カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

国家観

2015年03月06日 08時43分05秒 | アジア

「国家」をどうとらえるかは、難しい問題ですね。

  • 宗教国家・・・・イランやイスラエルなどの中東、EUや米国も
  • イデオロギー国家・・・・中国や北朝鮮、旧ソ連も
  • 民族国家・・・・今では民族に関係なく国境線がある
  • 市民国家・・・・国民・市民がつくりあげる国家

などなどがあります。はたして日本はどこに分類されるのでしょうか、上の分類には入らないのか(笑)。 


 徳富蘇峰は、「支那には家ありて国なく、支那人には孝ありて忠なし」と断言している。さすが蘇峰の中国観察は鋭い。中国人の国家意識の薄弱さが、当時一致団結して日清戦争、日露戦争を勝ち抜いてきた日本人のそれとは比べものにならないものであったのは、当たり前であろう。:P.77-81 金文学「進化できない中国人」祥伝社 平成26年3月20日 初版第1刷発行


蘇峰(に)は日露戦争の一年前、1903年に書いた中国旅行記「78日遊記」がある。その内容は彼の中国批判の「支那人には家ありて、国なく」、「支那人には孝ありて、忠なしとは、或る支那通の警句に候。」原典はこちら

 

徳富蘇峰の言葉を今風に翻訳すれば

    1. 中国 には、「家」があるが、「国」がない
    2. 中国人には、「孝」はあるが、「忠」はない

となり、これを2ヶ所から引用しました。

思い切って現代風に解釈するなら、中国人の視野が狭いため

    1. 「家」の概念はあっても、それより広い「国」の概念がなく
    2. 「親孝行」は微かに存在するが、それより広い「どこかに忠誠を尽す」姿勢は、金儲けの為だけに少しだけ存在する程度

ということでしょうか。

それはそうですね。

高速で走る中国人や朝鮮半島人だからこそ、視野が狭い。これは高速道路で車を運転する時を思い出せば「視野がせまくなる」ので納得しますね。

中国・韓国がもう少しゆっくり走る時代になれば、もう少し視野が広がるはず、と私たちはにらんでおります(大笑)。

中国共産党は、歴史上の共産党の例にもれず、視野が狭く党の強勢・繁栄しか頭にないからこそ

  • 独善的になれ
  • フィリピンやベトナムや日本に対しても「幼稚なわがまま」を見せ
  • 反政府活動で拘束している劉暁波 (りゅう ぎょうは)にノーベル平和賞が決まりかけるや「中国とノルウェーとの関係に悪影響が」と威嚇でき

もう枚挙にいとまがない、というところです。

1000年前ならいざ知らず、現代でもそれが通用すると思うのが中華の独善とされるところで、これは永遠に変らないと信じられています。

これは中国人のみに特有ではなく、韓国人にも、共有されています。

なぜならば、長期間にわたって中国の属国だった朝鮮半島では「何でも暴力・武力で解決しようとする中国の無頼」に従わざるを得なかった、からです。しぶしぶ従っているうちに、もうすっかり中国化し、いや中国を超えてしまい、世界中の偉人がみな朝鮮族であると語り始めるほど独善的になりました。おえりゃ~せんのぉ(岡山言葉)

今ではその暴力性が朝鮮半島にも深く広く浸透し

2015/03/05にも韓国で韓国人の暴漢が駐韓米大使に斬りつけるという事件がありました。直前にアメリカ高官が「韓国の自制」を求めた発言が「日本びいき」だと憤慨したもよう。幸い大使の命は助かりましたが大けがだったようです。

やはり韓国にも「視野が狭すぎて自分自身さえ自制できない」人がいると、証明しました。

こういう極悪人がいくら「戦争反対」と叫んだとしても、それは偽善であり、こんな人には、次の言葉を進呈するしかありません。

自分自身を支配する力より大きな支配力も小さな支配力も持ち得ない。:P.46「ダビンチの手記(上)」岩波文庫

しかし

いくら年をとっても、自分を客観的にみる習慣がない人には、この意味は分らないかも知れませんね。

この犯人の「国家観」に問題があるとしか言えません。自分あるいは自国だけが常に尊敬され続けなければならないと信じ込んでいると、相手を見下す・侮辱するという尊大さに至り、結果として誰からも尊敬されないどころか、ゆきつくところ罪人として罰せられるのが精々というところ。

ただし韓国では

公式コメントとして「容認できない」としているものの、韓国人の中には非公式ではありますが、この犯人を英雄視する人が必ず出て来るはずです。なぜならば自分たちの利益を守ろうとしたからです。韓国では、自分の利益に合致することは全て正しい・善なのですから(大笑)。

自分の主張を死守するあまり

暴力をふるうというのは、認められません。他人から見れば、暴力で自説の正しさを認めさせようと威嚇している、と取られるからです。

だいたいからして、「死守」が危ない。「死守」は、自分を「絶対的な善」だと信じるところから生まれます。・・・・いくら少々の「善」意識は許せる、としても。

宗教を禁止した中国でも、やはり宗教的な名残はたくさん残っているようです。韓国の場合、ケンカばかりですから、当然やむをえないでしょうか。

成田空港問題でも、普天間問題でも、そして韓国でも、この「死守」が健在だった、あるいは健在なのが、気になります。「死守」は対立の根源であり、何の解決策にもならないと思うのです(笑)。


石垣島の田植え

2015年03月06日 05時55分34秒 | 石垣島

先日、見たときには、ただ水をはっただけだったのに、この日 2015/03/02 に行くと、石垣島の名蔵地区の一部では、田植えが終わっていました。

気温や水の関係があるためか

年によって、田植えの時期は定まっておりませんが、ここ石垣島では、だいたい2月には1回目の田植えがあるようです。また小学生などが体験「田植え」をすることも。

たしかに人が田植えをすると

腰が痛くなって長続きせず、時々休憩しなければならないので、どうしても機械による田植えに頼るようになりました。

しかし巧妙な管理部門は農機具会社と組んで、米食が減った昨今でも、小規模農家に機械を高額で売りつけ・貸しつけして生き延びているのに、当の農家からは借金に追われる人たちが出る始末。これぢゃぁ肝心の跡継ぎ問題は解消されません。図体(胴体)が大きくなり過ぎると一部の職員を食わすためには、日本の農業さえ犠牲にするなど、何をし始めるか分りません。

天候不順のため日本国内で凶作だった時代にヒントを得てコシヒカリを海外で生産させ、これを逆輸入して儲けようとした商社がありました。しかしこれが、その後、農政の無策もあり、日本の農業を潰滅させたことも忘れてはいけません。もちろん商社だけの責任ではなく、主食である米作をおろそかにした日本人にも責任があるでしょうが、えげつないのはいつも、農協と商社!

