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負債1900億円、孤立無援の御曹司がリストラ、タクシー乗務から戦略を知るまで

2020-09-01 18:21:16 | 日記
負債1900億円、孤立無援の御曹司がリストラ、タクシー乗務から戦略を知るまで

――日本交通 代表取締役社長 川鍋一朗氏(前編)

荒木博行:グロービス経営大学院 教授、株式会社グロービス ディレクター

経営・戦略 バリュークリエイターたちの戦略論

2014.8.4 0



東京最大手タクシー会社の3代目御曹司。だが、入社した時に会社は1900億円の負債を抱え瀕死の状態にあった。


「暗黒の5年」「リハビリの5年」を経て、経営者として大きく成長。攻めに転じ、2年後、海外を狙う。

「圧倒的なユニークネス」と「多くの者の共感を呼び揺り動かすビジョン」という一見、相矛盾する要素を兼ね備え、圧倒的な価値を生み出す“バリュークリエイター”の実像と戦略思考に迫る連載第5回前編。(企画構成:荒木博行、文:水野博泰)

※この記事は、GLOBIS.JP掲載「タクシー王子、暗黒を走り抜け戦略を知る 前編―川鍋一朗氏(バリュークリエイターたちの戦略論)」の転載です。

その光景を、10年前に誰が想像しただろうか。

若社長が爽やかな笑顔で軽快に踊る。そして、年配の運転手たちがぎこちないながらも懸命に、若い社員が楽しそうにノリノリでダンスを踊る――。

2013年10月に動画共有サイトYouTubeで公開された「恋するフォーチュンクッキー 日本交通Ver.」には、社長を中心にして社員がまとまった明るい職場が映し出されていた。

タクシー会社のおじさんたちが踊る姿が面白いと、公開半年で200万回以上も視聴される人気動画となった。

そこには、2000年代前半、1900億円もの負債を抱え、解体・倒産か、外資ファンドに売却かという瀬戸際にまで追い詰められていた頃の陰鬱で刺々しい空気は少しもない。

川鍋一朗、43歳。タクシー大手・日本交通の3代目社長として、巨額の負債を抱えた同社を大胆な施策と実行力で再建させたニューリーダーとして知られる。

リストラとリハビリに明け暮れた長い暗黒時代を経て、今、攻めの戦略を次々に繰り出し、世界をも射程にとらえ始めている。

川鍋の戦略論に迫るため、前編では最初の10年に経営者としての川鍋の中でどんな変化が生じたのかをトレースしていく。

負債1900億円からの発車

日本交通(本社・東京都北区、資本金1億円、非上場)は、1928(昭和3)年創業の老舗ハイヤー・タクシー会社である。

創業者・川鍋秋蔵が銀座・木挽町で始めたハイヤー事業が85年の歴史の始まり。

1945年には政府指導により、東京のタクシー会社は大和自動車交通、日本交通、帝都自動車交通、国際自動車の4社(業界で言うところの“大日本帝国”)に統合されることになり、以来、東京4大タクシー会社の一角を占めている。

2013年5月時点でグループの社員数は7122人、保有車両台数はハイヤー1179台、タクシー3659台、売上高655億円の業界トップ企業である。

“恋チュン”を軽やかに踊る川鍋一朗は、創業家3代目社長。

祖父が「タクシー王」の異名を取ったのにあやかって「タクシー王子」と呼ばれる。生まれながらにして日本交通の社長になることを運命づけられ、

そのために生きてきた。生まれ育ったのは東京・麻布の一等地にある豪邸。慶応は幼稚舎から大学までストレートに上がった。

大学で体育会系スキー部の主将を務め、米ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院でMBAを取得したが、これは、年功序列の理不尽な世界と、論理がすべての世界を両方見ておきたいという川鍋自身の長期戦略に基づくものだった。

MBA取得後には、祖父が会社を興した30歳になるまでは修業期間と決め、戦略コンサルのマッキンゼー日本支社に入社した。

長身でイケメンの御曹司、人も羨む恵まれた境遇だが、マッキンゼー時代に川鍋は自分自身の限界を感じていたという。

「会議についていけず、何もしゃべれない。

黙っていたら『発言しないなら、いなくていい』と上司に怒られた。(中略)コンサルタントは向いていなかったと、つくづく思う」(2013年7月20日号 週刊東洋経済)。

実績で評価される世界で、バリューを出し切れない自分自身に対する苛立ち。川鍋にとっては、おそらく初めての挫折体験だったのではなかったか。

マッキンゼーは約3年で辞め、2000年、川鍋30歳の時に日本交通に入社する。

入社して初めて、会社が火の車だということを知った。

バブル期に手を出した不動産投資などの多くがバブル崩壊とともに焦げ付き、不良債権化していたのだ。グループ全体で約1900億円。途方もない負債額を知って血の気が引いた。


川鍋曰く、「暗黒の5年」の始まりだった。

リストラとコスト削減に明け暮れた

「暗黒の5年」

当然、経営責任はバブル期を通して社長を務めた父・達朗にあったが、それに少しも気づかなかったという川鍋も甘い。

だが、その怒りは父や自分にではなく、役員たちにぶちまけられた。

「アスパレーション(向上心)はあるのか!」、「モチベーションを上げろ!」。

声を張り上げ、自分よりはるかに年上の古参相手に横文字混じりでぶったものだから、「情」の部分に埋めがたい亀裂が走った。その後、いくら正しい「理」を唱えても全く通じなくなり、総スカンを食らう。

ついたあだ名は「アメリカ帰りのエコノミスト」。

字面はそれほどでもないが、当時の職場ではそうとう辛辣な意味合いが込められていたようだ。


日本交通の現場を何一つ知らず、汗をかいたこともない、口先だけは達者な傍観者というニュアンスだ


プライドを傷つけられた川鍋がキレた。本来なら歩み寄って修復を図るべきなのに、逆に背中を向けた。

2000年7月に子会社「日交マイクル」を立ち上げて、営業を開始した。

以前から構想を温めていたという会員制ミニバン・ハイヤー事業で、「マイクル」というのは「My Crew」という意味だという。

理屈として筋は悪くなかった。だがそれを現場に落とし込んでいくには実践力が足りない。しかも孤立無援。最初の数カ月で数千万円の赤字を出し、慌てて撤退することになる。

これは、さすがに骨身にこたえた。

会社が傾きかけている非常事態だというのに、自分自身が社内に不協和音を生み出し、会社に損害を与えていた。自分は誰よりも日本交通を愛している、自分には日本交通しかないのに、俺は一体全体何をやっているのか――。

