Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Tranquility of ballet・Fluidity of Zen・Center of dynamicsバレエの静けさ・禅の流動・力動の中心

2020-02-04 | 坐禅
バレエの力動的な動作と静的な禅の瞑想は
体系構造上の核心が同質だと思う。
I think the dynamic movement of ballet and the static meditation of Zen
have homogeneity at the core in the systematic structures.
 
見ている人に感動を与えるバレエダンサーの踊りには
確固たる静けさがあって、ブレが無い。
The dance of a ballet dancer that be able to touch the audience’s mind
has firm tranquility and no blurring.
 
何十年も禅の修行を重ねた修行僧の坐りにも
下半身から根が張っているような安定感があって、ブレが無い。
The Zen sitting form of a trainee monk
who has been trained for decades
it has stability like rooted from his bottom and no blurring.
 
その静かな坐り像には
人間でありながら
岩や樹木のように自然と全く同化した一体性がある。
His static form of sitting, despite being a human,
has a unity that completely assimilated with nature
like rocks or trees.
 
 
今年の5月で、カントンにある今のバレエスクールに
通い始めてから丸一年になる。
It will be a year this May since I started to take lessons
at my ballet school in Canton.
 
自分が定めた訓練メニューを地道にやってきて
最近やっと体の重さの分配や均衡の配分ができるようになった。
I have been practicing steadily my own training menu,
I have finally been able to allocate
my weight and portion out the balance.
 
今まで自らに課した課題は、
体のコアを鍛えることであったから
細分化した筋肉トレーニングと
余分な脂肪の燃焼運動に自修訓練の焦点をおいてきた。
To train my body core for my task done,
I have been focusing on subdivided muscle pieces of training
and fat burning exercises for useless body fats
as my self-study programs.
 
ところが、自分のレベルに合わせて
いくら段階的な練習を行っても
足裏の筋力がまだ発達していないため
足裏で体重を支えることができず
体の重さを受け止められなくなり
体の中心が崩れてしまう現状であった。
However, no matter how much I practiced
in accordance with my current level,
my body has not been supported my own weight
on the sole of foot due to not yet developed enough
the legs and foot muscles,
so the center balance of my body often collapsed.
 
中心が軟弱で崩れがちだと
動きがぎこちなく不安定で
迷いや自信の無さが動作に表れる。
My center balance is easy to collapse,
and they come along with unstable steps
or an unconfident mindset on the clumsy movements I made.
 
また、覚えきれていない難しいステップは
適当に誤魔化し流したので、
授業が終わると自分の狡さに恥じらいだけが残った。
Moreover, I cheated on the difficult steps
that I couldn’t carry out and allowed them to drift
so after class, I felt ashamed of my cunning.
 
そのような自分の軟弱性があっても
挫けず、諦めずで
中心をしっかり立て直す練習をしていたら
この前の授業で突然のように
今までふらついた中心がしっかり定まってきて
一瞬ではあったが完全に安定した動作ができた。
Although with such gutless, wishy-washy
I neither beaten up nor given it up,
I kept trying to build up the center balance,
then suddenly while I was taking lessons at the last class,
the center balance that has been tottering
was firmly stabilized and
I could make stable form ever even though it was an instant.
 
その瞬間、今までの迷いや自信の無さが
嘘のように消えていくような感じがした。
At that moment, I felt like the puzzlement or unconfident
is about to vanish like a lie.
 
ガタガタ振れていた動線がピッタリと立って
静線になったようであった。
It seemed that the shivered rattling move lines
were stood up precisely and became static lines.
 
床の上に垂直に立っているありがたさに
心が満たされた。
My mind was filled with appreciation
of being standing vertically on the floor.
 
床に反発できる足の筋力が付き始めた感覚があった。
There was a feeling that the sole muscle strength of my feet
that push against the floor had begun to develop.
 
恐らくその瞬間は1秒も満たない刹那だったはずだが
バレエの核心を垣間見られたような錯覚があった。
Probably that moment was a fraction of a second,
but it was like I could see the perceptual illusion of a glimpse
into the core of ballet.
 
