魅力的な人になる条件の一つに
自信感を持つことがある。
One of the conditions for being attractive
is to have confidence.
言い換えれば、自信感がある人は
魅力的に見えるということである。
In other words,
people who have confidence look attractive.
だが、私は自信感に溢れている人が
どうも好きになれない。
However, I don’t like fully confident people at any cost.
何故なら、その人が持つ自信感に根拠があるのか
どうかを見てしまうからである。
Because I tend to look at the confidence that
they have shown would have the basis to prove.
自信感に溢れている人を見ることは煩わしい。
It is annoying for me to see overly confident people.
その人がどんなに良くできるにせよ、
私とはなんの関係が無い。
No matter how those people are good at something,
it has nothing to do with me.
国を代表するオリンピック選手なら、
自信感そのものに見えることは当たり前だが、
日常の人間関係の中では
自信感はその人だけが持つ個人事にすぎない。
An Olympic player who represents one’s country
must show what confidence should be,
but in normal human relationships,
a confident feeling merely belongs in the individual.
自信感は極めて個人的な感情である。
Confidence is an extreme personal emotion.
自分があることを間違いなく遂行できる能力でもある。
It also indicates an ability to achieve without fail.
自分ができると信じる感じにすぎず、
バックアップが無くても誰でも持つことは可能である。
It is merely a feeling of believing
that would be able to do it,
and anyone can have the feeling even without backup.
そう信じることに根拠が無くても誰も判定しない。
Even though there is no basis
for such a belief, no one will judge.
だが、その自信の度合が行動に表れて、
人の期待にそぐわなかった場合は
自他共にがっかりすることになる。
However, when those confidences appear as an action,
and if it fails to meet expectations,
the person and others who witnessed will be disappointed.
自信感に溢れている人は人の感じ方も
操作しようとする傾向があるように見える。
The confident people looked like
they tried to manipulate how others should feel.
人の良し悪しの判断基準を
自分流に変えたがる心構えが
根底にあるからかもしれない。
Perhaps, in their underlying minds
would want to change people’s good or bad judgment favorably.
人の判断まで自分が握っていると
錯覚しているようにも見えたりする。
They seem to have illusional perceptions
that they can control people’s way of feeling.
要するに、何が自分の感じであって、
何が人の感じであるか区別できていない。
In short, they can’t classify what is their own feeling
or what feeling is to be other’s.
それらのズレをコントロールしないと、
根拠の無い自信感は
煩わしい態度として行動に表れる。
If the disparity is out of control,
the confidence loses basis,
and it appears a lousy attitude.
では、人を裏切らない自信感とは
どのような状態を指すのか。
Then, what components indicate
confidence that will not let others down?
絶対失敗しない確実性
The certainty that never fails.
絶対成功させる確信性
The conviction that absolute success.
条件に頼らない能力
The ability that never relies on conditions.
それら3つの基本が根底に
土台としてあると自信感は結果としてついてくる。
If someone has the 3-basis as the foundation,
confidence will come as a result.
自信感は探して持つことでなく、
ついてくる結果である。
Confidence is not something one looks to have;
it is a result that comes along.
自信感を持つために努力しても
自信感はついてきてくれない。
The confident mind will not come for you
even though you make efforts to have it.
何かができるようになるまで、
項目の能力が必要なら、
10項目をクリアして
次の段階に移行できる準備ができた時に
自信感は自然にきてくれる。
If we define there are 10 kinds of abilities
needed to accomplish something,
when all the optional 10s are cleared
and get ready to step up to the level,
the confidence will come naturally.
結果を急ぐ人に自信感は遅くくる。
Confidence comes late to those rushing for it.
過程を長く持つ人に自信感は早くくる。
Confidence comes quickly to those processing longer.
信じる、信じないことの裏の背景には、
その感じを裏つける事実の質と量があるのだろう。
Behind believing or unbelievable,
there will be quality and quantities of facts that
can back them up.
