Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

苦痛の暗号-Code of Pain

2017-01-31 | 坐禅

苦痛は暗号か?Is pain a code?

坐禅のフォームは慣れるまで苦痛を伴う

Zazen form brings with physical pain until getting used

特に足の痺れや痛みは

Especially the numbness and pain of legs accompany

足を使えなくなるのではないかと

Would not be able to use my legs

恐怖感までもたらす

Bring up the feeling of fear


背中の痛みは正しく座れば

If I sit correctly the back pain

足の痛みほど強烈ではない

-is not strong as legs pain

だが、足の痺れによる痛みは

However, pain due to numbed legs

以下の妄想につながる

It leads to the following delusions


➡血が通らなくなる

⇒Blood fails to pass through

➡血液循環が悪くなる

⇒Blood circulation deteriorates

➡足の血管が切れる

⇒Leg’s blood tube be cut

➡血管が破裂する

⇒Blood vessels burst

➡致命的な損傷を起こす

⇒Causes a fatal damage

➡救急車に運ばれる

⇒Carried to an ambulance

➡手術をしなければならなくなる

⇒Would have to undergo surgery

➡一生障害者になる

⇒Becoming a disabled person forever


そこまで妄想が暴走したら

When the delusion has run wildly to above

それ以上坐るのは無理になるので止める

It will be impossible to sit any further, so better stop

だが、一度その妄想に立ち向かった時があった

Although, once there was one moment I have faced on the delusions

苦痛の実体を眺めようと思った

I thought to try gazing at the entity of pain

苦痛を分析したり

Analyzing pain or

圧倒されるではなく

Not to be overwhelmed 

苦痛をただ見つめようと思った

I just wanted to gaze at pain


苦痛を見るには

To see a pain

苦痛を感じている身体感覚から離れる必要がある

It needs to get away from physical sensations which I am feeling

身体感覚が自分のものだと決めつけると

If I decided that the physical sensations are belonged to mine

私という自我は苦痛そのものになって

Then my ego which as me, becoming pain itself

苦痛を避けたくなる

It wants to avoid pain

私という自我は苦痛を無くすために

The ego of me tries to eliminates pain

恐怖を感じさせ

-it lets me feel fear

苦痛を止めさせようとする

-tries to stop having pain


恐怖心は人を怯えさせ

Fear frightens people

事実に直視できないようにする

-it tries that not to look directly on facts

私はその恐怖心の態を見ようとした

I tried to look at the form of fear


実際に身体の苦痛が進行しているので

In fact, because of the physical pain is ongoing

苦痛がもたらすはずであろうとの

Whether the pain should bring

恐怖心を直視することは難しい

That is difficult to look directly into the fear


だが、自我を外側に置くと可能になる

But it will be able to see if put ego on the outside

つまり感覚を感じている自分を見ることだ

That is, seeing myself which is feeling senses

そうすると、恐怖に圧倒されている個体が見える

If so, can see the individual which is overwhelmed by fear

その個体は苦痛に塗れて

The individual has smeared with pains

恐怖に怯え、恐怖を直視できていない

-frightened to fear, not been able to face up to the fear


その恐怖の実体は事実でありながら

Both side the entity of fear is as a fact

幻想でもある

-it is also an illusion

それらを眺めているうちに

While I was gazing at them

気がついたら苦痛が和らいでいった

I found that the pain has demised when I aware


苦痛というのは

The pain is

暗号か…

Is it crypto…

解読したら見えるものか...と思った

It can be seen if I decoded…that was my thought


これらは

These are

H24.10.25(2013)の4年前に

4 years ago, on October.25. 2013

坐禅ノートに書いてあった…

Written in my zazen notebook…

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42 Comments

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Unknown (T)
2017-02-01 05:41:10
まさに苦行者が苦行を行う時の心理ですね。
苦行者はそれを乗り越える事に快感を覚える。

釈迦は6年間?の苦行者生活で何一つ悟りを開けなかった。
苦行者生活を止めて、その後、菩提樹の木の下で瞑想をしていた数日間は足が痺れるなんて事は無かったんでしょう。

それで悟りに至った。
悟りと苦行は無関係??
返信する
痙攣常習 (桂蓮)
2017-02-01 05:59:40
Tへ
4年前に書いたノートを要約したものです。
当時は心的苦痛が酷かったので
苦行だと思いませんでした。

当時のノートを読むと
もしかして、私あの境地に?と思ったりしますが、もう長年が経っているのですっかり忘れてしまいました。

今は自分のノートを理解するために記憶を呼び起こしています。
認知症の予防接種!!
悟りと苦行は関係はあると思いますが、
データーで言えと社会心理の先生からいつも言われましたね。
返信する
Unknown (T)
2017-02-01 06:24:19
数年前の恐山殿の記事で「坐禅の作法」について解説していたけど、
坐禅体位は、呼吸が真っ直ぐ通って腹式呼吸がしやすいためだ、といってたよね。 
腹式呼吸は丹田呼吸の事だから日本では全ての武芸家(今ではスポーツ選手)が「肝をどっしりと据える」と言う目的の為に遣っていた呼吸調えのテクニックだよね。