その瞬間、やっとバレエのスタート時点に立った感じがした。
At the very moment,
I felt like finally stood at the start point of doing ballet.
 
 
 
以前、仕事のストレスで悩みが絶えず
心から聞こえる声も煩くていたたまれなくなり
瞑想(坐禅)を6時間くらい一気に続けた時があった。
In the past time, I was troubled with work-related stress constantly,
and the voice from my mind was irritating me and lousy,
so I went on mediation (zazen) for about 6 hours at one go-off.
 
そんなに長時間坐り続けたのに
ある時点で不思議にも足のしびれる痛みが
鈍感になった瞬間があった。
Although such long hours sitting,
strangely there was a moment that
the painful numbness on my legs became insensitive.
 
足は痺れているのに意識がその痛みに向いていなく
意識があるのに無いような感覚であった。
My legs were getting numb
but my conscience was not toward pain,
and it was like there was no conscious
where there was the conscious.
 
自分が瞑想(坐禅)をしている行為を
別の私が観察しているような二等分された感覚ではなく
坐禅をやっている私が無くなって
行為に一致された感覚であった。
It was not bisected sense which is like
another of “I” was observing
the behave of doing “my” meditation (zazen)
but it was like a sense that
the “I” who was doing meditation was gone
and the “I “was being unified with the behaved.
 
自分を自分だと思うには
他人からの観察視点で自分を捉えなくてはならない。
To percept of yourself,
you have to apprehend yourself
from the observation of the perspective of others.
 
意識の始まりには
意識を見ている観察者としての外からの視点がある。
At the beginning of consciousness,
there would be an observer who sees the consciousness
from the outer perspective.
 
その存在としての本来備わっている意識と
意識を観察する思考が
別々な動きをするとそこに揺れやブレが生じる。
The two of consciousness that already inherent as the existence
and the observative consideration to be conscious,
if the two driving separately, there will be instability or blurring.
 
それらの観察によって相好作用する意識が
行き場や行き先に迷うと心の流れが淀み始める。
Those conscious that work in harmony by observation
if it loses destination or where to go
then the flow of mind begins to stagnate.
 
泥水のように淀み、濁ってくる。
It stagnates like mud and it becomes muddy.
 
そんな混沌な淀みに
じっと静寂な時間を与えると
重い泥が下に沈んでいけるようになる。
Giving such a chaotic muddy a quiet time for a while,
it allows heavy mud to sink below.
 
泥が完全に下に沈むと水と泥が分離され
水が澄んでいく。
When the mud sinks completely,
water and mud are separated,
and water gets be clearer.
 
泥は下に沈む天性に従い自然の一部になる。
Mud becomes part of nature
as it obeys the natural way of sinking below.
 
高いところから低いところに流れる水の天性に従い
水は流れ出すようになる。
Water gets flow as it obeys the natural way of the flow
from high to low.
 
バレエの動作一つ一つには完璧なほど静けさがある。
Every ballet movements have tranquility almost perfection.
 
その静かな動作一つ一つが空間の中で動線を描く。
Each of those quiet movements draws a moving line in the space.
 
それらが力動な舞になって、人の心に脈を打つ。
They become dynamic dance and pulse into people’s hearts.
 
坐禅の動作も一つの坐る動作に過去、未来が現在の一点に集まる。
Each sitting movement when doing zazen meditation,
the past the future converges to a single point at the present.
 
心の動線を一点に集めた時に完璧な静寂が持てる。
When taking one point among in the movement lines,
be able to have a perfect quietism.
 
その力動的な静点が人の心に脈を打つのである。
Such a dynamic static point pulsates the human mind. 
 
