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日本が韓国大統領選で「ポスト文在寅」の保守派候補に期待しすぎてはいけない理由

2023-01-22 17:54:23 | 日記
日本が韓国大統領選で「ポスト文在寅」の保守派候補に期待しすぎてはいけない理由

 澤田克己

澤田克己氏・毎日新聞論説委員



2021年12月8日
進歩派与党の李在明候補(左)と保守派野党の尹錫悦候補(右)による事実上の一騎打ちとなった韓国大統領選。日本では尹氏への期待が高まっているが…

 来年3月の韓国大統領選まで3カ月となった。文在寅政権の進歩派与党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)候補=前京畿道知事=と保守派野党「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補=前検事総長=による事実上の一騎打ちで、激しい選挙戦が戦われている。

11月初旬、野党候補が決まった直後の世論調査で尹氏が大きくリードしていたこともあり、日本国内では新政権の下での「日韓関係改善」に期待する報道が目に付いた。だが実際は、そう簡単でもなさそうだ。

野党候補決定直後の尹氏リードは「ご祝儀相場」

 野党候補が決まった直後の世論調査における「尹氏リード」、これはいわゆる「ご祝儀相場」だった。

韓国では、メディアの注目を浴びるイベント直後の支持率上昇を「コンベンション効果」と呼ぶが、まさにそれである。

 その後、リードは徐々に縮まり、韓国ギャラップ社の12月3日発表の調査では、両氏ともに36%と横一線に並んだ。

小政党の候補2人がそれぞれ5%ずつの支持を集めており、この2人との合従連衡も最終盤に向けた情勢の変動要因となる。

 進歩派の文政権下での日韓関係の悪化を背景に、日本では保守派の尹氏に期待する向きがあるようだ。

「ご祝儀相場」での尹氏大幅リードの世論調査結果に必要以上の反応を示した日本メディアも見られたが、そこにはこうした期待感があったのだろう。

 確かに両氏の日本がらみの発言を見ると、尹氏の方が落ち着いていることは論を待たない。というより、李氏の発言には耳を疑うようなものが多い。

 ただ、だからといって尹氏に期待しすぎるのは禁物だ。

どちらが勝ったとしても、対日政策を大きく変えることは難しいだろう。

日本がらみで落ち着いた発言をしている尹氏だが…

 李、尹の両氏はいずれも、日韓関係改善への意欲は示している。

未来志向の日韓関係をうたった98年の日韓共同宣言を重視し、そこに盛り込まれた「日本の心からの謝罪と反省」がベースになると主張している点も同じだ。とはいえニュアンスはかなり違う。

 李氏は「日本は完全な友邦国家だろうか」などという疑念を口にし、竹島問題や歴史問題で日本を激しく非難する。

 それに対して尹氏は「過去は過去として、後世が歴史を正確に記憶するために真相を明確にすべきだが、未来については未来世代のため実用的に協力しなければならない」と語る。

 ブレーンを見ても、李氏陣営に日本専門家は見当たらない一方、尹氏陣営には有名な日本専門家が複数入っている。

日本と付き合いのある人も尹氏側に多いから、日本が尹氏に期待してしまうのも無理はない。

 ただ、尹氏の日本についての発言を注意深く見てみると、日韓関係を最悪の状態にした文政権をこき下ろす文脈が多い。

専門家の間では「表面的なことしか語っていない」という評価もある。

そもそも「過去と未来を切り分ける」というのは、文政権が言ってきたことでもある。

 それ以上に懸念されるのは、尹氏が当選した場合の政権運営の行方だ。

仮に尹氏が当選したら、議席の6割強を進歩派野党が押さえる国会と向き合うことになる。

首相の任命には国会の同意が必要なので、野党の協力が得られなければ組閣すら難しい。

韓国の国会に解散はなく、2024年の次期総選挙まで勢力図は変わらない。
 現在の韓国において、対日政策の優先度は低いものの、対応を間違えると世論から感情的な反発を受ける厄介な問題である。

国会情勢を見ても大胆に動くのは難しいし、とりあえず「後回し」ともなりかねない。

過去の保守政権でも楽観論が裏切られている

 12月3日、筆者は両国の政治家や研究者、記者が議論する「日韓フォーラム」に参加した。

1993年から毎年開かれている会議で、昨年と今年はオンライン形式での開催となった。

フォーラムでは、大統領選へ向ける日本側の視線について「行き過ぎた楽観論が裏切られると、反動が大きい。

日韓関係では、そうしたことが繰り返されてきた」と懸念する声が韓国側から上がった。

保守派の朴槿恵政権下では、日本の期待に反して日韓関係が悪化した
 
2013年に保守派の朴槿恵(パク・クネ)氏が大統領になった時、日本側に根拠なき期待が広まったことを念頭に置いた発言だろう。

実際には、朴氏は就任当初から慰安婦問題で厳しい対日姿勢を取り、前任の李明博(イ・ミョンバク)大統領による竹島上陸で悪化していた日韓関係はさらに悪くなった。

 ただ、朴氏は当選翌日に「正しい歴史認識」を強調するスピーチをしている。選挙戦終盤でも歴史問題には厳しい姿勢を見せていた。

「行き過ぎた期待」をしたのであれば、それは日本側の判断ミスであったと言える。


李氏も最初は現実路線に?

 日韓フォーラムでは、李氏についても、「大統領になれば現実的な政策を取るのではないか」という参加者がいた。

「ポピュリスト」と批判される李氏は、国民生活に直結する看板政策であっても、旗色が悪くなると公約を平気で引っ込める。

そうした様子を見る限り、「少なくとも就任当初は現実的な対応を取るだろう」というわけだ。

 実際、先月の記者会見で、李氏は外交安保政策に関する質問に次のように答えている。

「状況が変わったのに考えを変えないことを、わからず屋と呼ぶ。国益に合わせて柔軟に動くべき外交領域でわからず屋の態度を取ると、大変なことになる。国際関係では現状というものが重要だ。その時の状況で最善の選択と決定をしていかなければならない」

 文大統領に対しても、就任当初は日本政府内に「意外と現実的」という評価が多かった。

雲行きが変わったのは、18年秋に慰安婦合意で設立された財団の解散を決めた頃からだ。

ここでは詳述しないが、対日姿勢の変化は、南北関係が進展したことで日本の重要度が下がったことを反映したものだったと考えられる。

 韓国の大統領選ではもともと、対日政策は争点になってこなかった。

最大の争点は国内問題であり、対外政策では南北関係と米韓関係が争点となることがある程度だ。

今回だけ対日政策が争点になるという“異変”は起きないだろう。

 今回の争点は、新型コロナウイルス対応に加え、不動産急騰や深刻化する格差拡大への対応だ。

対外政策については、対北朝鮮政策ですら突っ込んだ議論はされていない。

政策論争より、相手候補のスキャンダルたたきばかりが目立つ選挙戦だ。

 こうした状況で日本が「行き過ぎた期待」を持つことも、過剰な警戒心を抱くことも、あまり意味があるとは思えない。

「日韓関係を悪化させたのは進歩派政権」という錯覚

 保守派政権への期待が日本で語られる背景についても、改めて考える必要があるだろう。

 1965年の国交正常化から93年まで、韓国の大統領は軍人出身だった。朴正熙(パク・チョンヒ)と全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)である。