自信も誇りも打ち砕かれた。この事件は川鍋の記憶に「トラウマ」として深く刻み込まれ、川鍋の考え方と行動を変える契機となった。

「みんな」という言葉が、川鍋の口から頻繁に発せられるようになった。

「みんな」の力を貸してほしい、「みんな」はどう考えているのか、「みんな」で一緒にやろう――。

特に若手社員とは日本交通の未来を変えよう、小さなことでもいいから何か新しいことにチャレンジしようと語り合った。

2001年に入ると、いよいよメーンバンクが再建計画を突きつけてきた。

それは創業家に退場を求め、銀行主導で再建を図るという最後通牒だった。

社長・達朗や役員は諦めかけたが、川鍋は銀行案を突き返した。創業家としての意地か、はたまた御曹司という立場への未練か…。

いずれにしても、もはや半端なことは言っていられなくなった。

資産を売り、30社近くあった子会社を10社以下に減らし、社員のクビを切った。

厳しいリストラの先頭に川鍋が立つ。写真に写る当時の川鍋は、目付きが鋭く、表情は強張っていて、今とはまるで別人。

最近になってようやく、そんな自分を素直に振り返る余裕も出てきた。

「リストラ、借金返済、コスト削減の日々。自分を支えていたのは義務感だけで、気持ちは全然エキサイトしてこない。ビジネスって本当につまらないと思っていた」と吐露する。


長く、暗いトンネルだった。だが、川鍋は耐え抜いた。

自主再建への道筋がなんとか見えてきた2005年、8月30日の株主総会で川鍋は日本交通第3代社長に就任する。

その翌日、咽頭がんを患い入院していた父・達朗が逝去した。享年67。息子の社長就任を見届けての往生だった。

負債1900億円、孤立無援の御曹司がリストラ、タクシー乗務から戦略を知るまで

――日本交通 代表取締役社長 川鍋一朗氏(前編)

荒木博行:グロービス経営大学院 教授、株式会社グロービス ディレクター

経営・戦略 バリュークリエイターたちの戦略論

2014.8.4 0:16

誇りを取り戻すための

「リハビリの5年」

その翌年、川鍋は社是・社訓を一新した。社員やステークホルダーに向けて放った3代目社長として最初のメッセージである。

一読しておやっと思うのは、社是の中に「誇りを持って働き、」というフレーズが2回も出てくること。社訓にも「プライド」という言葉が入っている。

日本交通で働くドライバーの誇り、社員の誇り、その家族の誇り、そして川鍋自身の誇り。人を運び送る業に就くプロフェッショナルとしての誇りを取り戻そう。社会のために在る誇り高き仕事に自信を持とう――。日本交通で働く者の心に訴えかけた。

一方、社外向けの発信にも取り組んだ。川鍋一朗の名前を世に広く知らしめた『タクシー王子、東京を往く。日本交通・三代目若社長「新人ドライバー日誌」』(2008年5月、文藝春秋社刊)が出版された。

2007年大晦日から2008年1月28日までの1カ月間、タクシードライバーとして乗務した記録である。

タクシー乗務員の現場を自ら体験したいという川鍋の強い希望だったが、社内からは否定的な意見が続出したという。

「また点数稼ぎですか?黙って静かにしてて下さいよ」

「社長、あんまりふざけたメールを打たないでください。この仕事が好きで働いている人間に対して失礼きわまりないと思いませんか?」

「仲間の乗務員と話し合いましたが、社長がタクシー乗務を実体験することに全員が反対でした。

『卒に将たるは易く、将に将たるは難し』という言葉がありますが、私たちは社長に卒に将たる器になってほしいとは誰も思っておりません」

辛辣である。だが、こうした批判も川鍋はそのまま受け止め、ありのままに本に書き記した。

もう実力以上に背伸びして見せたり、格好をつけたりすることはやめた。現場に入り、お客様と直接向き合う。

考えるよりも先に行動する。それが俺のやり方だ――。暗黒の5年を走り抜けた川鍋は、その頃には経営者としての覚悟を固めていた。

もちろん、油断ができる状況ではなかった。

「借金はかなり減らしたが、まだ少し残っている。収益は上がったり下がったりと不安定で、まだまだリストラ頼み。

2010年くらいまでは“リハビリの5年”だった」。

川鍋はそう振り返っている。「暗黒の5年」と「リハビリの5年」を合わせた10年間を、川鍋は「戦略の土台」を固めるために費やすことになったのである。


そして2010年、ある人物との出会いが川鍋にギアチェンジを促す転機となった。

(文中敬称略)

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【慶應大医学部教授・宮田裕章1】 データで社会をより良く変える。コロナ厚労省・LINE調査の設計に奔走

2020-09-01 17:56:25 | 日記
【慶應大医学部教授・宮田裕章1】 データで社会をより良く変える。コロナ厚労省・LINE調査の設計に奔走

古川 雅子

古川 雅子 [ノンフィクションライター]
Jun. 29, 2020, 11:00 AM CAREERS6,033
Twitter

宮田裕章

撮影: 竹井俊晴

ビッグデータでコロナと闘う。その手法に注目が集まったのは、厚生労働省とLINEによる新型コロナウイルス感染症対策のための全国調査だ。

初回(3月31日~4月1日)は日本の人口の2割に近い約2500万、累計では9000万以上(4回の合計)の回答を集めた。数の規模で言えば、国の施作の中でも国勢調査に次ぐ大規模な調査となった。

仕掛け人は、慶應義塾大学医学部教授でデータサイエンスや医療政策が専門の宮田裕章だ。宮田を知ると、人は2度驚く。1度目は大学教授というよりはミュージシャンのような風貌に。そして2度目は、データで「社会をより良く変える」という熱き志に。

