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東大が中国勢より下位に…上海の研究者が見た、大学ランキング・日本「一人負け」の原因
服部 素之 2020/09/18 17:00
私は生命科学を専門分野とする研究者だ。妻が上海人ということもあり、5年ほど前に上海に異動し、それ以来こちらで研究教育を続けている。
本稿執筆のきっかけとなったのは、最近発表された「Times Higher Education(以下、THE)」世界大学ランキングにおいて、「北京の清華大学がアジアトップの20位となる一方、東大の順位がそれより下の36位」といった内容のNHKニュースのツイートとそれに対する、ツイッターでの私のコメントだ。
日本の多くの大学の世界ランキングはここ10年ほど大きく低下
このニュースに対して、「中国の大学が東大より上位に位置し、アジアのトップになる」ということにショックを受ける反応が多くあったように見受けられた。
しかしながら、日本にとってより深刻な点だと私が感じるのは、「中国の大学が伸びているという話とはほぼ関係なく、日本の多くの大学の世界ランキングがここ10年ほど大きく低下している」ということだ。
ここからは、その状況の解説とそれに対する提言をしたいと思う。
なお、下記の解説および提言は、日本の大学の中でも私の専門である理系分野や法人化の対象となった国立大学を中心とした話となっている点についてご留意いただきたい。
「英語圏の大学じゃないから不利」は関係なし
さて、今回の世界大学ランキング発表に関連し、ツイッター上では
「世界大学ランキングは英語圏の大学が有利」「国際化の度合いが重視されるので、英語圏の大学ではない日本は不利」といった内容のコメントが散見された。
そういった要素も確かにある程度はあるかもしれないが、それらの指摘は「多くの大学の順位が大きく伸びている中国は英語圏ではない」「そもそも世界大学ランキングにおいて国際化の指標は評価項目全体のごく一部でしかない」という事実に反する。
それでは、世界大学ランキングにおける日本の大学の大幅な順位低下の理由は何か?
結論から述べると、世界大学ランキングにおいて最も重視されるのは研究力だが、その研究力が日本の大学において近年大きく低下しているからだと考えられる。
新興国の伸び関係なく、ほぼ「一人負け」の日本
実際、「THE」世界大学ランキングの評価項目をみてみると、研究内容とそれに伴う論文の引用数の要素の2点が6割を占めている。
「THE」と並ぶ著名な世界大学ランキングである「QS」においてもそれは同様だ。
日本の科学技術分野における「研究力」低下は周知の事実だ。
文部科学省直轄の「科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)」が毎年発行している 「科学技術指標」 という調査報告書によると、
主要国の中でほぼ唯一日本だけが科学技術論文の「量」(論文数)と「質(引用数トップ1%・10%論文数)」共に大きく停滞していることがわかる。
これは「中国をはじめとする新興国が伸びた分、日本が落ちた」というレベルではなく、ほぼ一人負けといっていい状況なのが下記の表からわかると思う。
現状、「引用数トップ10%論文数ランキングでは、
インドとほぼ同水準」、
「引用数トップ1%論文数では、イタリアに抜かれ、オランダと同水準」であり、
「論文総数についても主要国で唯一純減」という状況だ。
逆に中国は質・量ともに近年大きく伸び、アメリカに次ぐ順位まで来ていることがわかる。
大きく裏目に出た「選択と集中」
こういった状況の中、「研究力」が重視される世界大学ランキングにおいて日本の大学の順位が低下するのも自然だと思われる。
では、研究力低下の原因は何か? その大きな要因として大学教員らからよく指摘されるのが、研究費配分における「選択と集中」政策と「国立大学の法人化」だ。
「選択と集中」政策は、大まかにいえば「今後重要であることが期待される研究分野および当該分野の主要研究者に対して重点的に研究費を投資する」といった政策だ。
この手法でうまくいく分野もあるのかもしれないが、少なくとも大学における基礎研究に対して全面的に導入するにはかなりそぐわない手法であると思われる。
「何が当たるか」事前に予測することは極めて困難
理由は簡単で「基礎研究分野において何が当たりかどうか事前に予測することが極めて困難」だからだ。