ハブ退治としてマングースを導入したのに、マングースが他の野生生物や家畜を襲う事態とにていますね。イチゴに巣くう植物食のダニに悩む農家が、動物食のダニ〔ダニだけを食べるダニ〕を導入しているとのことですが、10年も経てばこのダニが何か問題を起こしそうで、心配が残ります。たとえば外へ脱出して生物体系の一部を破壊するとか・・・・

もともと自民党の政策によって

農村票などを獲得する目的で(当時の無知な農民)へ補助金を配り、米食が減り出すと減反補助金で農業重視を推進したつもりでしたが、その結果は、農家離れ、跡継ぎ不在、かけ声だけの減反、などなど、良くなったという印象がないまま。日本の農業は明らかに衰退しました。

しかしTPP交渉が本格的に大詰めを迎え

虚実の情報を散りばめての狡猾な交渉が進むとともに、おりから自民党は農協改革を進めていますが、これは長い農政を経験してきて、裏の裏まで知り尽くし、甘い餌の与え方や抜け道を残せる自民党以外では決してできない改革だった、と思っています。

農協には、いろいろあるそうですね。

  1. JA全中〔全国農業協同組合中央会〕は、グループ全体の管理を担当しており、いまその監査部門を廃止することなどが検討されていて、近く決着するらしい。通常の企業でも、各企業の監査部門を廃止して一括持ち株会社制度に移行して透明性を高めつつありますが、どうなることやら。
  2. JA全農(全国農業協同組合連合会)は各農協から仕入れた農作物の販売、そして農家へは肥料や農機具を販売しているようですが、農家としては、近くのホームセンターのほうが選択肢や価格の面でいい場合もあるとのこと。
  3. その他、共済や金融関係、県連などがあります。
ただし農家(農業)離れと、農協離れもみられ・・・・
誰かのさしず通りの「お任せ定食」を好む人がいてもかまいませんが、自分でどんどん試みたい人を排除せずに、ネットワークが進み、効率の悪い組織を廃止し、志の高い農家が自立できるような制度へ脱皮しなければなりません。
もう待ったなしの時代であり、短期利益を目指すだけで農業をかき混ぜる連中を排除しながらも、一方では廃業や新規参入の自由度を高め、後継者が育つようにしたいものです。

日本人には、寄らば大樹の陰を好む人もいますが
うまくいっているときにはいいとしても、根本的に解決しなければならない難問がある場合には、農家が自分の頭で考えて行動しなければなりません。他人や組織に頼っているだけでは、問題の解決は無理でしょう。
農業従事者たちの中には、人がいいというか、狡猾と言うべきか、小さな取引での利益にのみ集中しがちだった人もいて、そのおかげもあり、日本の農業が潰滅状態に陥っています。

食糧自給率は
これまた統計手法や品目により大きく異なりますが、農水省のこちらが参考になるでしょう。実に寂しいものですね。
米は、保護政策もあり90%以上ですが、麦関係は10%前後。
やはり私たちは、米を偏食することは避けながらも、米の様々な食べ方を研究し、TPPが締結されてもなおかつ消費者が、質が良く日本の風土にあった農産物を選択するように風通しをよくしたいものです。
機械化で農作物がたくさんとれ、余ったから外国へ輸出する、という程度の国に負けてはいけないでしょう。
 
そんなことを考えながら、田植えの季節を過ごしている昨今でございます。
 

忠義・忠誠(1)

2015年03月05日 11時14分13秒 | 生き方

 


広辞苑第六版では、次のように説明しています。

ちゅう【忠】
  ①いつわりのない心。まごころ。まこと。まめやか。
  ②君主に対して臣下たる本分をつくすこと。
  ③「判官」参照。

ぎ【義】
  ①道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。
  ②利害をすてて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと。
  ③意味。わけ。言葉の内容。
  ④(「仮の」の意)
  ⑤キリスト教で、神の正しさ。また人の、神の前の正しさ。

ちゅう‐ぎ【忠義】
  主君や国家にまごころを尽くして仕えること。忠節。忠誠。


「忠」と「義」には、違った意味があるのでしょうが

似た意味もありそうで、さらに「忠義」と重ねると、「忠」の意味が強調されているようにも受け取れます。

どちらでもよく

問題は何に対して「忠」「義」「忠義」をもつかということですが、言語の翻訳が入るため、外国ではその意味がバラバラなようです。

ここで小→大への忠誠とするなら、次が考えられます。

  • 親しみのある親や兄弟や祖先への忠誠
  • 信頼する知人への忠誠
  • 影響力のある教師や上司への忠誠
  • 当然と思って従っていた部族や宗教やその指導者への忠誠
  • 今属している国家への忠誠
  • 広く自分が属する民族への忠誠

これら「順位」には何の意味もありません。

どれを優先するかは、個人や集団が決めるものであり、他人が決める性質のものではないからです。

そしてある忠誠をもつ人が

微妙に甲乙をつけて、別の忠誠をもつこともあり、また自分がもつ忠誠以外を極端に排除することもあります。

世の中で発生する無数の「もめごと」の原因は

意外にこのような「何に忠誠をもつか」にあるのかも知れません。そして、その原因が分れば、仲違いが解消されることがあると同時に、もしも、原因が分らない・分ろうとしないなら、両者の関係が「絶交」「絶縁」へ発展することさえあり、大変扱いにくいことですね。

さていろいろな例で忠義などを見てみましょうか。


 アメリカのユダヤ系住民、とりわけニューヨークのユダヤ系住民のイスラエルへの、加熱した、独善的な、しかし、よく組織された支援に対する私の反発も、まずは感情的なレベルのものであった。・・・・それは、賞賛や激励の対象ではなく、非難されるべきものである。私はまた、そのような類の忠誠心に大きく依存している国は基本的に欠陥があるのだと感じた。:P.4 ジャンセン(インドの元外交官、ジャーナリスト) 奈良本英佑訳 第三書館

ちょっと古い引用メモなので、著者名は分るものの書名が不明なのをお詫びする次第です。

確かに世界中のマスメディアが、営業上従わざるを得ない「資本」によって左右される時代になりました。その主張する内容が、これによって何らかの影響を受けているとみなければなりません。

かといって非上場の「あやしげ」な創業者が支配するマスメディアがいいとも限りませんが、多くのマスメディアが限られた同じ資本に支配される世の中もまた、危険といわざるを得ません。

    • その昔、今でもそうですが、キリスト教やイスラム教が牛耳っていた時代がありました(あります)が、今ではユダヤ資本の影響を無視しては語れなくなったようです。
    • 日本や韓国では財閥系の影響なども充分考慮に値するし、その他の国では宗教や共産党の影響を一義的に捉えなければならないでしょう。
    • 表には出ない「破壊で利益を目指す軍需産業」も、これらの影響を無視しては語れません。

そんな「何に対する忠義・忠節か」という目で見るならば、世の中が少し変って見えるはずです。上記引用文では、インド人の視点からアメリカを見ています。

かつては流浪の民でしたが、諸般の事情でイスラエルを建国した今では、一部からは憎しみの対象となっているのは、すでに御存知の通りです。

私は昔から、そして今でも、恐らく未来もそうですが、どの宗教にも何の関係もないため、それこそ自由にそれら宗教を語れると思っております。

一言だけいえば、

宗教が個人の心の中にありさえすれば何の問題もなく、宗教は大切だ

と断定できます。

しかし、現実社会はそうではなく、日本はもとより世界中の国々の社会が、程度の差こそあれ何らかの意味で大きく宗教に関わっており、宗教がその国を治める役割を果していることさえあります。

先日フランスで凶悪な事件があり、イスラム教が自分たちのキリスト教を威嚇しているとも受け取れる「表現の自由」を求めるデモが見られました。

しかしあれは、「宗教の自由」と言うと、敵対する宗教を否定することになり問題が大きくなることからくる、善意の抑制かとも思いますが、実は深刻な宗教対立の側面を明確に示している、と私は考えています。

宗教がらみであり

いずれにより大きい非があるか判定しにくい中東問題があるとしても、行き過ぎたユダヤ資本が世界の金融を意のままに支配しようと野望をもつ現在、「イスラエルの過激さがイスラムの過激派と遜色ない」と考える人が増えているようです。

戦後最悪とも言われる現在のアメリカ・イスラエル関係ですが、とにかくここでは冷静に、宗教の与える影響について述べるにとどめておきます。 


 ソ連でのインタビュー相手が警戒色を示したのは、自分の意見が公にされてなんらかの災いがおよぶことを恐れていたのだが、私が慎重だったのは、祖国に対して忠誠心に欠けるのではないかという良心の呵責をおぼえただけ、という違いはあった。:P.205 ロイス・フィッシャー=ルーゲ「ソ連市民200人との対話」平凡社