 
 
 
 
 
 

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20 Comments

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Unknown (Unknown)
2020-02-14 07:43:14
頂きました桂蓮様の公式について、興味深く解釈できましたので、こちらの方にも書かせていただきます。
ありがとうございまし^た^
************
N=のしてんてんの心(N=Noshitenten)
A=のしてんてん龍や宇宙観(A=Art)
E=エネルギー(E=Energy)
だと仮定すると

E=an² が成立するかも
************

n²は実に意味深いです^ね^

心とは光、その波動だとすると、心の背景にある光とは何だと考えられます。

つまり、のしてんてんとは、「自分自身」の心という意味ですから、のしてんてんの心の背景にある心とは「自分自身」の心を取り巻くすべての人の心という事になります。

すなわち心的エネルギーは、人々の心の中で関係を持つのしてんてんの心によって生まれているという結論になります。
面白いですね。
返信する
Unknown (To-栄久さん)
2020-02-12 09:46:09
ここも雪が単突少ないです。
去年までは大雪で毎日雪かきしていましたが、今年になって雨が多く降っています。
夫はNYで生まれたから毎冬雪で散々だったようです。
今年のような雪が少なかった年は無かったと言っています。
地球温暖化が進んでいるからでしょうかね。
地球の未来が心配なこの頃です。
でも、地球上の車の台数を考えれば、無理もないですよね。
フロンガスでオゾン層は破壊されましたからね。
冷蔵庫の数だけ考えても、こんなこと起こっても無理ないですしね。

追伸:ボランティア頑張ってくださいね。結構いいことなさってますよね。
返信する
Unknown (榮久)
2020-02-12 08:29:58
国語

翻訳の難しさ

語彙の豊富さ、表現力にもよりますし
ご指摘のように言語の背景、
文化の裏付けのようなものの差異も
大きいですね。

ボランティアで参加している
団体の名簿やら連絡等をPCに
簡単なappを作り整理操作しています

ご存知のようにC言語等の開発言語でも
記号など含めても千二百文字程度で
それで、世界を表現しようとする
無謀とも無理とも思える方法で
宇宙まで手を延ばして
操作しようとするのが現代のようです。

AIの時代とかいい何だか偉くなったように
でも内実は貧相な社会と文化にと感じながら
PC操作し返事を書いています。

便利なような足りないような日常です。
こちらは今年雪が降りませんでした
気象台の話では百十年ぶりとの事です
今年の雪は如何ですか
返信する
おはようございます。 (wdn110446sit)
2020-02-12 05:45:08
 静かに心落ち着け、無我の境地で自分を見つめる。いや、自分と言う意識さえもなくしてただひたすらに。
 只管打坐
 そして
 百尺竿頭進一歩
 
返信する
妹さんに感謝 (To-栄久さん)
2020-02-11 22:58:33
端正
orderly、orderly

decent; proper; noble; decorous; seemly
〈顔立ちの〉 clear‐cut

handsome; shapely; clean-cut (features)

decent; proper; correct; upright; graceful

Correct; right; righteous; upright

以上、ウェブで調べたのですが、
夫にもきいたら
Ordered well、Organiged と言ってました。

〇日常生活を端正に暮らすように心掛ける
●Try to live my life in order to be decent.
●Ingrained in my mind to live gracefully in daily life.
上記の二つは私が訳してみました。

そうですね。ポワントがきれいな人やピルエットが簡潔な人は言い方や仕草がとても上品にみえますよね。

妹さんに感謝しますと伝えてください。
日常の中で妹さんの心構えを自然に思い出せそうですね。


追伸:端正という言葉は日本特有の文化に由来するかもです。
英語では上記の単語が適切ではありますが、
日本のような、心構え、きりっとした態度まで含んでいないと思います。
このような文化に根付く形容詞や副詞を通訳する時は時間がかかって大変です。
訳しても確信が持てないし、ややこしいのですが、
訳すことで、二つの国の文化の差が見えて涯はありますね。
返信する
Unknown (榮久)
2020-02-10 16:54:59
◎ 日常生活を端正に暮らすように心掛ける

ポワントそしてピルエットを綺麗に回る
とかは日常の端正さの反映と思う
と偉そうに伝えて来ました。

でも、内緒の話 端正に暮らすというのは
家の伝承みたいな感じですけど

端正「姿や形や動作などが
正しくてきちんとしていること。」
を英訳する単語は見当たりませんが、
どんな表現が相応しいのでしょうか教えて下さい。
返信する
少し時間が出来ました (のしてんてん)
2020-02-10 13:11:32
個展の合間で、時間が取れましたので、少し私の想いを書かせてもらいます。
言葉は伝達する手段のほかに、自分の想いを理解するために必要なものです。言葉がなかったら何ものも頭の中に思い浮かべることは出来ません。ですから、言葉の使い方をどうこう言うものではありませんが、私は

