“体を使え、余力を残すな”っと
亡き祖母はいつも言っていた。
“Use your body, don’t save anything to spare for it”
my deceased grandma always said those.
“体を惜しんで使わなくても死ぬと腐るだけだ”
“Even though you reserved your body,
it decays when you die”
“死ぬと腐るだけの体を惜しんでも無駄だ”
“When you die, your body just goes rotten,
so reserving is worthless”
50を過ぎてから何故か祖母のことばが
心の中で録音機のように再生されるようになった。
Since I passed half of my 50s, my grandma’s saying
began to replay in my mind like a recorder.
私がじっとしていられないのは、
子供の時から祖母に訓練されたからかもしれない。
Usually, I cannot hold myself in staying still,
it might be because my grandma
has let me do my work hard from my childhood.
私がおこなっている日常の体の使い方の例では、
目でテレビの字幕を早く追う演習をして、
手では文字を正しく打つようにしている。
The practice of what I am doing in my daily life is,
while I follow the subtitles on TV with my eyes,
I train myself to type correctly with my fingers.
その間に、足の組み方に慣れるようにしている。
In the meantime, I try to get used to
holding crossed position of my legs.
だが、頭では目から入ってくる情報を
ファイルのように分類別けして
知識をプログラム化している。
On the other hand, I make programming in my head
with the information that comes through my eyes
and try to be classifying and categorizing them.
それらを正しくやっているかに注意を促しながらも
骨盤の位置とか脊椎の歪みが無いように気を配る。
Also, I pay attention to doing it correctly
on the above self-trainings with the care of
making my pelvis sit straight
and not to be strained my spine at the same time.
私は常に何かをやっている。
I always do something.
だからか、坐禅をやり始めた時は、
『何もやらない』ことが私にはむずしかった。
That is why I had difficulties
when I started Zen meditation to execute
『 Do nothing』
『何も考えない』ようになるは未だにむずかしい。
It is still difficult for me to be 『Think nothing』
気が付くと、何かに常に意識していて、
考えをまとめようとしている。
When I am aware of myself
I always am conscious of something
and trying to put together my thoughts.
『何も求めないで只坐る』
その坐禅の教えで救われた気もするが、
言葉を本当に実行してきたようには思えない。
It seemed to me feel that the Zen teaching of
『 Just sitting without pursuing anything』
somehow saved me but I don’t think
I have executed the right meaning of the word.
先月からポワントシューズのレッスンを受けている。
I have been taking the pointe shoe lessons since last month.
以前バレエ公演を観客として観ていた時には、
ポワントで踊るバレリーナ達を観て、
あれが間違ったとかそれは正しくないとか
良し悪しを判断しながら人の舞をを裁いてきた。
As an audience
when I was watching ballet performances before,
the ballerinas dancing in their toe shoes
I judged them on how good or bad,
scored how they were doing wrong or incorrect.
彼女らが失敗をする度に、あってはいけない、
してはいけないことをしてしまったかのように思い、
心の中で許せなかった。
Every time when they made a mistake,
I thought that they must be correct or
they should not mistake,
such incorrect steps were unforgivable to me.
そうだったのに、始めてトウシューズを履けた瞬間、
それら私がくだしていた他人への裁きが
正当でなかったことを完璧に理解できたのである。
In spite of such an arrogant attitude I had,
from the first moment when I put on my pointe shoes,
I understood thoroughly
the judgment I had for the ballerinas was unfair.
昨日のレッスン中に私が
“全てが試練だ”“生きる戦いだ”と言ったら、先生は
“まーセンターでバー無しで踊ることに比べると何でもないけどね”
と言いながらも大いに笑った。
At the lesson yesterday, I said to my teacher that
“Everything is a test”,
“It is a battle of surviving”,
she laughed out loud and told me
“It is nothing though, to compare the work in the center
without holding on to the barre”.
先生は7才からポワントを始めたようだ。
She seems to have started point shoes at the age of seven.
バレエ学校に内緒で、
自分の家で密かにポワントの独学を始めたらしい。
She seemed to start her own self-taught point shoes work at home
and kept it secrete to her ballet academy.
結局ポワントレッスンを受けるようになった時、
自慢げに独学した技を披露したが、
先生からそれら全部違うと訂正されたらしい。
When she became able to take pointe shoe lessons, at last,
she proudly showed off her self-taught skills,
but the teacher claimed that it was all wrong.
トウシューズにまつわる話をする時、
先生はいつも苦笑いをする、
きっとあの時の苦痛も体に新しく感じてくるからであろう。
Talking about pointe shoes relate topics,
she always shows bitter laughing,
I guess that is probably because
the pain she had at that time freshly came back to her.
トウシューズは信じられないくらい
ほぼ100%の自分の体重を感じさせる。
Toe shoes work it makes me feel
almost 100% of my weight
in the way of unbelievable.
特に片足で自分の体重をポワントで持ち上げる時は、
全身の筋肉が非常事態になる。
Especially, the work standing on one leg
and holding up my whole weight on my toe,
my entire muscles warned it is an emergency.
ポワントレッスンの度、毎秒毎秒
自分の体に焦点を当てられるのは良いのだが、
当分の間、あのキツさは乗り越えられない気がする。
It is good for me to be able to have the focal point in my body
every second in the pointe class,
but I don’t think I will be able to overcome the hardness for a while.
ポワントレッスンのおかげで、
自分では自分の体を使えていたと思ったつもりが
極限的には使い切れていなかったことに
気づかせてもらった気がする。
Sake of the pointe shoe lesson,
it made me reconsider that
I had the capability to facilitate my body
but actually, I was not able to use my own body
in the way of extreme.
いつか、純粋に体を使えていると
実感できる日がくるだろうかどうか…
Is possible there will be a day,
when I become able to use my body purely
and can actually feel it...
注)添付した写真はトウシューズを買った日に
記念として撮っておいたものです。
Note) The picture attached above was taken on the day I bought it
and saved it as a record.
座禅を組んで瞑想をと思っても、脳が勝手に何かを思い起こさせてきますね。
勝手に湧き出る思念を遮断させる手立ては死ぬまで持てないようです。
お祖母様の考え方も理解は出来ますが、そうしたいと思ったのは若くて元気な時でした。
今は、筋肉に負担をかけないようご機嫌を取りながらの毎日です。
いい言葉をありがとうございました。
腰痛をはじめあちらこちらと悪いですが
最近特に動いた方が良いと感じています。
視点が面白いなーと、
勝手に起こる思念をコントロールする訓練が坐禅のようです。
私もあれこれ十年以上坐禅を日常にしてきましたが、
未だに、それは難しいです。
けれど、坐禅を本格的にやっている人の無我無常論とかはもううんざりですね。
私には役に立たなかかったです。
坐禅に関心の無い人にとっても
思考を切る、とか別にどおでもいいでしょうね。
腰痛に関しては、私はもう日常なので、
同じ問題を抱えてますね。
昨夜、クリニック行ってポギポギしてもらたにも関わらず、
ズキンズキン痛かったので、
痛いところの根源を探すことに集中して
ストレッチしました。
それらしき箇所は見つけた感じはありましたが、
解消せず、
けれど、悪化はしてないから悪くはないですね。
腰痛で言えることは
神経が圧迫されているところを探すと
半分以上は解決できる、ということです。
痛い箇所をじっと押す、それだけでも改善に向かうことができましたね。