ここには、祖国への忠誠と、政権への忠誠、にゆれる人の心が見られます。

ですから私には

「災いを恐れる→祖国への忠誠心に欠ける」も

祖国への忠誠心に欠ける→災いを恐れる」

も同じに見えます。良心の呵責とは言っても、祖国に対するそれか、政権に対するそれか、あるいは民族祖先へのそれか、は異なるのですね。もちろん、これを察知できた著者の視点は鋭いのですが。

ただし、著者が記述する状況から受ける読者の考えが、著者の考えと一致していなくても構わない、という原則を認める余裕があれば、本の虫にならない健全な読書効果が得られるはずです。あまりにもひねくれたのは別としても、「何か」が得られれば充分に価値はあると言えます。

ここで私は

5~6年前、ある人が「あなたは広辞苑を否定するのですか」と私に言ったのを思い出しました。私が何を言ったのでそう言ったかは、聞いても詮(せん)ない人でしたので、聞かずに、私は即座に答えました。

「辞書というのは、ある主張なんです。別の辞書は別の主張をします」と。

それっきり相手は黙ってしまいましたが、その言い方からして、時折りみられる「広辞苑を神聖化しすぎる人」、「健全な懐疑心をもちあわせていない人」、でした。

この人は、「自分が信頼しているある辞書が世の中で絶対的に正しい」と信じ込む傾向があったため、私にそういう疑問を発したのでしょう。

もう一度言うと

  • あなたは広辞苑を否定するのですか

という質問は

  • 「あなたはキリスト教を否定するのですか」
  • 「あなたはイスラム教を否定するのですか」
  • 「あなたは仏教を否定するのですか」

と同じ意味なのですね。

宗教の信者とはこういうものだ、と思い知った次第です。

これはどの宗教にも荷担(かたん)しない私だから言えることでした(笑)。


 側近団はあくまでも大統領選挙期間、いかによく働いたか、といったことを基準に選ばれるために、国政を担当する能力よりも、大統領に対する忠誠心や選挙活動の技量が最優先されがちである。・・・・いわば旗本・・・・:P.138 日高義樹「アメリカ・パワーエリートの驚くべき日本観」潮出版

私たちが、総理大臣安倍をみるときも、韓国大統領朴槿恵(パク・クネ)をみるときも、米大統領オバマをみるときも、その周辺が忠誠心をもつ人たちで固められている、と理解しておきたいものです。ややもすると個人に絞って信頼性を決めがちですが、所属する党や側近に目がむくならば、より理解が深くなるはずです。

そしてこれが、人を超えて党と党との醜い争いに至るわけです。

尤も一党独裁の国は「代わるべき党」がないため、弾圧はより強固に、人権無視はよりひどく、進みます。


マレーのメモ。「スティーブ・ジョブズは、マック部門の事業部長としては不釣合いなほど大きな権力を有し、あまりに忠実過ぎる(おそらくは未熟なのだろう)側近たちに支えられているというのが実情である。:P.227 ジェフリー・ヤング「スティーブ・ジョブズ」下 日暮雅通訳 JICC出版局

マレーとは一体誰か、については残念ながらメモが残っておりません。

世の中には、自分を疑ったことがないくせに、他人をいつも疑っている人がいますが、著者はここで「あまりにも忠実すぎる人は未熟なのだろう」と喝破(かっぱ)しています。

ここの「未熟」とは、「何らかの利益・名誉だけを得ようとする」意味で、政治の世界では「上司へ諫言(かんげん)する」には、その社会で抹殺される覚悟が必要なのかも。

家臣だった鈴木久三郎が主君である徳川家康へ諫言、したというのは、それが大変珍しいことだったからこそ、残っていると言えます。


とくにベドウィンの間では砂漠の苦難と危険から身を守る必要上、家族は固く結合している。このように個人は家族の支援と安全の上に立脚し、その代わりとして個人は家族に忠誠と奉仕を捧げる。個人はまたそれを完全履行することを知っている。なぜなら、親族は自己の威信と社会的地位を守るための強固な要因になっているからだ。

この点にからむ意味深い諺として「家族の支援がない男は背骨がないも同然だ」というのがある。したがって個人は、家族との協調を保つことが自分の最良の利益にかなうことだと確信している。:P.96 サニア・ハマディ・笠原佳雄訳「アラブ人とは何か」明石書店

親から自立する、というのはアラブ社会では意味がなさそうで、中には相当の年齢になっても親から援助してもらうことを「恥」だとは思わないらしい。

そういえば日本にも鳩山由紀夫兄弟のように、50歳を超えてもまだ毎月1000万円ものお小遣いを母親からもらっていたといううわさがありますが、これは例外でして、日本では比較的多くの人が「自立」が大切だと思っているようです。

ただし少し小金を貯め込んでいるできの悪い親に限っては、複数の子供たちの中で一番よく自分に「なつく」子に少し多めの財産分与をしたいと思う程度の独善くらいしか、もうもっていないらしい。よって、アラブ社会も日本社会も、あまり変らない点もあり、子供のことをまるでペットのようにしか見ていないようです(笑)。


陽に君愛国を説いて陰に私利を営むような教育者はかえって沖縄人のこの最大欠点を増長させるばかりである。:P.90 伊波普猷 岩波文庫

儒教精神の見本のような歯の浮いたような言葉を並べる人が一番あぶない、そう伊波普猷は指摘しています。

伊波がもしいま生きていたら、沖縄人はかくあるべきだと「愛県」を説く陰で私腹を肥やしている連中に我慢できないでしょう。

沖縄県が、不安定な観光客だけに頼らずにもっともっと産業を育成して自立しようという意識が欠けているためか、かつてケビン・メアが「沖縄はゆすりの名人」と揶揄しました(笑)。


ソ連はロシア正教の影響を強く受けているが、ロシア正教にもカトリックと同じような「告解」(告白制度のこと)がある。これが変じて「自白、検証」という制度になった。それが東方の貧困、愚昧と結合して、強大な閉鎖力となった。中国大陸では、1950年代に「党に心を渡す」すなわち党に忠誠を示して、なんでも正直に告白する、という運動が実施された。:P.76 柏楊(ポーヤン)著「醜い中国人」光文社

なんでも正直に告白させるという制度を中国共産党が全国で実施して、それを根拠に文化大革命〔1966-1967〕のころから大弾圧を開始したからこそ、それでなくても政府を信用していない中国人が、よりいっそう中国共産党を信用しなくなりました。カトリックの「忠誠・告白」制度を一党独裁へ悪用したのが、ソ連共産党と中国共産党というわけです。 


私は小さいころから、蒋介石に対して忠誠を誓った。後に彼は、国家をあのようにしてしまった。誠に残念である。:P.61 柏楊(ポーヤン)著「醜い中国人」光文社

私はこの人「柏楊(ポーヤン)」が好きで同著から何回も引用させていただきました。功罪ある人をこのように書けばおもしろくなる、と教えられたようです。ただし言っている内容の裏を知らなければ、おもしろさが分りませんね。

上の場合、蒋介石の、名前だけではなく功罪までをよく理解していないと、さっぱりおもしろくないのが欠点といえましょうか(大笑)。


紀元前二世紀の衛氏朝鮮から、三韓、高句麗・新羅・百済の3国、統一新羅、高麗と下る時代のなかで、大陸→半島の流れがもたらす戦乱と他民族支配が幾度となく繰り返されてきた。

そうした千数百年にわたる体験を通して、14紀末にはじまる李朝(李氏朝鮮)の時代にはもはや、中国皇帝への徹底した忠誠を示して保護を受けるしか、国家の安泰を保持する手だてはないという考えに達していた。

