市民権テストは今まで私が受けた各種テストの中で
一番重要であったので、それに比例してストレスも重かった。
学校の期末テスト、入試試験、資格テスト、車の免許試験、
大学での編入試験などに比べられないほど重大であった。
その重大さに比例して精神的ストレスレベルも高くなった。
市民権申請をして半年ほど待ったのだが、
テスト日の知らせが届いたのはテストの3週間前だった。
テスト準備のために、
歴史の各イベントのタイムライン
政治の基本構造、憲法の理解
立法の基本
地理と政治との関係
過去問の分類的な整理などを段階的に勉強していった。
勿論、私がやったのは実際の試験より遥かに超える範囲であったが、
そうでないとテスト時に迷いとか間違う不安があり得るからであった。
とにかく、ノートに上記の分野を全部まとめて、
アメリカ地図も何回も書いて覚えた。
夫が模擬テストを何回かしてくれたので
間違った問題が何か特定できた。
ノート2冊ほど書いて覚えたら、
鉛筆を持った右手の指が痛くなった。
鉛筆を持った指が痛くなるまで書いたのは
大学入試以来だったので、懐かしい想いがした。
テストのストレスも今まで感じたことの2乗になっていく感じだったが、
ストレスそのものより自分が分かるべき知識量を増やすことに焦点をおいた。
年を取るにつれ、暗記力は落ちるが、理解力は高くなる。
なので、暗記すべきことは理解を深めることで補っていった。
頭は確かに悪くなっていたが、
どう悪くなっているのかが分かったので、
悪い部分をバックアップする方法を強化した。
悪くなってしまったのを再び良くさせることは長い時間を要する。
だが、短期間で頭悪い状態のまま試験を受けるには、
できないことよりできることに集中しなければならない。
できることに集中すると鈍い頭もノロノロながら働き始めるのある。
その他:
ブログ訪問してくださった皆様へ
テスト後、急遽の報告投稿だけ先にして
何もしなくただ遊んでばかりしていました。
ゲームも何時間やって、観たかったアニメも何時間も観て
パソコンさえ開かなかったです。
今日は月曜で、先週木曜が試験でしたから、
木、金、土日4日間遊んでいたことになります。
今日朝起きて、やる気が出たので記事アップする気になりました。
今日は和文だけにして、今週中に英文だけにしてまたアップしますね。
添付した写真は季節外れの2年前の春に撮ったものです。
日本のみなさま国内災難続きのようでご苦労さまです。
それが、どれだけ難しいストレスフルな試験かは市民権の試験が生存権に直結していることからも想像できることです。
よく頑張られましたね。後はゆっくりお休みください。
ただ受かるより、全問正解狙っていたので
(テスト結果が残ると言われたので)
ストレスが大きかったです。
後でテスト結果を読んだのでしたが、
受からない人は後再試2回ほどで
もう受ける資格を与えないようです。
テスト結果で分かったのでしたが、
テスト自体は知識より
英語テストでした。
英語力はTOEIC満点とか
英検1級とかでないと答えられないと思いましたね。
要件満たせばもらえるものかと思ってら全く違うんですね
英検1級レベルですか
それなりの移住年数などないと勉強だけで通用するレベルのものじゃなさそう
3回落ちるともう受験資格も無くなる
それ聞いただけどもう無理だなって感じです
かなり難度の高い試験のようでびっくりしました
日曜日の新聞に大学共通試験の問題が掲載されていました。
英語の問題は、問が英文になっていて、そうだよな、と思った次第です。
会社人生は毎日が答えのない試験みたいなもので、会社定年でやっと試験から脱出できた感がありました。
二度と御免ですね。
dust bowl の中で織りなされる
赤と青の蜃気楼・・・
恐らく、アメリカで高校卒業レベルを想定して
問題を決めるのかなーと試験中に思いましたね。
勿論、予想問題や過去問攻略とかのサイトも結構ありましたが、
ただ暗記だけでは、その場で面接官が作る問題に
答えられないとおもいましたね。
私は夫が常に学術的な単語を使っているから
法律用語も慣れていますが、
アメリカ人と結婚していない人なら
全て勉強しないとついていけないとも思いました。
それと、ベルさんブログのツルの写真
後で何回か観てコメントに参ります。
脳科学者が言っていたことです。
発信地を明かすべきでしたね。
私もそれ聞いて本当に安心できました。
同じです。
自分一人文句ダラダラでやってました。
ゲーム脳は発達しているのに、あれ全く効かなかったでしたね。
年取って一ついいことは
テスト受けなくていい、ということですかね。
その国で生まれ、死んでいく人には
絶対分かってもらえない感情ですよね。
日本で26年間、私は身内も世話してもらえる人が
全くなかったので、
もし交通事故などで死んだら
役所の燃えるゴミ扱いになるところでした。
だから、常に身分証明書を持ってました。
26年(姉は常に住所変更してたので、役所的には私の姉に連絡不明なはず)
死んだ後の死体処理で悩んだ?から
今は本当に安心して死ねます(?)
自分もそう思う。
「2乗になっていく」の日本語表現がなく、
新しい表現として理解はできるのですが、
「倍々になっていく」もしくは
「何倍にも何倍にもなっていく」のほうが
日本語としては分かりやすいと思いますがいかがですか?
一つの案ですよ。
学校を卒業した60年前に英検2級を獲りました、
これでは市民権獲れそうもないですね。
市民権が有ると無いとでは、
どのように違うのでしょうか?
お尋ねします。
幼稚な表現だったかもですね。
くだらない表現かもと思いながら、まーいいやと開き直って書いたのでしたが、
やはり指摘が入りましたね。
市民権があるなしでは、本当に劇的な差があります。
Greencardの時は、お客さん気分が強くて
落ち着き感が無かったです。
しかも選挙の時は、夫一人で出かけて
夫婦なのに、これ何だ、と思ってました。
しかも、銀行口座等も余計パスポート必要だったりと
なんかの身分証明の時に、山のような書類が必要だったりと。
それはともかく、私は韓国に帰っても
縁が絶たれた姉しかいないので、
戻ってもまた一人になるし、
日本に戻ってもそっちでもお客さんなので、
どこにも安住できない感じでした。
それがアメリカで正式に権利が与えられたので、
それらの問題が一気に消えましたね。
まー日本で生まれ、育って、死んでいくのが当たり前の人たちは、なんで?そこまで?とおもうでしょうね。
でもまーこれで全て落ち着きました。
聞いて下さって返事書きながら、再度心が整理ができ、ありがたく思っています。