火曜になると水曜のバレエクラスのために
こころの準備体制に入る。
On Tuesday, I set my mind as to be preparatory
for Wednesday ballet class.
今年の6月入って、やっとバレエの自習練習を始めた。
In June this year,
I finally started self-educating ballet training.
以前は、バレエ用語を勉強したり、
並行して骨格と筋肉科学の仕組みを理解しようとしたりするための
基礎知識習得がメインであった。
Previous my main focus was,
to acquire balletic basic theories
to understand the mechanism of bone structure and muscle science,
side by side with studying ballet terms.
簡単なストレッチング以外、
習ったことを復習しなかった。
I did not replay what I learned
except doing simple stretching.
そのような頭でっかちな体制だったので、
同じミスを2年間繰り返しても気にしなかった。
I did not care the mistaking that I had been repeated for two years
with such a big-brain attitude.
まあ、“年だからできない”と開き直ったから、
間違って恥ずかしくは感じていても
“それがなに?”みたいな、
できなくて当然のように思っていた。
Well, I had a kind of defiant attitude that
“I am old so I can’t do it”,
so even though I felt embarrassed as I was doing wrong
I thought like “so what?” I took my mistake for granted.
バレエができない理由は数えられないほど多いのだが、
バレエにむいていないとされる一般的な条件は、
There are countless reasons why you cannot do ballet,
but general conditions that supposed to think you are not for ballet is,
①身長が低い
Short height.
②手足首が短い
The limb and neck are short.
その2つは持って生まれてきた身体条件のことなので、
個人の意思の力を超える領域である。
Those two physical conditions are congenital
when born so it is far beyond personal willpower.
③習える時期が過ぎている(≒臨界期が過ぎている)
To learn ballet the time is over (≒The critical period is gone)
上記の③番目の条件は実証されていなく、
検証もされていないため事実かどうかまだ知られていない。
The above third condition is neither proven nor verified,
so it is not yet known whether it is true or not.
実は、私が動機付けにされた理由もこの③番目の条件である。
In fact, the reason how I was motivated is,
because of the third condition.
今月、私は55才に入った。
This month, I turned 55.
今のバレエスクールに入ったのは2年前の2019年5月だった。
I started to learn ballet at Valley Ballet school two years ago in May 2019.
思えば、その2年間は、寝ながらバレエを習っていたような、
『心、ここにおらず』状態で、
できない理由で自分を正当化していた。
When I think back then, for those two years,
it was like I was learning ballet while I was sleeping,
my mental state was like『my mind is not here』
justified me with reasonable reasons that I incapable of.
50代でバレエを始めるというのは、
無謀のようで、場合によっては笑える。
Starting ballet in the 50s
seems reckless and laughable in some cases.
実際、自分の動きを見て自分で笑えるから嘘ではない。
Actually, I laughed at my movement, so it is not a lie.
だが、ミスや間違いを真剣に受け止めて始めて以来、
自分に笑わなくなった。
But I no longer laughed at myself
since I started making mistakes and doing wrong seriously.
笑って誤魔化すこともなくなった。
I no longer cheat with laughing.
何が私を変えたのかと改めて思い返すと、
切っ掛けとして考えられる原因は、
To think back on what made me change is,
the possible trigger that motivated me was realizing these two.
『坐禅の坐り方の中心を定める』
『バレエの中心の保ち方』に気づいてからかもしれない。
『Determine the center when you sit for Zen meditation』
『How to maintain body center in ballet posture』
運動性では対極している2つが、
同格の原理から派生されていると実感した瞬間、
私の心構えが変われたかもしれない。
Those two are extremely opposite in terms of mobility,
but they are at the same apposition for the fundamental principle.
At the moment I felt two are originated from the same logic,
it might have changed my mental attitude.