そのために採るべき方策は、対外的な軍事力は基本的に中国に依存し、全面的に中華主義を受け入れていくことであった。:P.66-69 呉善花「反日・親北をやめられない韓国の暴走」小学館文庫2006年8月1日初版第1刷発行

朝鮮半島では、もともと姓として2文字が多かったのが、その後の中国の影響で1文字が主流になったらしい。また高麗(こうらい)の時代の「コウライ」が現在の国名「KOREA(コリア)」の元になったと聞いています。

衰えゆく元王朝べったりの高麗王朝〔918-1392〕の武官だった李成桂(り せいけい 1335-1408)が、元に立ち向かう明と戦うよう命令されて高麗を出発したものの、途中で引き返して自国高麗王朝を軍事クーデターで滅ぼし、ここから中国の明の属国となる李氏朝鮮または李朝〔1392-1910〕腐敗の500年が始まりました。

江戸時代に何回も日本へやってきた「朝鮮通信使・朝鮮信使」という外交団がありました。

この言葉が示すように、李氏朝鮮(李朝)には外交権がなく「朝鮮」とは名乗れなかったことから、李氏朝鮮(李朝)は明の属国に過ぎないのでした。これは現代の韓国では「教育上このましくない?」のかその通りには教えられていないようです。

この間に朝鮮半島は徹底的に堕落してしまいましたが、その堕落を認めないのは、今では朝鮮半島人のみ(笑)。

李氏朝鮮(李朝)の弾圧・腐敗・暗黒社会をすっかり忘れ、すべてを併合日本〔1910-1945〕へ責任転嫁する今の韓国。

歴史を捏造する「末期的症状」の現代韓国をみていると、「もののあはれ」を感じるしだいで、まずは人に「えらそ~に」述べる以前の問題として、自らが「客観的な歴史認識」をもつことから始めましょうね

最適とは言えない日本の外交ですが、2015年3月になって日本外務省HPの対韓国「二国間関係」サイトで、韓国が、「基本的価値を共有する重要な隣国」だったのを「重要な隣国」へ「格下げ」したのは、やむを得ない処置だったと思います。その1 その2 その3

多少の誇張はあるけれど、少々はいいだろう、ということで基本的価値を共有する重要な隣国」としていたのであり、私は今回基本的価値を共有する」という文言を削除して重要な隣国」とした措置に、賛成する次第です。

もしも信用格付けに例えるならば、7段階評価〔AAA AA BBB BB CCC CC〕なら、BBB→BBとなっただけ、9段階評価〔Aaa Aa A Baa Ba B Caa Ca C〕なら、Baa→Baとなっただけであり、「日本政府が説明する必要がある」というほど、大したことではないと思います(大笑)。 

いくら韓国が

共産主義に抵抗する東アジア大陸唯一の国だとしても、現実はまだ軍事政権・独裁国家に近く、見方によれば香港よりも民主化面で遅れていて、近代国家特有の多様さがみられず、憲法や法律にさえ疑問を残す発展途上国でした。 

2015/03/05 に

駐韓米大使が凶器をもった暴漢に襲われたものの命には問題がなかったようで安心していますが、「韓国には、異論を許さないという気味の悪い風潮」が残る薄汚い事件でした。この事件の直前にアメリカ高官が韓国に「自制をもとめた」のですが、何ら効果はなく、むしろ火に油を注ぐ結果になっています。永遠に独善と独裁気運が残る朝鮮半島でしたが、改善の見通しは、まだそのかけらさえみられません。

アメリカは、以前から暴力には屈しないと表明しており、むしろこれを機会に、韓国の甘え体質に厳しくあたり始めるかも知れません。

李氏朝鮮(李朝)の話に戻りますが、そこから500年以上にわたり中国の属国化を続け、日本併合を経て戦後独立するものの、同じような軍事クーデターで大統領朴正煕政権〔1963-1979〕が生まれましたが暗殺で倒れ、幾多の変遷のあと今(2015年)では朴正煕の娘である大統領朴槿恵〔任期212-2017の予定 〕がべったり中国に寄り添うありさま。

韓国を反共の拠点とすべくアメリカが必死でなだめており、北朝鮮が米韓合同軍事演習に対して強硬に反発していますが、アメリカの本当の狙いは、例によって、ただその場をかき混ぜ対立をあおることで自国の安寧をはかるだけなのか、それとも・・・・。

また大切なことは、高麗時代には仏教が広く信仰されていたようですが、李氏朝鮮になって徹底的に仏教を弾圧し、中国の儒教を取り入れやがて陽明学となり確立するのでしょうが、中国の属国になったのですから中国の儒教を全面的に取り入れなければなりません。 

高麗時代の仏教を捨てて、それこそ全人民が朱子の儒教に馴化〔じゅんか〕することが強要された李朝時代の朝鮮では、仏僧を弾圧して街から追い払い、「あの世」をつぶして廟〔びょう〕をつくらせた。この廟に居残った先祖のたましいを祭るのである。:P.72-73 古田博司「朝鮮民族を読み解く」ちくま学芸文庫


 


「棚に上げる」とは

2015年03月05日 00時32分37秒 | 笑い

「・・・・ああいう人間はなあ、自分の悪いことを棚に上げて、世間でなに言いふらすやわからん。そんなことがおまえさんの耳に入ったら、あまりいい気のもんやないやろ。わかったんな。ほなあすでもあさってでも市助(いちすけ)の顔見たら、あんじょうしときなはれや」 :P.99 六代目笑福亭松鶴「市助酒(いちすけざけ)」角川文庫 昭和51年9月29日3版発行 


引用した松鶴の落語では

どつき漫才などではまず見られないことを、登場人物にさりげなく語らせます。晩年にいはもうろれつが回らない松鶴でしたが、こんなのは得意でしたね。

談志が「落語は業(ごう)の肯定」としたのは皮相的で、それでは江戸落語のレベルをおとしめるもの。

もっと他に言い方があるはずですが、落語を小馬鹿にしている人を揶揄(やゆ)する表現ならば、レベルの低いうぬぼれ型の談志らしい、と言えます。

しかし、そんな程度のことなら、芝居・浄瑠璃などなどで、誰でもが、とっくの昔からわかっていることなのです。

上の引用文は、

ある商家の旦那が、前を通りかかった市助を邪険に扱った番頭に説教している場面で、「世間は広いため、自分のことを棚に上げて何を言い出すかわからない人がいるので、注意し、余計なことを言わないほうがいい」、という意味でした。

言いたい人には言わせておけばいい、という日本独自の処世術で、そんな一風変った人でさえ社会から抹殺しようとせず、いくら向こうが間違っていると思っても、うっちゃっておけ、とするのが特徴です。

なぜ、これをもち出したか、といえば「棚に上げて」で中国・韓国を連想したからです。

両国では、社会の方針、つまり為政者の方針ですが、これに合致しない国民を、社会から抹殺しようとします。「自分だけが正しい・自分だけが善」という揺るぎない「妙な信仰」があるため、中国人や韓国人が「自分のお粗末さを棚に上げて、何を言い出すか分らない」とは、まさに言い得て妙

この国の人たちが相手国を非難する言葉の中にこそ、非難している本人に一番欠けているものが含まれている、ということが直感でも分るし、冷静に見てももちろん理解できます。

