英国ボーディングスクール&ティーンエイジャー&お菓子教室

長女の英国ボーディングスクール留学準備に奔走中。自宅で開いている小さなお菓子教室、子供、愛犬のあれこれも綴ります。

週末はホンットに忙しいっ!!

2013-01-19 21:24:07 | 日記
週末は本当に忙しい。朝起きてから夜夕食を食べ終わり、洗い物がすむまで、腰を下ろした覚えがないくらい。土曜日は特に9時の長男のテニスに始まり、11時のバドミントン、13時からの英語の送り迎えに、近くではあるが3往復する。送って戻っても迎えに行くまでに1時間あるかないかで、その間に朝食の片付け、洗濯、昼食の準備など細切れにする。どの習い事も近くではあるのだけど、こちらの道路は車優先。人を見かけても誰もアクセルを緩めない。とんでもないスピードを出してくる車も珍しくない。そんなわけで、テニスコートは今住んでいるマンションのもので道路を渡ってすぐ眼の前なのだけど、息子一人では心配で送り出せません。息子を英語に連れて行ったら今度は娘たちのピアノ。本当は子供たちだけ送り込んで用事を済ませたいのだけど、末娘はすぐにふざけ始めるようなので、ずっと付き添ってにらみを利かせていないとダメなようです。その後チョコレートムースの練習をし、壊れた空気清浄器を直してもらいに向かい側の棟の修理屋までえっちらおっちら運んだ。旦那が家にいたので持って行って欲しいなと内心思い、「持って来いって言われちゃった」と言ったら、「明日だったら行ってもいいよ」と言われ、「1日でも早く直したいのにっ!」と胸の内で言いかえす。ついでに明日は明日でサッカーの付添で午後がつぶれ、帰ってきたら夕飯作りに月曜日のお弁当のおかずの下ごしらえがあることを思い出したら、今週末は風邪ひいて体調悪いから仕方ないけど、普段子供の習い事の送り迎えひとつやってくれるわけではない旦那に少し腹が立ってきた。自分のスケジュールで動く。それならそれでいいんだけど、自分一人で遊びに行くならついでにご飯も外で済まして来いっ、ご飯だけ食べに帰ってくるなっ!なんて、言ってみたいな、一度。

忘れられない旅行

2013-01-18 17:27:00 | 日記
今日の中国語に行ったら出された宿題は「忘れられない旅行」についての作文。何について書こうか考えた。まず思いついたのは10数年前、会社を辞めて主人が先に赴任している大連に行く前に一人でヨーロッパに行った時の話。バルセロナからパリに向かう列車がフランスに入り、モンペリエという町に停まった時に煙が出て動かなくなり、そこで1泊しなくてはいけなかったことを思い出した。列車の中の隣のボックスシートにはスイス人の若い男性2人(おそらくゲイのカップル)がいたのだけど、よく話しかけてくれ、車中ずっと退屈しなかった。列車がどうにもこうにも動かず、パリには入れないとわかった時、パリのホテルに連絡しなくてはいけなかったのだが、携帯もなく、公衆電話のかけかたもわからず、ましてやフランス語ができなかったので、カップルのうち一人に頼んだら快く引き受けてくれて電話をしてくれた。列車を降りて駅前に宿をとり、次の日また列車に乗ってパリに向かった車窓の景色がなんとも言えず印象的だった。水に浮かぶようなはちみつ色の家々。あとから気がついたのだか、あればエクサンプロバンスの風景だった。写真をとらなかったのが悔やまれる。でも、もっと忘れられない旅行があった。父と初めて行ったヨーロッパだ。社会人になって1年目の秋、父がイタリアに出張に行くけれども、人に会うだけの用事でそんなに忙しくないから、ホテル代と飯代は出してやるから一緒に来るかい?と誘ってくれた。ヨーロッパは初めてだったから二つ返事で行くことにした。
父は若いころにイタリアに留学していたので、イタリア語ができるし、友人もおり、土地勘もある。ミラノでは父の留学時代の友人の家に招かれ、父の留学先だったフィレンツェではまた別の友人が「眺めのよい部屋」という映画の舞台になった、アルノ川沿いの素敵なペンションを予約してくれていた。丘の上のちょっといい感じのレストランに連れて行ってもらったが、メニューを見て何にしよう、というときに、父が「俺、財布忘れた!」と、言い、ズボンのポケットに入っている小銭分だけ、ディナーならコースで食べるのが当たり前の所をメインディッシュだけ食べてそそくさと出てきた。レストランのウエイターが不思議そうな顔をしていた。フィレンツェでは女性のピアニストにも会った。彼女の家にディナーに呼ばれ、ドゥオモの丸い屋根を眺めながら手作りでおもてなしを受けたのだが、どこのレストランよりも美味しかった。年のせいで彼女の名前を忘れてしまったが、夫がカサドというチェロ奏者だったと聞いた。初めてイタリアンジェラートを食べたのもフィレンツェ。ショッピングに行っても辛抱強く店で待ってくれ、あれこれ見せてくれ、というのも全部通訳してくれた。そのあと行ったローマではガイド付きの観光バスに乗り、スペイン広場やトレビの泉など、お定まりのコースを行き、おのぼりさんをたっぷり楽しんだ。この旅行の半年前、2年間の闘病生活の後がんで母が亡くなった。父と私は2年間の看病や、亡くなった後は葬式やら法事やらでずっと忙しくしていたから、ようやく生活が一段落し、父に少し気持ちの余裕が出てきた時に誘ってくれた旅行だっただけに、本当に忘れがたいものになった。中国語の宿題がきっかけで、こんな大切な思い出を、久しぶりに思い出した。父に会いたくなった。

