『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

スキー教室が楽しくなかった理由と期待外れの梅園

2025年01月25日 | 雑感

1月25日 土曜日 天気 今日もほぼ快晴 朝8時30分のベランダの気温 -3℃

昨日も、今日と同じように快晴でした。

昨日の朝はちょっと忙しくて、写真も撮らず気温も見ず・・・・

 

昨日は、チーちゃんたちの(学校で行くのは初めての)スキー教室がありました。

小学校3年生以上です。

とっても楽しみにしていたのですが、

帰ってきたとき、じいじが感想を聞くと

ちー「たのしくなかった・・・・」

 「どうして? うまくすべれなかった?」

ちー「・・・・・おじいちゃん先生だったから・・・・」

 「・・・・あ、そう?・・・・」

 「若いお兄さん先生はいなかったの?」

チー「いたよ。でも、ちーたちは、おじいちゃん先生だった・・・・」

コーチ(先生)は若いほうがいいと、子ども心にも思うんでしょうか(苦笑)

 

さて、私たちは久しぶりのドライブに出かけました。

今週は、1月半ばだというのに、春のような暖かい日が続き

鶯巣(うぐす)の梅園の梅が咲き始めた、というので

早速見にいったのでした。

「鶯巣」は南信州の土地の名称です。

JR飯田線の長野県の一番南端の駅は「伊那小沢駅」(信州の桜開花の標準木がある)ですが

「鶯巣」はその一つ手前の駅になります。

        

でも・・・、梅園とは名ばかりで

「以前」梅園だった場所の梅の木は、10本程度。

今は、新しくかかる橋の工事のために、

大半が手入れされなくなって、枯れてしまったり、掘り起こされたりしていて

もう「梅園」の体をなしていませんでした。

でも、ニュースだか新聞に載っていたんだけど・・・ね。

「鶯巣」の梅園の梅が咲いた、って。

天龍村の広報、どうなってんの??

超高齢化で、梅の手入れが出来なくなった、って

梅園の場所を訪ねた時、近くのおじいさんが話してくれました。

「うちの4~5本は剪定してあるけーど、花も咲いてるら?」

梅畑にお茶の木もありました。暖かいからだね。

梅園は期待外れだったけれど、

小さな過疎の村で(高齢化率6割)梅園のようなテーマパークを維持するのは

本当に難しいことなんだろうな、と思いました。

2~3輪だけでも、

咲いている梅の花が見られて良かった、と思うことにします。

 

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「地域に開かれた・・・」の危うさ

2025年01月23日 | 雑感

1月23日 木曜日 天気晴れ 朝8時30分のベランダの気温 -4℃

昨日の朝は快晴でした。朝の気温は今日と同じ -4℃

昨夜、9時頃 長野駅前で

通り魔の仕業と思われる殺傷事件がありました。

男性会社員が犠牲になったそうです。

ご家族がきっと、その方のお帰りを待っていたであろうことを考えると

怒りがこみ上げてきます。

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

犯人はまだ捕まっていない、ということで本当に恐ろしいことです。

ここから遠く離れた場所、とはいうものの同じ長野県内で

こんな地方都市で、平和な日々が淡々と流れていくこんな場所で

このような事件が起きたことにショックを受けています。

孫たちは、とても怖がっています。

 

事件のあった近くの小学校の朝の様子が、ニュースで映し出されていました。

教職員、保護者、地域の皆さんが総出で、

朝の登校の見回りや出迎えをしていらっしゃいました。

 

二十数年前、大阪の小学校に侵入した男が

次々と児童を殺傷するという恐ろしく痛ましい事件がありました。

その事件以来、このあたりの保育園・小学校・中学校等は、

施設敷地周囲に塀(金網)を巡らせ、不審者の侵入防止対策を施すようになりました

都会の保育園、幼稚園や小中学校は、すでにそうしたことはしていたのでしょうが、

こんな田舎では、まったくオープンで

いつでも、どこからでも、だれでも入ってこられる

そんな状態でした。

なにより、それまでの自治体(県)の方針が

「地域に開かれた学校(保育園)」を目指していたのですから。

地域の皆さんに『理解してもらって』『助けてもらって』『一緒に子どもを育ててもらう」

そうしたことを目標に掲げていましたから。

 

あの事件からもうずいぶん経っていますから、

今では、このあたりの保育園・小中学校は、

もう、かなりオープンです。

用事があって訪ねてきた方には、名簿に名前を記入していただく、くらいで済んでいます。

しかし、こんな事件が勃発すると

ましてや、犯人がまだ捕まっていない、となると

子どもを守るためにやはりまた、

厳重に施設を(子供を)囲い込みたくもなります。

 

日本人は民度が高い、とよく言われます。

「そんな恐ろしいことをする人なんてめったにいない」

「多くの人はいい人」

と潜在的に意識している日本人が多い、ということなのでしょう。

そういう思いがあるから、オープンにしているのですが・・・・

「地域に開かれた」学校や保育園を運営することは

ますます難しい時代に入っていくのかもしれません。

 

1月22日、朝

1月23日、朝

 

 

 

 

 

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告白します!

