ビートルズの前期・中期・後期とはどこからどこまでなの?といえば、正式に決まっているわけではありません。人によって感覚も意見も違い、人それぞれの考えでいいんじゃないかと思います。
時に「ビートルズに中期なんてない。前期と後期だけである」という意見もあったり、中には「○○~○○に決まっておる!」と言い切ってしまう人もいますが、それはどうかなと思いますね。
まず、前期がどのアルバムで終わるか、という点では『ヘルプ!』が分岐点となることが多いのではないかと思います。
そして、特に意見が大きく分かれるのは後期の分岐点ですね。ある人は『ホワイトアルバム』からと言えば、『サージェント』だ、いやいや『マジカル』からだと言う人もいて、それぞれ言い分があると思います。まあそう感じればそうってところなんでしょうけれどね。
自分的には、どのアルバムからというのではなく、年代別に考えたいと思います。
時系列にアルバム発表時期を並べてみます。
1962 ザ・ビートルズデビュー
1963 3月プリーズ・プリーズ・ミー
11月ウィズ・ザ・ビートルズ
1964 7月ア・ハード・ディズ・ナイト
12月フォー・セール
1965 8月ヘルプ!
12月ラバー・ソウル
1966 8月リボルバー
12月ベスト盤オールディーズ※未CD化
1967 6月サージェント
11月マジカル
1968 11月ホワイトアルバム
1969 1月イエロー・サブマリン
9月アビー・ロード
1970 5月レット・イット・ビー
個人的には、初期は62年のデビューから64年までで、65年の『ヘルプ!』は敢えて中期に持っていきたいと思います。
前作の『フォー・セール』までは今までの持ち歌、または演奏していたカバー曲が中心だったのが、『ヘルプ!』から書下ろし中心に変わっており、音楽的にもサウンドががらりと変わり、アルバム自体が映画音楽というコンセプトとなっているからです。
日本公演が66年でした。その後のフィリピン公演でひどい目にあい、それを最後にライブ活動をやめてしまいます。したがって中期は65年~66年とさせてもらいます。
後期としては、67年の活動から解散までとします。
音楽的に言えば、スタジオに閉じこもって『サージェント』『マジカル』『サブマリン』を同時進行で制作していき、そのままの流れで69年、『ホワイトアルバム』の発表へと続いていくわけですからね。
アルバムは団子状態で発表しましたが、作成月日はアルバムの順番どおりではなかったんですね。
ただし、後期が解散への道という見方をすれば、『ホワイト・・』からとも言えますね。
要するに、どこに視点を当てて分割するか、という事で変わってくると言えるんじゃないでしょうか。
モチロン異論はあるでしょうね。
まあ、いつまで経ってもビートルズ談義は尽きないって事で。
時に「ビートルズに中期なんてない。前期と後期だけである」という意見もあったり、中には「○○~○○に決まっておる!」と言い切ってしまう人もいますが、それはどうかなと思いますね。
まず、前期がどのアルバムで終わるか、という点では『ヘルプ!』が分岐点となることが多いのではないかと思います。
そして、特に意見が大きく分かれるのは後期の分岐点ですね。ある人は『ホワイトアルバム』からと言えば、『サージェント』だ、いやいや『マジカル』からだと言う人もいて、それぞれ言い分があると思います。まあそう感じればそうってところなんでしょうけれどね。
自分的には、どのアルバムからというのではなく、年代別に考えたいと思います。
時系列にアルバム発表時期を並べてみます。
1962 ザ・ビートルズデビュー
1963 3月プリーズ・プリーズ・ミー
11月ウィズ・ザ・ビートルズ
1964 7月ア・ハード・ディズ・ナイト
12月フォー・セール
1965 8月ヘルプ!
12月ラバー・ソウル
1966 8月リボルバー
12月ベスト盤オールディーズ※未CD化
1967 6月サージェント
11月マジカル
1968 11月ホワイトアルバム
1969 1月イエロー・サブマリン
9月アビー・ロード
1970 5月レット・イット・ビー
個人的には、初期は62年のデビューから64年までで、65年の『ヘルプ!』は敢えて中期に持っていきたいと思います。
前作の『フォー・セール』までは今までの持ち歌、または演奏していたカバー曲が中心だったのが、『ヘルプ!』から書下ろし中心に変わっており、音楽的にもサウンドががらりと変わり、アルバム自体が映画音楽というコンセプトとなっているからです。
日本公演が66年でした。その後のフィリピン公演でひどい目にあい、それを最後にライブ活動をやめてしまいます。したがって中期は65年~66年とさせてもらいます。
後期としては、67年の活動から解散までとします。
音楽的に言えば、スタジオに閉じこもって『サージェント』『マジカル』『サブマリン』を同時進行で制作していき、そのままの流れで69年、『ホワイトアルバム』の発表へと続いていくわけですからね。
アルバムは団子状態で発表しましたが、作成月日はアルバムの順番どおりではなかったんですね。
ただし、後期が解散への道という見方をすれば、『ホワイト・・』からとも言えますね。
要するに、どこに視点を当てて分割するか、という事で変わってくると言えるんじゃないでしょうか。
モチロン異論はあるでしょうね。
まあ、いつまで経ってもビートルズ談義は尽きないって事で。