私までワクワク

2013-01-17 22:39:32 | 日記
久しぶりに連絡が取れた大学時代の友人から、同じ学科だった子が、某出版社の新人文学賞をとり、近々単行本を出版する予定、と聞きました。彼女を担当する編集者は、昨日発表された直木賞受賞者の若い方の作家と同じとか。スゴイ!これからが楽しみ。なんだか私までワクワクしてきました。

親子丼はどうなりますか?

2013-01-17 17:49:59 | 日記
青島日本人学校では毎週水曜日は小1から中3まで縦割りグループでお昼を食べます。その時のできごと。末娘の班で、先生が「もしこの世からお肉やお魚がなくなったらどうしますか?」とみんなに聞きました。するとみんなは「う~ん、お魚がなくなったらああだし、お肉がなくなったらこうだし・・・」と一生懸命考えて意見を言いました。みんなが一生懸命魚だ、肉だ、と言っている中、末娘は「先生、親子丼はどうなりますか?」と聞いたそうです。次に「パンやお米がなくなったらどうしますか?」という先生の問いかけに、みんながパンだ、お米だ、と考えている中、末娘はまたまた「先生、親子丼はどうなりますか?」と聞きました。娘と同じ班の上級生のお姉ちゃんから「彩夏ちゃんって親子丼好きなんですか?」と聞かれ、縦割り昼食の時のエピソードを知りました。そういえばつい最近、夕食に親子丼作ったら、小さい体でおかわりしてたな、と思い出した私。彼女にとっての目下の食糧危機は親子丼の行く末らしいです。

空気清浄機がこわれました

2013-01-15 21:27:46 | 日記
ここ数日の大気汚染に対する注意喚起として今日配信された領事館からのメルマガに、室内の空気も汚染されているので空気清浄器を使うとよい、とありました。「空気清浄器を使うといいらしいよ」と読み上げていがら、長女が「じゃあ、コンセント入れるね。黒いのにつなげなくてもいいよね。」と言って白いコンセントを直接差し込みました。とたんに「ボンっ!」と音がして、清浄器は全く作動せず・・・そう、黒いのが変圧器で、白いコンセントは日本から持ってきた空気清浄器のコンセントなのでした。「変圧器につないでね」と言ったのですが間に合わなかった・・・以前、電子ピアノのコンセントを直接突っ込んで壊した前科のある私は、長女を責めることもできず、また、多分修理もできるだろうと思い、「いいよ、いいよ。明日修理屋さんに聞いてみるから」と言って夕飯を作りに台所にたったのですが、リビングをのぞきこむと彼女がまだテーブルの下のコンセントの前で座り込んでいます。きっとたそがれてるんだろうなぁ、と思って「いつまでもそんなとこにいないで、こっちに出ておいでよ」と声をかけに行ったら、目からポロポロと涙がこぼれていました。自分でしまったと思ったんだろうなぁ。きつく叱らなくてよかった。ギュッとハグしてあげて、「みんなのためにしてくれようとしたんだもんね、いいよいいよ。」となぐさめました。ここ最近口応えの激しくなってきた長女、久しぶりに膝にのせて抱っこしました。