また、個々の研究者に過度に研究費を集中させることは、投資した研究費に比例した成果へと必ずしもつながらないということは各種統計で示されている。
よって、基礎研究分野の場合、重要なのは「選択と集中」ではなく、むしろ研究分野、研究人口、その両方における「裾野の広さ」だと私は考えている。
しかしながら、内閣府による「科学技術基本計画」をはじめとしてかなりの長期間にわたって日本の科学技術政策において「選択と集中」が重視されてきた。
察するに、経済が停滞し、科学技術予算も伸び悩む中、少しでも予算配分の効率化を図ったのかもしれないが、結果的にはそれが大きく裏目に出たと言わざるをえない。
「出張が自腹」「研究室の電気代だけで…」日本の大学の悲惨な実態
また、今世紀に入ってからの「国立大学の法人化」により、それまで文部科学省の内部組織であった国立大学が「国立大学法人」としてそれぞれ独立した法人に再編された。
この「国立大学の法人化」以後、国立大学の収入の要である国からの運営交付金の削減が続いており、これまで総額2000億円以上が削減されている。
それにより教員採用抑制等、様々なものが影響を受けたが、今回の話題と特に関係があるのが、校費(大学から各研究室に対して支給される研究費)の減少だ。
校費が減少したことで、研究者にとっては競争的研究費(科研費等、応募した研究課題の中から審査により採用された場合のみ得られる研究費)の獲得がますます重要になった。
しかし、その競争的研究費に対しても「選択と集中」が進められた結果、何が起こったのかというと、多くの研究者にとって研究環境が悪化したのである。
競争的研究費の代表例である科研費の採択率はおおむね20%-30%程度とそれほど高い採択率ではない。
その一方、私や大学教員の友人らが見聞きした範囲だけでも、
「プリンター印刷費用と研究室の電気代だけで校費がなくなる」
「校費が足りず、研究関連の出張が自腹となってしまっている」
「卒研生が実験するための消耗品代が捻出できず、卒業研究をまともに行うことができない」といった話があり、
現状、校費だけで研究室を運営するのは極めて難しい状況のようだ。
また、あわせて大学教員の 研究時間の減少 についても報告がある 。「研究可能な環境にいる大学教員」が減少すれば、日本の大学からの論文数が伸びないのは明らかではないだろうか。
では、「選択と集中」の結果、少なくとも質は伸びたのかというと、さきほどの引用回数上位論文の国別ランキングにもあるように「質」も伸びているとは言い難い状況だ。
つまり、「選択と集中」政策の根幹である「当たりそうな馬券だけバンバン買おう!」という考え自体がまさに「ハズレ馬券」であったといえるのではないかと思う。
上海で見た、中国の「大学院生支援」の手厚さ
さて、このような状況を踏まえ、「運営交付金を以前の水準に戻すこと」をまず提言したい。
それに加え、「選択と集中」とは逆の方策、つまり先に述べたような「研究の裾野」を広げるための方策がさらに必要だと考える。
中国の大学が最近大きく伸びていることから「すごい額の給料や研究費をもらっているのでしょう」と日本の人から言われることが多いが、残念ながら(?)今のところそういう状況には、私も私の同僚たちもなってはいない。
巷のそういったバブリーな印象論ではなく、それよりも私がこの5年間見聞きした「中国にお金がそれほどない頃から地道に続けている、研究の裾野を拡大するための方策」を紹介したい。
まず第一に必要なのは「大学院生への経済支援」だ。
私が所属する復旦大学生命科学学院を含め、中国における多くの大学院で、「大学院生への給与支給」「授業料の(実質)無料化」「格安の学生寮」の提供が実現されている。
具体的には、私の学院の博士課程院生の場合、授業料相当額の経済支援に加え、だいたい毎月約6-7万円が追加支給される。
月6-7万円というと日本の感覚だと少なく聞こえるかもしれないが、学生寮の家賃はわずか年1万円程度で、大学食堂が一食あたり100-200円程度だから、アルバイトや実家からの仕送りの必要なく生活可能だ。
こういった支援により、博士のタマゴである学生さんたちが経済的な心配なく大学院に進学できるというのは、「研究の裾野」を広げる上で非常に重要な要素だと思う。
実際、日本では博士課程進学者の減少が続いているが、中国で「博士課程に学生さんがなかなかこない」という話を聞いたことがない。
