.09.22 09:

韓国は金泳三(キム・ヨンサム)政府だった1994年12月に情報通信部を発足させた。

従来の逓信部を改編して国家社会情報化政策の樹立や超高速情報通信網の構築、通信事業者育成などの業務を担当した。

一歩先のデジタル転換を成し遂げた韓国と違い、日本は2次産業中心の既存システムに安住した。

韓国経済産業研究院のキム・グァンソク経済研究室長は「1990年代末~2000年代初期のデジタル転換は、韓国が経済大国日本に追いつくことができる決定的契機だった」と説明した。

両国のデジタル格差は新型コロナウイルス感染病(新型肺炎)を通じて如実に表れた。

韓国はデジタル環境をベースに、全国民を対象に一糸乱れず迅速に災難支援金を支給した。

しかし、日本は中央政府と地方自治体の間で住民情報の共有が行われておらず支給が遅れた。

オンライン申請があったが、支給を担当する基礎団体で、自ら保有している住民情報と照らし合わせながら一つひとつ個人情報を手で再入力する過程を経なければならなかった。

オンライン申請による支給のほうが郵便申請よりも遅く受け取る場合が多かった。

菅義偉首相が就任直後に最も代表的な政策として「デジタル庁」の新設を掲げた背景だ。来年の発足を目指している。

韓国の情報通信部新設から約25年遅れることになった。

加藤勝信官房長官は20日、NHKの番組に出演して「『デジタル敗戦』『デジタル後進国』と言われる中、他国と比較すれば、国民が本来享受できる利便性を享受できておらず、しっかり進めていく」と話した。

デジタル庁設置準備室には内閣官房、総務省、経済産業省など各部署のデジタル政策関連人員40~50人程度が集まってデジタル庁に対する下絵を描く展望だ。

部署間の仕切りをなくし、デジタルに関連した総体的業務を受け持つ予定だ。

全国のすべての地方自治体が一つの機関行政システムを使う韓国とは違い、日本は1700余りの地方自治体がこれぞれ個別のシステムを使っている。

このように各領域に散らばっているデジタル資源を1カ所に集約する時に発生する利害関係の衝突をどのように調整するかもデジタル庁設立の成否を左右する変数になる。

キム・グァンソク研究室長は「デジタルトランスフォーメーションは社会の各領域で起きている。こレに対する対応の仕方に国の未来がかかっている」と話した。

政権交代機に?日本に猛烈に擦り寄り始めた韓国保守派

2020-09-22 13:30:28 | 日記
配信日時:2020/09/22 05:00

政権交代機に?日本に猛烈に擦り寄り始めた韓国保守派
    
「経済をうまく回していくためには、日本との協力が必要」。「でも、日本に対しては絶対に感謝しない」。そんな疲れる国が、ここにきて再び猛烈に擦り寄ってきたようです。

過去に、日本が助けてあげたにも関わらず、「支援が遅い」だの、「金額少ない」だのと逆恨みされたという歴史もあります。本稿では、そんな両国関係について読むべきポイントを振り返っておきたいと思います。

新宿会計士の経済・政治評論


目次

1 日韓通貨スワップの思い出
1.1 日韓通貨スワップの経緯を振り返る
1.2 通貨スワップの最大の目的
1.3 恩を仇で返す国
2 日本の態度が変わった?
2.1 釜山の慰安婦像設置で無期限延期
2.2 韓国「半導体産業で日本との協力が必要」
2.3 「用日派」のすり寄り
3 警戒が必要

日韓通貨スワップの思い出
日韓通貨スワップの経緯を振り返る
個人的に、「日韓通貨スワップ」という単語には、さまざまな思い出があります。

これはもともと、1997年のアジア通貨危機の教訓を踏まえ、日本が主導する形で2000年5月にタイ・チェンマイの「ASEAN+3」会合で成立した「チェンマイ・イニシアティブ」(CMI)と呼ばれる国際金融協力の枠組みに従って締結された協定です。