起点はポジショントークなき誠実な議論
宮田は現在、東京・信濃町にある慶應大医学部の研究室を含めて、7カ所の仕事場を持つ。走らせるプロジェクトは、「ざっと200以上に上る」と言う。

コロナ調査

3月31日〜4月1日に実施された厚労省とLINEによる「新型コロナ対策のために全国調査」。

メインで関わる仕事は、臨床現場と連携して膨大なデータを分析する日本の手術症例データベース「NCD(National Clinical Database)」。そこで得られるデータは臨床現場へフィードバックし、医療の質を上げるために活用する。

宮田はNCDだけで100以上のプロジェクトに関与している。三井記念病院元院長の髙本眞一・東京大学名誉教授は、自身が立ち上げに尽力した「心臓外科データベース」(NCDの前身)に初期から参画する宮田の仕事ぶりを、こう評価する。

「東大の医療品質評価学講座で助教をしていた宮田君が手術症例から得られるデータのリスク分析を担ってくれたことで、医療データベースの仕事は飛躍的に進みました。その後、全外科領域が加わるNCDへと発展して、日本の医療施設の外科症例、ほぼ全例を網羅するまでになった。今や世界最大級の治療成績データベースに育っている。ここまで発展したのは、宮田君のおかげですよ」

もう一つ、宮田の主軸となる仕事が、慶応大学殿町タウンキャンパス(川崎市)における、ウエルビーイング社会の実現に向けた研究、社会実装だ。地域自治体や大学、企業と連携しながら、社会課題解決への新しいイノベーションを生み出していく。

宮田は言う。

「私はこれまでずっと、研究機関、企業、行政の人たちと膝を交え、『今、何が社会に必要なのか』をディスカッションしてきた。そのディスカッションにおいて参加者に求められるのは、所属する組織のポジショントークではなく、社会の1人のメンバーとして、今何が必要かを誠実に考えることです。データ収集の起点はそこにある。

そうした議論の土壌があったからこそ、新型コロナ対策としてのLINE調査実現につながったと思う」

PCR検査の外の実態把握する「プランB」
PCR検査のイメージカット

新型コロナウイルスのPCR検査は、当初海外の国に比べて検査数が圧倒的に少ないことが問題視された。

REUTERS/Issei Kato

2020年2月以降、首都圏を中心に感染経路不明の新型コロナ感染者が徐々に増え、その数は拡大の一途を辿った。宮田は2月中旬の段階で危機感を募らせていた。

〈この様子だと、ウイルスが市中に入っていくシナリオは、かなりあるな。その場合、実施数を絞られているPCR検査の外側の実態を把握するような『プランB』を立てていかないと、打ち手が少なくなる〉

これまでの自分の研究の主軸は感染症ではない。でも、日頃から広く医療政策に関わる1人の研究者として、何か貢献できることはないか——。

宮田の脳裏に浮かんだのは、LINEの活用だ。全国で8300万人の利用者がいるこのサービスを、「使わない手はない」と考えた宮田は、LINEには調査のプログラムの開発と実施、AWS(Amazon Web Service)には集めるデータの保管への協力を呼びかけた。

すると、ほとんど二つ返事で「無償で協力する」と両社からゴーサインをもらった。同時に、北海道大学教授で厚労省クラスター対策班にいた西浦博にも構想を打ち明けると、「それ、絶対やったほうがいい」と賛同を得られた。

国より先に神奈川県に話を持ちかけたのは、迅速性を重視したからだと宮田は打ち明ける。

「いきなり国に話を持っていくと、契約や倫理審査やらさまざまなプロセスがあって、数カ月待ちとかになりかねない。想定を超える感染力を持つ新型コロナウイルスの場合は迅速な施策が必須で、機を逃したら無意味になる。入り口は、フットワークの軽い地方自治体がいいと」

コロナという差し迫る危機を前に、行政、企業、大学が三位一体となり、わずか1週間でプロジェクトチームを結成。分析・研究を担う核になるのは、宮田率いる慶應大医学部の医療政策・管理学教室のメンバーだが、他大学からも、トップサイエンティストが「志で」集まった。アンケートフォームの開発はLINEのプログラマーチームが担った。

当初から、宮田の頭の中に調査の「完成図」はあった。だが、前例のない調査だけに、そのイメージの共有には苦労した。

「雪玉が転がって弾みがついてからは速かったですが、最初のひと転がしまでは試行錯誤でした。私がコンセプトを話しても、なかなか伝わらない。だから今回は、『ユーザーの皆さんに、どういう文言でフィードバックをするのか』といった具体的な文言やプログラムの設計図も自分でも描きました。

独り相撲みたいなのを2イニングぐらいやった段階で、皆もストンと落ちたみたいで。そこからチームプレイが始まったという感じです」

調査に協力してもらうために“恩返し”
宮田裕章

撮影: 竹井俊晴

LINE調査は、2種類の方法で行っている。

一つは3月5日に神奈川県でスタートし、その後、他の自治体にも広がった都道府県単位のプロジェクト。LINE利用者の一人ひとりに自治体が取得した情報アカウントの「友だち」になってもらい、長期に渡って調査していく方法だ。6月時点で25都道府県380万ユーザーが登録している。

データを取るだけの調査ではない。「パーソナルサポート」としての役割を兼ねているところがポイントだ。

ユーザーは体調に変化があった場合に、アプリのチャットボットでの対話やいくつかの追加アンケートを通じて、「医療機関の受診をお勧めします」などと個々に合わせた情報が得られ、フォローアップが受けられる。

宮田はこのフィードバックにこだわった。調査に協力してもらうためには、何かしら“恩返し”が必要だと考えていた。

発熱というごくシンプルな指標を手がかりに、宮田ら分析チームは、公衆衛生学的観点から流行状況の輪郭を浮かび上がらせた。

神奈川県の調査では、発熱の症状を訴えた人の割合は、3月中旬にかけていったん下がった後に、下旬から上昇。3月2日から行われた学校休校を皮切りに社会全体で自粛が行われたものの、桜が開花した3月中旬とその後の3連休で自粛が緩んだ、というような社会活動の量との連動を可視化する手がかりとなった。

