私の運動神経は鈍い極まる。
I have extremely dull motor nerves.
なので体育嫌いだった。
That is why I hated physical education.
小中学校時代は体育の時間に偽病を使って休んだり、
体の不調を訴えて端っこで休んだりした。
In my school days, when before the ED time,
I used to use a false illness to skip
or lied about having a bad condition to rest at the corner.
なのに体が弱くはなかったのは、
歩いて通学したからだと思う。
But I was not physically weak
because I had to walk to go to school.
20代に入って、ジム通いを始めた。
In my twenties,
I started to go to a gym to train myself.
だが、明確な目標も無ければ、
なりたい理想像も無かったので、
暇な時間さえあれば、
ジムでうろちょろするような暇つぶし程度だった。
However, neither I had a determined plan,
nor had an ideal image I wanted to be,
so whenever I had free time,
I would spend time at the gym just to kill the time.
なので、気分次第で通いだしたり、
忙しくなったら辞めたりして全く気に止めなかった。
At that time, depending on how my mood was
I would keep training or quit when I became busy,
so I did not care at all.
なのに、55才に入って
本格的に筋肉トレーニングを始めた。
But even then, I started full-scale muscle training
at the age of 55.
何が切っ掛けだったか忘れてしまったが、
6月頃からやり出したかもしれない。
I forgot what the trigger was to be motivated
but I may have started it around June this year.
筋肉トレーニングをやりだして気づいたことは、
Things that I realized
since I have started to train myself were,
体は絶対に嘘をつかない。
The human body never lies.
体に奇跡は無い。
There is no miracle in the body.
体に悪運、幸運は元々無い、
その3つが基本を成していることがわかった。
Basically, there is no good luck or bad luck.
I learned those three are performed the basics.
体で嘘をつくことは演技を除いて、
訓練無しでは難しい。
It is difficult to lie with body language
without certain training, except acting for a play.
詐欺師は言葉と体で嘘をつくが、
彼らはその嘘を正当化し生きる術としてしているから、
その嘘に気づけないと詐欺の被害に遭うはめになる。
Scammers' words and bodies can lie
with their justification to way to live as work,
so people who are not able to notice the lies
end up being victims of the fraud.
本当は嫌いな人と礼儀で嫌いなことを隠しても、
相手は何となく訳もわからず嫌われていると感づく。
If someone dislikes a person but hides it socially,
the opponent eventually catches up with the feeling somehow
that being disliked.
それと同じく、
本当は好きなのに嫌いな振る舞いをしても、
相手は嫌われていないと感じ取ることができる。
In the same way,
if someone pretends to dislike a person hiding how much liking,
eventually, the person is able to catch not disliked.
体は事実しか言わない。
The body only tells the truth.
体には奇跡が起きない、
奇跡のように、できなかったことが
嘘のようにできるようになることは無い。
No miracle for the body,
the body never makes the capability
upon incapability like a miracle.
ダイエットカプセルとかドリンク剤で
奇跡のように痩せた広告も見かけるが、
強引なダイエットにより体の恒常性が崩れ、
体の副作用を誘発する。
Often, we see advertisements
about diet drinks or taking a capsule that
can make to be skinny like a miracle,
but such forcible dieting destroys the body's homeostasis
and induces side effects on the body.
自転車に乗れるようになるのも、
泳ぐようになるのも奇跡でない。
Be able to ride a bicycle or swim is
never come from a miracle.
乗る、泳ぐ練習をしないと、
突然できるようにはならない。
If you do not practice riding and swimming,
you never be able to do it instantly.
運良くできるようになることも、
運が悪くてできない体の技も、無い。
There is no luck or unlucky to accomplish physical techniques
like I could not do because I had a bit of bad luck,
or I could do it by luck.
体で為せる全ての技に運のよさや悪さが無い。
The techniques our body makes,
it never comes from a piece of luck or a piece of bad luck.
動作は始めないと動作できないようになっている。
An act never is operated until it is started to do it.
電源を入れないと電気がつかない仕組みと同じである。
It is the same as the mechanism that
electricity never powers on unless the switch is turned on.
体は因果に従ってONとOFFをおこなう。
The body can do ON and OFF by the consequences.
これらの体の真実は事実である。
The truth of the body in the act.
体を使わずに頭の思考だけで
真実や事実を述べても体は変わらない。
The human body never changes by telling truth or facts that
only came from thinking in the brain without using the body.
体を変えない真実や事実は瞬時には輝けるが、
体の細胞を覚ますことはできない。
The truth unable to change the body can radiate us instantly,
but it never awakens the body cells.
認識の思考力は
細胞あたりの脂肪率を絶対に変えられない。
The cognitive thinking power
can never change the fat rate per cell.
体の真実は体でしか証明できない。
The truth of the body can only be proved by the body itself.
