あっという間に1年経ってしまいました。
あれほどの衝撃を受けたのにも関わらず、
何事も無かったかのように生活して久しく。
特別にできることがないなら、せめていつも通り元気に生きよう。
それは、辛いことは早く忘れようとは、違うよね。
1年ということで特別報道番組が多かったけど、
「今もまだ辛い人がたくさんいることを忘れないように」
ってこと???
「忘れたフリをして元気に、でもこの痛みを忘れないで」なの?
追悼、死者を悼む。
この悼むという意味がわからない。
思えば、日本語には「いたみ」が溢れてる。
痛み分けとか、痛ましい、痛々しい、痛めつける。
胸が痛む、懐が痛む。
軽い失敗も「痛いっ」とか「いたた」
時代劇では、ありがとう的に、
「お心遣い、痛み入ります」なんてのも使うね。
だいたい肉体的なものより、心の痛みの意味のような気がする。
日本人が心の痛みに敏感なのかな。
心のダメージに対して、外国語ではどんな風に使うんだろう。
悼むの意味はわからない。
でももし、痛みと同じ意味ならば、
「私も痛いです。そしてどうすることもできません。」を
分かち合うってことだろうか。
それは、現状報告だけで、まったく先にすすんではいないけど。
痛みを抱えて、でも生きてるよって、決意表明だよね。
そんなことを思う3月11日でした。
あれほどの衝撃を受けたのにも関わらず、
何事も無かったかのように生活して久しく。
特別にできることがないなら、せめていつも通り元気に生きよう。
それは、辛いことは早く忘れようとは、違うよね。
1年ということで特別報道番組が多かったけど、
「今もまだ辛い人がたくさんいることを忘れないように」
ってこと???
「忘れたフリをして元気に、でもこの痛みを忘れないで」なの?
追悼、死者を悼む。
この悼むという意味がわからない。
思えば、日本語には「いたみ」が溢れてる。
痛み分けとか、痛ましい、痛々しい、痛めつける。
胸が痛む、懐が痛む。
軽い失敗も「痛いっ」とか「いたた」
時代劇では、ありがとう的に、
「お心遣い、痛み入ります」なんてのも使うね。
だいたい肉体的なものより、心の痛みの意味のような気がする。
日本人が心の痛みに敏感なのかな。
心のダメージに対して、外国語ではどんな風に使うんだろう。
悼むの意味はわからない。
でももし、痛みと同じ意味ならば、
「私も痛いです。そしてどうすることもできません。」を
分かち合うってことだろうか。
それは、現状報告だけで、まったく先にすすんではいないけど。
痛みを抱えて、でも生きてるよって、決意表明だよね。
そんなことを思う3月11日でした。