日本においても大学院生、特に博士課程の学生が原則的に何らかの経済支援を受けられるような枠組みの整備が望ましいと考えている。
また、理系の実験科学分野では「共通機器整備」の拡充が必要だ。
研究機器、特にある程度高額の機器導入において、アメリカや中国のしくみと日本とで大きく違う点として、日本では、大学や専攻単位で導入するのではなく、個々の研究室がそれぞれの研究費において導入することが多い、という点がある。
高額な機器はおいそれと購入できるものではないので、日本の若手や中堅の研究者が新しく研究室を立ち上げる際の大きなハードルになっているといえよう。
また、場合によっては隣同士の研究室で似たような高額機器を買っているようなケースもあり、研究費の効率使用という観点からみても問題と思われる。
それに対して、中国ではいわゆる競争的研究資金から高額の実験機器を買うことはあまりない。
たとえば、うちの学院では大学着任時に支給されるスタートアップ予算や「国家重点実験室」という共通機器整備のための国からの支援によってそれら必要な機器を確保することが多い。
特に後者の「国家重点実験室」については、中国がまだ経済的に厳しかった1984年から続いている共通機器整備支援の制度で、お金がない時代だからこそお金をうまく使おうという知恵が反映された制度だと感じる。
日本の政府主導のプロジェクトの多くは「5年時限」
最近日本でも文科省から共通機器整備に向けた動きがはじまりつつあり、非常に良い流れだと思う。
ただ、そのような日本の政府主導のプロジェクトの多くは「5年時限」であることが多く、「時限プロジェクトが終わると機器は補修もされず、野ざらしになる」ということもある。
よって、日本の新しい取り組みが、以前のような短期的なものではなく、中国における「国家重点実験室」のような地道かつ継続的な取り組みとなることを願っている。
以上をまとめると、私の提案としては
「各研究室への校費の額を回復させる」
「大学院生への経済支援を拡充し、学生さんが安心して大学院進学できる環境を提供する」
「共通機器整備制度の拡充により、研究室単位で高額機器を買わなくても研究できる体制を整える」というものだ。
これらがもし実現すれば、日本の多くの大学における研究の裾野は大きく広がり、日本の大学、特に地方の大学が再び元気を取り戻すことにつながると信じている。
(服部 素之)
東大が中国勢より下位に…上海の研究者が見た、大学ランキング・日本「一人負け」の原因
服部 素之 2020/09/18 17:00
私は生命科学を専門分野とする研究者だ。妻が上海人ということもあり、5年ほど前に上海に異動し、それ以来こちらで研究教育を続けている。
本稿執筆のきっかけとなったのは、最近発表された「Times Higher Education(以下、THE)」世界大学ランキングにおいて、「北京の清華大学がアジアトップの20位となる一方、東大の順位がそれより下の36位」といった内容のNHKニュースのツイートとそれに対する、ツイッターでの私のコメントだ。
日本の多くの大学の世界ランキングはここ10年ほど大きく低下
このニュースに対して、「中国の大学が東大より上位に位置し、アジアのトップになる」ということにショックを受ける反応が多くあったように見受けられた。
しかしながら、日本にとってより深刻な点だと私が感じるのは、「中国の大学が伸びているという話とはほぼ関係なく、日本の多くの大学の世界ランキングがここ10年ほど大きく低下している」ということだ。
ここからは、その状況の解説とそれに対する提言をしたいと思う。
なお、下記の解説および提言は、日本の大学の中でも私の専門である理系分野や法人化の対象となった国立大学を中心とした話となっている点についてご留意いただきたい。
「英語圏の大学じゃないから不利」は関係なし
さて、今回の世界大学ランキング発表に関連し、ツイッター上では
「世界大学ランキングは英語圏の大学が有利」「国際化の度合いが重視されるので、英語圏の大学ではない日本は不利」といった内容のコメントが散見された。
そういった要素も確かにある程度はあるかもしれないが、それらの指摘は「多くの大学の順位が大きく伸びている中国は英語圏ではない」「そもそも世界大学ランキングにおいて国際化の指標は評価項目全体のごく一部でしかない」という事実に反する。
それでは、世界大学ランキングにおける日本の大学の大幅な順位低下の理由は何か?