自分の欠点を次から次へ述べられるのは、すべて自分の欠点ですから、自分が一番よく知っている、だからあれほど堂々と自信をもって言えるのでした(笑)。

言論の自由がまったくない中国・韓国では

国家社会の主張に従わない人を徹底的に弾圧・抹殺しようとする傾向が見られ、法律で禁止するなどの措置をとりたがるようです。

北京ではNHKの生放送内で「中国共産党が捏造した、不都合な場面になると、躊躇なく放送を遮断」して国民が視聴できなくしています。

韓国でも為政者に都合の悪いことを禁じる法律がどんどんできて、一見して法治国家のように見えますが、危険な人治国家でした。

これが「危険人物」と言えども、「余計なことを言わずうっちゃっておく」原則がある日本との大きな違いですね。

中国や韓国、その他の宗教を絶対視する国には、漫才のようなものはあっても、落語のような芸能は存在しないだろう、と思われます。

日本では、いわばガス抜きの役割を果す落語のおかげもあり、たまった不満が社会に噴出することが少なくなり、大切な役割を果していると言えるのです。

それはそうですね。国家社会を批判することは、為政者の国家運営に疑義をもたらすわけで、それを認めるか認めないだけのこと。中国での年間暴動数が10万件とか、韓国人がいつもケンカに明け暮れているのと比較すれば、この真意が分ります。

よって、社会を批判することは、一党独裁の中国共産党が建国した中華人民共和国では、厳しく禁じられていて、日本の落語のようなものが発達するはずがないのでした。

韓国でも、韓国の憲法にさえ抵触する「親日法」を平気で施行するほどですから、社会を自由に批判することなど、あり得ないでしょう(大笑)。

参考:中国の相声(そうせい/しょうせい)

落語に、このような役割があるということを初めて知った方もいらっしゃるかもしれませんが、いま静かな落語ブームらしい。私は誰も見向きもしない時代から落語の魅力を理解しておりました

ただし番組収録の時間帯の関係かも知れませんが、NHKの演芸図鑑の観客が女性ばかりなのは、どうも不自然! いかにも「クサイ」NHKの演出、としておきましょう(笑)。


反政府活動家の殺害が「挑発」とは?

2015年03月04日 08時37分16秒 | 海外

また出たロシアの残虐さ。

こう言っただけで、(ウクライナ東部のみならず日本の)親露派は、「感じわる~ぃ」でしょうが、事実を事実として述べなければなりませぬのは、まことにもうしわけごぜーませんですだ(笑)。 

  • ソ連崩壊〔1991年〕後にロシアが誕生してまだ24年
  • 韓国が軍事政権から(擬似)民主社会へ変身したのが金泳三政権〔1993- 〕からだとして、まだ22年

こんな時代に、またまたロシアが起こした暗殺事件。世界中の人が覚えています。

政権と異なる意見をもつことが許されない姿勢は、中・韓・北・露に共通しており、尊大な国に特有な「恥部」でした。

なぜこれらの国で、政府と異なる見方をしてはいけないか、それは、その国では「政府が一番賢く、用意周到だ」から。こういうのを独裁国家と呼びます。

いずれの国でも政府に逆らうと、政権支持の見返りとして甘い汁を吸わせてもらっている裏社会の連中(つまりヤクザ)によって抹殺・暗殺される可能性が高い。つまり「言論が封殺」されています。

言いたくはないけれども独裁政権は、薄汚い裏社会の連中を泳がせて目こぼしをする代償として、連中に「反政府の人物を暗殺するよう要求している」、かのように見えます。

ロシアでは、政府と異なる意見をもつ多くの人々が、拘束され暗殺されました。

韓国もその一群でしょう。

韓国は、かろうじて共産主義政権ぎりぎりのところをさまよっていますが、国民が互いに好き勝手に低レベルの言い争いをしているかと思えば、「対日本」になるや一致団結して反日を演じ、「政府の論調に反する者を決して許さない」としているので、韓国は正統な全体主義国家だと言えます。

その韓国のお粗末な発言に対して、日本人がウンザリして無言でいると、狡猾(こうかつ)な多くの韓国人が「自分の主張を日本人は認めた」と勝手に思いこむので、またまた日本人がウンザリして無言でいる・・・・という悪循環。

これが「私も発言しなければならない」、と考えたきっかけでした。

反政府活動家で日本滞在中だった金大中を他国である日本の主権を踏みにじってまでも、日本から母国韓国へ拉致した韓国を思い出します。厚顔無恥にもほどがあり、何が「歴史認識」か、顔を洗って出直してきなさい、というところ(大笑)。 


反プーチン指導者暗殺=ウクライナ反戦デモ前―モスクワ 

 【モスクワ時事】インタファクス通信によると、ロシアのプーチン政権を批判する野党指導者ボリス・ネムツォフ氏(55)が27日夜、モスクワ中心部で暗殺された。捜査当局によると、クレムリン(大統領府)近くの橋を散歩中、車から追い越しざまに撃たれた6発のうち4発の銃弾を受け、その場で死亡したという。

 ネムツォフ氏らは3月1日にモスクワ南東部で、プーチン政権のウクライナ軍事介入に抗議する「反戦デモ」を計画。当局筋は、デモに絡んで暗殺された可能性があると語った。デモは、反政権ブロガーのアレクセイ・ナワリヌイ氏や元石油王ミハイル・ホドルコフスキー氏ら、大統領の「政敵」が呼び掛け人だった。:時事通信 :2015年2月28日(土)6時55分配信

これについてのプーチンの行動 

政権批判デモ直前に ロシア野党指導者射殺

ウクライナ問題などでプーチン大統領を厳しく批判してきたロシアの野党指導者ボリス・ネムツォフ氏(55)が、モスクワ中心部の路上で射殺された。背後関係は不明だが、反体制派を敵視する政権のあり方が一因になったとの見方が強い。ロシアで相次ぐ政権批判者の殺害に、各国から懸念の声が強まっている。

射殺現場は、赤の広場やクレムリンに隣接する片側4車線の大きな橋の歩道。捜査当局などによると、ネムツォフ氏は2月27日深夜、知人と夕食をとった後、2人で歩いていたところを背後から撃たれた。インタファクス通信によると、近づいてきた白い自動車から発砲があり、4発がネムツォフ氏に命中したという。28日には、ネムツォフ氏を悼んで花を供える市民らの姿が絶えなかった。

モスクワでは1日、ネムツォフ氏らの呼びかけで、ウクライナ紛争などを巡ってプーチン政権を批判するデモ行進が計画されていた。ネムツォフ氏は27日付でネット上に掲載したブログで、

「デモのスローガンは『プーチンこそが戦争だ』『プーチンこそが危機だ』だ」「ロシアのウクライナに対する戦争を止め、プーチン大統領による侵略を止めたい人は参加してほしい」

と呼びかけていた。  

モスクワでは1日、ネムツォフ氏の追悼行進が行われることになった。  

プーチン大統領は事件後間を置かず、報道官を通じて、事件は「挑発行為だ」との見方を示した。政権の関与を否定し、逆に政権を揺さぶることが殺害の狙いだという見解だ。連邦捜査委員会の担当者も28日、「政治状況を不安定化させることが目的の計画的殺害の可能性がある」と述べた。  プーチン氏は組織横断の捜査チームを編成し、自身の指揮下に置く考えも示した。事態を重視していることを強調する考えとみられるが、捜査の公正さに疑念を持たれかねない。 :朝日新聞デジタル モスクワ=駒木明義 2015年3月1日05時22分  


プーチンが、自分を批判する人物の暗殺事件のことで「挑発行為」と発言したのですが、すぐには分りにくいこの「挑発行為」の意味は・・・・

  • 仮にプーチン政権が、敵対する反政府活動家が暗殺された時に「殺害そのものを非難」したならば、暴力で言論を封殺しようとする暴挙を許さないという意味であり「ロシアが民主国家だと装う」ことができたはずでしたが・・・・まことに残念なことに、そうではなかった。
  • もしもですが、プーチン政権下で、目こぼししてもらっている支持者(ヤクザ犯罪者グループ)が、反プーチン派の時代になると今の甘い汁を吸い続けられないと危機感をもって反プーチン派を殺害したと仮定するならば、プーチンが「プーチン陣営が反プーチン派を暗殺したと思わせる挑発行為は許せない」と発言する意味が分ります。この場合ロシアが、まだまだ言論弾圧・暗殺多発の闇国家・病み社会であることを、図らずも匂わしています。

