このブログは通訳者になるための土台で畑でもある。
This blog is for my groundwork and a field of my specialty
to become an interpreter.
2年半前に通訳者になろうと決めてから、
毎日実力をつけるための演習をしている。
Since I decided to become an interpreter two and a half years ago,
I have been practicing every day to improve my capability.
だが、やればやるほどもっと練習したくなり、
通訳を本業にできるまでの実力は永遠に持てない気になる。
However, the more I do it, the more I desire to practice,
and it has let me feel that I will never be capable of skillful
to be an interpreter as my future job.
練習や演習を只管するのは気楽で、
なんの危機感も無ければ、
戦う対象も無知だけなのでストレスが無い。
It is easy for me to do practice or my own ways of practicum
but there neither sense of crisis nor stress
because the target to fight is merely illiterate of mine.
安楽だが、人との約束を遂行できないでいる後ろめたさが心をチクチク刺す。
It is also carefree for me
but the incapability of carrying out promises with others
became qualms and it pierces my mind.
しかし、毎日チクチク刺されるとそれに慣れてしまい、
痛みに鈍感になる。
But if the stabbing pricks every day,
it makes insensitive to pain and gets used to it.
鈍感になるとそれに気楽に耐えるようになるから、
さらに怠けてしまう。
Once became insensible
it makes endure with easy, so lazier to become.
その生ぬるい鈍感の温度に慣れると、
刺激など必要なくなって
更に安楽な練習の悪循環にはまってしまう。
When getting used to the tepid temperature of the insensible,
the stimulus is not invited any more and
gets into a vicious cycle of practicing with no care.
つまり、私は堕落しているのだ。
In short, I am being degradation.
けれど、一旦、堕落し始めると
最低点まで落ちてみない限り、
自分が落ちてきたのかどうかが分からない。
However, once the depravity began
there is no clue whether you degraded or not
unless you fall to the lowest bottom.
とにかく、加速しているから
底辺に加速しているのか、
平面で加速しているかが分からない。
Anyway, when the accelerating is ongoing,
it is not clear where the accelerating towards
the bottom or on the plat.
なぜなら、何かに向かっている時は、
遠くで光る灯りだけが頼りで周りは暗黒だからだ。
Because when you are heading somewhere,
you can rely on a light only
which shines in the distance and
finding yourself surrounded in the dark.
堕落は楽だ。
Degradation is easy.
向上はきつい。
Rising is tough.
平面は安心感が持てる。
Plat makes feel security.
少なくても、私はまだ向上していない。
At least, I haven’t raised yet.
なぜなら、私の演習はきつくないからだ。
Because the practicing I have been doing is not tough.
私はまだ底辺に到達していない。
I have not yet reached the bottom.
だけど、もうすぐ着くと分かってきた。
But I became to sense I will be soon there.
空気抵抗が薄くなって、
もう随分落ちてきたからそろそろなのかなと…
The air resistance has become reduced and