「発熱=コロナの感染は意味しない。でも、不確実な現実の中で多角的にデータを取りながらベターを探るのも、ゴールデンスタンダードなき時代には大事な実践。実践の中で、改善策を常に回し続けていくということが必要ですよね」

ないデータは「取りに行くもの」
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撮影: 竹井俊晴

もう一つは、厚労省の全国調査だ。

宮田が言うには、「スナップショットの調査」。刻一刻と変化する状況の中で、その時点での発熱者や症状がある人がどれぐらいいるかを把握するために、プッシュ通知で一斉に調査を行う方式だ。発熱の有無や職業など、ピンポイントの質問に絞る。

初回の調査では、4日以上発熱していると答えた人が全体の0.11%、2万7000人に上った。また、職業ごとの発熱者の割合も可視化。長時間の接客を伴う飲食などの対人サービス業、外回りをする営業職などで平均の2倍近以上も発熱の症状があると分かった。

宮田が調査の構想段階から行政や企業を巻き込み、これまでにない規模での官民一体の調査を具現化したのは、「ないデータは、待っていないで取りに行くもの」と常々考えているからだ。

「我々データサイエンティストが有事に問われるのは、方法論など何もない中で最善を尽くそうとする意志です。視界不良の中でルートを見つけ出す登山家みたいに。

新型コロナウイルスに関しては、誰もが未経験者。どうしたら情報を得られるかという収集の方法からデザインして、自ら必要なデータを取りに行く。そこの努力から始める必要がある」

宮田はなぜ、データによる「社会変革」を目指すのか? 2回目以降はその思想の源泉を追っていく。

(敬称略、明日に続く)

(文・古川雅子、 撮影・竹井俊晴、デザイン・星野美緒)

古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。

2020年の世界を生きる君たちへ ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~

2020-09-01 17:24:42 | 日記
2020年の世界を生きる君たちへ ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~

2020年の世界を生きる君たちへ

~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~
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6月30日、ある故人を偲ぶネットイベントが大きな話題になった。47歳で亡くなった投資家で教育者の瀧本哲史さん。

その日は、生前の瀧本さんが大学で行った講義で、若者たちと再会を約束した日だった。

「自分で考えない人間は買い叩かれる」

「替えのきかない人間が社会を動かす」。

語られたのは、若者に奮起を迫る言葉と、投資家の経験で培った哲学。

2020年には世界の混迷が深まると見た瀧本さんは、先の見えない時代でも成長し続け、また結集して困難に立ち向かおうと呼びかけていた―。

メッセージを受け止めた若者たちは今、どんな戦いをしているのか。瀧本さんの「宿題」の行方を通して、厳しい時代を生き抜くヒントを考える。

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから ⇒https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/


出演者

宮田裕章さん (慶應義塾大学医学部教授)

城田一平さん (投資家)

武田真一 (キャスター)

混迷の時代“天才投資家”の生き方論

瀧本さんの出資とサポートにより、今、大きな飛躍を遂げているベンチャー企業があります。

本の内容を朗読した音声を聴くことができる、「オーディオブック」。国内最大手として、コロナ禍の中でも会員数を増やし続けています。
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創業者の上田渉さん。事業を始めた当初は大手企業と競合しており、銀行、投資家からは全く見向きもされなかったといいます。

なぜ、瀧本さんだけが上田さんの企業の価値に目を向け、無理と言われた挑戦を成功させることができたのか。最も重視したのは、資本力や市場の動向などの数値ではなく、事業に挑む動機でした。

“『アイデア』は盗まれても『人生』は盗まれない”

上田さんが起業を志したのは、大学在学中、24歳のとき。緑内障を患い、視力が失われつつある祖父の姿を見てオーディオブックを作りたいと考えたのがきっかけでした。

オトバンク 創業者 上田渉さん

「本を読もうと思って努力した結果、巨大な虫眼鏡があったりとか、拡大鏡といわれるレンズみたいなのがあったりとか。目が見えなくなっていく自分と格闘した姿、そこは私の原点。」
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1,000社あっても生き残るのは数社だけという、ベンチャー企業の世界。その厳しい世界を生き抜くには、その人の動機の強さが何よりも武器になるというのが瀧本さんの投資哲学でした。


上田渉さん

「キャリアもただの学生ですし、なんの技術力もないですし、祖父が失明してたからオーディオブックを広げたい、バカな学生なわけですよね。その思いの強さを理念に瀧本さんって投資をされる。」


20年以上前から、次世代エネルギー活用やビッグデータ分析など、まだその名も知られなかったベンチャー企業を応援してきた瀧本さん。

社会を変革したいという志を持ったリーダーを1人でも多く生み出したいという強い思いがありました。
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東京大学法学部を成績最上位で卒業。外資系コンサルタント会社に進むなど、絵に描いたようなエリートコースを歩んできた瀧本さん。

しかし、28歳のとき、1,900億円もの負債を抱えていたタクシー会社に転職します。自分の実力を試したいという思いからでした。

日本交通 会長(当時専務) 川鍋一朗さん

「滝本さんとしても、何か答え合わせ的な要素もあった。自分が考えてきたことをやると、どういう反応があって(という)。」
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再建に意気込んだ瀧本さんですが、自ら企画した新事業が失敗。150人の社員のリストラを断行せざるを得ないところまで追い込まれます。

一人一人に解雇を告げた瀧本さん。人目をはばからず泣き崩れ、自分の力不足を嘆いていたといいます。

川鍋一朗さん

「怒り、悲しみ、喜びみたいなものがリアルに巻き起こる。おごりとか未経験さとか、理想と現実のギャップというのを、ものすごい痛い思いをしながら学んだ。」

“時代は劇的に変化している。残念ながら僕には世界も未来も圧倒的にわからない。僕の仮説も行動も支援先も、ぜんぶ失敗に終わる可能性だって当然ありえる。

どこかに絶対的に正しい答えがあるんじゃないかと考えること自体をやめること。バイブルとカリスマの否定。なすべきことは、このような厳しい世の中でもしたたかに生き残り、自ら新しい『希望』を作り出すことだ。”