そして金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)という長老政治家の時代を経て、進歩派の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権になって日韓関係が大きく悪化し始め、文政権でさらに悪くなったイメージが強い。

 だが実際には、保守派の李明博大統領が竹島上陸で日韓関係をそれまでにないほど悪化させ、後任の朴槿恵大統領も他国で日本を批判する「告げ口外交」をしているとして反発を買った。

大統領選の結果次第で文在寅政権から何かが大きく変わるというのは「行き過ぎた期待」かもしれない

 つまり「保守だから」「進歩だから」というのは当たらないのである。

もちろん「韓国そのものが反日国家だから」というのではない。

冷戦終結による国際環境の変化に加え、韓国の民主化と経済成長、バブル崩壊後の日本の相対的な国力低下という構造的要因が背景にある。

結果として日韓ともども相手国との関係を重要視しなくなり、関係悪化に歯止めがかからなくなった。


 保守派が韓国社会の主流だった冷戦時代には、安全保障上の問題として日韓関係を管理する必要性が双方に共有されていた。

そうした状況が大きく変わったのにも関わらず、互いに適切な対応ができていないのである。

 ただ実際には、両国の関係悪化は互いに不利益をもたらすだけであり、機会損失は計り知れない。それぞれの国益や外交的狙いに違いがあるのは当然だが、感情的な対立からは抜け出さなければいけない。そのためには現実を直視して、地道に対応策を取っていく必要がある。
 指導者の個性は、現状を冷静にとらえるための雰囲気を作れるかという点では、大きな要素であるといえる。それでも、大統領選の結果次第で何かが大きく変わると考えるのは「行き過ぎた期待」である。

澤田克己(さわだ・かつみ)

毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数
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韓国社会を席巻した左翼勢力の実態

2023-01-22 16:50:39 | 日記
韓国社会を席巻した左翼勢力の実態
洪 熒 元桜美林大学客員教授
著者プロフィール
2014年1月10日2020年7月31日
平和外交・安全保障

