駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

「When I'm Sixty-Four」を歌う

2021年10月29日 | オールドミュージック
10月29日(金) 本日のJOG=60分
また年を一つ重ねてしまいました。朝イチでザ・スターキーのメンバーからラインでお祝いを貰って妙に嬉しかった。けれど、また一つ年寄りになるっていうのは嬉しくない。。。
自分への誕生日祝いにと、朝JOGはいつもより多めに60分走った。今日はすごく楽に走れて気持ちがよかったなあ。

今月16日に行われた、ザ・スターキーのライブでは、自分としては初めて「When I'm Sixty-Four」を歌いました。
この曲にはちょっとした思い入れがあって、ザ・スターキーを始めた10年ぐらい前に、もし自分が64歳になるまでバンドが続いていたら、その時のライブで歌ってもらいたいなと思ったのでした。
オレ自身、まさか64歳までバンドやっているなんて思っていなかったんだけど、それが本当にバンドも存続して、メンバーも元気でこれが実現するなんて信じられない気持でした。
ただし、メンバーにリクエストすると、「演奏してやるで自分で歌いん」とそっけない。それで自分で歌う羽目になったというわけです。歌は得意じゃないんだけど、ならば仕方がないと、一生のうちでこの曲を歌うのは今度のライブが最初で最後だ、と腹に決めて練習しました。
そんなわけで「When I'm Sixty-Four」は、たくさん練習したのでまあまあの出来だったんではないかなと思っています。自画自賛!(笑)

曲の内容は、言ってしまえば森高千里の「私がオバさんになっても」みたいなもんで、「ボクが年とってハゲちゃっても、バレンタインや誕生日には祝ってくれる?」みたいな感じで、まあまあいい感じな歌だ。
これを、ポールはテープの回転を早くして声をもっと高く若い声にしようとしたようです。
今後、オレがこの歌を歌うことはもうないと思いますが、今後はポール役ミッチーがレパートリーにしてくれるようなので、ぜひまたリクエストでもしてちょう。
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ニッポンの顔

2021年09月14日 | オールドミュージック
9月14日(火) 本日のJOG=45分
天気は降ったり止んだり不順な一日で、早朝は降っていなかったので暗いうちからJOG。



いつも公園を3周走るのだけど、1周ほぼ1.75Kでゆっくり走って約15分かかる計算で45分にしています。2年前に再び走り始めた時がそんなスピードでした。
調子いい時は速くなるので、家からの往復時間合わせて35分ぐらいで帰る。
この頃は早い時間は暗くて危ないのと、それにMP3で音楽を聴くことを目的化していることもあって、途中足元が危うい箇所は止まって歩いたり、しっかり45分かかってしまう。

今、毎日聞いているのは、懐かしサザンオールスターズ。オリジナルアルバムは通算15枚出しているが、自分はそれほどたくさん持っていないのだけど、数年前に、サザンの元オリジナルメンバー大森隆志さんのバッキングでミニツアーに参加した時に、曲を覚えるために関連するアルバムを手に入れて聴き込んだ。久しぶりに聞くとまたすごく新鮮。
古くは1982年リリースの「NUDE MAN」、1983年の「綺麗」、新しめでは2005年の「キラーストリート」あたりが好きで聞いています。
自分の聞き方は、やはり松田弘さんのドラムプレイ中心になります。デビュー時から、松田さんのドラミングは群を抜いて上手いと評判だったので、いつも注目していたし、パーカスの毛ガニこと野沢秀行さんのプレイもパーカッショニストとしての興味が尽きない。
松田さんのドラミングは、ひとことで言えば本当にプロだなというプレイ。デビュー時のヤマハのメロタム回しとか、電子ドラムの草分け「シモンズ」が出た頃には効果的にこれを使っていたり、時代の先端を走っていた時もあるし、今は洗練されて実に落ち着いたプレイを聴かせてくれる。
野沢”毛ガニ”さんのプレイも、耳をダンボにして聞くオレですが、8ビートやちょっとハネる16ビートなんかではゴキゲンなコンガサウンドが聞ける。一段と高音の出る「レキント」を多用していて、耳に残ります。個人的に難しいなと思うのが、サザンはバラードが多くて、パーカッショニストにとっては、どうしてもワンパターンになりがちだし、ぐっと音数が少なくなる曲は、余分な音で邪魔になりかねない曲はじっと耐えることも必要なんだなということだと教えてくれる。
そして、初期のアルバムでは大森さんのギターは個性があってよくわかります。デビュー時は学生バンドっぽいノリなどが楽しくて好きだったけれど、いつの間にか我が国の音楽シーンの先端で、科学・技術の粋を集めた唯一無比のバンドになっていた。
いやあ実にワンダホー。改めて天才桑田佳祐の楽曲の美しさはすごいなあ。
サザンは昭和53年に「勝手にシンドバッド」でデビューしているので、45年にわたって日本のポップスシーンの第一線にいる実力と、他に例えようのないあの魅力はもはや「国宝」である。
昭和・平成の顔、ニッポンの顔である。令和になってからは、桑田さんのCMだったり一人での活躍が目立っているけれど、引き続きサザンというあの例えようのない魅力をばら撒いて欲しいな。
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「まぬけなキューピッド」からのステージ!(空想)

