駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

エアコン考

2018年07月29日 | 駄日記
自分は、どちらかというと貧乏育ち。
実家では夏は窓を開け放ち、簾に庭に打ち水。夜もそのまま窓を開けて蚊帳を吊るして、蚊取り線香を焚いて寝る。母親がうちわで扇いでくれて、そのそよ風が心地よくて眠りに落ちたもんです。
夏祭りの時は、タライに井戸水を張ってスイカを冷やしたらご馳走といった、一般的な庶民の暮らし。

両親とも若かったので、当時国鉄員だった父親の給料も少なかったはずで、母親は洋裁をやって家計の足しにしていた。当時の若夫婦は誰も「白物三種の神器」を求めていて、暮らしの向上を目的に働いていた時代だ。
我が家に次々と電化製品がやってきた日のことを、幼心の中に覚えている。洗濯機、冷蔵庫、TV、ステレオ、エアコン、自家用車など、長い時間をかけて家の生活スタイルが変わっていった。
一番最初は真空管ラジオで、さすがにこれは生まれる前だったはずだが、次に洗濯機だったように思う。脱水は取っ手を回すタイプのやつで、小さい頃は自分で回すことができなかった。
プロパンガスの瞬間湯沸かし器とか、ガス炊飯器などがやって来た日もしっかり記憶にある。
それまでは薪でご飯を炊き、長い間風呂も薪だった。

我が家に扇風機がやってきたのもけっこう遅かったと思う。勿論それまでは団扇しかなかった。
水色の金属製の扇風機で、どっしりと重くて品格もあった。おしゃれなTOSHIBAというプレートが付いていた。
一家に1台しかないので、5人家族がみんなで囲んだ(笑)
とにかく涼しくて、風呂上りにきょうだいで先を争って扇風機の前に飛んで行った。お決まりの羽根に顔を近づけて「あ~・・・」ってやった。
エアコンが家にやってきたのは、そうとう後になってからだ。
当時は「エアコン」と言わず「クーラー」だった。なぜなら当時ヒーター機能はなかったのだ。
ものすごく贅沢品という意識があって、両親も普段は使っていなかった。
当時、何度目かの転職をした父親は、夫婦そろって朝早く新聞の仕事をしていた。夏の蒸し暑い日は汗だくになって帰ってきて、母が「贅沢しちゃうか」みたいな感じで「クーラーつけよう」と言って窓を閉めた。汗を拭きながら、吹き出し口から吹く冷たい風に「涼しい」と言う母親の笑顔は幸せそうだった。
クーラーは、一所懸命仕事をした後のご褒美だったのだ。なんでもない時に使うのは贅沢で、罪悪感がどこかにあり、働いていない子供たちには使う権利がなかった。

今の猛暑対策として「躊躇しないでエアコンを使おう」とアピールしているが、年寄りが我慢してしまう気持ちがよくわかる。意識の中ではずっと贅沢そのものだったのだ。
自分自身、夜寝るときはエアコンのスイッチをオフにする癖があったが、さすがに夜間も30度を超えるとなると、つけっぱなしにするようになり、罪悪感というものが消えていった。これもマスコミのおかげでもある。
これを書いている今もエアコンと扇風機を2重に回していて、贅沢しているが、なんだかこれが慣れてしまった気もする。
もう少し涼しくなったら、また窓を開けようと思う。
コメント
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