 日本では「韓国は建国以来反日教育をしてきた結果,現在のような反日国家となった」とよく言われる。また日本でよく聞かれる質問に,「韓国は反共国家だったのに,どうして左翼が支配する国になったのか?」というのがある。
 実は,理念戦争のレベルで言えば,今の韓国は,国家中枢部に左翼勢力が浸透するのを防ぐ段階ではなく,左翼勢力が完全に占領していた国家機関をどのよう奪還するのかという段階にある。
 日本で金大中・盧武鉉政権は,「親北政権」といわれているが,“親北”どころではなく完全に北朝鮮のために尽くした政権=「従北」政権であった。そのような勢力が韓国を10年間も統治して,韓国の国家基幹組織(軍,警察,司法,行政など)に「従北」思想に染まった人を配置してきた。更に言えば,その10年間を通して「国家的反逆体制が完成」したのである。
 盧武鉉大統領が首都移転計画を発表した時に,「支配階層を変えるために首都を移転する」と言った。「支配階層を変える」とは,まさに「革命」である。このような政権が10年も続いたのに,韓国が赤化されなかったのはむしろ「奇跡」としか言いようがない。
 朴槿恵政権においても,未だに前政権時代の左翼思想の持ち主が長官など主要な地位にある事実を知って欲しいと思う。左翼政権を終息させた選挙革命によって誕生した李明博政権が,本当は法治の正常化に取り組むべきだったのにそうしなかったために,その“残滓”が現政権を悩ませているのだ。
  従北勢力は,「文化大革命」時の紅衛兵のようなものだ。もし12年末の大統領選挙で文在寅候補が大統領に当選していたら,今頃どうなっていたか。“21世紀の紅衛兵”文在寅は,おそらく,(北朝鮮の主張と同じ)「南北連邦制」を既に宣言していたに違いない。
韓国にはびこる(左翼)従北勢力
 韓国にはびこる左翼「従北」勢力の深刻さは、普通の行政機関ではなく,国家の物理的権力を司る中枢機関にまで奥深くしっかりと根を下ろしている点である。
 軍について見てみると,金大中・盧武鉉大統領は軍事的専門性や自由民主主義の国家観よりも使いやすい人物らを昇進させた。将官だけでなく佐官クラスまで政権に忠誠する人物を昇進させた。先日,韓国軍のある幹部(将軍)が来日したとき会って話をしたが,彼は「韓国は韓米同盟より中国と親しくしなければならない」という。もちろん,軍幹部の中に正常な人もいるが,現状を見れば相当の教育が必要なことは確かだ。
 韓国には「大韓民国在郷軍人会」という組織(1952年創設,63年に法律に基づき法人化された)があるが,従北勢力はこれに対抗する「平和在郷軍人会」という任意団体を作って,「連邦制」を支持する運動など反国家的な活動を展開している。「国家的反逆体制が完成」したと言ったのは,このように民間組織まで左翼勢力が支配しているからである。
 韓国では大統領が任期を終えて辞める時に,在任中のあらゆる公的記録を国家記録院に移管することになっている。しかし盧武鉉大統領は,移管すべき資料の十分の一ほどしか移管せず,残りは破棄したか自分に家に持って行ってしまった。しかも,盧武鉉政府の大統領府がコピーした資料の大半が行方が分からないのだ。危機管理の次元では,それらの資料は敵‐北に渡った状況も覚悟せねばならない。あの政権の中枢には北の対南工作に連累した従北勢力が多数布陣していたからだ。
 裁判所に申請した検察の捜査令状もそのまま従北勢力に漏れてしまう。13年9月に蔡東旭検察総長が辞任した。蔡検察総長は,「隠し子」疑惑で民主党に弱みを握られ,民主党に有利に検察組織を指揮した。つまり、彼は朴槿恵大統領によって任命されたのに,任命者に反抗する行動をとったのである。今も蔡検察総長の残党が検察の正常化に抵抗している。国を正常化するための最大の障碍要素が法曹であるわけだ。そのほか,選挙管理委員会などを左翼勢力が押さえている。
 国会議員を見てみよう。13年9月に李石基議員が国会の同意で内乱陰謀容疑で逮捕されたとき,逮捕動議案に反対票を投じた議員が31人いた。韓国国会議員の定員は300人だから,(欠員や投票時の欠席者も考慮すると)少なくとも1割以上の議員が李石基議員に与する立場にあると言える。そして野党はもちろん,与党のセヌリ党議員の大半は、従北勢力の反逆や暴力行為を見ても立ち上がらない。彼らは自分の“(値段の高い)背広が破れる”のを恐れて体を張って戦わない。そのような議員が少なくとも3分の2を占めている。
 また,メディア全体を見れば,90%が左翼に牛じられているといっても過言でない。2011年に「朝鮮日報」「東亜日報」など4つの新聞社系テレビ局が開局したが(CATVなどに番組を供給する放送局),それまでの地上波(テレビ・ラジオ)は完全に左翼勢力に握られていた。
  李明博政権初期に,李明博大統領を“植物大統領”にしてしまった狂牛病問題に伴う米国産牛肉輸入反対デモやロウソク集会では,一方的にそれを捏造し扇動したのがテレビや新聞などマスコミだった。後で科学的根拠がまったくなかったことが明らかになったのだが,メディアはそのことには一切反省せず触れていない。仮に、日本ですべてのテレビ局が一斉に同じ論調のメッセージを発信し続けたら日本社会はどうなるのかを想像してみてほしい。
北と南で生まれた「空白」の世代
 過去30~40年の間に,韓半島の北と南では重大な世代的「空白」が生じている。
 まず北の住民の「小人化」についてみてみる。最近,韓国で「北韓住民が人種的に小人化した」という趣旨の博士論文が2本出された。
 どの国でも軍隊に入隊する前に身体検査を行い,ある一定の身長以下の人間は入隊免除となる。北朝鮮では今年その基準が143センチだったという。日本で言えば小学校5-6年生くらいの身長だ。
 独裁体制が人間の忠誠心を最大に引き出すために,食糧でコントロールするならばどれほどの供給でそれが可能か。だいたい人間に必要なエネルギーの8割を供給すれば,普通の人間は無条件に服従するという。これを7割以下に下げると,人間が死ぬか,あるいは生き残るため新しい環境に適応して体が小さくなるという。いま北でこれが起きているのだ。
 北朝鮮で慢性的な食糧難が起き始めたのが1970年代からで,そして1990年代「苦難の行進」という時期があった。当時人口の15%くらいが餓死するような過酷な環境の中で生まれた子供たちがまさに今軍隊に入る時期を迎えたわけだが,40年間の栄養の欠乏で“小人”化が進んだのだ。60年前には南と北は同じ体格だったのに,わずか2世代を経て15センチ以上の差が生じてしまった。
 韓国にきた脱北者の“小人”化した子供は,いくらよい食事を与えても身長が伸びないという。中国朝鮮族と中国人の間から生まれた子供は,よい食事を与えると背が伸びるが,北の場合はそうならないという。
 一方,韓国では,いま主に30代から50代までの世代に一種の“精神的な空白”が見られる。つまり「悪」との戦いで精神的におかされた世代であり,左翼思想に汚染されて“精神的に小人化”したのである。本当に嘆かわしく恐ろしいことだ。
 ここ二十年間あまり,韓国のほぼ全家庭で“内戦”が繰り広げられた。とくに選挙期間になると,親と子供の間で“内戦”が見られた。無条件に金大中・盧武鉉など閉鎖的民族主義を支持する子供と,そうではない親たちの間の熾烈な戦いだった。
 韓国では,左翼の組織活動を「意識化学習」という。とくに大学に入学するとすぐに,新入生たちは左翼(主思派など)先輩によって意識化学習に参加させられた。そこでは「お前らの親は保守反動のどうしようもないやつだ」と教え込まれる。今では,全教組(全国教職員労働組合)の教師によって,中学・高校でこれが行なわれている。
  韓国の“精神的に小人化”した世代や人々をどう治すべきか,これは韓国の主流世代の大きな悩みである。
戦争中の韓国
 韓国では13年10月に,政府が憲法裁判所に統合進歩党解散審判の請求を提出して,憲政史上初めての政党解散問題で揺れている。実はこの問題は今に始まったことではなく,かつては民主労働党,今は統合進歩党だが,それらの党綱領などが憲法の規定する自由民主主義という民主的な基本秩序に背いているとして,私たちが署名しただけでも少なくとも4回,同様の政党解散請求をするよう政府に請願してきた。
