広辞苑第六版では、次のように説明しています。
ちゅう【忠】
①いつわりのない心。まごころ。まこと。まめやか。
②君主に対して臣下たる本分をつくすこと。
③「判官」参照。
ぎ【義】
①道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。
②利害をすてて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと。
③意味。わけ。言葉の内容。
④(「仮の」の意)
⑤キリスト教で、神の正しさ。また人の、神の前の正しさ。
ちゅう‐ぎ【忠義】
主君や国家にまごころを尽くして仕えること。忠節。忠誠。
「忠」と「義」には、違った意味があるのでしょうが
似た意味もありそうで、さらに「忠義」と重ねると、「忠」の意味が強調されているようにも受け取れます。
どちらでもよく
問題は何に対して「忠」「義」「忠義」をもつかということですが、言語の翻訳が入るため、外国ではその意味がバラバラなようです。
ここで小→大への忠誠とするなら、次が考えられます。
- 親しみのある親や兄弟や祖先への忠誠
- 信頼する知人への忠誠
- 影響力のある教師や上司への忠誠
- 当然と思って従っていた部族や宗教やその指導者への忠誠
- 今属している国家への忠誠
- 広く自分が属する民族への忠誠
これら「順位」には何の意味もありません。
どれを優先するかは、個人や集団が決めるものであり、他人が決める性質のものではないからです。
そしてある忠誠をもつ人が
微妙に甲乙をつけて、別の忠誠をもつこともあり、また自分がもつ忠誠以外を極端に排除することもあります。
世の中で発生する無数の「もめごと」の原因は
意外にこのような「何に忠誠をもつか」にあるのかも知れません。そして、その原因が分れば、仲違いが解消されることがあると同時に、もしも、原因が分らない・分ろうとしないなら、両者の関係が「絶交」「絶縁」へ発展することさえあり、大変扱いにくいことですね。
さていろいろな例で忠義などを見てみましょうか。
アメリカのユダヤ系住民、とりわけニューヨークのユダヤ系住民のイスラエルへの、加熱した、独善的な、しかし、よく組織された支援に対する私の反発も、まずは感情的なレベルのものであった。・・・・それは、賞賛や激励の対象ではなく、非難されるべきものである。私はまた、そのような類の忠誠心に大きく依存している国は基本的に欠陥があるのだと感じた。:P.4 ジャンセン(インドの元外交官、ジャーナリスト) 奈良本英佑訳 第三書館
ちょっと古い引用メモなので、著者名は分るものの書名が不明なのをお詫びする次第です。
確かに世界中のマスメディアが、営業上従わざるを得ない「資本」によって左右される時代になりました。その主張する内容が、これによって何らかの影響を受けているとみなければなりません。
かといって非上場の「あやしげ」な創業者が支配するマスメディアがいいとも限りませんが、多くのマスメディアが限られた同じ資本に支配される世の中もまた、危険といわざるを得ません。
- その昔、今でもそうですが、キリスト教やイスラム教が牛耳っていた時代がありました(あります)が、今ではユダヤ資本の影響を無視しては語れなくなったようです。
- 日本や韓国では財閥系の影響なども充分考慮に値するし、その他の国では宗教や共産党の影響を一義的に捉えなければならないでしょう。
- 表には出ない「破壊で利益を目指す軍需産業」も、これらの影響を無視しては語れません。
そんな「何に対する忠義・忠節か」という目で見るならば、世の中が少し変って見えるはずです。上記引用文では、インド人の視点からアメリカを見ています。
かつては流浪の民でしたが、諸般の事情でイスラエルを建国した今では、一部からは憎しみの対象となっているのは、すでに御存知の通りです。
私は昔から、そして今でも、恐らく未来もそうですが、どの宗教にも何の関係もないため、それこそ自由にそれら宗教を語れると思っております。
一言だけいえば、
宗教が個人の心の中にありさえすれば何の問題もなく、宗教は大切だ
と断定できます。
しかし、現実社会はそうではなく、日本はもとより世界中の国々の社会が、程度の差こそあれ何らかの意味で大きく宗教に関わっており、宗教がその国を治める役割を果していることさえあります。
先日フランスで凶悪な事件があり、イスラム教が自分たちのキリスト教を威嚇しているとも受け取れる「表現の自由」を求めるデモが見られました。