2021年07月29日 | オールドミュージック
7月29日(木) 本日のJOG=45分
今朝もコニー・フランシス聴きながら走っちゃった。持っているCDを全部聴き終えて次行くはずがまた聴き直しちゃうという、マイブーム。

コニーさんは今は83歳だそうです。まだお元気なようですね。何年か前まではディナーショーなんかもやっていたようですが、お年だし、今はコロナ禍でやりたくてもできない事情もあるし、この目で見てみたいけどもう無理でしょうね。

なんか、演奏したくなり、コニーさんの歌をバックでドラム叩くつもりで、ライブの選曲してみました!(笑)
まあ、ソウルフィンガーでライブがあると想定して、ボーカリストはチハルちゃんでと。

1.間抜けなキューピッド(58')
2.ロリポップ・リップス(63')
3.恋はみんなのもの(66')

4.ヴァケイション(62')
5.大人になりたい(61')
6.夢のデイト(61')

7.フランキー(59')
8.ボーイ・ハント(61')
9.泣かせないでね(62')

10.夜のデイト(62')
11.離さないでね(65')
12.想い出の冬休み(63')

アンコール
13.カラーに口紅(59')
14.ミスター・ツイスター(62')


最初は、「間抜けなキューピッド」から勢いよく行きたいね。



続いて、「ロリポップ・リップス」でノリノリ!


3曲目は、「 恋はみんなのもの」でダンス!


楽し~!ライブやりたい~!
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今朝もキャロルさんで

2021年06月26日 | オールドミュージック
6月26日(土) 本日のJOG=45分
最近は天候が不安定というなかで、豊橋だけはわりといい天気が続いていますが、昨夜は雨が降ったようで朝目覚めると道路が濡れていた。
今朝もJOGへ行く。お供は昨日に引き続いて「キャロル・キング」を聴く。昨日は彼女のベスト盤を聴いたのだが、今日は『The Songs of Carole King』という、58年~62年にかけてキャロル・キングが当時の旦那さんのジェリー・ゴフィンと作詞作曲してあらゆるアーティストに提供した作品集を聴く。
実に久し振りだけど、聴きだすと全部聴きたくなる。このアルバムは3枚組という大変なボリュームなので、3~4日掛けて聴くことになります(笑)
それにしても、いわゆるオールディーズと呼ばれるアメリカンポップスの50年代から60年代における様々の曲のうち、こんなにもキャロルが絡んでいるというのがすごい。オールディーズファンの一人としても、キャロルは音楽の神のように感じるのだ。
それにしても、当時、彼女は16歳~20歳というので、いかに天才かがよくわかる。そして結婚したのが17歳。何とも早熟な天才少女でした。
このCDを聴いていて、キャロル自身の歌う曲こそ少ないが、提供された膨大な曲はいずれも佳作ばかり。
幾つか聴いてみます。

リトルエヴァのヒット曲「ロコ・モーション(The Loco-Motion)」は62年。



ザ・ビートルズがカバーして超有名な「チェインズ(Chains)」は、クッキーズが62年に歌っている。



オレが好きなザ・シュレルズの「Will You Love Me Tomorrow」は60年の曲。



うん、いいなあ。
こうしてたまたま聴きだすことがきっかけで、オレのオールディーズ愛に再び灯がともるのです。
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キャロル・キング&70年代バンザイ