坐禅は身体の動きを極限までに最小化することにより、
思考のエネルギーと動作のエネルギーを
ほぼゼロの状態にもっていく訓練である。
The meditation of Zazen is training that
controls the energy of thinking and the movement
to be almost zero states by ultimately minimizing body mobility.
心身のエネルギーを極力最低限、
最小化していくことによって、
エネルギー消費の悪循環をリセットできる。
The vicious consuming energy circle can be reset
by minimizing to the limit the energy physical and mental.
そのリセットが究極にゼロの閾値に達した瞬間が、
悟りに似たような感覚を伴うため、
修道僧でなくても一般の人なら
ある程度の訓練により悟りを味わうことができる。
The moment when the RESET reaches the ultimate threshold of zero,
it accompanies a sense that similar to enlightenment (≒extreme awareness),
so for normal people who are not Zen-trainee in Buddhism,
they can enjoy the flavor of the enlightenment by doing some zen training.
そのリセットボタンが坐禅の坐り方の中心点にある、と私は思う。
The reset button is at the center point of Zazen sitting, in my guess.
坐り形の姿勢中心点が極限のゼロになった瞬間、
リセットボタンがポツンと現れる。
At the moment when the posture of sitting
gets ultimate balance at the body center,
the reset button pops out.
そのボタンをゼロの中心点で押すことにより、リセットができる。
Pressing the button at zero points can do a reset.
バレエの立ち方のリセット中心点は機動性を持つ。
The center point in ballet standing posture, it has mobility.
なので、バレエでは中心を一点に定めて、
力動的に動かす必要がある。
Therefore, ballet mechanics requires setting the body balance
on to the one point to move dynamically.
中心点を可動していくことである。
It means to let the center point moveable.
坐禅での動作の最小化、
バレエでの動きの最大化の原点を辿ると、
そこに中心点、
つまりリセットボタンが隠れてあるのである。
When we trace the origin of minimizing mobility in Zen-meditation
and maximizing body movement in ballet,
there the reset button is hidden.
坐禅の悟りは、コンピューターの初期設定に似ているかもしれない。
Zazen enlightenment (≒extreme awareness)
may resemble the default settings of a computer.
バレエの中心点を起動させることは、
エンジンに電源を入れるスイッチの役割に似ているかもしれない。
To ignite the center point in the ballet,
it may resemble the role of a switch that powers on the engine.
要するに、坐禅の訓練無しでは、
バレエの動的エネルギーを理解できなかったと思うし、
バレエでの中心構築無しでは、
坐禅の坐り方の中心点を定められなかったと思う。
My point is, I assume that without Zen-meditation training
I might not be able to understand the dynamic energy of ballet,
also, without the feeling of assembling and build up the core point in the ballet,
I might not be able to set my body center for doing meditation.
体の重心が分かれば体がぶれないですね。
巨人の王選手は1本足で立っていても多少の力で動かなかったそうです。
スケートの伊藤選手は間違いなく身長も低く、短足でした。でも、確か銅メダルでしたか?
