『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

訪問客

2018年05月08日 | 日記
今日は私の定期検診の日



母が家にいるので、

病院に行っている間だけ

姉に来てもらい、母を見てもらう。




家に帰ってみると、

宮本のお母さんが見えていた。

父の生まれた家のお嫁さん。

私たちの仲人。

お嫁さんと言ったって、もうすぐ80歳。

旦那さん(私の従兄)は、もう15年も前に亡くなっている。




舅たちよりも、旦那さんのほうが早くなくなって

お母さんは苦労された。

息子は、自分の父の喪主を務め、

祖父母の喪主も務め

彼も大変苦労している。




そんなお母さんは、

うちの母が頼りで、

よく、話をしに来ていた。




その母が、もう、

こんなになってしまった。




「ああ、顔を見ることが出来てよかった。」

お母さんはそういって

嬉しそうに母の手を握り、さすっていた。




「宮本のお母さん」だということはわかったようで

そんな話をしていたけれど、

お母さんが帰ってから、

「今日、誰か来ていたよねえ。誰が来てた?」

と、私が聞くと、

「???。A子(次姉)だったかなあ・・?」と、

もう、5分前話をしていた宮本のお母さんのことを忘れてしまっていた。




それでも、

「なんだか、ごしたい(疲れた)よ。」と言う。

「どうして、ごしたいんだろうねえ。」

「ああ、人がくりゃあ、何にもしなくてもごしたいよ。」




誰が来たかを覚えていなくても

「人が来た」ということは、体が覚えているようです。
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新・泣いたり笑ったり ・・・(迷い)

2018年05月08日 | 介護
1か月ほど様子を見てから、

母の行動のパターンを分析して、

一日の過ごし方を考えてみよう…

と、思っていたのですが、

1か月たってもきっと、

「こうすればいい」という答えは浮かばないのかもしれない、

と、思い始めています。




高齢者の認知症は

(母の場合だけなのかもしれないけれど)

「繰り返し繰り返し」教えても身につかない、

と言うことがわかりました。



施設から帰ってきた当時も

「自分は歩ける」と思ってはいましたが

結局歩けないので

ベッドの上で「お~い。」と呼んで

車いすでトイレに行っていました。





今も「自分は歩ける」と思っていて、

実際に、あたりの家具や手すりにつかまって

4~5歩歩き、

途中で歩けなくなって、人を呼ぶか

歩行ができずに転んで廊下に横たわっていたりします。





実際に歩いてトイレに行きたいのなら

「歩行器があるのでそれにつかまって行く?」

と、聞くと

「いんね。あるけんと思うでいらんよ。」

と答えるものの

また、1時間もたつと同じことを繰り返しているのです。




歩けるようになってほしいという当初の私の思いから、

今は、歩くと結局大変、

と言う思いに変わっているのです。




今まで夜は、

おむつを当ててあるので朝まで大丈夫、

というと、

朝までいい子で寝ていたものが

昨夜は3回も起きて、

トイレの中で、あるいは廊下の途中で

結局大きな声で家人を呼んで

その都度、主人と二人で抱き起しては

車いすに座らせたり、着替えさせたり

と、なってしまいました。



なぜ急に、昨夜はそうだったのか?

これからも、夜はそうなのか?

あるいは、昨夜限りなのか?

そういう事が全く読めない

認知症の母です。



認知症の患者に向き合うって、

本当に難しい。





でも、もう少し頑張って

観察しながら、

母と付き合ってみましょう。


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