この点、財務省のウェブサイトに現在も掲載されている「CMI/CMIMの経緯」の説明によると、当初のCMIは8ヵ国(日米韓3ヵ国にASEANの5ヵ国)が参加していて、2003年末までに成立した「通貨スワップ・ネットワーク」を構成していた契約のひとつこそが、日韓通貨スワップです。

これについて、当時の資料などを集めて作成したのが、次の図表です(※ただし、日本銀行や財務省が過去の資料を削除しているほか、アーカイブのURLも各所に散乱しているため、不正確である可能性はあります)。

図表 日韓通貨スワップの経緯
時点 上限額 内訳
2001/07/04:CMIに基づきドル建ての日韓通貨スワップ開始 20億ドル 20億ドルの全額がドル建て
2005/05/27:円建て通貨スワップ開始 50億ドル (円)30億+(ドル)20億
2006/02/24:CMIスワップの増額 130億ドル (円)30億+(ドル)100億
2008/12/12:リーマン・ショック後のスワップ増額 300億ドル (円)200億+(ドル)100億
2010/04/30:リーマン増額措置終了 130億ドル (円)30億+(ドル)100億
2011/10/19:「野田佳彦スワップ」開始 700億ドル (円)300億+(ドル)400億
2012/10/31:「野田佳彦スワップ」終了 130億ドル (円)30億+(ドル)100億
2013/07/03:円建て通貨スワップ終了 100億ドル 円建てスワップが失効したので、ドル建てのみが残る
2015/02/16:CMIスワップが失効 0億ドル ドル建てスワップについても失効
(【出所】日銀、財務省、国立国会図書館アーカイブ等を参考に著者作成。なお、日銀、財務省が一部過去データを抹消しており、国立国会図書館アーカイブも不完全であるため、誤っている可能性もある)

これで見ていただくと明らかなとおり、日本が韓国に対して提供していた通貨スワップは、米ドルで引出が可能な「CMIスワップ」と、日本円で引出が可能な「日銀スワップ」の2種類がありました。

ただ、いずれの種類のスワップでであっても、当時の韓国にとっては非常にありがたいスワップでした。その理由は、韓国経済は必要とする外貨の多くを短期の米ドル借入でまかなっていたのに加え、日本円だったらいつでも米ドルと両替可能だったからです。

これらのうちの「CMIスワップ」については、2001年7月の契約締結当初は上限額が20億ドルでしたが、その後、2006年2月には100億ドルへと増額され、最盛期の2011年10月19日には、当時の野田佳彦首相のイニシアティブにより400億ドル(!)へと拡大されます。

また、日銀スワップについては2005年5月27日に金額上限30億ドル(に相当する日本円)で開始されたのですが、2008年12月には麻生太郎総理のイニシアティブで200億ドルに増額されたものの、いったんはリーマン・ショックによる金融市場混乱が収束したことで、30億ドルに戻りました。

しかし、2011年10月19日には、野田元首相のイニシアティブにより300億ドル(!)という破格な規模に拡大され、上述のCMIスワップとあわせて、じつに700億ドル(!)というものすごい金額の保証を韓国に付与したのです。

ちなみに、2008年の増額は、リーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発する金融危機への対応措置であり、2011年の増額は、欧州債務危機の余波で韓国が外貨不足に陥るとの懸念が出ていたときのものです。

通貨スワップの最大の目的

さて、くどいようですが、日本が外国と通貨スワップを締結する最大の目的は、日本との貿易や投資の関係が深い国・地域の経済に貢献することであり、為替市場を含めた金融市場そのものの安定という大きな意義があります。

これに加えてこれらの国々との経済協力を通じ、日本の成長戦略の重要な柱であるアジアの成長を取り込んでいくという狙いがありますし、相手国経済が確実に成長していくことが、日本の国益に直結していたはずなのです。

では、韓国に対する日韓通貨スワップの提供が、日本に対してどのような効果をもたらしたのか。

わかりやすいのは、韓国の反応です。

2008年10月から2009年3月にかけて、韓国の通貨・ウォンが暴落した際にも、結局は日本などの通貨スワップ増額措置で乗り切ったはずなのですが、こうした麻生政権下の増額措置に対する韓国側の反応が興味深いです。