しかしあれは、「宗教の自由」と言うと、敵対する宗教を否定することになり問題が大きくなることからくる、善意の抑制かとも思いますが、実は深刻な宗教対立の側面を明確に示している、と私は考えています。
宗教がらみであり
いずれにより大きい非があるか判定しにくい中東問題があるとしても、行き過ぎたユダヤ資本が世界の金融を意のままに支配しようと野望をもつ現在、「イスラエルの過激さがイスラムの過激派と遜色ない」と考える人が増えているようです。
戦後最悪とも言われる現在のアメリカ・イスラエル関係ですが、とにかくここでは冷静に、宗教の与える影響について述べるにとどめておきます。
ソ連でのインタビュー相手が警戒色を示したのは、自分の意見が公にされてなんらかの災いがおよぶことを恐れていたのだが、私が慎重だったのは、祖国に対して忠誠心に欠けるのではないかという良心の呵責をおぼえただけ、という違いはあった。:P.205 ロイス・フィッシャー=ルーゲ「ソ連市民200人との対話」平凡社
ここには、祖国への忠誠と、政権への忠誠、にゆれる人の心が見られます。
ですから私には
「災いを恐れる→祖国への忠誠心に欠ける」も
「祖国への忠誠心に欠ける→災いを恐れる」
も同じに見えます。良心の呵責とは言っても、祖国に対するそれか、政権に対するそれか、あるいは民族祖先へのそれか、は異なるのですね。もちろん、これを察知できた著者の視点は鋭いのですが。
ただし、著者が記述する状況から受ける読者の考えが、著者の考えと一致していなくても構わない、という原則を認める余裕があれば、本の虫にならない健全な読書効果が得られるはずです。あまりにもひねくれたのは別としても、「何か」が得られれば充分に価値はあると言えます。
ここで私は
5~6年前、ある人が「あなたは広辞苑を否定するのですか」と私に言ったのを思い出しました。私が何を言ったのでそう言ったかは、聞いても詮(せん)ない人でしたので、聞かずに、私は即座に答えました。
「辞書というのは、ある主張なんです。別の辞書は別の主張をします」と。
それっきり相手は黙ってしまいましたが、その言い方からして、時折りみられる「広辞苑を神聖化しすぎる人」、「健全な懐疑心をもちあわせていない人」、でした。
この人は、「自分が信頼しているある辞書が世の中で絶対的に正しい」と信じ込む傾向があったため、私にそういう疑問を発したのでしょう。
もう一度言うと
という質問は
- 「あなたはキリスト教を否定するのですか」
- 「あなたはイスラム教を否定するのですか」
- 「あなたは仏教を否定するのですか」
と同じ意味なのですね。
宗教の信者とはこういうものだ、と思い知った次第です。
これはどの宗教にも荷担(かたん)しない私だから言えることでした(笑)。
側近団はあくまでも大統領選挙期間、いかによく働いたか、といったことを基準に選ばれるために、国政を担当する能力よりも、大統領に対する忠誠心や選挙活動の技量が最優先されがちである。・・・・いわば旗本・・・・:P.138 日高義樹「アメリカ・パワーエリートの驚くべき日本観」潮出版
私たちが、総理大臣安倍をみるときも、韓国大統領朴槿恵(パク・クネ)をみるときも、米大統領オバマをみるときも、その周辺が忠誠心をもつ人たちで固められている、と理解しておきたいものです。ややもすると個人に絞って信頼性を決めがちですが、所属する党や側近に目がむくならば、より理解が深くなるはずです。
そしてこれが、人を超えて党と党との醜い争いに至るわけです。
尤も一党独裁の国は「代わるべき党」がないため、弾圧はより強固に、人権無視はよりひどく、進みます。
マレーのメモ。「スティーブ・ジョブズは、マック部門の事業部長としては不釣合いなほど大きな権力を有し、あまりに忠実過ぎる(おそらくは未熟なのだろう)側近たちに支えられているというのが実情である。:P.227 ジェフリー・ヤング「スティーブ・ジョブズ」下 日暮雅通訳 JICC出版局
マレーとは一体誰か、については残念ながらメモが残っておりません。
世の中には、自分を疑ったことがないくせに、他人をいつも疑っている人がいますが、著者はここで「あまりにも忠実すぎる人は未熟なのだろう」と喝破(かっぱ)しています。
ここの「未熟」とは、「何らかの利益・名誉だけを得ようとする」意味で、政治の世界では「上司へ諫言(かんげん)する」には、その社会で抹殺される覚悟が必要なのかも。