何が正しいのかは、まだ判明していませんが

徹底的に暗殺行為をなくすよう努力・表明するのではなく、まるで政府と異なる意見をもつ人物への攻撃・抹殺・暗殺を黙認しているかのように振る舞い、「自分をおとしめようとして反プーチン派が仕組んだ罠・挑発行為だ」、と言っておけば自分の身は安全と考えているようでは、全体主義国家・弾圧国家・共産主義国家は、淀川長治でなくても「はい、ま~こわいですね」。

独裁者は常に、敵対勢力を排除・抹殺する意図をもっているものです。逆にいえば、そういう人のことを、独裁者と言います。

「批判する人といえども暗殺されるのを許さない」という言葉が独裁者から聞かれることは、まずないのです。


大阪の7不思議

2015年03月03日 07時07分25秒 | 社会

 

むかしから大阪の 7 不思議の一つに、玉江橋から真ァ南(まぁみなみ)に天王寺さんの五重塔が見える。ご承知のとおり、玉江橋というのは大阪の北西、天王寺さんは南東。これが真ァ南に見える。もっとも不思議やないんやそうで、少うしこう、橋がはすかいにかかっております。:P.130 桂枝雀」鷺(さぎ)とり」古典落語 角川文庫 昭和51年9月20日3版発行 


大阪四天王寺の五重塔には 

四天王寺は近世以降もたびたび災害に見舞われた。天正4年(1576年)には石山本願寺攻めの兵火で焼失。豊臣秀吉によって再建されるが、やがて慶長19年(1614年)大坂冬の陣で焼失。この時は江戸幕府の援助で再建される。しかし、幕末の享和元年(1801年)の落雷でまたも焼失。文化9年(1812年)に再建される。 

文化9年に再建された伽藍は、当時のまま近代まで残っていたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で五重塔と中門が倒壊、金堂も大被害を受けた。五重塔は昭和14年(1939年)に再建されるが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲で国宝の東大門他伽藍とともに焼失。現存の中心伽藍は昭和32年(1957年)から再建にかかり昭和38年(1963年)に完成したもので、鉄筋コンクリート造であるが、飛鳥建築の様式を再現したもの。Wikipedia

という歴史があるようで

今では大阪城と共に鉄筋コンクリート製になっていますが、落語に出てくる五重塔は、その前の時代に見られた「木造建築物」だと思われます。

なお「四天王寺(してんのうじ)」とは、古く平安時代頃から「天王寺(てんのうじ)」と略され、地名へ、そして今では駅名・商業施設名にもなっています。 


さて桂枝雀の落語「(さぎ)とり」では、どうなっているか。

奈良も京都もそうですが、大阪にも東西南北の道路が走っています。ただし周辺地へ行くと、そうとも限らないようで、私自身も京都で似た経験があり、北へ走っていたのにいつの間にか東へ向っていることに気付いて、驚いたものです。

さて玉江橋と四天王寺を、GoogleEarthで調べて、この謎に挑戦してみました。

確かに

玉江橋(たまえばし)は北西~東南の方向にかかっていますね。ですから、大阪の道路は東西南北だという呪縛下では「5km東南の方向にある四天王寺の五重塔」がまっすぐの方向に見えるのでした。

今では七不思議でもなんでもありませんが、だいたいの方角・時刻でよかった時代には、きっと不思議だったのでしょう。とくに大阪の道路は東西南北に走る、と洗脳されていた時代なら、なおさらです。

最後になりますが、「とり」は、スズメやサギを捕獲しようという、なかなか楽しい噺で、詳細を知りたい方は以下を御覧下さい。

 鷺とり1 鷺とり2 鷺とり3 


なお字面だけであって、この内容には関係がありませんが、「宮定跡(さぎのみやじょうせき)」とは、将棋の定跡〔囲碁では「定石」と称する〕の一つで、早仕掛け「山田定跡」に関連したものでした。


がんばれ!

2015年03月03日 06時57分09秒 | 生き方

 

最近流行するお前が頑張ればいいだろう(ノナジャルハセヨ)」主義

では、もし誰かが私にこんな質問をしたとしましょう。"そんなに偉い口を叩いているくらいなら、あなんたはすべての法律を一度も破らずにちゃんと守ってきたんでしょうね。"

そんな時、私は一瞬の迷いもなく、胸を張って空を見上げながら、こう答えることができます。「本当にいい天気ですね」と。その日の天気にもよるけど。

それは、パーフェクトには守れないでしょう。恥ずかしいこと言わせないでください。

私だけではありません。極めて単純なことから、何か魔が差した時まで、法律を破った経験のある人は多いかもしれません。処罰された人も、されなかった人もいるでしょう。ですが、大事なのは、「これ、いけないことなんだよな」という認識を保っているかどうかではないでしょうか。

寒い夜、AさんとBさんが、信号を無視して短い横断歩道を渡りました。Aさんは「これ、いけないんだけどな」と思いながら急いで走っていきました。Bさんは「僕は薄着だからな~渡っていいよね。でも、残りの人たちはちゃんと法を守って信号を待たなければならない」と、当然だと言わんばかりでした。AとBは、同じなのでしょうか。単にその場での出来事だけでなく、潜在的な可能性、とくに「再犯」の可能性まで考えた場合に、です。

今、韓国では、「法を守ると損をする」「法は他人が守るべきである」という認識が広がっています。これは外面的な「法」だけではなく内面的な「配慮」や「寛容」にまで拡散し、「自分が他人に配慮すべきではない。他人が自分に配慮すべき」という最悪の事態になりました。不幸中の幸い、マナーを守るべきだと頑張る人たちもいますが、力不足です。

私は、2本の柱について、「礼儀を礼と儀に分けて考えるようなもの」だと書きました。

前者の柱を「礼」とし、それを尊重や感謝する心だとします。後者の柱を「儀」とし、守るべき規則、基準だとします。すると、他人にはもっと「礼」を向け、自分にはもっと「儀」を向けるのが人間たるものの目指すべき姿ではありませんか。

韓国は今、「自分にもっと礼を向け、他人にもっと儀を向ける社会」を望むようになってしまいました。最近流行する「お前が頑張ればいいだろう(ノナジャルハセヨ)」という言葉からも、そういう側面が見え隠れしています。このような、自分と他人にそれぞれ別の基準を適用する歪みが、社会に蔓延しているのです。:P.52-54 シンシアリー「韓国人による恥韓論」扶養社扶桑社2014年6月10日初版第7刷発行


かつて日本では

  • がんばれ

が普通名詞でしたが、そのうちに

  • がんばれ」に対して「お前もな」・・・・ジミー大西
が流行
 
また病院で闘病生活をしている人を見舞うときについうっかり 
  • がんばって下さい 
と言ってしまうのですが、言われた入院患者の

もう随分前から充分に「がんばっている」ので、さっぱり嬉しくない

という声もあり、そういう「悪意」はなくても、この種の励ましの言葉を控えるようになったとのこと。

さて韓国でも、上記引用の通り、「がんばる」が流行しているらしい。 
 
著者は、自分が「礼節」を守らず「規範を遵守」しないで、他人にだけ「礼節」と「規範」を要求する韓国社会を、深く嘆いています。

そんな人は日本など、どこにでもいますが、韓国ではそれが社会全体に蔓延している、というのです。ここが大切なところであり、「わかる」段階と、それが「社会に行き渡っている」とでは、意味が全く異なります。