60才からマラソンを始めてホノルルを走った話も昔聞いた記憶があります。
続けることが肝要、頑張ってください。
少し前に記しましたが
それは力むこと無く
その時々に応じて
どの方向にでも
即応できる自由度の高い位置
これを武術では「正しい位置」と伝えています。
武の修練は先ず
背骨(体幹、正中線)の位置
深く静かな呼吸法、運足法 等などの
静的な体術の基礎を身につけることから
杖、棒、等の軽い道具で師の動きを真似動き
節目毎に
先達から習得度合いを見るための
相対練習があり
徐々に複雑な体捌きや眼配りなどを、と。
永い時を経て
自分に合った立ち位置「ニュートラル」が
認識できました。
neutralな精神
naturalを基本にした食生活
素食と運動を兼ねた棒振りが
私の心掛けであり
暮しす位置なのかな
とても勉強になります。
これはこれは、チックっときましたね。
実は、飽きぽい体質なので、何も長続きできないです。
でも、まあー坐禅はもう10年以上続けていますが、なにせ、頑張ってないからかもですね。
最近、古武術について結構検索しています。
恐らく、榮久さんのコメント内容から
YouTube検索して関連動画で釣られてきたと思いますが、
見始めてすっかり入ってしまって、
あれこれ観ています。
棒も使ってストレッチングしていますよ。
古武術でのコアの使い方、バレエと酷似していて感動しましたね。
哲学ですかあ、嬉しいおことばありがたいです。
何ていうか、坐禅の思想を難しく語るお偉いさん方に嫌気が指したのもあって、
ただ、簡単に紐解いてみたかった、だけでしたね。
それを考察と言ってくださって、助かりました。
今では
様々な演目の型が身に沁み
定まっているように思える。
独り無音の稽古場で
自らの手足や体から
醸し出される表現
舞、その望むべき高みを
求めて来たのでしょう。
しかし
ここに越して来て以来
舞よりも
何故か一緒に
家伝の棒術や体術を
もちろん「武」とは離れた形での稽古で
家伝の武術は
基礎として棒と体術で身体を整え
大小の刀(約2Kg前後)を携え
歩行し抜刀する術を練習しますが
今では刀も美術品扱い
銃を相手には無用の長物
私の刀術練習をみて
妹曰く
剣舞の緊張感が好きだからと
もう、舞踊の一種か
骨董品の如き評価・・・なのでしょうね
いつか、妹さまの武道➕バレエのコラーボレイション(合体)が生まれるかもしれませんね。
韓国では、古い物語をもうバレエ化して公演しています。
全幕は観ていないのですが、
(あまりにも物語中心だったから)
彼らの試みはいつか成功すると思い(思いたい)ます。
恐らく、妹さんでしか創作できない環境かもしれませんね。
日本に住んでた時、近所に創作バレエ研究所と看板をあげたところに
4ヶ月くらい通ったことがあります。
今思うと、そのバレエの先生から教わったことは
何一つ覚えていないのですが、
彼女のナルシスト的な面は今でも覚えています。
でも、まあ、首の筋肉を使う方法については
今でも役に立っているのかな。
創作バレエといって、彼女はあまり創作していなかったのでしたが、
発表会に、蜘蛛の糸とのタイトルで
創作?してましたが、
結局は、自分が糸を下ろした仏陀を演じるのが目的で、
その他のダンサー達は普通のおどりでしたね。
ごめんなさい、自分が言っておいて
横道それた話になりましたが、
私も無言、無音のまま一人稽古しています。
その間、色々ファンタジーが浮かんだので
ちっと書いてみました。
なにせ、すごい兄弟ですね。
一緒にいるだけで、きっと幸せなんでしょうね。
妹は"ballet dancer"か舞踏家?
体形はバレリーナらしく痩せていますので
力はそれほど有りません。
私は武術を
言えば"martial arts"の一種を習得中
祖父曰く
切ったり突いたりする刀術と体術のワザ(技)なのだと
今では無用のワザかも知れませんが
これを教わり継続中
ご承知かも知れませんが
武道という概念は
嘉納治五郎が講道館柔道創設したことによります。
余計な知識か、お世話でしょうか?
でも、あくまでも伝承ですからね
I'm practicing harder than ever.
Recently, however, I have come to feel that the word "practice" is not accurate.
When I started practicing, I danced with my own story in mind.
When my movement was incomplete, my teacher instructed me to suppress the "story."
When my attention leaned too much toward the movement, my teacher pointed out that there was a lack of "story."
Now, the "story" has disappeared from my mind, and my movements and emotions are gradually beginning to merge.
There are imaginary moments in the dance.
If I can really live that imaginary moment, I have a feeling that this work will be completed.
I don't have words, but my heart is moving. My heart moves, so my body starts moving in conjunction.
I imagine it was like that when ancient people started dancing.
This process was more like a journey than a practice for me.
Please pray for the success of my journey!