「バレエの力動的な動作と静的な禅の瞑想は体系構造上の核心が同質だと思。」
という言い回しがよく分かります。

それはこんな理由からです。
バレエの動作=A
禅の瞑想=B
それ以外=C
としますと、Aを究めるのも、Bを究めるのもそれは何のためかと考えれば、それはCを究めるためのものであるはずですよね。CをおろそかにしてABを究めるというのは本末転倒でしょう。
しかし案外、その本筋を忘れてAやBを特殊化して考えるあまり、もっとも大事なCを忘れがちなものです。
Aの動、Bの静、相対する両極の中に、「核心が同質だ」という気付きはとても貴重な洞察であり、それはCにつながって行くと思えるのですね。特化したA・Bから初めてCの生きる道筋が見える。通奏低音のような「空」が響いてくる。そう思うのですね。
A=B=Cでなければならない何か、それは己自身であり、空であり、宇宙そのものであるという何かなのではないでしょうか。

返信する
Unknown (To-栄久さん)
2020-02-10 10:18:32
バレエは自己流修行の一つかな。
ですが、元々怠けものなので
どんな修行でも 
楽な範囲内で納めているから苦にならない程度でやっています。

Turn outは妹さんの経験のように幼児期からの習慣でしょうね。
ですが、今のロシア人のバレエ先生から
”足が開いているから上達が早い”と言われました。
最近やっと、バレエの立ち方をやっと体で感じるようになりました。
勿論、私が目指すバレエは舞台に立つような見せる目的でなく、
体を整体的に正しく運用するためです。
だから、基本を正しく(徹底して)行うことだけに
焦点を置いているのです。

なのですが、立ち方やコアの支配ができるようになってから
覚えが速くなって、
昔教われてもできなかったステップが
突然できるようになって驚いています。
まあ、そうだとしても
妹さんから見れば
まだまだ正しくなく
直すことだらけだと思いますが、
一応、心の悩みは消えていく兆しなので
ある程度安心感は持てています。

それとまた別の話ですが、
妹さんに聞きたいことがあって
代わりにきいてみてくださいませんかね。
質問は、『バレエで一番大切な心構えは何ですか?』です。
人それぞれ違うようなので、
ぜひ、妹さんの意見をききたいです。
急いでいないので、聞けた時でいいです。


返信する
Unknown (To-🌙さん)
2020-02-10 09:58:33
月さんの言っていることは一回や二回読んだだけでは理解できませんね。
なにせ、わかっておくべき基礎知識と常識を超えるレベルの文学的おさらいが無いと言っていることにリンクできないですからね。

何かの道や技術を極められるには
私は個人の人生を犠牲にできる献身さが絶対的に必要だと思っています。
そんなのが凡人ではできないから
アニメや映画、小説で描くのですよね。

でも禅定を辞書的に説明されるより
現代語版に砕けて例えてもらうと
私にはイメージが湧きやすくてわかりやすいです。

頂いたコメントの数がかなりあった分
月さんが何を省略して書いたのか
少し勘が働くようになりました。

ある意味、今回のコメントは恐ろしさが感じられますね。
本当の極めることについての恐ろしさみたいな。
返信する
Unknown (榮久)
2020-02-10 07:31:04
core 芯 体幹

the core in the systematic structures.