韓国社会に、このようなペテン・だまし・うそ八百・人権無視などの諸悪の根源がすでに存在していたとすれば、納得できることも多いと同時に、いい意味での「儒教精神」というものさえ、もうすっかり消えてしまったことがわかります。

そうすれば、韓国のあの不可解な反日国是も、「自分のことを棚に上げて、相手にだけ要求する、幼児期によくみられる症状」と把握でき、「あ~わかる、わかる」のレベルを超えて、より理解が深まると言うものですね(笑)。

これは、「最近の流行」ではなく、反日国是が盛り込まれている韓国の憲法以前の、相当古くからの問題なのかも知れません。

子供が

がんばるがんばるフリをする→やる気(自主性)がでる→目標を設定できる→無理をせず競争ではなく自分だけの精一杯の努力

と発達するものと仮定するなら、社会全体が最低レベルに踏みとどまっているのは、どうしても気になります。

ただし

社会の圧力で「がんばる」「やるき」が芽生えるものならば、いままでの社会の強制力を疎んじる世代が出るのも現代的です。

つまり親の世代の「競争を忌避(きひ)する」考え方が、子供を「がんばらない、目標がない」方向へ向わせてきたのならば、これは韓国社会のみならず、日本も含めた世界共通の社会問題でしょうか。

最近の例で言えば、極端かも知れませんが

幼児期に親から「強制」を求められなかった若年層が、その自由な社会を疎(うと)んじ、長じてから「強制」を求め残虐なIS〔イスラム過激派組織〕へ自ら身を投ずるという現代の不思議

を理解する糸口が、ここにあるのかも知れません。

社会や宗教による強制ではなく、自分で自分なりに制約を設けるしくみがあれば、いいのですが、自分の生き方を重視し過ぎ子供を放任したつけが回ってきた、ということでしょうか。

ヨーロッパで「宗教対立」を考えることなく、単に「表現の自由」と謳うところに、宗教の本質的な問題が含まれる、と私は憂えています。
 

将棋A級順位戦

2015年03月02日 05時29分02秒 | 将棋

昨日 2015/03/01

将棋A級順位戦最終日〔2014/04-2015/02 の間に9局対戦済み〕があり、下記の通り6勝3敗が4人誕生し、今年度の名人への挑戦者は、後日行なわれる4人によるパラマス式トーナメントで決定されることになりました。

↑ 4人のうち、誰が挑戦者に決定しても、初の名人位への挑戦となります。

ただし名人位をはじめほとんどのタイトルは毎年挑戦者が現れ

    • 行方(なめかた)は、名人以外のタイトルで、王位のタイトルをとったことがある。
    • 渡辺は、名人以外のタイトルで、竜王、王座のタイトルをとったことがあり、現在でも棋王と王将のタイトルを保持。
    • 久保は、名人以外のタイトルで、棋王と王将のタイトルをとったことがある。
    • 広瀬は、名人以外のタイトルで、王位のタイトルをとったことがある。 

と、さすがにA級、そうそうたる棋士が揃っております。近く行なわれるプレーオフが楽しみですね。

興味のない人には、まったくど~でもいい話ですが・・・・

↓ なお、昨日行なわれた最終戦も含め、すべての結果は以下の通りです。

 

詳しくは、こちらをどうぞ。 


補足:

本日2015/03/02日本将棋連盟の発表では、プレーオフは次のようになっています。

03月05日 プレーオフ1 広瀬-久保

03月10日 プレーオフ2 渡辺-プレーオフ1の勝者

03月16日 プレーオフ3 行方-プレーオフ2の勝者

再掲:

誰が有利か、などと安易に決められるものではありませんね。あと2週間で挑戦者が決まります。


唐人墓(とうじんばか)

2015年03月02日 04時07分00秒 | 石垣島

撮影月日:2015/02/27
撮影場所:石垣島の唐人墓〔石垣島の西部〕

石垣島にある唐人墓(とうじんばか)です。

私がこの島に住むようになる前、旅人時代にも立ち寄ったことがあるのですが、だいぶん変りましたね。新しくきれいになったという印象です。たしかに古びていると観光客受けはしないでしょうが、新しくなりすぎると情緒が減りますね。贅沢なものですが。

偶然いあわせた団体客を案内するガイドの説明をほんの10秒程度ですが聞きおよんだところによれば

「中国のお客さんもこちらへ来るが、なぜかここへは寄らない。来るのは日本人観光客だけ」

とのこと。唐人馬鹿〔とうじんばか〕ではなく唐人墓〔とうじんばか〕なのに(笑)。

もちろん中国は、中国共産党が一党独裁する国であり、中国共産党が中華人民共和国を建国したのであるからして、かりに中国共産党に不都合なことがあれば旅行業者にも決して許さない、あるいは不都合なことをしなければ優遇措置をする、などの理由で、観光バスは通り過ぎるだけになっている、そういうふうにと愚考します(笑)。まあ関係がないかも知れませんが、団体旅行の場合は、そのような統一基準を守るのでしょうね。

一説では、説明石碑の文言について、次のような批判があります。 

「唐人墓」説明文は正しいか 

改修を前に事件の検証が必要では? 

■正しく紹介されているか

 先月初め、石垣市立図書館主催の「著書を語る会」が開かれ、元高校教諭で石垣島唐人墓事件の著者田島信洋さんが、「唐人墓の虚像と実像」と題して講演を行い、これまで伝えられてきた説にあらためてさまざまな疑問や新たな問題提起を行った。

 新川冨崎にある唐人墓は、連日大型の観光バスやタクシー、レンタカーがひっきりなしに訪れる八重山有数の観光スポットだ。それだけに唐人墓の説明文は事件を正しく伝えているのか、バスガイドやタクシーの運転手さんはどのように観光客に紹介しているのか確かに気になるところである。

 この唐人墓も老朽化が近年激しいことから石垣市では年内に改修工事を行うという。それならその改修の前に、150年以上も前にこの八重山で起きた国際的な大事件が果たして正しく伝えられているか、説明文はこれでよいのか、あらためて関係者間で徹底検証し、改めるべきは改める必要があるのではないか。ひとたび改修されるとあるいは2、30年は見直しの機会がなくなり、こうした各種の疑問が提示されている事件の真相、歴史の問題点が未来永劫歴史のかなたに放置されたままになる恐れもあるからだ。 

■2度目の改修 

 この唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祭られている。その概略は1852年2月、福建のアモイで集められた400人余の苦力(クーリー)たちが米国商船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、台湾東方で病人が海中に投棄されるなど虐待されたため暴動を起こし船長ら7人を殺害した。

 船は台湾に向かう途中、たまたま石垣島崎枝沖で座礁、380人が下船した。八重山の政庁蔵元は現在の墓がある冨崎原に仮小屋を建てて収容したが、米英の兵船が3回にわたり来島、砲撃を加え武装兵を上陸させ捜索。山中に逃亡した中国人らは銃撃・逮捕され、あるいは自殺や疫病で病死者も続出した。

 これに対し琉球王府と蔵元は人道的に対応、島民も密かに食料を運び込み、さらに死者は1人ひとり石積みの墓を建立して丁重に祭り、生存者172人は関係国の交渉の結果翌年9月、琉球の護送船2隻で福州に送還して終結した。

 これらの霊を慰霊するため石垣市と台湾側とで1971年に建立したのがこの唐人墓で、現在の墓は1982年に改修され、説明文も現在の事件の概要を伝えるものに大幅に書き改められた。 