「韓国が厳しい時、日本が最も遅く外貨融通」
「韓国が最も厳しい時に外貨を融通してくれたのは、米中日の中で日本が最後だ」。尹増鉉(ユン・ジュンヒョン)企画財政部長官は6日、日本有力経済紙である日本経済新聞とのインタビューでこのように指摘し、「世界第2位の経済大国なのに、日本は出し惜しみをしている気がする」と語った<<…続きを読む>>
―――2009年07月07日08時07分付 中央日報日本語版より

要するに、日本が貴重な虎の子である外貨を韓国に融通すると決めたことに対し、韓国は日本に対し、感謝どころか「出し惜しみしている」、「日本の支援が遅かった」、などと逆恨みしているのです。

なんだかおかしな話ですね。

恩を仇で返す国

また、2011年10月の「野田佳彦スワップ」に関しては、当時の欧州債務危機の混乱にもかかわらず、韓国ウォンは暴落しないで済んだ格好です。

では、この「700億ドル野田スワップ」が締結されて以降、韓国は日本に対し、ヒトコトでも感謝を述べたのでしょうか?

全然違います。というのも、韓国側は、次のような不法行為を日本に仕掛けて来たからです(※文中敬称略)。

12月14日…ソウルにある日本大使館前の公道上に、いわゆる「慰安婦像」が設置される(※以降、日本政府が撤去を求めるも韓国政府はこの要請を一切無視している)
12月18日…京都で行われた日韓首脳会談で李明博が野田佳彦に対し、いきなり慰安婦問題を蒸し返す
8月10日…李明博がわが国固有の領土である島根県竹島に不法上陸する
8月14日…李明博が天皇陛下(現・上皇陛下)を侮辱する発言を行う
8月下旬…野田佳彦が李明博に送付した親書を、韓国政府が郵便で送り返す
スワップを締結してあげても感謝してもらえないというのは、本当に悲しい話ですし、ソウル日本大使館前の慰安婦像の設置、大統領個人による天皇陛下への侮辱、親書の郵便での返送など、外交的欠礼は甚だしいものがあります。

いずれにせよ、日韓通貨スワップについて議論する際、過去の実例で見ている限りでは、韓国は助けても絶対に感謝してくれない国だ、という点については、少なくとも、きちんと抑えておく必要がありそうです。

日本の態度が変わった?

釜山の慰安婦像設置で無期限延期
ただし、日本が韓国に対する通貨スワップの提供をやめたあとも、韓国側では「韓日通貨スワップ」(日韓通貨スワップの韓国側の呼称)への強力な待望論が見られていたのも事実でしょう。

その後、2016年8月27日の『日韓財相対話』では、朴槿恵(ぼく・きんけい)政権当時の柳一鎬(りゅう・いちこう)副首相兼企画財政部長官が安倍政権下の副総理兼財相である麻生総理に対し、日韓通貨スワップの再開協議を要請しました。

また、麻生総理がこの日韓通貨スワップの再開協議に応じると述べたことで、いったんは両国間でスワップの再開協議が始まったのですが、韓国側からは「あらたな韓日スワップの規模は500億ドルになる」などの勝手な観測報道が相次ぎました。

しかしながら、この協議も、日韓ハイレベル経済協議とともに、2017年1月には中断してしまいます。

2016年12月、釜山にある日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことに対し、日本政府が激怒したからです。

ちなみに当ウェブサイトとしては、仮にもその時点で慰安婦像が設置されていなければ、日本政府は日韓通貨スワップの提供に応じてしまっていた可能性は十分にあると考えています(このあたり、真相は藪の中なのですが…)。

この点、『日韓スワップ、あえて「日本のメリット」を考えてみる』でも報告しましたが、通貨スワップが日本に対してメリットを生じる条件については、思いつくまま列挙しても、次のようなものがあります。

アジア諸国の金融を安定させることで、アジア諸国の経済成長を支援し、ゆくゆくは日本にとっても多大な恩恵をもたらすこと

アジア諸国に対して通貨の安全弁を提供することで、日本に対し感謝の念を持ってもらうことなどを通じ、親日国がアジア全体に広がること

日本円の国際化がさらに進展すること

逆にいえば、これらのメリットが生じない(あるいはメリットを上回るデメリットが生じる)のならば、そんな通貨スワップは締結「すべきではない」のであり、日韓通貨スワップは「締結してはならないスワップ」の典型的な事例でしょう。