結論から述べると、世界大学ランキングにおいて最も重視されるのは研究力だが、その研究力が日本の大学において近年大きく低下しているからだと考えられる。
新興国の伸び関係なく、ほぼ「一人負け」の日本
実際、「THE」世界大学ランキングの評価項目をみてみると、研究内容とそれに伴う論文の引用数の要素の2点が6割を占めている。
「THE」と並ぶ著名な世界大学ランキングである「QS」においてもそれは同様だ。
日本の科学技術分野における「研究力」低下は周知の事実だ。
文部科学省直轄の「科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)」が毎年発行している 「科学技術指標」 という調査報告書によると、
主要国の中でほぼ唯一日本だけが科学技術論文の「量」(論文数)と「質(引用数トップ1%・10%論文数)」共に大きく停滞していることがわかる。
これは「中国をはじめとする新興国が伸びた分、日本が落ちた」というレベルではなく、ほぼ一人負けといっていい状況なのが下記の表からわかると思う。
現状、「引用数トップ10%論文数ランキングでは、
インドとほぼ同水準」、
「引用数トップ1%論文数では、イタリアに抜かれ、オランダと同水準」であり、
「論文総数についても主要国で唯一純減」という状況だ。
逆に中国は質・量ともに近年大きく伸び、アメリカに次ぐ順位まで来ていることがわかる。
大きく裏目に出た「選択と集中」
こういった状況の中、「研究力」が重視される世界大学ランキングにおいて日本の大学の順位が低下するのも自然だと思われる。
では、研究力低下の原因は何か? その大きな要因として大学教員らからよく指摘されるのが、研究費配分における「選択と集中」政策と「国立大学の法人化」だ。
「選択と集中」政策は、大まかにいえば「今後重要であることが期待される研究分野および当該分野の主要研究者に対して重点的に研究費を投資する」といった政策だ。
この手法でうまくいく分野もあるのかもしれないが、少なくとも大学における基礎研究に対して全面的に導入するにはかなりそぐわない手法であると思われる。
「何が当たるか」事前に予測することは極めて困難
理由は簡単で「基礎研究分野において何が当たりかどうか事前に予測することが極めて困難」だからだ。
また、個々の研究者に過度に研究費を集中させることは、投資した研究費に比例した成果へと必ずしもつながらないということは各種統計で示されている。
よって、基礎研究分野の場合、重要なのは「選択と集中」ではなく、むしろ研究分野、研究人口、その両方における「裾野の広さ」だと私は考えている。
しかしながら、内閣府による「科学技術基本計画」をはじめとしてかなりの長期間にわたって日本の科学技術政策において「選択と集中」が重視されてきた。
察するに、経済が停滞し、科学技術予算も伸び悩む中、少しでも予算配分の効率化を図ったのかもしれないが、結果的にはそれが大きく裏目に出たと言わざるをえない。
「出張が自腹」「研究室の電気代だけで…」日本の大学の悲惨な実態
また、今世紀に入ってからの「国立大学の法人化」により、それまで文部科学省の内部組織であった国立大学が「国立大学法人」としてそれぞれ独立した法人に再編された。
この「国立大学の法人化」以後、国立大学の収入の要である国からの運営交付金の削減が続いており、これまで総額2000億円以上が削減されている。
それにより教員採用抑制等、様々なものが影響を受けたが、今回の話題と特に関係があるのが、校費(大学から各研究室に対して支給される研究費)の減少だ。
校費が減少したことで、研究者にとっては競争的研究費(科研費等、応募した研究課題の中から審査により採用された場合のみ得られる研究費)の獲得がますます重要になった。
しかし、その競争的研究費に対しても「選択と集中」が進められた結果、何が起こったのかというと、多くの研究者にとって研究環境が悪化したのである。
競争的研究費の代表例である科研費の採択率はおおむね20%-30%程度とそれほど高い採択率ではない。
その一方、私や大学教員の友人らが見聞きした範囲だけでも、
「プリンター印刷費用と研究室の電気代だけで校費がなくなる」
「校費が足りず、研究関連の出張が自腹となってしまっている」
「卒研生が実験するための消耗品代が捻出できず、卒業研究をまともに行うことができない」といった話があり、
現状、校費だけで研究室を運営するのは極めて難しい状況のようだ。
