への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

江戸の面影を残す七宿場(その二) 妻籠②

2021年09月26日 | 宿場町

妻籠宿(上町・中町・下町)

このあたりから、上町でしょうか。

めずらしい、洋風建物

枡形の向かいにありました。これは明治時代に建てられた村の警察署。その後、役場などに使われ、現在は観光案内所になっています。

 

街並みを見ると、

っ! 車。入っちゃいかんでしょ。でも、絵になる

 

その先に、郵便局

黒ポストです。明治初期、郵便ポストは黒塗りだったようですよ。

 

さらに先には、本陣

本陣には、島崎藤村の親戚にあたる島崎氏が任命されていました。木曽では有力な一族なんでしょうね。

 

本陣の隣りは、

柏屋とその向かい、うだつがあがっている!

 

その先には脇本陣がありました。

明治13年、明治天皇がここで、ちょっとお休みになったようですよ。右に石碑があります。

 

中町はこのあたりからかな、と考えていたら、突然、前方に大きな猫が現れ、

思わず声をかけました。

  への次郎 「兄ちゃん、兄ちゃん、どこへ行くんだぁ」                     

  猫    「  」

急いでいたのか、何も反応することなく、足早に立ち去りました。

 

猫の後ろに看板を発見。「お食事」の文字。妻籠で看板とは、珍しい。行ってみると、

下の方に、旅館藤乙(ふじおと)がありました。食事もできるとのことで、入ることに。

 

旅館独特の大広間に通されて、迷わず、そばを注文。

二八そばです。木曽では、そば屋じゃなくても、そばは美味しいですね。

 

藤乙の先です。そろそろ下町でしようか。

寺下地区とは、雰囲気が異なるなぁ

 

上り坂にやって来ました。

右に水車小屋、後ろに大きな柿の木。左上に高札場です。

宿場町は、このあたりでおしまいかな

 

高札場の先には、

口留番所(くちどめばんしょ)がありました。建物はありません。

木曽から来た道は妻籠を出ると、馬籠に行く中山道と、飯田方面に行く道に分かれます。ここは交通の要衝。そこで、木曽から妻籠に入るここで、人と物資をチェックしていました。

 

番所の先に、大きな岩。「中山道三名石」の一つ、鯉岩(こいいわ)です。

う~ん。とても鯉には見えない

どうも明治の濃尾大地震で崩れてしまって、姿が変わったようです。

 

鯉岩の向かいは、熊谷家(くまがいけ)住宅です。

江戸末期に建てられた長屋の一部だそうです。

 

その先の建物、入口の木戸に張られた真っ白の障子紙に、黒々と大きく「大吉」の文字。

旅館大吉です。最後に縁起のいい文字を見ることができました。

気分よく、ここで引き返し、駐車場に向かいました。

                                              

この日、妻籠には馬籠より多くの観光客が訪れていました。開いている店も馬籠より多かったです。長野県に緊急事態宣言は出ていません。しかし、賑わいは全く戻っていませんでした。