余談ですが、その意味では、慰安婦像とは、じつは日本が日韓通貨スワップというかたちで貴重な虎の子を韓国に提供することを防いだ「守り神」のようなものではないかと思っている次第です。

韓国「半導体産業で日本との協力が必要」

さて、なぜ唐突にこんな話を思い出したのかといえば、韓国メディア『中央日報』(日本語版)に昨日、こんな記事を発見したからです。

韓国、米中「先端技術冷戦」長期化に対応して日本などと協力を…国策研究機関

韓国は米国と中国の「先端技術冷戦時代」に対応して基礎技術を確保し、日本、欧州、カナダとの協力を拡大する必要があるという韓国国策研究機関の分析が出てきた。<<…続きを読む>>
―――2020.09.21 10:17付 中央日報日本語版より

これは、当ウェブサイトでは「おなじみ」の団体でもある韓国産業研究院に関する話題です。

中央日報は同院が20日に公表した報告書の中で、米中の先端技術を巡る冷戦が長期化すると見込まれるなか、「韓国は米国と中国の『先端技術冷戦時代』に対応して基礎技術を確保し、日本、欧州、カナダとの協力を拡大する必要がある」、などと述べたのだそうです。

まったく、なにをぬかしていらっしゃるのか理解できませんね。

韓国はそれを必要としているのかもしれませんが、少なくとも日本がそれを必要としているとも思えないからです。

というよりも、『日韓通貨スワップこそ、日本の半導体産業を潰した犯人』でも報告したとおり、半導体産業と日韓通貨スワップには、少なからぬ因縁があります。韓国が日韓通貨スワップを裏付けに為替介入を常態化したことなどが、日本の半導体産業にとどめを刺した可能性が高いからです。

本件についても、勝手に米中二股外交を繰り広げる韓国が、米国からの制裁の可能性に直面し、日本に対しても都合よく「わが国の米中二股外交に付き合え」とする要求の一貫であるようにも見えてなりません。

「用日派」のすり寄り

ところで、以前の『読者投稿から読む、韓国の産業を待つ「真っ暗な未来」』でも説明しましたが、韓国は自国内で技術者を育てているわけではありません。結局のところ、日本などの第三国から最新技術を「カネを払って」(あるいは「カネを払わずに」)引っ張ってきているに過ぎないのです。

こうしたなか、武漢コロナ禍で韓国人の日本への入国が困難となっている状況が続いていますが、昨日はこんな記事も出てきました。

韓経:「ビジネス関係者の自由な往来を」…韓国全経連会長が菅首相に書簡
―――2020.09.21 08:06付 中央日報日本語版より

これは、韓国の「全国経済人連合会(全経連)」の許昌秀(きょ・しょうしゅう)会長が18日、菅義偉総理大臣に対し、「韓国と日本の前向きな関係を期待する」などとしつつ、「両国ビジネス関係者の自由な往来が再開されるべきだ」との考え方も伝えたのだそうです。

自分たちの方が日韓請求権協定違反の最高裁判決を放置しておきながら、「過去の歴史をめぐる見解の違いで韓日関係が円滑でない」とは、盗人猛々しいにもほどがあります。

ただ、この記事だけでなく、さらにこんな報道もありました。

ノービザ入国中断から半年…日本、韓国企業関係者の入国規制解除へ
―――2020.09.21 07:08付 中央日報日本語版より

中央日報は「韓日関係に精通した外交消息筋」の話として、「早ければ今月中に日本政府が韓国企業関係者に対する入国規制緩和を発表する」、「企業関係者の入国規制を緩和するための日本政府との交渉が詰めの調整中だと承知している」、などと伝えた、とするものです。

これについては正直、「正しい」とも「間違っている」とも何とも言えませんが、情報の不自然さは否めません。

具体的には、「10月中に企業の駐在員と出張目的の短期滞在のための新規ビザの発行が可能になる見込み」だとしつつ、「現在、入国許可に向けた両国間の細部調整作業のみが残されている」と伝えているのですが、やや唐突感もあるからです。