新しい希望を生み出したい。瀧本さんが晩年、力を入れたのが、10代や20代の若者への教育でした。教壇に立つようになったのは、リーマンショックや東日本大震災の影響で社会の不透明さが増す時代。未来を担う若者たちに伝えたいことがありました。
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投資家 瀧本哲史さん

「3.11以降、誰か偉い人が決めると思ったら、意外にちゃんと決めてくれなかったので、自分で決めるしかない。そういう時代感覚もある。キーワード的に言うと『自分の人生は自分で考えて自分で決めていく』。」
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投資家として磨いてきた決断術や交渉術を徹底的にたたき込む講義は、「地獄の瀧本ゼミ」と恐れられました。それでも、いつも定員いっぱいの人気だったといいます。

元ゼミ生 城田一平さん

「間違った議論に対しては、もう容赦なく突っ込みが飛んでくる。ちゃんと議論立てて説明できる人に対しては、ものすごく納得してくれる。それがどんなに、学生だろうが身分がなかろうが、フェアに評価してくれる。」
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病に侵されながらも、亡くなる前の日まで、投資先や教え子の相談に乗っていたという瀧本さん。最後まで口にし続けたことばがありました。

“世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です。

今はまだ小さいけれど、志と静かな熱をもった新しいつながり。

新しい組織が若い人を中心に、ゲリラ的に次々と生まれています。『君はどうするの』って話です。主人公は誰か他の人なんかじゃなくて、あなた自身なんだよって話です。”

2020年の世界を生きる若者たちへ

武田:こうした瀧本さんのことば、若者たちにどう響いたんでしょうか。講義を受けたり、著作を読んだ若者たちはこう話しています。
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起業した男性(28)

「幼少期から不況、親の給料も右肩下がりの世代。文句を言わず自分たちが変えるにはどうしたらいいか、実践論を教えてくれた。」

会社員(28)

「日本の未来に期待していいか分からない。これからの生き方にロールモデルがないなかで、行動してみないと意味がないと発破をかけられた。」

医師(28)

「今の時代、医師免許をもっているだけでは生き残れない。自分にしかできないことを追求する大切さを教わった。」

武田:宮田さん、瀧本さんのどんな思想が、こうした若者たちの心を捉えているというふうに感じていらっしゃいますか。

ゲスト宮田裕章さん(慶應義塾大学 教授)

宮田さん:机上の教育論ではなく、実業家、投資家としてご自身が社会を変えようと苦闘してきた瀧本さんが、その実践の中で磨いてきたからこそ、説得力のあることばなんだと思います。

さらに彼は、商品だけでなく、人材が替えがきく歯車としてコモディティ化するという危機感を持っていたんですね。まさにこの数年、AI時代の到来によってそれが現実となって、例えば単に知識を持っているだけだと、高度な専門職だとしても、もうAIに取ってかわられてしまうというそういう時代になっています。

また、ミレニアル世代、その下のZ世代の価値観も今、日本だけではなくて、世界で大きく変わってきているんですよね。彼らにとって働くということは、お金を稼ぐために会社に貢献するということではなくて、重要なのは「自分はどう社会に貢献するか」ということなんです。

つまり社会変革と自己実現。その貢献を通した自己実現があって、会社はその目的を達成する手段なんだと。こういった考えを持ってきた世代にとって、やはり今、瀧本さんのことばは、リアリティーを持ったものになっているんだなというふうに感じています。
.
武田:その瀧本さんは、世の中を変えるために、決断術や交渉術といった武器を配りたいというふうに言っていました。瀧本さんのゼミで学び、同じ投資家の道を歩んだ城田さんと中継がつながっています。城田さんは、瀧本さんからもらった武器の中で、どんなことが一番心に残っていますか?

ゲスト城田一平さん(投資家・瀧本ゼミOB)

城田さん:私は瀧本さんが主催していたゼミで、正しい意思決定の仕方について実践的に学んでいました。瀧本さんからは、意思決定をするときには自分の手でできるだけのデータを集めて、思い込みをなくして、客観的な根拠を持って意思決定しようと教わっていました。

例えば、飲食店に投資をするときには、業績の数字を見るだけではありませんでした。実際に店舗に足を運んで、料理の味だったり、店員さんの働きぶりを自分の目で見て、集めたデータを客観的に分析した上で投資の意思決定をしていました。

.
武田:思い込みや何か直感ではなくて、しっかりとした根拠を持って決断するんだよということを学んだんですね。ちょっと当たり前のような気もするんですけど、どうですか?

城田さん:瀧本さんは生前から、「自分だけが楽勝でできることを徹底的にやり切れ」とおっしゃっていました。当たり前のことなんだけれども、それをやりきる過程でそれが強みになっていったりとか、戦略につながっていくということをおっしゃってたんだと思います。

武田:若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた瀧本さん。実は8年前、東日本大震災の翌年に行った講義で、こんな宿題を出していました。

投資家 瀧本哲史さん

「8年後に、みんなで『宿題』の答え合わせをしよう。20代半ばの皆さんだったら、すさまじくでかいことできないかもしれないけど、何か自分のテーマを見つけて、世の中をちょっと変えることができるんじゃないかと。」
.
武田:その宿題の期限というのが、実はことし(2020年)の6月30日でした。それを前に瀧本さんは、惜しくもこの世を去りました。

より社会の見通しがきかなくなる中で、あのとき講義を受けた若者たちは、今の時代をどう生きているのか。それぞれが瀧本さんに課せられた宿題と向き合う姿を取材しました。

天才投資家が残した“宿題”

青津京介さん、31歳。社会人1年目、23歳のときに瀧本さんの講義を受けました。
.
青津京介さん

「日記です。“8年後。最強に”って書いてありますね。何で自分はこれを書いたか分からないんですよ。何を最強にっていうのか、自分はよく分からないですね。」
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青津さんが挑んでいるのは、福島に点在する限界集落の活性化です。4年前、自分の力で困っているふるさとを変えてみせると、勤めていた東京のIT企業を辞めました。