 韓国の国家保安法には,「反国家団体」の規定がある。北韓政権や朝総連・韓統連(在日韓国民主統一連合)などは反国家団体であり,統合進歩党も同様だ。ところが,反国家団体と判示されても、法律に反国家団体あるいは利敵団体に対して解散措置をとる法的根拠がないために何もできなかった。もちろん個人は国家保安法によって逮捕できるのだが,法的不備で反国家組織は手をつけられなかった。
 13年9月に(従北勢力である)李石基議員が起訴され裁判が始まったが,彼に指揮されたRO(革命組織)メンバーが130人ほどいた。韓国の人口5000万人の中で130人の「ウィルス」は大したことはないと考える人もいるかもしれない。しかし,考えてみてほしい。9.11事件は,アルカーイダの19人が旅客機をハイジャックして起こした戦慄すべきテロだった。仮に、130人の「ウィルス」が東京で一斉に国家中枢部を狙ったテロを起こしたらどうなるか。現代人はメディアを通して大きな事件や大きな数字があふれる情報に毎日接し続けているために,こうした数字には感覚が麻痺してしまっているようだ。
 昔の戦争は,戦場で大将同士が一騎打ちで勝負を決める,あるいは王を捕虜にするなどによって決着がついた。しかし,20世紀の大戦争は「総力戦」となり,相手の戦争能力と抗戦意志を破壊することが目標となった。
 東西冷戦もそうだった。米国が冷戦でソ連に勝利したのは,トルーマンからレーガンまでの40年間を通じて効果的にソ連の戦争能力と意志を制圧したためだった。とくに意志をくじいた。さまざまな工作によって,ソ連の若者たちが「もう共産主義は嫌だ。欧米式の生活がしたい」というように考えが変わり,共産全体主義独裁が崩れてしまった。もちろん,ソ連と中国も日本など自由世界に対して政治心理戦工作を展開したが,日本人の多くはそれに気がつかなかった。
 とくに「総力戦」においては,人間の意志と感情を支配しようとする“悪魔の戦い”が冷戦として熾烈に繰り広げられた。戦いはその本質が分からないと負けるのが当然だ。韓国では左翼政権のとき国家機関を敵が掌握したため,この戦いに対して普通の対応では自由民主体制を取り戻すのは不可能だ。
  日本人の拉致問題もよく考えてみると,人間の尊厳を虫けらのように考えた北朝鮮の日本に対する戦争である。それに対して証拠があれば刑事裁判にかけて処罰するというやり方で,対応ができるのだろうか。戦争状態にありながら,その解決を刑事事件として警察に任せるようでは絶対勝てない。いまも南・北は戦争中であり,左翼勢力がいまだ韓国社会のあらゆる分野で既得権勢力である。ゆえに「国家正常化」が緊急の課題だ。
長すぎた戦争と長すぎた平和
 韓国はなぜ左傾化してしまったのか。これについては,「ストックホルム・シンドローム」と「自己免疫」という言葉で説明できると思う。
<ストックホルム・シンドローム>
  例えば,誘拐された人は,長時間恐怖の中で監禁され続けると,自分を拉致し虐待する犯人に依存し一種のシンパシーを抱くようになる。人間は正常でない状況に長く置かれるとそれがまるで“正常”であるかのように考えるようになってしまう。
<自己免疫>
  からだの免疫体系が異常を起こすと,外からの異物ではなく,自らの正常細胞を異物と間違って攻撃するようになる。これは遺伝子次元の治療が必要だ。
 戦争状態が長く続くと,同様の現象が起きてくるし,また平和が長く続いても逆のことが起きる。これを日韓に当てはめてみると,「長すぎた戦争(韓国)と長すぎた平和(日本)」と言えよう。日韓両国とも,戦後70年近くの期間を戦争/平和の状態に置かれ続けたために,正常な感覚や判断ができず,逆のことを平気で行なうおかしな社会になってしまったのである。
 イスラエルでは1948年の建国宣言の翌日、アラブの攻撃で戦争が始まったが,韓国では1948年の建国前から戦争が始まった。憲法制定のための制憲議員選挙を妨害する暴動が,モスクワの命令で起きた。その後,1950年に全面南侵戦争が勃発し、これが冷戦の始まりで、米国はトルーマン大統領からレーガン大統領までの40年以上にわたる冷戦を戦った。だが韓国は,解放直後から戦争が始まり停戦後60年にわたる戦争(冷戦)が続いている。
 米国は冷戦に勝利した後,10年近く世界唯一の覇権国家として“歴史の休日”を楽しんだ。そこに9.11が起きた。米国が“歴史の休日”を楽しんでいる間に,一般の韓国人は「冷戦は終わった」と錯覚してしまった。米国が「(東西)冷戦が終わった」と宣言したことで,韓国は「冷戦が終わったから反共は要らない」と考えてしまったのである。これが韓国の第6共和国(1988年~)の左傾化が加速化するきっかけとなった。
 ソウル・オリンピック(1988年)を成功裏に開催した韓国は,これで一人前の国家になったと自信を持つと同時に,冷戦が終わったので「金日成王朝」は放っておいても自然に崩壊していくと考えた。スポーツ競技で,まだ競技中なのに競技が終わったと錯覚したようなものだ。
 以上からわかるように,韓国は金大中と盧武鉉時代に敵(左翼勢力)に完全に占領されてしまったわけで,いまそれを奪還して国家を正常化しようようとしているところなのである。ところが日本のメディアは,そういう事情を取材も報道もせず現実と懸離れた「反日」を探し回っている。韓国はいま左傾化を克服する戦いをしているのに,日本ではますます悪くなりつつあると見ている。このような認識のギャップがあることを指摘したい。
 国家正常化の例を挙げよう。2013年10月24日,金大中政権のときに法的に認知された労働組合であった全教組(韓国における事実上最強の革命政党の性格をもつ教職員組合)に対して,韓国政府(雇用労働部)は「法的労働組合として認めない」との決定(法外労組化)を下した。金大中政権が合法的な労組の資格を与えてから実に14年ぶりのことである。これによって今後,教育現場で全教祖の支配が終わることが期待される。
  こうみると,朴槿恵大統領は女性として華奢に見えるが,肝心な部分はちゃんとやっていることの証である。本当は,李明博政権がこれをやるべきだったのに,左翼・従北勢力におじけづいて何もやれなかった。
韓国が建国過程で左傾化しなかった理由
 20世紀世界の左傾化(左翼・社会主義政権誕生)を考えてみると,大きく二つの流れがある。一つは,共産主義思想に染まった先進国の知識人を発信源として途上国に輸出されたものである。
 20世紀の欧米知識人社会をみると,共産主義思想に染まった人が少なくなく,彼らによってさまざまな問題が引き起こされた。彼らは伝統的価値を破壊し新しい概念を持ち出して社会を混乱に陥れた。そのような風潮の先進国に留学した途上国の知識人や高位層の人々がその強い影響を受けた。つまり途上国の左傾化は,先進国がもたらしたと言っても過言ではない。
 もう一つは,共産独裁の始祖だったソ連が「赤化革命」を世界に輸出し,特に植民地からの独立した国々を社会主義に導いたことである。これが20世紀の左傾化の歴史だった。
 戦後独立した途上国の多くが社会主義体制を選択した。新生国家の中で,自由民主主義を選択した国は非常に少ない。そもそも植民地の遺産として残された国は,(共産圏の宗主国ソ連の支援によって)多くが社会主義体制からスタートした。その中で,米国と同盟を結んだ国(台湾,韓国,イスラエルなど)が資源も乏しく安保でも厳しい環境の中から成功の道を歩むことができた。
 韓国が1948年に自由民主主義に立脚する共和国になったのは,歴史の奇跡と言える。韓半島に進駐した米軍政が行なった調査によると,成人人口の四分の三が文字は読めず,ソウル市民の70%が社会主義を支持していたという。そのような中で自由民主主義体制が果たして根を下ろせるのか。
 ところが奇跡的に成功した。これは一言でいえば,李承晩の功績だった。彼は民族主義への傾倒を警戒し,共産主義と戦うためには韓国をキリスト教国家にするしかないと考えていた。また彼は米国の大統領などとも交流してきた最高の知性人だった。日本では反日の代表者のように思われて評判がよくないが,彼がいなかったら戦後日本が大陸の共産勢力から守られただろうかと思わざるを得ない。