当ウェブサイトでは先月の『日本がシンガポールと「ビジネストラック」創設で合意』でお伝えしたとおり、日本はすでにシンガポールとのあいだで次の2つのトラックを設定することで合意しています(※この措置は今月18日に施行されたそうです)。

「レジデンストラック」の設定
「ワークパス」を保持する経営幹部・専門人材を対象に、入国後14日間の自宅などへの待機を義務付けるものの、両国間の往来について特別な枠を設定する

「ビジネストラック」(相互グリーンレーン)の設定
期滞在のビジネス関係者を念頭に、必要な公衆衛生上の措置を取ること、定められた日程に従うことなどを条件として、入国してからの14日間の「待機措置」を免除する措置

ただ、中央日報の記事では、今回の入国制限の緩和は、企業関係者の長・短期滞在を許可するというものであり、このシンガポールの事例よりもさらに踏み込んだ措置です。果たしてそのような措置を、武漢コロナ禍が完全に収束したわけでない韓国に対して適用することがあり得るのでしょうか。

この点、この記事を「飛ばし記事」などと決めつけるつもりはありませんが、韓国外交部関係者の「今後、留学生など入国可能対象者を次第に拡大していくだろう」とする発言を見ると、やはり韓国経済が日本に依存していることは間違いないと考えて良いのでしょう。

警戒が必要

韓国というのは不思議な国です。あれだけ日本を嫌っておきながら、また、あれだけ「ノージャパン」を展開しておきながら、いざ、武漢コロナ禍で日韓往来が断絶したら、大きな声でそれを批判するわけです。正直見ているだけでも疲れます。

ただ、それと同時に、とくに本稿の最後の話題である「入国ビザ」の話については、あながち誤報だとも言い切れないだけに、警戒自体は必要でしょう。中央日報の記事を信頼するならば、早ければ今月から来月にかけて、動きがある、ということだからです。

いずれにせよ、入国制限措置については引き続き当ウェブサイトとしても高い関心を払っておく必要があると考えている次第です。

本文は以上です。

韓国、「歓喜」日本からの菅返書、日韓は重要な隣国との内容に期待する「哀れ」

2020-09-22 12:39:04 | 日記
勝又壽良のワールドビュー

好評を頂いている「勝又壽良の経済時評」の姉妹版。勝又壽良が日々の世界経済ニュースをより平易に、かつ鋭くタイムリーに解説します。中国、韓国、日本、米国など世界の経済時評を、時宜に合わせ取り上げます。


韓国、「歓喜」日本からの菅返書、日韓は重要な隣国との内容に期待する「哀れ」

2020年09月22日

日本経済ニュース時評韓国経済ニュース

1年前、あれほど日本を罵倒した韓国が、文大統領から菅首相へ送られた就任祝賀文書に対して、菅返書があったと大喜びしている。外交慣例として、祝賀文書に返書を出すのは当然のこと。韓国は、この単純な事実に喜ぶほど、日韓関係の改善を切望しているのだ。



韓国はなぜ、ここまで日本との関係改善に期待を寄せているのか。

本欄は、この問題を複数回報じる過程で、その都度取り上げてきた。

結論は一つ、米中対立の長期化という国際情勢急変の中で、韓国がつんぼ桟敷に置かれている不安であろう。

せめて日本との関係が正常化していれば、日本の把握している国際情報を聞いて、多角的に判断できるという面もあろう。

韓国は、米韓同盟という強いつながりを薄めようとしている。

こういう韓国に対して、米国が腹蔵ない話しをするはずがない。中国へ筒抜けになることを警戒するからだ。

その意味で米韓同盟は、信頼感の薄い「名ばかり」のものになっている。韓国は、米韓同盟の持つ重要性を認識すれば、日韓関係もスムーズに動くはずだ。要するに、韓国は謙虚な態度を取ることだ。