また、あわせて大学教員の 研究時間の減少 についても報告がある 。「研究可能な環境にいる大学教員」が減少すれば、日本の大学からの論文数が伸びないのは明らかではないだろうか。
では、「選択と集中」の結果、少なくとも質は伸びたのかというと、さきほどの引用回数上位論文の国別ランキングにもあるように「質」も伸びているとは言い難い状況だ。
つまり、「選択と集中」政策の根幹である「当たりそうな馬券だけバンバン買おう!」という考え自体がまさに「ハズレ馬券」であったといえるのではないかと思う。
上海で見た、中国の「大学院生支援」の手厚さ
さて、このような状況を踏まえ、「運営交付金を以前の水準に戻すこと」をまず提言したい。
それに加え、「選択と集中」とは逆の方策、つまり先に述べたような「研究の裾野」を広げるための方策がさらに必要だと考える。
中国の大学が最近大きく伸びていることから「すごい額の給料や研究費をもらっているのでしょう」と日本の人から言われることが多いが、残念ながら(?)今のところそういう状況には、私も私の同僚たちもなってはいない。
巷のそういったバブリーな印象論ではなく、それよりも私がこの5年間見聞きした「中国にお金がそれほどない頃から地道に続けている、研究の裾野を拡大するための方策」を紹介したい。
まず第一に必要なのは「大学院生への経済支援」だ。
私が所属する復旦大学生命科学学院を含め、中国における多くの大学院で、「大学院生への給与支給」「授業料の(実質)無料化」「格安の学生寮」の提供が実現されている。
具体的には、私の学院の博士課程院生の場合、授業料相当額の経済支援に加え、だいたい毎月約6-7万円が追加支給される。
月6-7万円というと日本の感覚だと少なく聞こえるかもしれないが、学生寮の家賃はわずか年1万円程度で、大学食堂が一食あたり100-200円程度だから、アルバイトや実家からの仕送りの必要なく生活可能だ。
こういった支援により、博士のタマゴである学生さんたちが経済的な心配なく大学院に進学できるというのは、「研究の裾野」を広げる上で非常に重要な要素だと思う。
実際、日本では博士課程進学者の減少が続いているが、中国で「博士課程に学生さんがなかなかこない」という話を聞いたことがない。
日本においても大学院生、特に博士課程の学生が原則的に何らかの経済支援を受けられるような枠組みの整備が望ましいと考えている。
また、理系の実験科学分野では「共通機器整備」の拡充が必要だ。
研究機器、特にある程度高額の機器導入において、アメリカや中国のしくみと日本とで大きく違う点として、日本では、大学や専攻単位で導入するのではなく、個々の研究室がそれぞれの研究費において導入することが多い、という点がある。
高額な機器はおいそれと購入できるものではないので、日本の若手や中堅の研究者が新しく研究室を立ち上げる際の大きなハードルになっているといえよう。
また、場合によっては隣同士の研究室で似たような高額機器を買っているようなケースもあり、研究費の効率使用という観点からみても問題と思われる。
それに対して、中国ではいわゆる競争的研究資金から高額の実験機器を買うことはあまりない。
たとえば、うちの学院では大学着任時に支給されるスタートアップ予算や「国家重点実験室」という共通機器整備のための国からの支援によってそれら必要な機器を確保することが多い。
特に後者の「国家重点実験室」については、中国がまだ経済的に厳しかった1984年から続いている共通機器整備支援の制度で、お金がない時代だからこそお金をうまく使おうという知恵が反映された制度だと感じる。
日本の政府主導のプロジェクトの多くは「5年時限」
最近日本でも文科省から共通機器整備に向けた動きがはじまりつつあり、非常に良い流れだと思う。
ただ、そのような日本の政府主導のプロジェクトの多くは「5年時限」であることが多く、「時限プロジェクトが終わると機器は補修もされず、野ざらしになる」ということもある。
よって、日本の新しい取り組みが、以前のような短期的なものではなく、中国における「国家重点実験室」のような地道かつ継続的な取り組みとなることを願っている。
以上をまとめると、私の提案としては
「各研究室への校費の額を回復させる」
「大学院生への経済支援を拡充し、学生さんが安心して大学院進学できる環境を提供する」
「共通機器整備制度の拡充により、研究室単位で高額機器を買わなくても研究できる体制を整える」というものだ。
これらがもし実現すれば、日本の多くの大学における研究の裾野は大きく広がり、日本の大学、特に地方の大学が再び元気を取り戻すことにつながると信じている。
(服部 素之)