2021年06月25日 | オールドミュージック
6月25日(金) 本日のJOG=45分
今朝は早くから用事があって走れなかったので、9時過ぎに走る。
いつも自分は5時台に走って、回りもだいたいいつも同じ人が歩いているが、この時間はまた普段と違う知らない人がのんびりと散歩していて、それはそれで面白い。
今日のお供は、「キャロル・キング」にした。最近あまり聴いていなかったので、とても新鮮。
キャロル・キングの唄は「超上手い」とはあまり聞かないが、あの歌声のほのぼの度においてはピカイチ。楽曲作りは「ロコモーション」などでご存知のように、若いうちから天才ぶりを見せています。
名作「It's To Late」(71’)を聴くと、かつてバンドで演奏していたころが懐かしくてたまらん。ドラムで演奏したこともパーカスで演奏したことも、全部懐かしい。実に名作であります。あの「つづれおり」というアルバムは世紀の名盤であります。



ドラムは、本当に目の前で叩いているようにリアルで妙な誇張もない。いいサウンドだ。
それとこの時代はパーカッションも多用していて、この時代のパーカス(主にコンガ)は、地味ですがエコーマシンなど変にエフェクターを使っていなくて、実に聴き心地がいい。いい仕事をしています。

オレ、つくづく思うんだけど、70年代がたまらなく好きなのは、やっぱりドラムの音。変に音をいじっていなくてとてもナチュラルでリアルなんだよね。
ただ、70年後半から80年代は音がひどくなる。
まずスネアの音が突然変わるのが70年代後半。突然ピッチが下がってくるのですよ。
『スタン』というスネア本来の音から『ドシン』というか『ベタ』という、どうやったって生では出せない音がレコードから流れる最悪な時代。。。
確かに当時は新鮮な驚きがあってすぐにブームになりましたが、あんなダラダラのチューニングでは2拍4拍のアタックしかマイクは拾いません。テクニカルなゴーストノートが聞こえなくなった時代でした。丁度ブームはディスコ全盛期。バスドラは4分打ちでスネアは2拍4拍のみの機械的なサウンドが主流になった。
ドラマーからすると面白くもなんともない時代になったかと思った途端リズムマシンが誕生し、「世界中のドラマーが職を失う」とまで言われた80年代に突入。ディスコ自体はそれほど嫌いじゃないんですが、ドラムが全部打ち込みになった頃からオレは新譜を聴くことを諦めました。
なので、80年代はオレの中では悪魔の年代なのだ。。。

あれから時代はなんでもありになりましたが、ナチュラルなドラムサウンドも聴ける時代になりました。よかったなあ~。
今さらながら言おう、キャロル・キング万歳。70年代バンザイ!!
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フリーとバドカンの違いがわかってない男

2021年04月25日 | オールドミュージック
Free
4月25日(日)本日のJOG=45分
オレは70年代男です。何がというと、洋楽全般に目覚めた時が中学1年の時で1970年。ラジオから流れる洋楽に恋し始めた年なんであります。
ラジオは小学生の時から家で母親の内職時に流れていて、歌謡曲やグループサウンズを覚えました。しかし、圧倒的に思春期の中学生の時に聴いたロックに心を揺さぶられたのです。

1970年はザ・ビートルズ解散の年。ですが、ビートルズに影響を受けたり与えたりと切磋琢磨して成長した英国の若きミュージシャンたちは、次々と飛躍していきました。それが70年ですよ。
ツェッペリンもパープルもザ・フーもほぼ70年だし、67年デビューのプロコムハルムの「月の光」にショックを受けたのも70年。ちょっと遅れて73年のクイーン、ELPとかELOなんてバンドもこの辺りだと思う。

「Free(フリー)」というバンドも英国の若きバンドだった。
なにしろ、1968年にデビューした時はメンバーは皆未成年だったというし、一度解散した71年はまだ20歳だったという早熟天才集団だった。19ハタチの若造と言ってしまえばそんな年だが、間違いなく天才集団であり、70年に発表した「Fire And Water」は、シングル曲「All Right Now」の大ヒットで世界に名が知れ渡った。
解散原因がメンバーの不仲という。天才ギタリストのポール・コゾフは既にドラッグで中毒になっていて、結局76年に25歳で亡くなっている。なにを死に急いだのか、本人にしかわからないが、天才には天才の苦悩があるのだろう。



