朝の4時頃、ふっと眼が覚めてしまった。
Abruptly, I woke up around 4 o’clock in the morning.
窓の外はまだ真っ暗だった。
It was still pitch black outside the window.
そうだ、死んだように生きようとケジメがついた。
Right, I will live like I died, I made a clear distinction.
死んだつもりでやるべきことだけをやろうと思った。
I made up my mind that does only what I have to do
with the intention of I dead already.
自分の体はどうなってもいい、
やりたいことだけを死ぬほどやろうと思った。
I will do only what I want to do,
no matter what my body condition will be.
その瞬間のケジメを土に下ろすために、
坐禅のための足を組んだ。
To make clear the blinker's determination and root it down,
I sat with my legs crossed to do meditation.
初めて結跏趺坐を試みた。
I tried the lotus sitting position for the first time.
なんと、両足を均等に組めることができた。
Surprisingly, I was able to cross my legs evenly.
しかも苦痛や強制された息込みがなく、
バランスに均衡が取れてきた。
Moreover, there was neither pain nor forced breathing,
and I was able to have equilibrium for taking balance.
自然に坐れたことだから、
思いつく考えも意志で遮断することも止めて、
そのまま意識を流した。
Being able to sit spontaneously,
I stopped the intended blocking that
try to cut out thoughts and let my conscious go.
なら、気がつくと何も考えていなかった。
Then, when I realized I was not thinking about anything.
なんだ、一つの考えにずっと意識を向けることさえも
できないのかと気がついた。
What the heck! I found that
I even could not hold on to just single thought.
結局は、雑念を切るのも、負うのもできなかったのだ。
After all, I neither cut my thoughts nor chase for it.
考えはどこからでも浮いてきて、
泡のようにあっけなく消えてしまう。
Thoughts come from everywhere
and it vanishes swiftly like bubbles.
バブルを作る遊びを思い出した。
I reminded the play of making bubbles.
丸いリング状の中に洗剤を混ぜた水をつけて
息を吹くとバブルを作れる。
You can make bubbles with soap water
and breath out through a ring-shaped circle.
空気中にバブルが広がっていく。
Bubbles go spread in the air.
バブルに光が反射して虹も表れる。
A rainbow appears on the bubble by the reflecting light.
だが、その幻想的なバブルも
数秒も持たずにあっけなく消えてしまう。
But the fantastic bubbles be gone in less than a few seconds.
考えもそのバブルのように、
息のように現れて息のように消えていく。
As thoughts appear like bubbling,
it comes and goes like breathing in and out.
死んだように生きられたら
真に生きることに辿りつけるかもしれない。
If I live like dead, then I may finally reach to truly live my life.
やりたいからやる でもダメ
やるようになっているからやる。
「死んだように生きる」
まさにこれこそが、空体から発する意識なのです。
身体から空体に意識を移動させるという感じをつかむのが、一つの達観かもしれません。
もちろん人それどれですが。
真に生きることに辿りつけるかもしれない。>>
ご存知かも知れませんが
江戸期の『葉隠』佐賀・鍋島藩の山本常朝
一応「聞き書きとなっている」ので著の中の言葉で
『「毎朝毎夕、改めては死々(しにしに)、常住死身に成りて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課(しおお)すべきなり」』と。
これは一瞬一瞬の生死を亙るということで桂蓮さんの覚悟のようにも
でも景色と同化して暮せば
落ち葉の様に今まさに逝くのも悪くはないですね。
I am living in the afterlife now.
I felt lonely at first.
But now ...... I don't even feel lonely.
And strangely, I'm more active than before.
Are we "ghost sisters"?
I am a ghost, but I still love you!
哲学の永遠のテーマが生と死、それと時間、自分と宇宙。
私などには永遠に語る中身がありません。