 韓国の近代化過程を見ると,20世紀初めに韓半島に日本のシステムが移植された(植民地化)。その35年後,今度は米国のシステムが移植された。システムの移植は非常に難しい作業だが,この先進海洋文明の移植を成功させたのが李承晩だった。アジア大陸で唯一成功したと言っても過言ではない。
 アジア大陸で自由民主主義制度が本格的に根を下ろした国があるだろうか。例えば,トルコはイスラーム文明圏で唯一21世紀において先進国になる可能性のある国だと思っていた。トルコが共和制を宣布したのが90年前だが(1923年),いまだ自由民主主義体制になったとはいえないばかりか,最近ではイスラームへの回帰など後退現象すら見られる。
 ところで,20世紀の歴史を変えた三つの戦争とは何か。第一次世界大戦,第二次世界大戦,韓国戦争といわれる。これは東西冷戦が崩壊した後,旧ソ連の秘密文書がたくさん公開されてわかったことだ。
 韓国戦争はスターリンの大戦略‐陰謀だった。スターリンは,米中が手を結ぶのを非常に恐れ,米中を戦わす壮大な謀略をしかけた。それが韓国戦争だった。韓国戦争勃発当時(1950年),韓国を支援した国が67カ国(当時の独立国家は93カ国)だった。
 中国は北朝鮮を支援することによって米国を敵にし,西側諸国をも敵に回すことになった。つまり韓国戦争が,東西冷戦の本格的開幕だった。世界の覇権をかけた40年間の壮大な冷戦が,韓国戦争をきっかけに始まったのだ。韓米同盟ががんばり,自由民主主義体制の砦として生き残ったことで,ソ連と東欧が消滅した。
 日本が韓半島を植民地化した35年(あるいは40年)間に日本が投資して残したインフラなど物質的な遺産は,韓国戦争で中共軍が韓半島を侵略して国連軍と戦ったためほとんど破壊されてしまった。ゆえに 1953年に韓国戦争が停戦したとき,韓国は日本の植民地化の前の状態(19世紀末)に戻ったことになる。そして1953年韓米同盟を結び,35年後にソウル・オリンピックを開くまでに発展した。
 韓国は1948年の建国から今年で65年を迎えた。この間,第1共和国~第5共和国までの40年間,韓国は反共民主主義国家だった。それは韓国が“島国”だったからだ。1948年からソウル・オリンピックまで,韓国は完璧な“島国”だった。韓国の何千年の歴史上,中国の影響から切り離され,大陸から断たされたのはこのわずか40数年間だった。海洋文明とだけ交流して40年。韓国は,沙漠で僅かな時間に降る雨をいちずに待つ植物のように,海洋文明に出会うために何千年もの間待っていたかに見える。
 ここで「人類歴史上の20K-50Mクラブ」(一人当たりGDP2万ドル以上で人口5000万人以上の国)について見てみたい。
 韓国以外の国は,20世紀中に2万ドルを達成した。歴史的に覇権国家だったか覇権に挑戦した国々、植民地を経験した国々だ。韓国は侵略され植民地化された,戦争もしなかった国だ。
 人類歴史上,人口5千万以上の大国で2万ドルを最初に達成した国が非キリスト文明圏の日本で,最後に入ったのも非ヨーロッパ文明の韓国だ。今の世界を見渡しても,人口5000万以上の国で一人当たりGDP2万ドルを超える国はしばらくは出現しないと思われる。
  もちろん人口の少ない国は可能だが,そのような国は人口や産業基盤などの制約で大国にはなれない。中国はいつそうなるか見通しはない。まさにこの事実は,韓国が海洋文明と密接にかかわることによって実現したことを物語っている。
左翼の陣地
 すでに述べたように,金大中・盧武鉉政権の10年間は,韓国版「文化大革命」の時代であった。韓国における左翼は,「主体思想」(主体思想派)や「従北勢力」とよばれる。彼らは,イタリアのアントニオ・グラムシ(マルクス主義思想家)の提唱した「文化ヘゲモニー」あるいは「文化陣地」という戦略をもっとも忠実に実行し成功したのである。
 そして彼らは,①韓国の内部崩壊,②韓日関係の破綻を狙っている。さらに北朝鮮が危なくなった近年には,中国に付こうとして「従中勢力」となり,韓国の大陸国家化をも企図している。
 ところで,戦争(熱戦と冷戦)に勝つためにはいろんな要素が必要だが,重要なのが司令塔(司令部)で,これなしには戦争を遂行し勝利に導くことはできない。東西冷戦時代に,自由主義陣営が政治謀略戦でなぜ共産主義陣営にやられてしまったのかを考えてみると,共産主義陣営にはたとえ未熟でも司令部があって総合的に工作していた。ゆえに限られた資源しかなくても,それを集中的に投入して成果を挙げられる。
 一方,自由主義陣営は,体制の価値がいくら優れていても司令塔がなくてばらばらに戦っている始末だ。これは,「ライオンが率いるヒツジの群れ」と「ヒツジが率いるライオンの群れ」が戦った場合,どちらが勝つか,という譬えに表現できる。
 韓国はなぜ左傾化したのか。左翼はあらゆる分野で陣地を構築し司令部を中心とする総力戦で戦った。第1~第5共和国までは韓国政府が国運をかけて共産主義・主体思想と戦った。ところが,「民主化」されて国がその司令塔の役割を果たせなくなった途端,あっという間に共産主義にやられてしまった。「民主化」勢力の主力は元々自由民主主義者たちでなかったのだ。無菌室に菌が入ったら,あっという間にやられてしまうのは当然だろう。これが第1~5共和国と第6共和国の決定的な違いである。
 東西冷戦時代の韓国は,海洋文明の海洋同盟に属して徹底的に「島国」だったために成功して,自由民主主義体制を守り通すことができた。しかしその守りを解除した瞬間から,堰を切ったように左翼思想に侵略されてしまったのがこの25年間(第6共和国)だった。この最悪の時期が金大中・盧武鉉政権の10年間だった。
 第6共和国の左傾化は歴史の過渡期と言うべきかも知れない。ただ、今後も韓国が太平洋の中の島国であり続けることはできない。いまは韓国が真の自由民主主義国家になる過程だと思う。これを左翼勢力が大陸・中国に引っ張ろうとしているため,頭が痛いのである。
 13年9月にソウルで開催された学術シンポジウムで,公安関連研究機関の専門家が「北の3号庁舎(対南工作担当)の中には,秘密の南朝鮮革命資料館がある。そこには南朝鮮(韓国)を革命工作した英雄たちの資料が展示されているが,そこに金大中が入っていた」と語った。
 更に言えば,左翼(共産主義)の隠れ蓑・宿主が,表に出てその10年間を先導した。大学界では,聖公会大学などが北のスパイなど左翼勢力の巣窟だった。そのほかいくつかの大学が(北の)革命の陣地となっていた。
 左翼政権への道を開いた点から言えば,金泳三大統領が第一の戦犯だ。彼は自分が何をしたのかが未だ分かっていない。クリントン大統領が北の核施設を破壊しようとしたとき金泳三が反対して、北核を除去できたチャンスを失った。金泳三は武力を使用したら数万人が死ぬという理由で反対したのだが,その結果、その後200万人が餓死した。また韓米チームスピリットも中止させた。もしそれをあと何回かやっていたら,北の体制は崩れていた可能性がある。
 また日本では親日派として評価の高い金鐘泌元首相だが,彼のやったこともとんでもないことだった。彼は「保・革連立」と称して,金大中政権に加わり“反逆政権”の成立に一役買ったのである。日本の保革連立は自民党が社会党を利用したが,韓国は逆に金鐘泌(保守)が金大中(左翼)に利用されてしまった。日本ではその結果社会党が消滅したが,韓国では保守系が消滅の憂き目にあったのである。
 “悪”と戦うためには,善・正義であることだけでは不十分で,強くなければならない。韓国の保守勢力は今,国家の主要機関に巣食う左翼勢力をいかに無力化していくかに最善の努力を傾けている。韓国が今後も真の繁栄を享受するためには,自由陣営,海洋文明の国としてやっていくことが重要であることは,20世紀の韓国の歴史が証明している。
  そのためにも朴槿恵大統領が韓国に巣食う左翼勢力の排除にさらに努力してくれることを願うと同時に,それが日韓関係改善にも寄与すると確信する。それはまた韓国のみならず,日本,米国など自由陣営にとっても計り知れない利益をもたらされると思う。
(2013年10月25日,平和政策研究所主催「政策懇話会」における発題内容を整理)

