奥さん 「えっ!? 御茶ノ水?」
への次郎 「そう。駅を出たところ」
古い写真を整理していたら、セピア色になった懐かしい写真が出てきました。
国鉄御茶ノ水駅の聖橋口を出て、交差点を渡ったところです。
左端に地下鉄千代田線新御茶ノ水駅の入口があります。季節は冬。
このあたりは神田駿河台といって、高台になっています。
道なりに下っていくと、向かい側にニコライ堂が見えてきました。
日本最大の正教会の大聖堂です。
ニコライ堂の真下の道、数えきれないほど歩きました。
この先の道は、緩いカーブになって下っていきます。
日曜日の朝なのでしょうか、駅の近くなのに人がほとんど写っていません。
緩いカーブを曲がりきったところです。右前方の建物は、日大理工学部校舎です。
道路をよく見ると、一部が凍っています。薄っすらと、雪でも降ったのか。
手前が日大理工学部の校舎ですが、同じ高さの向こうの建物、
日大ではありません。母校です。母校の5号館です。
手前が5号館、その向こうは中央図書館。
5号館の右並びには、4号館、大講堂・3号館。さらに進むと、明治大学があります。
中央図書館です。右隅に、ちらっと見えるのは、
4号館でしょうか。
中央図書館の左奥に見えるのが1号館。
1号館の奥には、中庭を囲むようにコの字型をした2号館がありました。
目の前の道路を向こうに渡ると、
そこが母校の正門。母校とは、中央大学です。
この日、正門は閉じられていたんですね。
写真は、ここで終わっていました。
正門が閉じられた最後の写真、じっと見ていたら、なんとなく思い出してきました。母校の校舎の解体が始まるという新聞記事を見て、最後の姿を見に行ったことがあります。その時の写真でしょう。時期は、1979年の3月末か。
人生で一番自由な時でした。その時期を過ごした母校、今ここにはありません。学内の反対を押し切り、八王子に移転しました。しかし移転から半世紀もしない2023年、一部の学部を都心に戻しました。思うにこの八王子移転、失敗でした。
母校の発展のためには、残りの学部も早く都心に戻さなければいけません。しかし、どこに広大な土地があるのでしょうか。移転を決定した当時の経営陣、眼力がありませんでした。
奥さん 「懐かしい姿だね」
への次郎 「どうなったかなぁ、跡地」