『聯合ニュース』(9月21日付)は、「文大統領と菅首相、初のメッセージ交換は『肯定的』」と題する記事を掲載した。

韓国青瓦台(大統領府)は21日、菅義偉首相が19日に文在寅(ムン・ジェイン)大統領からの首相就任を祝う書簡に返信を送ってきたと発表した。

菅政権発足後、両国がやり取りした初めてのメッセージが肯定的な内容と評価されたことで、両首脳が行う電話会談の時期に関心が集まっている。

(1)「韓国青瓦台の姜珉碩(カン・ミンソク)報道官によると、菅氏は文大統領の書簡に謝意を表し、両国が重要な隣国であることを強調した。また、菅氏は韓日が困難な問題を克服し、未来志向の両国関係を構築していくことに期待を示したという。「困難な問題」は韓国大法院(最高裁)が日本企業に賠償を命じた強制徴用判決を示すとみられる」

菅返書が、「困難な問題を克服し」と先ず前提が置かれている。旧徴用工判決が、まさにこれを指している。

菅首相は、官房長官時代から「国際法違反」と発言してきた。それが、首相になったからと言って、コロリと変わって韓国と妥協するはずがないのだ。


韓国は、糠喜びしてはなるまい。

(2)「文大統領は菅氏に送った書簡で、「菅首相の在任期間中に韓日関係がさらに発展するよう努力しよう」と呼び掛け、菅内閣の発足を機に関係改善に向けた意思を示した。

文大統領の書簡の具体的な内容は公開されなかったが、青瓦台によると、文大統領は基本的価値と戦略的利益を共有するだけでなく、地理的・文化的に最も近い友人である日本政府といつでも向かい合って対話し、意思疎通する準備ができており、日本側の積極的な呼応を期待していると伝えた」

個人間であれば、儀礼的な挨拶で会うことはある。一国を代表する首相や大統領が、懸案を抱える関係で「儀礼的会見」などあるだろうか。


問題解決が前提であって、事前交渉が不可欠である。韓国はその努力をしないで、「日韓首脳会見」という上っ面だけの成果を求め、韓国世論をなだめようとしている。


小手先の戦術であろう。

(3)「外交関係者らは、両国の首脳が初めて交換した書簡でそれぞれを重要な隣国とし関係改善の必要性に言及したのは、良いメッセージと評価している。

ある外交消息筋は「就任祝いに返信するのは相手国に対して礼を尽くす国際的慣例」としながらも、「懸案が前向きに解決するように願う雰囲気が盛り込まれた可能性もある」と話した。

別の外交消息筋も両国関係が置かれた厳しい状況を考えれば、「良いメッセージ」と評価した」

儀礼的な就任祝いが来れば、それに返書を出す。外交慣例である。特別の意味はないのだ。韓国は、この普通のことに対して「歓喜」するとは異常と言うほかない。


(4)「文大統領と菅首相による電話会談が近い将来に行われるとの見方も出ている。

菅氏は就任後、トランプ米大統領、オーストラリアのモリソン首相と電話会談した。

ただ、強制徴用賠償判決とこれに対する事実上の報復である日本の対韓輸出規制など両国の懸案が山積した状況では、両国首脳の電話会談が早期に実現するのは容易ではないという慎重な見方も出ている。また菅内閣は韓国に対して強硬な姿勢を示した安倍晋三内閣の外交政策を継承するとの立場だ」

中曽根首相と安倍首相(一次内閣)は、就任最初の訪問国が韓国(安倍首相は中国も同時訪問)であった。

日本が、最大級の敬意を払ったのだ。日韓併合への「謝罪」という意味も含めた近隣国への配慮である。

だが、韓国はその意味を正しく理解せず、自分たちが「偉い国」と錯覚したのである。日本が、韓国を見限るのには過去の長い葛藤の積み重ねがある。


(5)「発足したばかりの菅内閣が、すぐに成果を見込めない韓日関係に力を注ぐよりも、新型コロナウイルス対策をはじめ、看板政策に掲げた行政のデジタル化や携帯電話料金の引き下げなどに注力するとの見方も出ている」

菅首相は、国内問題の解決に最大限の努力を払っている。衆院解散という目前の問題を抱えており、内政面での実績づくりが至上課題だ。