今は役場に勤めるかたわら、地域を活性化するプロジェクトに参加しています。しかしまだ、目立った成果は上げられていません。

青津京介さん

「実力不足だって思い知らされて、地元のことも何も知らないし、田舎は遅れてるみたいに思いこんできた。」

でも最近、仲間たちと、あるイベントを企画しました。大人が行う本気の鬼ごっこ。ふだん交わることの少ないお年寄りと若者たちとの交流をはかろうというアイデア。ところが当初住民の反応は微妙でした。
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住民

「何すんだべみたいな。訳わかんねえ話だなと思って。今もわかんねえ。」

そのとき、青津さんは詳細な説明書を作成。一人一人に参加を呼びかけました。
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住民

「やってみたら結構楽しかった。なんで楽しいかわかんねえけど。何してもらえっていうことではねえのよ、顔見せてもらえれば。大歓迎だな。」
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その後、評判となった鬼ごっこ。ほかの集落でも企画したいという声が上がり始めています。不可能にも思える限界集落の活性化。でも、こうした小さな積み重ねが未来をひらくと信じています。

今も、たびたび瀧本さんの本を手に取ります。

“賛成する人がほとんどいない、大切な真実を探そう。逆風が吹き荒れても、周囲の大人たちがこぞって反対しても、怒られ、笑われ、バカにされても、そこでくじけてはいけません。
あなただけの『ミライ』は、逆風の向こうに待っているのです。”

「今どんな感じですか?最強になれた?」

青津京介さん

「いや、全然なれてないですね、全く。最弱です。ただ、8年前よりは、ちょっとはマシになったのかな。瀧本さんの言っていたこともわかってきた。」

東京都に暮らす29歳、大久保宅郎さん。去年(2019年)まで防衛省のキャリア官僚として働いていましたが、退職しました。


大久保宅郎さん

「退職した日に撮った写真です。」

大久保さんが防衛省を志したきっかけは、18歳のとき経験した東日本大震災。将来にやりたいことが見つからず、フリーターをしていた大久保さんは、ボランティアとして被災地を回り続けました。


大久保宅郎さん

「涙が出てきて。誰かの大事な日常が奪われている。個人でやることの限界を感じた。」

1人でも多くの人を救える社会を作りたい。大久保さんは一念発起して猛勉強を重ね、晴れて防衛省に入省します。しかし待っていたのは、会議のコピーを用意したり、はんこをもらいに行く日々でした。

大久保宅郎さん

「私じゃなくて、他の人でもできるなと思った仕事がすごく多くて。本当に志すべきは私でないとできないこと。他の人だったら1しかできないんだけど、自分だったら10できるかもしれない。そういう領域を模索したいなと思って。」
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自分にしかできないことは何か。可能性をもっと試したい。そのとき背中を押したのが、あえてブレる生き方を勧める瀧本さんのことばでした。

“ルールが変わらない世界では、ブレないことに価値もあるでしょう。でも、私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる。”

大久保さんは防衛省を辞め、民間のコンサルタント会社に転職しました。いずれは多くの人が安心して暮らせる社会の仕組みを提案したいと、今はスキルを磨く毎日です。

投資家 瀧本哲史さん

「Do your homeworkですけど…。」
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8年前の講義で瀧本さんから投げかけられた宿題。

瀧本哲史さん

「8年後にみんなで宿題の答え合わせをしようと。この8年間で、僕はちょっと世の中を変えることができましたとか、あの時、たまたま隣にいたやつとこういうことをやったら、こんなことができましたとか、そういうのができたら面白い。」

大久保宅郎さん

「8年間経って、世の中、変えられたかって、私はまだ変えられてなくて。道半ばで、やっとやるべきフィールドを見つけられたかなという段階。自分が決めたフィールドで第一人者になっていって、社会をよくするために貢献できたら。」

若者へ託したことば

武田:他人や世間からの評価ではなく、自分なりの価値観で生き方を選び、自分なりに社会を変えていこうという2人。もちろんまだ大きな成果を手にしたわけではありませんけれども、こういう若者が増えることで、社会はどういうふうに変わっていくんだとお考えですか?

宮田さん:先ほどの繰り返しになりますが、新しい世代にとって働くという意味が変わってきています。

もうひとつ瀧本さんのことばで言えば、今まさにルールが変わる時代なんですよね。経済合理性を最優先とする社会というものには、コロナが来る前から、環境問題から疑問が呈されてきたんですが、コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。

こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね。

武田:城田さん、とはいえ若い皆さんにとって、一人一人でできることって、やっぱり限界があるんじゃないかとか、本当に社会を変えていけるんだろうかとか、そんなことって思いませんか?

城田さん:むしろ不確実性が増している今の時代だからこそ、人脈も資金力も無い若者が活躍できたりとか、社会を変えやすくなっている時代だと思っています。私自身も20代でファンドマネージャーをしているんですが、20年前であったら、20代でファンドを運用するのは非常に珍しいことでした。大企業に入れば安泰、資格を取れば安定という時代が崩れているいまだからこそ、若者が挑戦すべき時代なのかなと思っています。

武田:「挑戦」と今おっしゃいましたけれども、私たちも取材してすごく印象に残っていることばがあるんですね。それは「3勝97敗のゲーム」という瀧本さんのことばです。

人生や投資においてもそうなんですけれども、失敗というのは織り込み済みなんだと。それでも悲観することなく挑戦できるかが問われているんだということなんですけど、97回も失敗したらさすがに潰れちゃうんじゃないかなと思うんですが、どういうふうにこのことばを受けとめますか?



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城田さん:これは、「3回の成功のためには97回失敗してもいいんだよ」という、失敗を許容する瀧本さんの励ましなんだと思っています。小さい挑戦をたくさんしていって、どんどん失敗して、その中から生まれた成功の種を大きく育てていくような考え方が、社会全体にも個人の生き方にも求められる時代なのかなと思っています。

武田:世界では、若い世代が上の世代を動かしていくような動きというのが各地で起きていますよね。日本の若者に今期待することはどんなことですか?