今回のお話では「運足・運歩」と重心移動と「美」に関するようなので

以前お話しましたが妹もバレエをそれこそ物心付いた頃から習い今では教える側にいます。
身贔屓でもなく姿勢は美しくさえ感じることがあります。
でも歩き方は、
やや がに股気味なので着物「和装」で草履であれば違和感は少ないのですが
洋装で歩くと靴の爪先角度が随分と広いのが目立ちます。

ご承知かも知れませが「舞踊」の運足は摺り足です。
草履で歩く事が日常であれば摺り足は普通の動作ですし、また靴では地面を蹴って歩くのが通常です。

トウシューズで爪先での運足が基本ですかし
一番から五番までの股関節の開きと重心移動では
幼児期からの練習による修練が大きかったと妹は言います。

足の裏の感覚を鍛えるにはゴルフボール程の大きさ玉を足の裏で30秒ほど転がし、足を替えて同様に三回ほど行うのを武術では教わりました。

楽しみながら練習して下さい
修行ではないのでしょうからね
返信する
Unknown (月のような者)
2020-02-07 22:48:40
昔の武道の世界では本体、正体、真之位、現代では自然体、統一体、腰腹同量などと言いますか。それぞれ具体的な意味合いに多少ズレはありますが。これは仏教的に言えばサマタ瞑想の部類に入ると思います(柔道の自然体は別か)。禅定と言いますか。意識の集中状態ですね。なるほど自然との合一です。その状態にあればなにも考えずとも(考えるとその状態は崩壊する)無限の応用技が飛び出して相手をいつの間にか制圧するのです。江戸時代の典型的な日本武術の発想です。もちろんそんなことができる人はほとんどいません。いたとしても自分より強い人間に出くわせばどうでしょう。結局頭を使って戦うしかありません。そんな葛藤が現代的な格闘技のセオリーを生み出しました。坐禅的手法が有効なのは多くの場合あくまで自己完結的な、もしくは限定的状況のみであると思っていてください。
仏教徒ならば「合一系」の最大の完璧人間である肥田春充(この人に素手で勝てる人間はまずいない)が人類の未来に絶望して、そして自分の能力のエスカレートを止められなくなって断食死した事実も忘れてはいけないのです。釈尊伝の救い(悟り)とは、救いをアイコン化した挙げ句、理想が絶望に変ずるが如き暗い現象とは無関係です。健康は大事な支えではありますが、執着の対象であってはならないのです。必要なのは救いよりもユーモアですよ。「救い」は我々を蝕みます。光も闇もいりません。自分をどこかで「どうしようもないバカな奴」と見ていられるうちは正気を保っていると言えるのです(悟りではないが)。それができないと「寝ることもできない」のですから。
返信する
Unknown (To-のしてんてんさん)
2020-02-07 00:38:21
低音に比喩してもらったことで不思議なつながりを感じました。

https://www.youtube.com/watch?v=kEfzl77qTT0

上記はやまざきさんの One More Time, One More Chance のビデオですが、
この歌を初めて聞いた時に、
なぜか、のしてんてんさんのイメージと合致するところがあって、
不思議だねと一人で思っていたところでした。

銀座で初めてお会いした時、
音声とか、話の雰囲気とか、声のトーンとかが
この歌のリズムと酷似していると思われるのです。

恐らく、北籔さんの印象は
この曲とどっか似ているかも知れません。

そう思っていただけでしたが、
記事のテーマと低音をリンクされてもらって
書いてみました。
返信する
全ては空の思想 (のしてんてん)
2020-02-06 07:07:11
お話の中の通奏低音のようなところに、空の視点、空の思想を感じました。
返信する
Unknown (To-zipさん(補足))
2020-02-06 03:50:56
投稿してから、私の上記の返信が適当で一方的だと気づきました。

今日は、6時から8時半まで2コマのバレエレッスンがあります。
レッスン前に体をならしておく必要があるので、
返事を急いでいたから適当になったと思います。
これから、準備ストレッチなどに取り掛かるので、
今夜、レッスン終わってからまたじっくり返事を書きます。
まあ、今の感じだと
Zipさんの解説のほうが読む人にとっては
分かり易く、体験してなくても
イメージがしっかり湧けるでしょうね。

弁明としては、私は説明調に疲れたからですかね。
長年塾をやってて、説明の説明になると
仕事のようで、疲れがくるのです。
砕けるのも、下すのも
時には面倒になって、
近道だけ早く行きたくなるものです。
返信する
Unknown (To-zipさん)
2020-02-06 03:34:07
解説、分かり易かったです。

