先週から、障子を貼り替えたり、正月飾りを作ったり、正月を迎える準備を始めました。
天気の悪いこの日、その準備を一休み、岐阜県可児市の荒川豊蔵資料館にやって来ました。
12月23日まで、ここで美濃桃山陶の歴史展が開催されているんですね。
ここを左に入っていくようです。
細い道をどんどん歩いていくと、
前方に建物が見えてきました。これは作業場(陶房)。
建物の前に石段。このジグザグの長い石段を上って行くと、
途中、木の切り株の上に、こんなものが。
この声援に励まされ、
やっと着きました荒川豊蔵資料館(館内撮影不可)。
入館料一人210円を払って入ると、
館内には、桃山時代から江戸時代にかけて、東美濃で焼かれた陶器と出土した陶片、それに人間国宝・荒川豊蔵の作品が展示されていました。
豊蔵の作品で感銘を受けたのは、これ。志野茶碗 銘耶登能烏梅。
上品な色合いと佇まいですよね。すばらしい!
それに、豊蔵がこの地で発見した志野筍絵陶片。
この発見により、志野の発祥地は瀬戸ではなく、美濃であると再定義されたそうです。
資料館から出てきました。下に見えるのは、
作業場(陶房)です。
下りて行って、中に入ると、
実際に豊蔵が回した轆轤(ろくろ)や、いろんな道具が展示されていました。
陶房から出てきて、奥に進むと、
小川の左手に、大きな石碑!
豊蔵が「志野筍絵陶片」を発見したのは、ここだったそうです。
石碑の裏に回ってみると、山の斜面に、
散乱した陶片。
実はここ、桃山時代の窯場跡(遺跡)。そこに豊蔵は居を移し、陶房を構えたんですね。
右手を見ると、
斜面の上に建物。これが豊蔵の居宅です。石段を上がって行って、玄関に入り、
土間から左側をのぞくと、
手前は囲炉裏の間。奥の座敷にある机、高松宮来訪の際にあつらえたものだそうですよ。
土間の右側には、手前に豊蔵が日常を過ごした掘りゴタツの間。
奥の座敷は寝室。襖を見て! 下張りの古文書がむき出しにされていました。豊蔵の趣味?
土間を抜けて、勝手口から裏に出ると、
パッと眺望が開けました。
左端に陶房、荒川豊蔵資料館は右の山の上にチラッと見えました。
への次郎 「人間国宝の作品は、ひと目見て違いが分かるね」
奥さん 「ほんと。年の瀬に、いいものを鑑賞できたわ」
この日の気温は4度。豊蔵も見ていた山間の風景、しばらく眺めていました。