連合艦隊最後の成功した作戦「北号作戦」

2023-01-22 15:43:25 | 日記
連合艦隊最後の成功した作戦「北号作戦」とは

2014年12月11日2015年7月10日

1945年になると、連合艦隊の艦船の大半は、活動に支障をきたすようになっていました。

それぞれの艦船に被害があったわけではなく、単純に「燃料」がなかったのが、その原因。

既に日本本土にあるタンクには、ほとんど艦船用の重油は残っておらず、出撃するにも支障をきたすありさま。

むしろ来たる本土決戦のために、航空機の燃料だけは必死に確保しなくてはならないと、陸海軍で数少ない燃料の在庫を巡って喧嘩をする始末。

それでいて、軍需物資の輸送にあたる民間の船舶は、すでに多くの船が沈められており、重要であった南方からの重油も、数少なくなったタンカーが沈められる一方では、日本本土に届くことはなく、すでに日本は戦争を継続する能力を失っている状態と言えたのです

それでも大本営は、戦争を続けるためのさまざまな「あの手この手」を考え出し、ついに連合艦隊に対して「北号作戦」の実施を命じることとなったのです。

そもそも北号作戦は1945年2月10日から20日にかけて行われた日本軍の輸送作戦であり、日本海軍の歴史において、事実上最後の成功を収めた作戦と言えるのです。

「あの手この手」のはずが、最後に日本海軍の伝統を守るかのような成功を収めることになるとは、誰も考えていなかったこの作戦、その詳細はどのような内容だったのでしょう。

北号作戦は、日本本土に運ぶことができなかった軍需物資を、残された連合艦隊の軍艦を使って輸送するという作戦です。

軍艦が輸送船とは何とも情けない話ですが、民間の輸送船はこの時何をしていたかというと、護衛艦などの護衛を受けて日本に向けて航海をしていても、アメリカ軍の潜水艦や飛行機の攻撃を受け、沈められる一方だったのです。

護衛艦と言っても、旧式の巡洋艦や急造の駆逐艦、スピードのあまり出ない航空母艦であって、輸送船よりも先に沈められる有様だったのです。

つまり、日本本土に軍需物資を輸送したくても、どんどん沈められるのであれば、敵の攻撃に対して反撃ができる軍艦を使えば、安全に軍需物資が運べるだろうと考えたのが、この「北号作戦」のきっかけだったのです。

実際、北号作戦の半月前に、南シナ海経由で日本本土をめざしたヒ86船団は、アメリカの海軍機動部隊によって、幾度となく攻撃を受けた結果、ほぼ全滅してしまったのです。

そのため軍艦を使う「北号作戦」であったとしても、アメリカ軍からあらゆる手段で攻撃を受ける可能性があり、最悪の場合は部隊の全滅も覚悟されていたほどの作戦でした。

ちなみにこの時、民間船舶を使った半ば特攻的な資源輸送作戦が行われており、これらの作戦は「南号作戦」と呼ばれていました。
つまり「北号作戦」は、「南号作戦」と対になるように命名された作戦だったのです。

こうして、シンガポールに在泊していた艦船が北号作戦に選ばれ、いざ日本本土へ向かうこととなりました。

かつて第四航空戦隊に所属していた航空戦艦「日向」と「伊勢」、それに軽巡洋艦「大淀」、第二水雷戦隊の駆逐艦「朝霜」、「初霜」、「霞」が艦隊を編成し、旗艦は第四航空戦隊旗艦「日向」となりました。

第四航空戦隊の指揮官であった松田千秋少将が指揮をとり、松田少将はこの部隊を「完部隊」と命名しました。

「任務を完遂する」という意味を込めて「完」と名付けたのです。

レイテ沖海戦での敗北の後、残された艦艇はシンガポールと日本本土にそれぞれ集約されました。

燃料の豊富なブルネイ泊地に停泊していればよかったのですが、既にブルネイ泊地も安全な場所ではなく、アメリカ軍機の空襲を受けるようになったことで、残された艦艇は分散して退避したのです。

日本本土には戦艦「大和」「長門」などが、シンガポールには「伊勢」「日向」「高雄」「大淀」などが待機することになりました。

また、移動中に戦艦「金剛」などが台湾海峡で沈められるなどした結果、分散してかつ数を減らした連合艦隊は、すでに組織的な作戦能力を失っていたのです。

そんなシンガポールに残されていた「完」部隊の艦艇は、これを機に日本本土での本土決戦に備えて、日本本土へ回航するタイミングを計っていたのです。

そのタイミングで「軍需物資を運んでくる」という作戦が命じられたわけなのです。

なんだか「ついで」のような作戦でもあり、おまけに軍艦としての目的ではなく「輸送船」としての役割を強いられたこれらの艦艇、それでも連合艦隊として誇りを持ったこれらの艦艇の乗務員は、急いで準備を整え、日本に向けて出発したのです。

北号作戦において、重要視された軍需物資。シンガポールで積み込まれたのは、航空燃料用のガソリン・生ゴム・錫など、当時としては稀少な物資を積み込んだのです。

航空戦艦に改造されていた状態であったものの、結局艦載機がなかった「日向」や「伊勢」は、その飛行機格納庫がちょうどいい軍需物資の倉庫となりました。

伊勢と日向は、ミッドウェー海戦の結果失われた空母部隊の補充を行うべく、その一環として後部の砲塔を撤去し、カタパルト式の航空甲板を設け、艦上爆撃機「彗星」を搭載することとされ、航空戦艦と呼ばれていました。

しかし、結局は搭載する艦載機が積み込まれることはなく、広大なスペースがただ残っている有様だったのです。もちろん、伊勢や日向以外の艦であっても、とにかく積み込めるスペースに軍需物資を積み込むこととされました。

甲板上にまで可燃性の高いガソリンが入っているドラム缶が搭載された、攻撃で被弾すればそれらが爆発する、極めて危険な状態となったのです。

結局日向と伊勢には航空揮発油ドラム缶5000個、航空機揮発油タンク内100トン、普通揮発油ドラム缶330個、ゴム520トン、錫820トン、タングステン50トン、水銀30トン、輸送人員約500名が積み込まれ、次に大きい軽巡洋艦「大淀」は、輸送人員159名、ゴム50トン、錫120トン、亜鉛40トン、タングステン20トン、水銀20トン、航空揮発油ドラム缶86個、航空機揮発油タンク内70トンの積み荷などが積み込まれました。

大淀も水上機用格納庫があり、その部分が軍需物資の倉庫として活用されたのです。

準備を整えた完部隊は、昭和20年2月10日にシンガポールを出航し、燃料を少しでも節約するために速力を16ノットに抑えながら、アメリカ軍の目を欺くかのような針路をとりつつ、日本に向けて進みました。