>Great thinking
Ballet helps to learn your own body and each week you get something new. The most important to find harmony....<
上記のコピペは
私のバレエの先生がこの記事に因んで
書いてくれた文です。(Facebookで)
私の訓練を見たことがある人なら理解できるかな。

Zipさんが今、私のそばにいるなら
私が書こうとしたことを
Show and tell できると思いますが、

兎に角、体感を文章で書こうとした時点で
ZIpさんのような天秤的な分析を予想してました。
ですが、わざとことばを下していなかったのは
体感していない人は
絶対に感じ、予想できないからだと思ったからです。

だけど、書いたのは
考え方、バレエと禅に共通点を見出す人が居る、
それが納得のいく、いかない関係なく
論理、理屈が合う、合わない関係なく
私の歩んだ道として
書いておきたかった、それだけです。

生き方、なのです。
論理的でない生き方の一つ。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-02-06 02:49:12
禅僧が坐禅をしている姿は、
我々一般人が坐禅をしている姿とは
全く受ける印象が違うわけです。
人が座っているとは思えない、
人が座っているというよりは、
何か物が置いてある、
人が座っているとは異なる印象を受ける。
そういったことなんだと思うわけです。
同じ人間が座っているのにもかかわらず、
一般人と禅僧のあいだには、それほど座るという行為に大きな差があるわけです。

バレエのダンサーも同じだと思うわけです。
踊るという行為によって、人が踊っているとは違う異なる印象を受けることがあるわけです。
踊ることで、踊りとは思えないそれ以上のものを感じるわけですから、一般人とバレエダンサーの同じ動作にはそれほど大きな差があるわけです。

どちらも動作を極めることで、動作以上のものを感じるわけです。

わざわざ「体系構造上の核心が同質」などと言う必要など全くないわけです。

言葉や文字は、知って欲しいことを伝えるという行為があってこそ意味があるわけです。
伝えるという行為なくしては、言葉や文字に意味を見出すことは絶対できません。
伝えるという行為、知ろうとする行為を意図しない限り、言葉や文字にaffordされることは決してないわけです。
返信する
Unknown (To-ran_coffeebrakeさん)
2020-02-06 01:34:06
何年か前にコメントしたことを覚えて頂きまして、恐縮でありながらも感謝します。

驚きました。
Top10 ニュースにも、あの時のコメントを気に掛けて頂いたことにも。
返信する
Unknown (To-Zip)
2020-02-06 01:28:07
>The Dynamic Static Point.....

What moves stays balanced. What is still stays fluid.

Keiren Applebaum's ballet experience is the value of achievement, which usually comes in a moment after long periods of struggle. After a year, a sudden second of success.

There is no guarantee of the moment...I am glad that it came.<

Zipさん、上記は夫がこのブログ記事を私のFacebookにシェアしたら、彼が上記添付した文でまたシェアしてくれたことをコピペしました。
ZIpさんは英語がお分かりのようだから
敢えて訳はしませんが、

夫の解釈がZipさんがわからないということの解説になるかなと思ったりします。

恐らく、夫が私の言いたかったことを掴めたのは、
私が強制的に彼をバレエのレッスンを受けさせたことがあったからだと思います。
2回しか経験させなかったのでしたが、
その体験から、中心、力動、流動が体で分かったかかも知れません。

察するに、Zipさんはバレエの立ち方さえ試みたことが無かったでしょうね。

坐禅で中心を探せなく苦しんだ経験が無いと
私が何を書こうとしていたかも掴めにくいでしょうね。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-02-06 00:37:46
「バレエの力動的な動作と静的な禅の瞑想は
体系構造上の核心が同質だと思う。」

全く意味がわかりません。
返信する
ありがとうございます。 (ran_coffeebreak)
2020-02-05 21:45:19
「いいね」をいただき、ありがとうございました。
今回の記事を拝見して、南方熊楠の萃点(すいてん)を思いました。いろんな動きの中でひとつの「点」が意味することを思ったものです。いただいたヒントをこれからも考えていきます。
追伸
以前、課題をいただいていた永平寺、まだ行けていません。いずれご報告させていただきます。
返信する

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