このバンドの特徴は曲調にあり、殆どがミディアムテンポの重いリズムにギターの特徴あるリフと、ポール・ロジャースの圧倒的なボーカルで完成型とされていて、老獪と言ってもいいほど若者とは思えない渋さを出している。ドラマーとして気になるサイモン・カークの叩く重たいリズムは、優れた技術があり若さと裏腹に渋さ満載で、やはり二十歳前後とは思えない。



ライブバンドだったフリーは、解散前の70年に各地でのライブを録音し、その音源をミックスされて解散後に「Free Live!」というアルバムが製作された。



後に自分はこの「Free Live!」を買って聞いたのだが、いきなり驚いた。緊張した雰囲気で始まった最初の1曲目「オール・ライト・ナウ」で、ポール・コゾフのギターのシールドが接触不良を起こしているのか、所々大事なリフのフレーズが途切れるのだ。
「こんなんありか?」と思って聴くのだが、それでもアルバムに収録されたということは、そのギターのアクシデントを差し引いてもそれだけライブパフォーマンスに優れている曲ということなのだろう。
確かに、サイモン・カークのドラムから曲が始まるが、テンポが走って安定しない感じで始まるものの、曲中のオカズの入れ方やエンディングへの流れ方などはメンバーの息がぴったりと合って、素晴らしい曲に仕上がっている。
ライナーノーツの解説には、「それは、はらはらするようなライブだった。2曲目の最中には、女性ファンの一人がステージに上がりコゾフに抱き着いたため、彼のギターは音が出なくなったり妙な音を出している」とあり、これがその音が消えたことなのかと思ったりしたが、これは1曲目だと思うし、よくわからない。

不仲によって早々に解散した後、メンバーが入れ替わって2度目の結成となる。当時、ベースには日本人の山内テツが加入した。
しかしその後長続きせず、73年にバラバラになってしまった。

バラバラになったフリーのメンバーのうち、ポール・ロジャースとドラムのサイモン・カークの二人は、新バンド「Bad Company(バッド・カンパニー)」を結成し74年にアルバム『バッド・カンパニー』でデビュー。



シングル「キャント・ゲット・イナフ」がヒットし、またも世界的に有名バンドとなる。
バド・カンというバンドの特徴は、フリーよりもポップで軽快な曲が多く、多くのファンに受け入れられたのも分かる気がする。

いかんせん、オレは日頃からドラムとボーカルばかり聞いているので、フリーとバドカンの違いがよくわからんのです。
二人とも同じメンバーだし、出音も4人編成で似たような感じだし、曲調でポップならバドカンかな?と思うぐらいだ。まあ、それでも大勢に影響ないしオレは困ってはいないけどね。。。
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エアロスミスを聴く

2021年04月09日 | オールドミュージック
4月9日(金) 本日のJOG=30分
今朝のJOGは膝をかばいつつ走ってスローペース。いつもより1周減らして30分でやめておく。あ~あ。
天気はいいが何だかちょっと寒い。今日と明日は寒の戻りで冷え込むんだそうだ。

AEROSMITH(エアロスミス)を久し振りに聴く。思えば10年ぶりぐらいだ。次回の屋外ライブの宿題がエアロスミスの曲ということで、古いCDを引っ張り出した。
自分は中学時代から青春時代というのが70年代だったので、やはり当時のロックに影響されて育ってきて、73年デビューのエアロスミスも年代的にはドンピシャ。
クイーン、キッスとともに“3大バンド”の1つと言われたというが、どちらかというと自分はツェッペリンとパープル派だった。
他にもAC/DCやヴァン・ヘイレン、ブラック・サバスあたりがハードロックというジャンルでは人気で、自分も聴いていた。
その当時、エアロスミスの76年発表のアルバム、「ロックス」というLP盤を買った。


「ロックス(76’)」
いかにも荒々しい骨太の重厚なハードロックは、大音量で魂を震わせて聴きたくてヘッドホンでよく聴いた。
でも、自分の演奏したいジャンルではなかったので、実はそれほど入れ込んでもいなかった。
ちなみにこのレコードは、のちにラビットフットレコードに売ってしまったが、その後ベスト版のCDを2枚買っている。