家臣だった鈴木久三郎が主君である徳川家康へ諫言、したというのは、それが大変珍しいことだったからこそ、残っていると言えます。
とくにベドウィンの間では砂漠の苦難と危険から身を守る必要上、家族は固く結合している。このように個人は家族の支援と安全の上に立脚し、その代わりとして個人は家族に忠誠と奉仕を捧げる。個人はまたそれを完全履行することを知っている。なぜなら、親族は自己の威信と社会的地位を守るための強固な要因になっているからだ。
この点にからむ意味深い諺として「家族の支援がない男は背骨がないも同然だ」というのがある。したがって個人は、家族との協調を保つことが自分の最良の利益にかなうことだと確信している。:P.96 サニア・ハマディ・笠原佳雄訳「アラブ人とは何か」明石書店
親から自立する、というのはアラブ社会では意味がなさそうで、中には相当の年齢になっても親から援助してもらうことを「恥」だとは思わないらしい。
そういえば日本にも鳩山由紀夫兄弟のように、50歳を超えてもまだ毎月1000万円ものお小遣いを母親からもらっていたといううわさがありますが、これは例外でして、日本では比較的多くの人が「自立」が大切だと思っているようです。
ただし少し小金を貯め込んでいるできの悪い親に限っては、複数の子供たちの中で一番よく自分に「なつく」子に少し多めの財産分与をしたいと思う程度の独善くらいしか、もうもっていないらしい。よって、アラブ社会も日本社会も、あまり変らない点もあり、子供のことをまるでペットのようにしか見ていないようです(笑)。
陽に忠君愛国を説いて陰に私利を営むような教育者はかえって沖縄人のこの最大欠点を増長させるばかりである。:P.90 伊波普猷 岩波文庫
儒教精神の見本のような歯の浮いたような言葉を並べる人が一番あぶない、そう伊波普猷は指摘しています。
伊波がもしいま生きていたら、沖縄人はかくあるべきだと「愛県」を説く陰で私腹を肥やしている連中に我慢できないでしょう。
沖縄県が、不安定な観光客だけに頼らずにもっともっと産業を育成して自立しようという意識が欠けているためか、かつてケビン・メアが「沖縄はゆすりの名人」と揶揄しました(笑)。
ソ連はロシア正教の影響を強く受けているが、ロシア正教にもカトリックと同じような「告解」(告白制度のこと)がある。これが変じて「自白、検証」という制度になった。それが東方の貧困、愚昧と結合して、強大な閉鎖力となった。中国大陸では、1950年代に「党に心を渡す」すなわち党に忠誠を示して、なんでも正直に告白する、という運動が実施された。:P.76 柏楊(ポーヤン)著「醜い中国人」光文社
なんでも正直に告白させるという制度を中国共産党が全国で実施して、それを根拠に文化大革命〔1966-1967〕のころから大弾圧を開始したからこそ、それでなくても政府を信用していない中国人が、よりいっそう中国共産党を信用しなくなりました。カトリックの「忠誠・告白」制度を一党独裁へ悪用したのが、ソ連共産党と中国共産党というわけです。
私は小さいころから、蒋介石に対して忠誠を誓った。後に彼は、国家をあのようにしてしまった。誠に残念である。:P.61 柏楊(ポーヤン)著「醜い中国人」光文社
私はこの人「柏楊(ポーヤン)」が好きで同著から何回も引用させていただきました。功罪ある人をこのように書けばおもしろくなる、と教えられたようです。ただし言っている内容の裏を知らなければ、おもしろさが分りませんね。
上の場合、蒋介石の、名前だけではなく功罪までをよく理解していないと、さっぱりおもしろくないのが欠点といえましょうか(大笑)。
紀元前二世紀の衛氏朝鮮から、三韓、高句麗・新羅・百済の3国、統一新羅、高麗と下る時代のなかで、大陸→半島の流れがもたらす戦乱と他民族支配が幾度となく繰り返されてきた。
そうした千数百年にわたる体験を通して、14紀末にはじまる李朝(李氏朝鮮)の時代にはもはや、中国皇帝への徹底した忠誠を示して保護を受けるしか、国家の安泰を保持する手だてはないという考えに達していた。
そのために採るべき方策は、対外的な軍事力は基本的に中国に依存し、全面的に中華主義を受け入れていくことであった。:P.66-69 呉善花「反日・親北をやめられない韓国の暴走」小学館文庫2006年8月1日初版第1刷発行
