「昨日は、ソウル市内のあちこちで騒ぎとデモがあり、警察の人員の相当数が光化門などに配置され分散されていた」
先月30日正午、韓国の李祥敏(イ・サンミン)行政安全部長官は記者団を前にこう語った。
前日夜に韓国ソウル市の梨泰院(イテウォン)で起きた大惨事への対応を問われてのものだ。事故は幅わずか3.2メートル、長さ40メートル弱の路地に数百人の市民が押し寄せ、身動きが取れないまま多数が圧死した。4日現在、死者は156人、負傷者は187人にのぼる。
この李長官の発言は単なる責任逃れの放言に過ぎず、世論の大きな批判を浴びた。
一方で、「いったいどんなデモが行われているのか」という世論の好奇心を刺激したのも事実だ。折しも筆者は事故当日、このデモを取材していた。当時の様子を写真と共に振り返る。
デモは世宗路十字路から市庁前までの世宗路の片側4車線を封鎖して行われた。10月29日、筆者撮影。◎尹大統領夫妻に反発
この日のデモの正式名称は『金建希特別検察、尹錫悦退陣、第12次ろうそく大行進』というもの。文字通り、尹錫悦大統領夫妻に焦点を合わせている。
金建希(キム・ゴニ)夫人に対してはこれまで、経歴詐称・株価操作への加担・収賄性の後援を受けた疑惑などが提起されている。
この延長線上に最大野党・共に民主党は今年9月、特別検察制度の適用を求める法案を作るとしたが、議決システム上、一人野党「時代転換」の趙廷訓(チョ・ジョンフン)議員が反対したことで霧散した。
なお、特別検察制度とは通常の検察の捜査に公正性を期待できない場合に導入されるもので、韓国では過去、12件の特別法により特別検察による捜査が行われた。
金建希夫人の疑惑の一部について検察は「嫌疑なし」としているが、これに反発してのデモと言える。
上記の趙議員は最新の韓国メディアとのインタビューで、「金建希夫人については特別検察でクロと出ても、その先がない。離婚しろとでも言うのか」と反対する姿勢を示している。
一方で、9月当時のある世論調査によると特別検察の導入に6割近くが賛成する結果が出るなど、この問題は依然くすぶり続けている。
「尹錫悦退陣」とは、そのものズバリだ。大統領の下野を求めるものだが、みずから辞めることは考えられないので、弾劾を見据えた主張と捉えられる。
デモに必要な「グッズ」を売る人々の姿も。韓国のデモに共通するお祭り的な雰囲気もある。10月29日、筆者撮影。◎「ろうそくデモ」と同じやり方
デモはいわゆる「ハネムーン期間」とされ、大統領の職務適応期間である就任100日を過ぎた8月中旬以降、毎週行われている。
主催者は「ろうそく行動」という市民団体の連合体だ。民族系左派団体や労働団体(民主労総など大型労組は加わっていない)などが中心となっている。運営方法も市民からの寄付を基盤に、デモを開くたびに会計を公開するなど、16年の動きと重なる。
参加者は増加傾向をたどる。この日、筆者が主催側の中心人物の一人、アン・ジンゴル共同代表に聞いたところによると「米国での発言以降、参加者は格段に増えた」という。
アン氏は韓国で最も影響力のある市民団体の一つ『参与連帯』の事務処長として、16年の「ろうそくデモ」をけん引した実績がある。
尹氏の米国での発言とは、9月の訪米の際、壇上でのスピーチを終えた尹大統領がカメラの前で発した「国会であの野郎どもが承認しない場合、バイデンは赤っ恥かいちまうんじゃないか?」を指す。
当初、米国議会やバイデン大統領を侮辱する発言として「米韓同盟を損なう」と指摘されたが、後に大統領府は「バイデンではなく『飛んだら』だった」と、似た発音の言葉を聞き違えているという無理な言い訳をして、尹大統領を擁護した。
ただ、その際に「あの野郎たちが」という言葉が「米国の議会」ではなく「韓国の議会」を表すものとして訂正され、これに対し尹大統領は謝罪をしていないことから、尹大統領の国会での演説を最大野党が拒否する事態にまで発展している。
光化門広場でのデモは許可されないため、デモは道路上に長細く陣取る形になる。警察の警備も厳重で、現場では市民の不満の声も聞こえた。10月29日、筆者撮影。◎実際の参加者数は?
一方でアン共同代表はこの日の参加者数を聞く筆者に対し、「先週は30万人、今日は6〜7万人」と述べた。
少し前の話になるが、2016年10月から17年3月にかけて、朴槿惠(パク・クネ)大統領(当時)の退陣を求めるデモには最大で232万人(全国)が参加した。
当時、筆者もデモの全過程を取材した。ソウルだけで100万人を超えるデモの人出というのはすさまじいもので、デモの中心地となった光化門広場から鐘閣(鍾路1街)から周囲の路地まで、足の踏み場もない状況となる。
主催者側は、前週(10月22日)の参加者を「午後6時時点で30〜40万人」としている。一方の警察は22日の参加者を「午後5時時点で1万5000人」としていた。
前週の写真を見ると、29日よりもたくさんの人出があったことは確かだが、30万人なのかは疑問が残る。29日も筆者の目には最大で1万人ほどと映った。
「人数が問題ではない」という前提を排しこの点を論じる場合、16年のような流れを作り出したい主催者側のフライングと指摘できるだろう。
今年4月に新型コロナによる人数規制が解除されて以降、韓国ではふたたびコロナ以前のような大型デモが増える兆しを見せている。
選挙資金疑惑に揺れる最大野党・共に民主党の李在明代表逮捕を求めるデモも行われている。両陣営の市民による「参加人数競争」になることを危惧する警察は、先月29日からデモの参加者数を発表することを止めた。
10月22日のデモの様子。主催者発表の30万人には及ばずとも、かなりの人出であることは確かだ。主催者側提供。
デモではステージや音響が整い、YouTubeで中継もされる。手話通訳もある。10月29日、筆者撮影。◎5日は「梨泰院追悼」
29日のデモは午後5時半から始まり、午後8時前に終わった。そして、梨泰院では午後22時を過ぎて、大惨事が起きた。
前出のアンさんは「デモの当面の目標」を聞く筆者に対し、「あくまで尹錫悦が退陣するまで続ける」とキッパリと述べた。
主催者側は昨日、5日に予定されているデモを「梨泰院の惨事を追慕する市民のろうそくデモとする」と明かした。「私たちの悲しみは抗争により癒やされ、私たちのt追慕は尹錫悦退陣で完成する」とのメッセージも添えた。
それではいったい、このデモは今後どうなっていくのか。主催者側の一部は、16年のろうそくデモのような「うねり」を巻き起こしたいだろうが、そこまでたどり着くのは簡単なことではない。
政府による事前の予防不足と当日の対処不足が最悪の形で重なり、もはや完全に「人災」と言ってよい梨泰院での事故に対し、韓国の市民は大きな怒りを覚えているのは確かだ。
ただ、怒りが尹錫悦大統領の退陣を目指す形で集約されるには、より構造的な政権の問題が明らかになる必要があるし、デモが「運動圏」と呼ばれる既存の学生運動世代を超え、よりオープンなものになる必要も出てくると筆者は見る。尹政権の支持率は事故後も微減にとどまっている。
いずれにせよ、明日5日のデモがどんな形で行われ、どれくらいの市民が参加するのかを見れば、今後の流れを読むことができるだろう。
デモでは恒例の携帯電話のライトを活用したパフォーマンスもある。10月29日、筆者撮影。