宮田さん:アメリカのブラック・ライブズ・マターとか、あるいはドイツは巨大な財源を保障に積みあげて、退路のない変化に入ってきていると。そんな中であっても、例えば日本で私が受けることばとしては、君たちは生まれながらにして負け組だと。未来も日本も変えられないよという人たちが結構多いんですね。

武田:就職氷河期世代ですね。

宮田さん:そうです。そうした中で変わる、変わらないのかという予測をするのではなくて、私自身は、やはり社会の1人のメンバーとしてどう変えるのかということを考えて行動したいと考えています。特に若い世代は、苦しい思い、失敗したときに諦めや挫折をささやく声というのは聞こえてくると思うんですが、そうした中で自分が何を大切にしているかを考えて、一緒に前を向きたいなと思いますし、あるいは若い世代に限らず、挑戦をする、何かを変えようとする人たちは同志だと思っています。変わる、変わらないではなくて、変えるんだということで一緒に挑戦していきたいなというふうに考えています。

武田:50代の私も、40代の宮田さんも、そしてまだ若い城田さんも一緒に。

宮田さん:変えましょう。

武田:最後に、瀧本さんが若者に託したこんなことばをご紹介します。

“必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ。”
(『君に友だちはいらない』より)

海外投資家による「韓国売り」が始まった…

2020-09-01 15:08:08 | 日記
海外投資家による「韓国売り」が始まった…

通貨ウォンは、年初から新型コロナウイルスの感染拡大に伴う景気悪化を背景に、ウォン安傾向にあります。

韓国と言えば、コロナによる死者数を300人以下と感染抑制に成功した国という評価があるものの、現在は再び、新規感染者が5月28日は79人、29日に58人が確認されました

しかし、第2波はどの国でも想定されており、第2波による経済への悪影響は韓国に限ったことではありません。

進行するウォン安はコロナとは別軸で考える必要があります。つまりこのウォン安は、韓国経済そのものに対して、成長性を感じられない海外投資家による「韓国売り」なのです。

韓国経済は、1965年の日韓基本条約をバネに成長した背景があります。

日本の賠償や借款など数億ドルに及ぶ「資金」により経済発展の基礎を固めつつ、さらに、日本からの「技術援助」で国際競争力を付けることができたのです。

その結果、韓国は輸出特化の経済戦略を築いてきました。しかし、この輸出競争力にいま、陰りが出ています。それは、中国からの追い上げです。

韓国はなぜ、置き去りにされたのか。それは、韓国自身が日本を基盤にして近代化してきたという認識の欠如から、いまの状況に陥っていると言えます。

反日”による空白時間が韓国経済のツケに

中国は2025年までに世界の製造強国の仲間入りを目標にしており、2018年は15.5%にすぎない半導体自給率を25年までに70%に引き上げるという計画を示しています。

5G、半導体、IoT、自動運転、EV(電気自動車)、AI(人工知能)の全ての分野で中国は主役になることを計画しています。

その未来は、もう目の前に迫っています。

しかし、韓国はこの全ての分野で出遅れています。基幹産業である半導体ですら、中国に取って代わられるところまで来ています。

なぜ、韓国はテクノロジーの進化が遅れたのでしょうか。そこには「反日」が関係しています。


李明博大統領時代から朴槿恵大統領の時代、そして現在の文在寅政権でも日本に対しては厳しい姿勢を取り続けています。

特に、李氏は竹島上陸と日本の天皇への謝罪を要求し、朴氏は慰安婦問題で日本の政府への謝罪要求を行いました。

世界で、技術革新のスピードが一気に早まった、ここ12年の間に、韓国政府は日本に対する“抗議活動”に労力を費やし、韓国は日本からの新産業の情報を得ることができなかったことが、韓国経済の停滞を招いた一つの要因となっています。

香港問題による米中対立の激化は韓国経済に打撃

貿易問題から始まった米中間の摩擦は新型コロナウイルスによって強まり、米国はナスダック市場の新規上場ルールの厳格化により中国企業の「締め出し」に動いています。

さらに、米中対立の最前線となった香港をめぐっては、中国が香港での反政府デモなどを取り締まる「国家安全法」の導入を決定したことを受け、米中の対立はさらに深まる見通しです。

韓国は対中輸出が約26%を占めており、中国依存度が高い構造になっています。

さらに、GDPの70%強を輸出が占めるほど貿易依存度が高い国にとって、世界の2大大国である米中の対立の激化は韓国基幹産業である、「機械と電子部品」「輸送機」への打撃が大きい点も「韓国売り」を加速させているのです。


『朝鮮日報』(2019月12月18日)「韓国1世帯当たり家計債務が8000万ウォンに肉薄」では、韓国統計庁、金融監督院、韓国銀行が発表した「2019年家計金融・福祉調査結果」によると、19年3月時点での韓国の1世帯当たりの家計債務が前年比3.2%増の7910万ウォン(約744万円)となり、8000万ウォンの大台に迫っていると伝えています。

債務の増加ペースは可処分所得の伸びの2.7倍にもなりました。韓国は、不況の影響で高所得の自営業者による所得が減少しています。

韓国の格差社会の誕生

韓国は、5人に1人が自営業であり、韓国国民の家計が圧迫され、消費者心理が冷え込み、国内の内需が伸び悩んでいる構造になっているのです。

実際に、00年代後半から、一生懸命に働いても、月額10万円も稼げないという、最低限の生活を送るための収入を得ることができないワーキングプアが問題になります。

韓国の格差社会が生まれたきっかけは、1997年後半に韓国を襲った「IMF危機」がきっかけです。

97年はアジア通貨危機が起きた年で、この通貨危機の原因は米国が短期金利であるFFレートを引き上げたことによって、新興国に向かっていた世界の資金が一斉に米国に戻り始め、韓国も通貨危機に陥りました。