学ばせていただきましてありがとうございます。
相手に否が全面的にあったにせよ、問題を長引かせるのは心の病を引き起こす恐れがありますよね。
問題は問題のままに、
悪は悪のままに
触らないで、
変えようともせず、
そのまま、あったままにおくことも必要かもです。
手からその問題を放つ決心をなさったようで
私もほっとしました。
この世の悪類は
非難しても、消そうと、無くそうとしても
無くなりません。
人へのいじめも無くなりません。
皮肉にも
悪を直そうとすることで
悪の影を追うことになるので、
悪はそのまま、放っておく努力も必要と思います。
それは悪を見過ごすこととは違います。
ただ、触らない、言及しないことなのです。
相手の悪を明確にしても
自分が受けた被害の内容が変わりません。
私がいじめに遭った時
先生が、
自分が受けた被害を全部細かく紙に書いて、
その加害者への恨み、憎しみも
詳しく全部書いて、
それを読み上げ、
キレイに燃やせ、と教えてくれました。
私はその教えに従って
全部書いて、読み上げて、燃やしました。
すごく泣きました。
で、それが最後のいじめ被害になりました。
その後、私をいじめようとした人がいましたが、
私は死ぬ覚悟で立ち向かいました。
まー詐欺に遭ったことは何回かありましたけどね。
苦しんが記憶をキレイに燃やし消せる日が来れることを祈ります。
あの記事も書かなければよかったと思いましたが、私にすれば、早く収束ほしくて書きました。
こういうふうに引きずることはどちらにも得策でないと思いましたから。
が、書いたことで、また向こうが仕返ししてくる可能性がありますから、やはりほっておくことが一番だったかもしれません。
桂蓮さまもご苦労されてこられたのですね。
だからこそ、こういうふうに的確に対応していただけるのかもしれないと考えるとき、苦労も必ずしも悪いばかりでもありませんね。
もう一度読み直させていただきます。ありがとうございました。
それが何よりほっとします。
人から受ける苦しみは(特に相手が特定できない場合)訴えるところがない分
余計苦しいですよね。
人の人格を攻撃する人
人を格下げして、自分を格上げしようとする人
ある人を悪く言って、同意する人を集めようとする人
それらの非条理の裏には
自分が他人の感情をコントロールできると思う異常があるのです。
それらを訴えることは
物理的も、倫理的でも、警察の介入を借りるとしても
刻、刻個人の感情の処理領域に区分されます。
後ろから車にぶつかってきた時もありましたが、
それも自分の非が20%あると
法律上の関係性で、保険の点数があがったことがありました。
悔しいことは言えないほどでしたけど、
特に相手が想定できないウェブ上での被害は
対象が無いから、物理的に処理できないのです。
残ることは心理、精神面のケアしか無いのですが、
それも、被害の大きさに関係がなく
ただ、自分がどのように反応したかだけが
残酷に残るだけなのです。
相手を呪っても、幸せを祈っても
結果は何も変わりません。
あったことを
受けたことを
間違ったまま
そのまま、そこから去っていくしかないのです。
またその被害を受けるかもしれませんが、
その過程を繰り返さない努力が最も大事なのです。
二人、被害者と加害者の関係では
一方だけの反応が無くなれば
関係も無くなります。
悔しいことをそのまま、そこに置いてそこから去ってください。
私がネット詐欺に遭って
お金を失いましたが、
そこから、多くを学び
二度と詐欺に遭わなくなりました。
もちろん、警察に証拠を持っていきましたが、
現場で相手を捕まらない限り
何もできないと言われました。
なので、スイセンさんも
自分が受けたネット被害は
物理的に、自分の味方がいくらあっても
解決できないことを熟知しないと何も始まらないです。
悪循環をスイセンさんが切ってください。
切ったら、二度と振り向かないことです。
犬に噛まれて、その犬を殺しても
噛まれたことは変わらないことと同じなのです。
その人が以後、何をしても
その人の問題なので、
そのままおいてみてください。
スイセンさんとの関係を切ってくださいね。
魅力は外部からの判断、自信は自身の判断なもので・・。
自信がない行為が魅力的ではないのか?
そうも言えないかなと。
魅力を感じるのは、人に自分にないものを発見した時でしょうか。
難しい課題でした。
確かに、魅力は外部の判断価値で
自らがある無しを決めるもんじゃないですね。
この記事の背景には
バレエクラスでのある人に私がずっと引っかかっているので、
実は私自身のために書きました。
書くことで、そのことから離脱されたいと思って。
なので、記事を借りた自分満足ですかね。
ずるいと思いますが、どうもその人がいると
クラスに集中できなくて。
あまり深い意味無いとの言い訳として理解してくだされば、それでいいと思います。
お待たせしました。
書きの本を今日、11月7日しました。
『リコの文芸サロン』
•••ブログに綴る人生の機微•••
A5版326頁
税込み2750円
もう日本ではネットに、出てますが
アメリカのAmazonに出るかわかりません。
日本に住んで見える友人にたのんて買われる場合は
私のブログに、問い合わせ先が書いてありますのでご利用下さい。
何十回も何百回も生きたことがあるのであれば、それなりに自信を持つこともできるかもしれないが、残念ながら誰もが初めて生きている。
権力が樹立され、法が作られ、生存が常時脅かされる心配もなく、将来が予期可能な状態になった今日でさえ、それほど未来の見通しがきくわけではない。
自分には自信があると公言する輩に限って背景もわからず馬鹿げたことをしでかす。
私をコメントとつなぎたかった配慮?だったのかな?と思いました。
みんな初めて生きる、故に自信がある無しを言えない!
これ本当に新鮮な見方ですね。
なりほどと納得できました。
自己嫌悪に落ちて、憂鬱でした。
パソコン開くとか記事アップとか
ランク順位とか、
ブログ人間関係とか、
どーでもいい感じでしたけど、
今日、突然パソコン開く気になって
アップ気になりました。
でも自己嫌悪感はまだまだ強くて
鏡見るのは辛いです。
バレエのレッスンも鏡の無い角を選んで
なるべく見ないようにしてますが、
センターワークになると
前と後ろが全部鏡なので、
避けられないです。
見ないようにするのも
(鏡が前後にある部屋で)
結構難しいですね。
まー自信感くらいで自己嫌悪は克服できないでしょう。