朝鮮半島では、もともと姓として2文字が多かったのが、その後の中国の影響で1文字が主流になったらしい。また高麗(こうらい)の時代の「コウライ」が現在の国名「KOREA(コリア)」の元になったと聞いています。
衰えゆく元王朝べったりの高麗王朝〔918-1392〕の武官だった李成桂(り せいけい 1335-1408)が、元に立ち向かう明と戦うよう命令されて高麗を出発したものの、途中で引き返して自国高麗王朝を軍事クーデターで滅ぼし、ここから中国の明の属国となる李氏朝鮮または李朝〔1392-1910〕腐敗の500年が始まりました。
江戸時代に何回も日本へやってきた「朝鮮通信使・朝鮮信使」という外交団がありました。
この言葉が示すように、李氏朝鮮(李朝)には外交権がなく「朝鮮国」とは名乗れなかったことから、李氏朝鮮(李朝)は明の属国に過ぎないのでした。これは現代の韓国では「教育上このましくない?」のかその通りには教えられていないようです。
この間に朝鮮半島は徹底的に堕落してしまいましたが、その堕落を認めないのは、今では朝鮮半島人のみ(笑)。
李氏朝鮮(李朝)の弾圧・腐敗・暗黒社会をすっかり忘れ、すべてを併合日本〔1910-1945〕へ責任転嫁する今の韓国。
歴史を捏造する「末期的症状」の現代韓国をみていると、「もののあはれ」を感じるしだいで、まずは人に「えらそ~に」述べる以前の問題として、自らが「客観的な歴史認識」をもつことから始めましょうね。
最適とは言えない日本の外交ですが、2015年3月になって日本外務省HPの対韓国「二国間関係」サイトで、韓国が、「基本的価値を共有する重要な隣国」だったのを「重要な隣国」へ「格下げ」したのは、やむを得ない処置だったと思います。その1 その2 その3
多少の誇張はあるけれど、少々はいいだろう、ということで「基本的価値を共有する重要な隣国」としていたのであり、私は今回「基本的価値を共有する」という文言を削除して「重要な隣国」とした措置に、賛成する次第です。
もしも信用格付けに例えるならば、7段階評価〔AAA AA BBB BB CCC CC〕なら、BBB→BBとなっただけ、9段階評価〔Aaa Aa A Baa Ba B Caa Ca C〕なら、Baa→Baとなっただけであり、「日本政府が説明する必要がある」というほど、大したことではないと思います(大笑)。
いくら韓国が
共産主義に抵抗する東アジア大陸唯一の国だとしても、現実はまだ軍事政権・独裁国家に近く、見方によれば香港よりも民主化面で遅れていて、近代国家特有の多様さがみられず、憲法や法律にさえ疑問を残す発展途上国でした。
2015/03/05 に
駐韓米大使が凶器をもった暴漢に襲われたものの命には問題がなかったようで安心していますが、「韓国には、異論を許さないという気味の悪い風潮」が残る薄汚い事件でした。この事件の直前にアメリカ高官が韓国に「自制をもとめた」のですが、何ら効果はなく、むしろ火に油を注ぐ結果になっています。永遠に独善と独裁気運が残る朝鮮半島でしたが、改善の見通しは、まだそのかけらさえみられません。
アメリカは、以前から暴力には屈しないと表明しており、むしろこれを機会に、韓国の甘え体質に厳しくあたり始めるかも知れません。
李氏朝鮮(李朝)の話に戻りますが、そこから500年以上にわたり中国の属国化を続け、日本併合を経て戦後独立するものの、同じような軍事クーデターで大統領朴正煕政権〔1963-1979〕が生まれましたが暗殺で倒れ、幾多の変遷のあと今(2015年)では朴正煕の娘である大統領朴槿恵〔任期212-2017の予定 〕がべったり中国に寄り添うありさま。
韓国を反共の拠点とすべくアメリカが必死でなだめており、北朝鮮が米韓合同軍事演習に対して強硬に反発していますが、アメリカの本当の狙いは、例によって、ただその場をかき混ぜ対立をあおることで自国の安寧をはかるだけなのか、それとも・・・・。
また大切なことは、高麗時代には仏教が広く信仰されていたようですが、李氏朝鮮になって徹底的に仏教を弾圧し、中国の儒教を取り入れやがて陽明学となり確立するのでしょうが、中国の属国になったのですから中国の儒教を全面的に取り入れなければなりません。
高麗時代の仏教を捨てて、それこそ全人民が朱子の儒教に馴化〔じゅんか〕することが強要された李朝時代の朝鮮では、仏僧を弾圧して街から追い払い、「あの世」をつぶして廟〔びょう〕をつくらせた。この廟に居残った先祖のたましいを祭るのである。:P.72-73 古田博司「朝鮮民族を読み解く」ちくま学芸文庫