財政破綻の危機に直面した韓国政府が、IMFから多額の資金援助を受けるため、国家財政の主権をIMFに譲り渡したのです。

そこから、這い上がるために、1998年2月に就任した金大中大統領は、IMF体制からの早期脱却を目指しました。

ここで、資本市場の開放、公企業の民営化、そして労働市場の柔軟化およびリストラ強行など、新自由主義的な政策を行うことによって、2001年8月には韓国はIMFから借り入れた資金を早期に返済し、経済主権を取り戻しています。

しかし、その過程で中産階級が崩壊してしまい、国内の格差が進んでしまったのです。


韓国財閥は低い労働生産性の温床

韓国財閥は、中小企業の製品を買いたたくことで利益を伸ばしています。

その結果、韓国では中小企業は成長が見込めない状態になっています。

ニッセイ基礎研究所の『韓国の貧富の格差がさらに拡大―持てる者の土地資産は急増、持たざる者の所得は大きく減少―』(2019年3月14日)のレポートによると、

韓国の5大財閥グループが保有している土地の帳簿価格は07年の23.9兆ウォンから2017年には67.5兆ウォンに43.6兆ウォンも増加しています。

一方、統計庁19年2月が発表した「2018年第4四半期家計動向調査」によると、所得下位20%世帯の1カ月名目所得は123万8200ウォンで1年前と比べて17.7%も減少したことが明らかになったとしています。

中小企業やベンチャー企業、また大企業の企業内起業がイノベーションを起こすことで、経済は活性化されます。

韓国は財閥だけが利益を得る構造から抜け出すことができずに、イノベーションが生まれる土壌が育っていないのです。

さらに、韓国には深刻な人口問題があります。

現在の韓国は、日本以上の少子高齢化が深刻化する可能性があるのです。

韓国統計庁のデータによれば、早ければ19年の5165万人をピークに韓国の総人口は減少に転じる見通しです。

本格的な労働力不足による時代が迫っているのです。持てる者と持たざる者の間に広がる格差をどのように縮めるか、韓国政府が真剣に向き合わなければならない問題なのです。

韓国の外貨準備高の減少

最後に、コロナショックを受けた金融市場でのリスク回避の強まりによって、新興国からの資金流出について言及します。

IMFのデータを元にフィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議の調査によると、2月から3月にかけて外貨準備高の減少が大きかった国・地域は、ブラジル(193億ドル)、トルコ(156億ドル)、インドネシア(95億ドル)、韓国(90億ドル)、香港(78億ドル)などでした。

総じて脆弱な新興国は、外貨準備高を大幅に減少させてしまったように見えます。

一方、外貨準備高の増加が大きかった国は、日本(1810億ドル)、ドイツ(428億ドル)、フランス(255億ドル)、イタリア(121億ドル)、スペイン(104億ドル)などです。

外貨準備高の変動を見ても、あらためて、明暗が別れたことがおわかりでしょう。

世界の信頼を失った韓国・文在寅の「対中接近」という最悪シナリオ

2020-09-01 13:23:25 | 日記
韓国経済.com

韓国経済を中心に北朝鮮・中国・台湾・日本そしてアメリカの経済状況を説明するサイトです。

世界の信頼を失った韓国・文在寅の「対中接近」という最悪シナリオ

現在、中国と欧米諸国などとの関係悪化が顕著になっており、国際社会において中国が孤立する構図が鮮明化している。

米国のトランプ政権は今年11月の大統領選挙を控えて、中国の「国家資本主義体制」に対する制裁強化に動く。


欧州各国や日豪、さらにはベトナムやインドなどは、中国の人権や香港の問題、領土紛争、南シナ海への中国の強引な進出に警戒感を強めている。


中国は経済成長の限界に加えて、新型コロナウイルスが社会心理を悪化させており、習近平国家主席の求心力はやや低下している。

国際社会において、同氏はさらなる孤立を避けたいと考えているはずだ。

そのために、共産党政権はカンボジアやラオスなど、比較的安定した親中政権のあるアジア外交に注力し始めている。

中でも重視しているのが韓国だ。

米国の同盟国である韓国を自陣に取り込むことができれば、経済面に加え安全保障面でも中国が対米で相応の有意なポジションを持つことができる。

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は米中両国と等しい距離感覚で対応し、自らに都合よい状況を作り出せると考えているようだ。

その姿勢には不安な部分もある。韓国が真剣に対中関係の修復に進むとなれば、米国はその姿勢を問題視し厳しい態度をとるだろう。 今後、韓国の文大統領がどのようなスタンスで米国・中国との関係を続けるのかが注目される。

https://president.jp/articles/-/38366

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米国と日本の国防相が29日にグアムで韓国抜きで会談を行った。

北朝鮮と中国を意識した韓国政府が会談への参加に消極的な態度を示しことが理由だ。

米国は当初、韓国の国防長官を含む3カ国によって北朝鮮問題と中国問題について話し合うことを希望していた。

ところが韓国政府はコロナや国内での日程などを理由に明確な態度を示さず、今月末になって「出席は難しい」との意向を伝えたという。

最終的に米国と日本の国防相だけで、北朝鮮の大量破壊兵器など韓半島問題について意見を交換する形となった。

韓国の不参加は、「対北朝鮮制裁の趣旨に反する」という度重なる警告にもかかわらず、南北交流事業を強行しようとする韓国政府の態度が影響した。


韓国がいるべき場所に姿を見せず、やってはならないことをやる事が相次いでいるとの指摘も出ている。


韓国にとって安全保障面での最大の脅威は北朝鮮。

その北朝鮮の大量破壊兵器や弾道ミサイルへの対応策を話し合う場から、肝心の韓国が抜け米国と日本だけで頭を突き合わせた事で、韓米日の三角協力体制が弱体化しているとの指摘もある。

一部からは「米中が激しく対立する状況で、韓国政府が米国の側に立つという形を避けるため、今回の会議に参加しなかったのでは」との見方も出ている。

今の韓国は自国経済で、中国にすり寄るしか方法が無いわけで、日米に対抗する動きは明確だが、その中国は韓国を相手にしていないわけで、気が付けば孤立する韓国政府。

負債だけが増加し、自国の様々なシステムが老朽化している。