医学的にいえば、腹式呼吸をすると腸が刺激されるから副交感神経系が活発になる。副交感神経は、気持ちの安らぎ・安定感・落ち着き感を醸し出す、と繋がってくるわけだよね。
呼吸療法と言う分野があって、落ち着きのないせかせかしたストレスいっぱいの人は胸式呼吸で息が浅いから、腹式深呼吸をさせると、人間が変ったように落ち着て来るという事で、呼吸セラピストもいるよね。

坐禅形式は集団作法として道元師がみんなで一緒に「型」から入る事の精神性(集団行動理論)を優先したからだとTは思うよね。

現在のサンガ指導者のベトナム人臨済宗派テック・ナット・ハン師は(数歩前に)「歩く瞑想」(の繰り返し)を指導しているよね。
返信する
Unknown (T)
2017-02-01 07:35:50
悟りと苦行が関係あるというデータも探せばあるのかも知れない・・・人さまざまだから。
しかし基本的に言うと、もし苦行が苦しみに耐える時間と言う事で言うと交感神経系の異常緊急警報が発令されている最中だから、そういう状況下では「悟る」事は難しそうだ。
交感神経系の異常警報を精神力で抑え込めれば、苦行中「悟り」を得られる可能性はある。しかしその時は苦行中ではなく苦行を超越した時点で「悟る」という意味となる。「心頭滅却すれば火もまた涼し」の比叡山僧兵の焼かれ姿が目に浮かぶ・・・。
ーーーーーーー

悟りと苦行は関係ないという事を示すデータは、
南さんの変性意識=悟りの一形態は、坐禅中、永平寺で屋根の落雪の音で突如訪れた。

釈迦は坐禅中、明けの明星を見た鶏の鳴き声で突如悟りに達してしまった。

これらは苦行と悟りは本質的には関係ないという事のように見える。
返信する
Unknown (T)
2017-02-01 07:47:15
ついでだから言及しとくけど「呼吸セラピスト」以外にも
「笑いセラピスト」と言う分野もあるよね。
基本理論は、哲学者アランの「人は幸せだから笑うのではない、笑うから幸せになるのだ」という真理?から出ているよね。

日本では昔から「笑う門には福来る」との諺があったしね

さあ皆さんご一緒に・・・ワッハッハ!!
返信する
Unknown (T)
2017-02-01 08:01:48
即ち、悟り・解脱・涅槃の本質は、悦び、安寧、平安、透き通る静寂感だから、
苦行の苦痛感からは生じない。
返信する
データベース (桂蓮)
2017-02-01 08:19:41
T=Data bankですよね。
右脳と左脳を繋ぐ脳幹が女性並みに太いと推測しちゃうほどです。
脳幹が太い女性はそれが細い男性に比べて、直観が鋭いらしいですね。
知識を関連付けさせる能力も、左右の脳のバランス感覚が優れているから、そんなに素早くデーターを持ち出せるでしょう。
私は、知識系に疎くて消化できるまで時間を必要としますが、一度飲み込めたら、後は早く処理できます。
アップロードするには、ダウンロードしてインストールしてその他の他、再構成など過程が複雑です。
Tのいう水平飛行は私の2020年版に可能でしょう。
データー処理には時間がかかりますので、了解ください。
返信する
それっ! (桂蓮)
2017-02-01 08:22:39
『透き通る静寂感』これについて昨夜書きましたが、データー不足で止めてこのタイトルにしました。
私のノートほとんど、それについて書いています。
返信する
Unknown (T)
2017-02-01 10:14:23
日本語のウィキペヂアで「涅槃」(ねはん)と検索すると、
涅槃=悟りとある。

日本で近代仏教研究者の祖である中村元は、
釈迦時代の様子を良く表しているダンマパダ第十章暴力、134節の訳注において、
「安らぎ(=ニルヴァーナ、涅槃):声を荒らげ無いだけで涅槃に達しうるといっているから~~」と記している。

明らかに「悟り」と「苦行の苦痛」は本質的には関係無くて、
むしろいつもニコニコしていて、言葉が穏やかな人こそ涅槃に達した人だ、と言ってよいことに成る。
(注)後代の仏教教学者が悟り・涅槃を小難しくしてしまった様だ。
返信する
涅槃像 (Tへ(桂蓮))
2017-02-01 14:19:26
では荒行で悟りを得ようとする宗派は(滝に打たれる、断食するなど)何のために苦行をするのでしょう?
涅槃が穏やかな形で現れるなら、私はきつく見えるので、もう見た目から外れ?でしょうか?
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