私が武術を教わる過程で
「背中に意識を置いて立つ」があります。
両足共に力まず左右に移しながら壁を背にして立ち
意識を身の内側に深く向け細やかに骨肉細胞に対し
溜めや捻じれの無い方向転換が出来るよう感覚を磨き上げ
「居着かずに相手の動きの起こりを捉え
相手を傷つけずに優位を示し生き残ること」を目指す。
当に『体の真実は体でしか証明できない。』という
課題が残されたまま
細胞の一つ一つに意識をと
永い修練の日が続いる今日です。
この言葉は恐ろしい力を持っていますね。
それがどれほど怖いくらい集中力を必要とするか、もう想像すらできません。
今、私は足の指だけに意識を持たせようとしています。
それだけなのに、ありえない苦痛がありました。
昔、車が私の足の上にのかって
その車の運転手は私の存在すら知らないまま
あっという間に去ってしまいました。
以来、片足に常に苦痛があり、
それを克服するにも倍々の努力をしないと
両足が並にならないです。
長年の苦痛に足の指が曲がって
それを伸ばすだけでも、悲鳴がでるほど
でも、指をコントロールしつつあるから
苦痛の引き換えに、得たいものが得られた感じがあります。
榮久さんは全細胞の意識化を念頭においているのですね。
いつか、私も足が済んだら
上の上部を目指すつもりでいます。
>「背中に意識を置いて立つ」<<
バレエの先生が似たようなことを言ってました。
これも更に難しい実行ですね。
でも、そうなることを意識して訓練すれば
不可能でもないかと思います。
体重の移動も私にはまだまだ難しいです。
足の軸がまだフラフラなので
意識を中へ持っていく前に
軸自体に意識がいってしまうのです。
ですが、榮久さんの今回の状態説明は
私に具体的なヒントになりました。
本当にありがとうございます。
勘と運だけの当方には耳の痛いお話です。
入れ替わらない自分という意識は一体何なのか?
そちらの方が怖いとは思いませんか。
今は、歩くだけです。
筋肉は嘘をつかないと言いますが、そのとおりです。
今回の記事を書いた背景には
考えすぎる人や私自身を想定して書きました。
勘運任せで振り付けを覚えるずる賢い悪いクセがあるので、
自分への啓発、警告兼ねて書きました。
耳の痛い話(私自身の)になりましたね。
実は私もずーとそれを考えています。
特に、洗い物をするときと料理をするときに
考える(能動的に)ようにしています。
公安に似た注意かもしれません。
坐禅指導をしてもらっている渡辺さんから
私は公安が向いているかも、と言われ
本当にそうなのかと試みしているところです。
皮膚の細胞は入れ替わっているのに
昔の傷跡は未だ鮮明に残ってますね。
それが怖いといえば怖いし、
事故は事実だったと思わせますね。
知らなかったです。
そうですね、歩くだけだと筋肉割合増えないですね。
私は今足首と足の指を鍛える過程中なので、
歩く時に指を意識しようとしています。
意識的に5本指それぞれの感覚を掴み取ろうとしています。
足の指と平衡感覚器官は直結しているようですね。
ご承知の様に
習うと教えるの意味を持っています。
Hērakleitosは自分は誰の弟子でもなく
自分自身を精査して、自分自身から学んだと
そんな思想を吟味し論考
Nietzscheは無国籍の人として
たったひとりで感じとって
ひとりで考えました。
ただひとりでなすと
独善的と誤解され易く
またNietzscheの思想は
難解で禅の公安にも似ているようにも
みんな生きて、死ぬという当たり前のことを忘れずに
長いスパンで体に染み込ませように努めています。
アインシュタインも光について長年取り組んだようですね。
トライブの時は、いつもアインシュタインが何を考えていたのだろうと、
過ぎ去っていく景色を見ながら
彼はどう考えたのだろうかと、
気がついた時には、そこから禅の自我意識までジャンプして考えたりする癖があります。
Nietzscheを読み終わらせようと十代の時に
図書館に通った時があります。
そういえば、大概の哲学書は韓国の時に読み漁りましたね。
韓国語はハングルだけでも漢文も記せるから
難しい漢字は( )でついていて
中学校卒業レベルでも読み理解することができます。
Hērakleitosも読んだ覚えがありますが、独断的でない感じしか残ってませんね。
その遍歴から言えることは
多くの哲学者は独断、独善、偏見などを弁える判断力を養ってくれたと思います。
私の父の一番いい教えは
ボッケといるなら本でも読め!といつも叱ってくれたことです。
だから父がいると掃除をするか、本を読むか、何かをしてないと拳がくるので、
本を読む習慣がつきましたね。
私の姉も常に何かを読んでましたね。
そういえば、父が三国史とか論語とか夢中に読んでて、私が本のレンタル屋(漫画部屋といい、漫画や小説を貸す店がありました)に借りに行ってましたね。
学校の前には、お菓子屋と漫画部屋、文房具屋が並んでいて、お金があるとそこに行ってた覚えがあります。
ニーチェを聞くと、図書館が連想されますね。
今の時代の子達はウィキペディアかグーグル、ヤフーの何が一番上に来るかの感覚でしょうね。
今の子達は、本の匂い
本をめぐる触覚
本の重さがわからないでしょうね。
図書館の匂い、
その静寂さ
声を出せない畏敬
ページーをめぐる時に気をつけて静かにしないといけないその注意力
彼らが失ったその空間感覚
可哀想かなと。
話が逸れましたが、ニーチェが公安的だと言うことから、ジャンプしてみました。
私にもいい思い出があるんだね、と新たな発見もあって、驚きもありで。