「グレイテストヒッツ(80’)」
何と言っても、このバンドはスティーブン・タイラーのボーカルが唯一無比。あのどでかい口をがばっと開いて大歌いする姿はインパクト大だった。その声は昔の若い時からも、しわ枯れた荒くれ声だったが、当時は映画『アルマゲドン』の主題歌、「ミス・ア・シング(1998)」のようなしゃくりあげる歌い方はしていなかった。
オレはやっぱり、若者の頃よく聞いたアルバム「ロックス」から、「バック・イン・サドル」なんかが好きだなあ。爽やかじゃない怪しさがどこかにあって、ハードロックらしい取っつきにくさがまた好きだ。
なお、このベスト盤「グレイテストヒッツ」には、ザ・ビートルズの「カム・トゥギャザー」をカバーしてそこそこまんま演奏した曲も入っている。買った当時は、正直「なんだカバーかよ」ぐらいに思ったけれど、ザ・スターキーで自分がコピーしている今では「ははあ、こういう解釈ね」と、なぜかニヤニヤして聴いてしまう。

この頃の音源を、またJOGのお伴にするんだ。
いやあ、毎日が聴きたい音源だらけで、リンダ困っちゃう(笑)
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メロディ・フェア/ビージーズ (69’)

2021年03月21日 | オールドミュージック
Melody Fair/Bee Gees


3月21日(日)
この曲は、映画『小さな恋のメロディ』(71’)のテーマソングとして映画公開とともに日本でヒットしました。なので1969年の発表曲であっても人々に知られるのはシングル盤発売の71年なんですね。
映画同様に主題歌もほぼ日本だけで売れたようで世界的にはヒットしていないそうです。主役のマーク・レスターとトレイシー・ハイドの可愛らしさが当時の日本人好みだったということでしょうか。まあ今見てもめちゃ可愛い二人ですもんね。

しかしこの曲、当時は自分が中学2年ということで、思春期の印象に残る曲ベスト5に入る程の影響を受けました。
それは、近所に母親の実家があって、そこの同級の従兄弟(いとこ)がこの映画を観て感動して、シングル盤を買って毎日かけていて、遊びに行った自分も映画を観ていないのに聴いているうちに好きになった曲でした。
面白かったのは、Aメロの歌詞の語尾が「全部“スッ”ってなる」と従兄弟が言って、レコードに合わせて歌っていたのを覚えています。
確かに歌詞カードを見ると冒頭の語尾は“ス”が続いています。

Who is the girl with the crying face
Looking at millions of signs
She knows that life is a running race
Her face shouldn't show any line

そんなこともあって、自分がレコードを持っていないにもかかわらず、自分が買ったレコードよりもレコードと一緒に歌えるぐらいに曲に詳しくなったという曲です。
その頃は、従兄弟と毎日遊ぶぐらいに仲が良かったんだなと思い出すんだけど、結局はステレオが聴きたくていそいそと通っていたのでした。
ウチにステレオが来てからはあまり行かなくなりましたから。。。。

この曲ですが、光栄なことに、この歳になって初めてバンドで演奏する機会が与えられました。
ある営業ライブの場で、クライアントより「(ビートルズ以外で)なんでもいいから洋楽を演奏して」と言われて、自分以外のメンバーが「メロディ・フェア」を候補に挙げてくれて、自分的には大好きな曲なので歓喜したという経緯がありました。
それをまた、昨日の別のライブでも(勝手に)演奏させてもらって、練習量にしてはまあまあの出来だとは思ったんです。
ところが、ウケたかというとそうでもなくて、拍手ぱちぱちで終わり。スベりました。。。
やっぱり皆さんそんなに思い入れがある曲ではないんでしょうね。今じゃ若い人は知らないでしょうし。71年ジャストに聴いたからこそのオレの好きな曲なんだとはっきり分かったという次第。
残念ながら、たぶん今後はもう演奏することのない曲となるのでしょうが、個人的には“いい冥土の土産”にしたいと思います。。。

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ボクのビートルズ ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」(70’)