■シンポジウムで検証を 

 田島さんが疑問や問題点を指摘するのは、実際に英米兵に殺害されたのは3人で多くは1年7カ月余の帰国までの疫病によるものだが、これが128人全員が殺害されたかのように各種のガイドブックやインターネット上などで誤った伝え方をされ、さらに唐人は誘拐同然に集められたクーリーという説があるが、時代背景的には必ずしも奴隷的な労働者だけでなく、知識階級の人々の出稼ぎもあったこと。また漂着や座礁したのでなく石垣を台湾と間違えて上陸した形跡があること、砲撃も威嚇砲撃であったこと。

 さらに一方でこの事件を「米英の西側植民地主義者による中国人労働者略取販売に反対する中国人民の闘争史上の重要事件であり、中国と琉球の友好の歴史の証人」とする論文が出る一方で、これを真っ向から否定する論文もあり、研究者間でも「ロバートバウン号事件」などの名称はじめ事件の見方、評価は異なる点が少なくない。

 2度目となる改修は今年12月までに行われる予定だが、それだけに石垣市はその改修を絶好の機会として、それぞれ研究者を一堂に招いてシンポジウムを開くなど、田島氏の提起も含めて事件を徹底検証。その上で説明文も現在のままでよいのか、改めるべきは改めてより正しく後世に伝えていく努力をすべきだろう。

 当時は島の人々も疫病で次々死んでいったが、琉球王府は小国琉球を守るため島の人より唐人を医者に見せるなど大切に扱ったともいわれる。今は日中友好のシンボルともなっているこの国際的な悲惨な事件の背景で、島にも悲惨な歴史があったことも島の子供はじめ島の人々、観光客にきちんと伝えていく必要があるだろう。市の積極的な対応を望みたい。:八重山毎日新聞 2008年03月05日 社説

本当にそうかどうか、1991年の石碑の文章が正しいのかどうかは、以下の静止画や、その他で皆様がご判断下さい。2008年中に改修が終わるとのことですが、日付はそのままのように見え・・・・

↓ さて、近年の中国による尖閣諸島付近での不穏な動き

に起因するのかどうか、こんな艦船を撮影しております。いまのところ、どこの所属の大型船なのかか、まったく分りません。

 


「礼」と「儀」

2015年03月01日 00時35分07秒 | アジア

韓国の「2本の柱」

・・・・ある集団、社会が存続するためには、2本の柱が必要です。

その社会の構成員たちの内側から自発的に出てくる「主観的な柱」と、外側から構成員たちに強制力を行使する「客観的な柱」のことです。前者は寛容や配慮などで、人それぞれ少しずつ違います。急激には変えられません。精神や思想の中にあり、余程のことでなければ強制性はありません。後者は法律などで、共通で、均一で、例外なく強制的に適用されます。文書化されていて、新しく作ることも変えることもできます。

「柱」と書いたのは、社会構成員の内外からなるこれら「制御力」こそが、社会を「支える」からです。実はそう別々に考えるべきではないかもしれませんね。礼儀を「」と「」に分けた考え方とでも言いましょうか。あてる漢字がどうであれ、確実なのは、どちらか一方の柱だけでも崩れてしまうと、制御力を失うと、その社会はオシマイということです。

片方、または両方の柱が崩れてしまった社会とその構成員たちは、問題点を認識し、立て直しのために見事に頑張ることもなくはないですが、ほとんどは、立て直そうとはせず、崩れた現状を誤魔化そうとします。宗教の暴走、独裁者の登場、などなど、人類の歴史上、その例えになれる事件はいくらでもありましょう。

:P.26-27 シンシアリー「韓国人による恥韓論」扶養社扶桑社2014年6月10日初版第7刷発行


上のシンシアリーの考えと一致しているかどうか分りませんが、私が自分なりに分りやすく図にまとめると、次のようになりました。

もしも世界を見渡すならば、日本が上に近く、韓国が下に近い、と言えましょうか。

  • 理想としては、自分が相手に対して敬意と謝意をもち、自分は社会の一般作法をもつ。そうすると回り回って、相手も自分に対して敬意と謝意をもつようになる。
  • 現実としては、自分はもたないが、「相手が自分への敬意と謝意をもたねばならない」とし、自分はもたないが「相手が社会一般の作法をもたねばならない」、とする。つまり自分には「礼」も「儀」も、どちらも備わっていないし、また備える必要もない、と考える。

ですから

一言で「礼儀」と言っているのですが、何のことはない、

自分は「礼儀」をもたず、周辺に「礼儀」を求める

これが韓国の実情であって、なんとなく分ってきましたね(笑)。

「韓国社会に道徳(モラル)がない」、だけでは理解できなかったことが、だんだん見えてきたやうに思ひます。

いくたの歪(ひず)みをかかえながらも

「礼儀」を重んじたはずの儒教朝鮮、というのが一般的な見方でしたが、現在の朝鮮半島全体では、その「礼儀」の意味が、このように、大きく変ってきたのでした。つまり自分勝手に「礼儀」の意味を書き換えてきたのでしょうか。まことにご愁傷様なことでごぜーますだ(笑)。

韓国の暴走は

  • 「日本にたいして特に顕著」という特長がありますが
  • 他の外国に対しても変わらない

らしい。

ひどいもので決して容認できないことですが

1992年に米ロサンゼルス暴動というのがありました。これにも様々な側面があるようで一言では言えませんが、韓国系の多くの商店が、その店主の差別性ゆえに黒人たちの暴動対象になった、と聞いています。

いくらアメリカに協力した「韓国のベトナム戦争帰還兵に認められた米国への移住特権」といえども、20年前の韓国人には、すでに礼儀がまったくなかった、と証明しています。

このように私が、韓国人たちの「無頼(ぶらい)」さを述べているのは、けっして韓国人たちを貶(おとし)めようとするからではありません。

たとえ韓国人たちが、偽善的に「善」を演じていると信じ、日本人を貶めるのに快感をもっているとしても、それと同じような低レベルで話をしているのではありません。

↑ このあたりが日本人の私が韓国人と大きくことなるところ(笑)。

そうではなく私は、韓国人や中国人の言動の意味と民族性を考えることで、私たち日本人、ひいては人類そのものを、より深く理解できると思っているのです。

  • 日本各地にモンキー園〔その1 その2〕があり、霊長類研究所なるものも存在しますが、そんなものを研究して何の役に立つのかと不審に思っている人が、きっといるはずです。
  • しかしこれは、あくまでも人間自身を理解するための研究だったのです。私たちが、自国の歴史のみならず、諸外国の歴史を学んだほうがいいとするのは、そこなんですね。外を知ることで、内なる自分をより深く知ることができるものです。
  • これは子供が、自宅に閉じ困っていた時期から小学校という「小さい社会」へ進学することによって、外の社会を知り自分の家庭のことをより深く理解できるようになる、のと何ら変りません。より上の学校へいけば普通は、より視野が広まるものです。
  • この視点が、韓国人や中国人に最も欠けています。それは当然で、自分が一番「正」「善」なのですから、自分を理解しようとするなど意味が分らないし、また反省するなどあり得ず、歴史から学ぶ必要もなく、従って学術も、そして普遍的な芸術さえも、発達するはずがないのでした。
  • その反動か韓国人たちは、自分のことを棚に上げて、同じ国のどの他人に対しても、また他国にさえも反省を要求し、「相手に向って要求している」はずが、なんと「自分自身の欠点をあからさまに叫ぶ」という醜態を演じてしまうのです。
  • いつの日にか、韓国や中国に、少しでも日本や外国を、自分の利益のためだけではなく、そのありのままを、知ろうとするいう気運が生まれるならば実に喜ばしいことですが・・・・これはあり得ないことで「夢のまた夢」なのでせうか(笑)。

このように「礼儀」が崩れてしまった韓国が暴走するのには、充分な根拠があったのですね。