この頃、フィリピンでの戦闘はすでにルソン島にアメリカ軍が上陸し、フィリピンからはアメリカ軍の航空機が、南シナ海を縦横無尽に飛び回れる状態になっていました。

一方で日本軍には既に航空戦力はなく、完部隊に対して護衛戦闘機や哨戒機などの支援は望めない状況だったのです。

そんな中、完部隊はフィリピンのマニラ方面に突入すると見せかけたのち、北上して日本本土へ、向かう進路をとりました。アメリカ軍は作戦を暗号解読で察知して、艦隊に攻撃を仕掛けてきました。

フィリピンからアメリカ陸軍航空機による空襲を行い、また3隻の潜水艦による攻撃を繰り返し行いました。

空襲の際には、発生していたスコールに隠れて攻撃を回避するなど、あの手この手で攻撃を回避し、1945年2月20日にすべての艦艇が無傷で呉軍港に到着したのです。

連合艦隊司令部では「半数戻ってくれば上出来」と予測していたところへ、全艦無事に帰還したことを知り、狂喜乱舞したとの記録が残っています。

この作戦は、連合国軍にとっても意表を突かれたこともあり、この作戦の詳細を、戦後詳細まで調べようとしました。

指揮官だった松田少将が当時のアメリカ海軍関係者に尋ねた時には、「あれはすっかりやられた」という答えが返ってきたほどの、完璧な作戦だったのです。まさに「連合艦隊として最後に成功した作戦」となったのです。

ちなみに、この時に物資として運び込むことができた量は、中型貨物船1隻分に過ぎなかったとされています。

そしてこれが、外洋から運び込まれた最後の軍需物資となり、その後5カ月間、最後の一矢を報いようと日本軍は戦闘を継続していくこととなります。
 

人口減少が始まった中国、2050年には「独居老人1億人」の社会を迎えているかもしれない

2023-01-22 12:27:19 | 日記
人口減少が始まった中国、2050年には「独居老人1億人」の社会を迎えているかもしれない

1/22(日) 8:03配信


 ついに中国の人口が減少に転じた。  世界中の国々がこの「巨像」の動向を注視している。
  13億という巨大な人口を抱えるこの国で、今後、どのように人口が減っていくのか。そして、それは中国社会にいったいどのような影響を与えるのか。 

 2018年の段階で中国の人口問題に光を当てていた『未来の中国年表』より一部を抜粋、編集し、この深刻な問題の本質に迫る。 

 以下で焦点を当てるのは、「高齢化」だ。

  同書の著者であり、中国ウォッチャーとして知られ、著書やテレビ出演も多い近藤大介氏は、中国の人口問題をどう見るか。 ----------

 「中国の人口減少の「本当のマズさ」…「超深刻な高齢社会の問題」が「日本の10倍規模」で襲いかかる」 ----------

想像を絶する世界


 実際、中国では、すでに高齢化問題が深刻化になり始めている。

  中国人民大学中国調査データセンターは、2014年5月から11月にかけて、全国28地域で、60歳以上の高齢者1万1511人を対象に、詳細な生活調査を実施。

その結果を、『2014年中国老年社会追求調査』レポートにまとめている。

  調査の一つとして、日常の10項目の行為を、「他人の手を借りずにできる」「一部の助けが必要」「一人ではまったくできない」に3分類した。 

 10項目とは、電話する、櫛で髪をとかす(女性は化粧する)、階段を上下移動する、街中を歩く、公共交通機関に乗る、買い物する、自分の財産を管理する、体重を量る、料理を作る、家事を行うである。

  その結果、10項目とも「他人の手を借りずにできる」と答えた高齢者は、全体の59.22%しかいなかった。

この調査は、男女別、都市農村別の結果も出しているが、農村地域に住む女性高齢者の場合、39.18%しか、10項目すべてに合格しなかったのである。

  これは、全体の4割の高齢者が、何らかの介護を必要としていることを示している。

農村地域の女性高齢者に関しては6割だ。

  前述の『世界人口予測2015年版』によれば、中国の60歳以上の人口は2億915万人なので、大ざっぱに計算して「要介護人口」は、8533万人となる。

 また、2050年の60歳以上の予測人口は4億9802万人なので、これに当てはめると、「要介護人口」は2億75万人となり、実に2億人を超える計算となる。

  日本の厚生労働省の統計データによれば、2017年11月現在で、日本の要介護認定者数は、65歳以上の18.0%にあたる641万9000人である。

2億人と言えば、その31倍(! )にあたる。

  世界最速で高齢社会を迎えている日本人から見ても、中国の高齢化は、想像を絶する世界なのだ。

2049年の中国社会を予測

 それにしても、5億人の老人社会とは、いったいどんな社会だろうか? 

  まず都市部でさえ、街の風景を見渡すと、老人がどこにでも目に付くだろう。

  地下鉄やバスの乗客も、タクシーの運転手も、横断歩道を渡る人も、あちらも老人、こちらも老人だ。 

 乗り物では、シルバーシートという概念すらなくなっているかもしれない。 

 それから、いまの中国では若者たちが中心になっているような施設も、客の中心は老人になっているに違いない。

  映画館に足を運ぶのも老人なら、スポーツジムで汗を流すのも老人だ。 

 中華料理自体も、老人が噛みやすいようにと、柔らかい料理が中心になっているのではないだろうか。

  2049年の時点で、60代の「若い老人たち」は、一人っ子世代なので、贅沢志向が強い。

おそらく未来の中国の青年たちは、いまの日本の「ゆとり世代」や「悟り世代」のように「草食系」になっているだろう。

爆買いの主役も、やはり……


 そのため中国では、「爆買い」の主役も、老人が占めることになるに違いない。

  かつて「空巣青年」と呼ばれた自室でスマホばかりいじっていた青年たちは、「空巣老人」となる。

この人たちは、生活にあまり変化はないのではないか。

  一方、中国の農村部は、一段と過疎化が進むはずだ。

四川省は人間の数よりもパンダの数の方が多くなっているかもしれない。

  だが恐ろしいのは、熊や虎などが人家を襲うケースが増えていくだろうということだ。 

 アメリカを追い越して、世界最強国家として君臨しているのか、それとも……。 

 「2049年の中国」を、ぜひとも見届けたいものだ。

近藤 大介(『週刊現代』特別編集委員)


 ついに中国の人口が減少に転じた。 

 世界中の国々がこの「巨像」の動向を注視している。 

「男子あまり」に苦しむ中国…  

13億という巨大な人口を抱えるこの国で、今後、どのように人口が減っていくのか。

そして、それは中国社会にいったいどのような影響を与えるのか。

  2018年の段階で中国の人口問題に光を当てていた『未来の中国年表』より一部を抜粋、編集し、この深刻な問題の本質に迫る。 

 以下で焦点を当てるのは、「高齢化」だ。

 同書の著者であり、中国ウォッチャーとして知られ、著書やテレビ出演も多い近藤大介氏は、中国の人口問題をどう見るか。

 ---------- 【前編】「中国の人口減少の「本当のマズさ」…「超深刻な高齢社会の問題」が「日本の10倍規模」で襲いかかる」 ----------

想像を絶する世界



 実際、中国では、すでに高齢化問題が深刻化になり始めている。

  中国人民大学中国調査データセンターは、2014年5月から11月にかけて、全国28地域で、60歳以上の高齢者1万1511人を対象に、詳細な生活調査を実施。その結果を、『2014年中国老年社会追求調査』レポートにまとめている。