I have been falling for a while
so I guess it would about the time…
フルデプスまであともう一息、といったところでしょうか。
昨年夏亡き妻の兄の葬儀に間に合うようにと
急ぎパリまで行くことになり約20時間程で
オルリー空港に着き入国審査で、
はた!!と
「覚えていたはずなのに、知っていた言葉が
・・・自らの記憶の悪さに」
即答出来ずに、
数分後に単語や語形が少しずつ修復されて
記憶のひだの上にほこりをかぶっていた
名詞が形容詞や活用変化がくっつき始めて、
やっと返答できるまでのプロセスに年月を感じ、
動脈硬化症にはまだ早いと、幾分ガッカリし
空港からはトラムと地下鉄で安く市内まで
何とかホテルに着いて兄嫁に到着を連絡し、
やっと一息つき
日常生活上、何年間も使用していなかった
言葉が浮かんで来るものだなと我ながら驚き、
オレもそう捨てたもんじゃないぜと・・・
自惚れながら眠りました。
通訳者には口頭発言の理解力、口頭発言能力、文章力、等々と合わせて相手の文化習慣への配慮、
様々な習得時間を要しますね。
勉強は楽しみの一つでも有りましょうから
楽しんで下さい。
辞書は言葉の海を渡る舟だとか。
アマゾンプライムに載っていたから
繰り返して観ています。
その一息までがいつになるのやら。
だけど、リズム感は取れつつあります。
言葉のリズム、日本語と英語の。
姉を電話する時とか、
友達との電話とか、
そうすると、頭を日本語に切り替えているから
気持ちが乗らないと
頭の中で母国語を考えるようになるのです。
日本語も言葉に注意を払う必要がある時は
文法が先に行ってしまう感じかな。
だから、気持ちが乗らない人とは
韓国語でも日本語でも英語にしても
喋らなくなりました。
ここのコメント欄でも
義理でコメントをしていているところでも
気分が乗らないと絶対に言葉を打ちこまないようにしているのです。
栄久さんはフランス語を話す時に
ご自身の中の何を重視しているのですか。
そうですね。
単一の言語だけなら完璧性を追えるのも道のりになれるでしょうね。
日本語は完璧性を狙えると、未熟ながら
思ったりします。
韓国語は日本語から視て
感情的だから、理性の極致を極めるような性質は持たないです。
英語はその完璧さがあまりにも多様で
読む対象を絞らないと
完璧さが替えて邪魔になるのかな。
日本語は完璧さを追える言語だと言えるのは
その言葉に段級があって
読む相手が級によって絞れるという特徴を持つからです。
和歌、短歌、文学、口語、文語、記録語
伝達語、会話など
それぞれの断層で
それぞれ弁えられた言葉が使われているから
格層に合わせてそれなりの完璧性の基準がありますよね。
英語は日本語のようないい品のいい切り分け、
段級への割合が無いのです。
どっちがいいのかは私には分かりませんが、
いただきに至ろうとする志は
きっと人の心を動かせると思っています。
望むところにいつか着けるといいですね。
ご自身の中の何を重視しているのですか。>
そうですね
どの地でも、
例えば実家でも幼き頃より、
旅人のような
馴染み客のような、
なにか他所余所(ヨソヨソ)しい
違和感が常に付き纏い、
お行儀の良い人を演じるのが
日常化し身に付いているようにも
言葉にしても
背後から別の解釈や概念が浮かび
多重人格か分裂気味な感覚が時々あり
人混みは苦手で仕事も
自己完結型の特殊機械の保守修理を
担当し
プロジェクトを組む事は
出来るだけ少なくて
過ごして来ました。
今も田舎で独り暮らし
草花や風景などが相手で
TVは持たず
新聞は購読せず
読書が生活の一部ですね
「変わり者」と囁かれているようです。
その通りすね
ただ其処を通り過ぎるだけの
まさに過客の人でしょうか
栄久さんの言葉には世欲性が無く
人工的な汚れがないのですね。
何ていうか、
子どもの時から言葉に敏感で
言うのも言われるのも
根気が要りましてね。
今のところで言う『自閉症』そっくりでした。
家でも学校でもとにかく喋らなかったです。
それが14才か13才か
暴力を振った父に立ち向かってから
言葉が流れ出しました。
けれど、長年のサガっていうか、
言葉は今でも疲れるものです。
夫は『24時間営業、セブンイレブン』だと私が名付けた通り
見た即話す派なんです。
常にジョークか
お喋りか、口が達者で
ただ聞いていることに疲れたら
彼の頭を手打ちでパーンと叩くのです。
”Don't ask why you gou it"
というと彼はゲラゲラ笑って
自動喋りが止まって
私も笑ってお終いになるのです。
そうですね。
私はどこの地でも
ここが骨を埋めるところっていう感覚が無かったです。
いつもここがその処か?みたいな
疑問形が付きまとうのです。
私は他人の国を転々する、客ですかね。
招かざるの客...
過客より鬱陶しいかも...
ブログのやりとりで、そういう人だと思ってはいました。
I am now fighting about the issue of plagiarism in our work. The enemy is a large company. Can I win? But this is my time. I hope you give me courage!