2021年03月11日 | オールドミュージック
3月11日(木) 本日のJOG=45分
昨日に続いて、中学生の頃のビートルズと遭遇した話。
ビートルズが解散した1970年。この年、ジョージ・ハリスンもポールやジョンに負けじとソロ活動をしていて、『オール・シングス・マスト・パス』という大作3枚組アルバムを発表する。
その中の1曲が「マイ・スウィート・ロード」(70年)というわけですが、シングル盤としては日本では71年1月10日発売だったといいます。(ウィキペディア調べ)

My Sweet Lord - George Harrison(70’)


ポールの「アナザー・デイ」と同時期にヒットしており、ラジオではよく聞くことができて、とても印象強い曲だった。時系列にはこちらが先にリリースしていますが、どっちが先かは覚えていませんが、ボクの中ではビートルズとの新たな出会いの1曲となった。
印象に残る要因は、やはり「ゴスペルソング」だという点で、繰り返し繰り返し「マイ・スウィート・ロード」「ハレルヤ」と連呼するので、覚えないわけにはいかない。
当時、宗教心のかけらもない中学生にとって連呼する意味は関係なく、ひたすら甘くて耳障りのいいジョージの声と美しいメロディという曲だった。
例によって、この曲によってジョージとポールが同じビートルズのメンバーだということを知るし、ヒゲもじゃだったポールよりもヒゲもじゃのジョージのほうが男前だななんて思った。
何と言うか、田舎の男子中坊には情報が少なくてレコードジャケットだけで顔を判断してしまう時代だったのだ。

この後、Lordが神様で、hallelujah(ハレルヤ)が「晴れるや」ではないことだったり知るわけですが、「ゴスペル」という呼び方ではなく、讃美歌というものを英語塾をやっていた地元の教会へ行くようになって知り、この曲との繋がりというか妙な縁を感じたのでした。
ボクが大人になってオレになり、イエスを知り教会で洗礼を受けることになった。その深層心理でのきっかけの一つがこの曲だったのかも知れません。

日本でゴスペルブームが起きた90年頃は、オレはクリスチャンのような生活をしていたけれど、ただブームに乗っかって上っ面で「ハレルヤ」とか「マイロード」とか歌うべからずなんて苦々しく思うこともあった。
まあ、何を隠そう自分こそ途中でイエス愛を失ってしまって愛の溢れる世界から逃げ出した卑怯者なので、自分の思い上がりに恥を知るのですが、この曲を聞くと少し胸が痛むのです。。。

ジョージは2001年に神のもとに旅立ってしまいまいましたが、今でも永遠の神の国でギターを手に歌っていることでしょう。
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ボクのビートルズ ポール・マッカートニー「アナザー・デイ」(71’)

2021年03月10日 | オールドミュージック
3月10日(水) 本日のJOG=45分
今日も中学生の頃の話を書く。
ビートルズが解散したのが1970年。ボクは中1でした。この時には既にポールもジョンも違う世界を歩き始めていて、ビートルズに未練はなかったようです。
そして解散後、ポール名義で発表した最初のシングル盤が「アナザー・デイ」(71年)でした。

アナザー・デイ/ポール・マッカートニー Another Day/Paul McCartney


ウィキペディアによると、1970年4月10日にビートルズ脱退を発表し、その1週間後である4月17日に初のソロ・アルバム『マッカートニー』をリリースする。
そしてこの曲の発表が71年2月19日ですが、69年にはこの曲はほぼ出来上がっていたとあり、妻のリンダ・マッカートニーが参加しています。

当時、中学1年から2年生になる頃だから、家にステレオがやってくる前だった。深夜ラジオでこの曲を聞いてとても気に入って、再びかかるのを待ち構えて聞いていた。その頃はラジカセもないし、レコードプレーヤーも家にないんだから、これしか方法はなかった。
ある日同級生の子がこのレコードを買ったと言って聴かせてくれた。その友達の家で改めてちゃんと聴いて、良い曲だなと再認識したものだ。今聴いてもリズムアレンジが大変凝っているし、難しいことをサラリとやっている曲だと思う。
この頃のボクは特にビートルズファンでもなかったのだが、この曲でビートルズが既に解散したことや、ポールがすごいメロディメーカーであることを知った。

ボクのビートルズの最初の出会いの曲は、残念ながらビートルズ名義ではなく、解散後のポール最初の曲だった。そして、ボクがオレになってずっとずっと経って、オレはビートルズフリークになった。
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