  調査の一つとして、日常の10項目の行為を、「他人の手を借りずにできる」「一部の助けが必要」「一人ではまったくできない」に3分類した。 

 10項目とは、電話する、櫛で髪をとかす(女性は化粧する)、階段を上下移動する、街中を歩く、公共交通機関に乗る、買い物する、自分の財産を管理する、体重を量る、料理を作る、家事を行うである。  その結果、10項目とも「他人の手を借りずにできる」と答えた高齢者は、全体の59.22%しかいなかった。

この調査は、男女別、都市農村別の結果も出しているが、農村地域に住む女性高齢者の場合、39.18%しか、10項目すべてに合格しなかったのである。 

 これは、全体の4割の高齢者が、何らかの介護を必要としていることを示している。

農村地域の女性高齢者に関しては6割だ。

  前述の『世界人口予測2015年版』によれば、中国の60歳以上の人口は2億915万人なので、大ざっぱに計算して「要介護人口」は、8533万人となる。

  また、2050年の60歳以上の予測人口は4億9802万人なので、これに当てはめると、「要介護人口」は2億75万人となり、実に2億人を超える計算となる。

 日本の厚生労働省の統計データによれば、2017年11月現在で、日本の要介護認定者数は、65歳以上の18.0%にあたる641万9000人である。

2億人と言えば、その31倍(! )にあたる。

  世界最速で高齢社会を迎えている日本人から見ても、中国の高齢化は、想像を絶する世界なのだ。

独居老人1億人の可能性も

 それにもかかわらず、中国では介護保険法が、いまだ施行されていない。

  中国では、独居老人の問題も、年々深刻になってきている。

  同じく『2014年中国老年社会追求調査』によれば、60歳以上の一人暮らしは、全体の9.8%だった。

  うち男性7.44%、女性12.08%で、都市部が9.15%、農村部が10.53%である。

また、独居老人の年齢は、60歳から5歳刻みで見ていくと、80歳から84歳が19.85%でピークだった。

  すなわち、平均寿命が長い女性の方が一人暮らしが多く、生産年齢人口(15歳~64歳)が都市部へ出稼ぎに出てしまう農村部の方が、一人暮らしが多いということだ。

  中国民政部発行の『2014年社会サービス発展統計公報』によれば、2014年末時点での60歳以上の人口は、2億1242万人である。

  そのうち9.8%が一人暮らしということは、単純計算で2081万人。2014年の時点で、日本の総人口の6分の1にあたる2000万人もの一人暮らし高齢者がいることになる

  これが2050年になると、60歳以上の一人暮らしは、4821万人となる。

だが、これは単純に、2014年の一人暮らしの割合を当てはめたにすぎない。

  「一人っ子世代」の親の世代が高齢化を迎える2050年には、2014年に較べて、はるかに多くの独居老人が発生していることが見込まれる。その数は1億人を超えていることも、十分考えられるのである。  彼らの相手をしているのは「AI家政婦」だけだろう。

「高齢化ビジネス」輸出のチャンス

 2050年頃に、60歳以上の人口が5億人に達する中国は、大きな困難を強いられることは間違いない。 

 製造業やサービス業の人手不足、税収不足、投資不足……。

それらはまさに、現在の日本が直面している問題だ。

 経済統計学が専門の陳暁毅広西財経学院副教授は、『人口年齢構造の変動が市民の消費に与える影響の研究』(中国社会科学出版社刊、2017年)で、今後、中国が持続的な経済発展をしていくには、「老年市場」を開拓していくしかないと結論づけている。

  それは、以下のようなものだ。 

 ・老年日用品市場……食品、ファッション、家庭日用品、保健品、補助医療設備など 
・老年サービス市場……家事サービス、衛生保健サービス、医療サービスなど 
・老年不動産市場……老年マンション、老人ホームなど 
・老年娯楽市場……老年用玩具、文化用品、旅行など 
・老年金融保険市場……投資サービス、医療保険サービスなど 
・老年就業市場……老人の再就業の奨励 ・老年教育市場……老年大学、老年趣味教室、老年の職業訓練など ・老年特殊市場……結婚相談所、同伴サービスなど  要は、いまの日本で行われていることと、よく似たことだ。 

 その意味では、日本国内で高齢化ビジネスの蓄積を持つ日本企業は、今後新たに中国市場に進出していくチャンスが多いとも言える。

2049年の中国社会を予測



近藤 大介(『週刊現代』特別編集委員)

北朝鮮の食料不足、1990年代の「苦難の行軍」以来最悪

2023-01-22 11:55:29 | 日記
北朝鮮の食料不足、1990年代の「苦難の行軍」以来最悪

Posted January. 21, 2023 09:55,   
Updated January. 21, 2023 09:55

한국어

北朝鮮が、数十万~数百万人の餓死者が発生した1990年代のいわゆる「苦難の行軍」以来の最悪の食糧難に見舞われているとの見方が示された。

米国の北朝鮮分析サイト「38ノース」は19日(現地時間)、北朝鮮の穀物の需要や供給量、食料価格などをもとに分析した結果、穀物の在庫量が最低必要量以下に下がっていると伝えた。最低必要量は、食糧均等配分を前提に社会維持に不可欠な食糧の下限をいう。北朝鮮は、国連食糧農業機関(FAO)基準の最低必要量の80%水準と測定された。

38ノースの分析によると、2021年上半期の北朝鮮のコメ価格は、国際価格比1キロ当たり0.5ドル以上の差を記録した。09年に38ノースが測定を始めて以来、北朝鮮の穀物価格は国際穀物価格を上回っていたが、今回のように大きな差が出たのは異例のこと。北朝鮮の食糧供給網が崩壊したことを意味する信号だと、38ノースは明らかにした。

北朝鮮の食料価格は、新型コロナウイルスの感染拡大で中朝国境を閉鎖した20年1月、そして紙幣を刷る紙とインクの不足で貨幣代用証書を発行した21年秋に急騰した。特に、トウモロコシの価格がコメよりも大幅に上昇した。主食のコメが不足し、代替作物に依存するほかない状況が原因のようだと、38ノースは説明した。

38ノースは、数十年にわたる北朝鮮経済の失政に加え、パンデミックやウクライナ戦争などで世界の食料需給事情が不安定になり、より大きな打撃を受けたと分析した。また、中国が最近「ゼロコロナ」政策を撤回したことで世界の食料需要が増えれば、北朝鮮の食料不足の事態はさらに深刻になる可能性があると見通した。