2025年01月21日 | 雑感

1月21日 火曜日 天気晴れ 朝8時30分のベランダの気温 ちょうど0℃

昨日も0℃でした。

でもなぜか、晴れている今日のほうが、寒く感じました。

 1月20日 朝の西駒

1月21日、同時刻の朝の西駒

 

主人は免許証を財布の中に入れているみたいだけれど、

私は、交通安全協会(通称・安協)からいただいたケースの中に入れています。

そして、それを お薬手帳や診察券なんかを入れるようにって

友だちが作ってくれた布袋(13㌢×21㌢)の、中央の小さな隙間に入れます。

(薬やマスクや裁縫セットなんかを入れると厚さが7㌢くらいになります)

もう長いこと ずっとそうしています。

 

季節が変わって、バッグが変わるときは

バッグの中身をそっくり入れ替えるので問題はないのですが、

ドライブや旅行なんかに行くときは、

動きやすいように小さめのバッグに変えるので、

その布袋は大きすぎてバッグには到底入らないので

免許証だけ抜き出して、変えたバッグに入れるのです。

 

先日、ふうちゃんのお宮参りの時

ちょっとおしゃれをしたので、当然バッグも変わります。

で、免許証だけ抜き出さなくっちゃ、と

いつもの布袋の中を見るのですが、

どこにも免許証が見当たりません。

さあて、困った!

あっ、この間、葬式があったから黒のバッグに入れたんだ!

と、黒いバッグの中を探しましたが、そこにもありません。

さあ、こうなるとちょっとパニックです。

 

葬式以外に、ここ1か月バッグを替えるようなお出かけなんかしてないし、

(正月に主人の実家に行ったときはバッグは変えなかった)

(12月は産後の娘がいたから、どこにも出かけなかった)

じゃあ、冬のバッグに変えたとき?

秋に持っていたバッグはどれだっけ?

ドライブに持ってったバッグは?(念のため)

・・・・・とうとう出かける時間になっても見つかりません。

 

「ねえ、免許証無くしたら、再発行してもらえる?」

「すぐできる?」

「警察で、いろいろ言われない?」

免許証紛失経験者(笑)の主人にあれこれ聞いて

見つからなかった場合は月曜日にでも警察署に行くことも覚悟して(その日が金曜日だったので)

とりあえず、

お宮参りから帰ってから ゆっくり探すことにしました。

 

帰ってきてから、

私の持っているバッグを全部(と言っても安物ばかり15個くらいだけど)出して

端からもう一度丁寧に(ファスナーのポケット部分とか)

探していたら・・・・・

案外簡単に早く見つかりました。

・・・・でも、免許証の入っていたそのバッグが・・・

ちょっと、衝撃でした!!

 

なぜなら!  そのバッグ!

11月に伊豆に旅行に行ったときに持って行ったバッグだったからです!

 

私ったら!

11月のあの日以来、

ずっと、「免許証不携帯」で運転していたんです!

冷や汗だらだら・・・・

こういうのって、罰せられるんでしょうか?

 

 

 

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(再掲)鈍行列車に乗って(飯田線、秘境駅を巡る旅)

2025年01月19日 | 雑感

(※)「長野県を南から北に電車で移動してみる」という

   鉄道おたく(乗り鉄?)のユーチューブを見ていたら(飯田線~中央線~しなの鉄道?~飯山線)

   「岡谷から飯田線を豊橋方面に下るのも面白い」と話していて

   「私、飯田線を豊橋まで乗ったことある。」と思い出しました。

   楽しい旅だったので、再掲します。

 

 

(※)2019年4月16日 の ことです。

 

何度も何度も南信州を回っていて、

やっぱり魅力的だったのは無人の駅周辺でした。

「伊那小沢」の桜が咲き始めたとニュースで聴けば

次の日に、3時間ほどかけて

誰もいない「伊那小沢駅」にその桜を確認しに行くほど・・・・

いつか、この飯田線をずっと下ってみたい、

それが私のささやかな夢でもありました。



そしてついに、そのささやかな夢が実現しました。



伊那市駅を出発して豊橋駅までは、

およそ5時間強のかなり長丁場の各駅停車の旅です。



お茶とお酒(笑)とおにぎりとおつまみとおやつを買い込んで

日曜日なのに(日曜日だから?)、

がらんがらんの列車をボックスを占領しての優雅な旅の始まりとなりました。



長丁場なので、車両の中ではスリッパで移動(笑)

車掌さんに感心されました(笑)





長野県の一番端っこの駅、秘境駅で有名な「中井侍」です。



ここから見える急斜面のお茶畑は、知ってる人の間では(笑)超有名です。






ここもまた、無人の秘境駅「小和田」

まもなく皇后になられる雅子さまのご成婚が発表されてからというもの

急に有名になった駅でもあります。



そしてここはもう、長野県ではなく静岡県です。



この辺りを過ぎると、トンネルが多くなり

トンネルとトンネルの間から見える景色がとっても素敵でも

シャッターチャンスには恵まれない、という

残念な区間が続きます。







「飯田」「天竜峡」あたりは桜が散り、

「為栗(してぐり)」「平岡」あたりの山々は

もう山桜とクヌギ類の黄緑色の若芽が芽吹き始め、その競演が見事でした。



佐久間」「中部天竜」らの静岡を過ぎ、

「出馬(いずんま)」「東栄」あたりに入ると、そこはもう愛知県。

でも、まだまだ谷間を走るのどかな路線です。

「長篠城」駅では、枝垂桜がちょうど見ごろを迎えていました。





途中の様子をフェイスブックに投稿すると

早速友人からの反応があり

「帰りはどうすんの?」と心配されましたが・・・・

実は、豊橋の駅には

車で行った主人が出迎えていてくれたのでありました。



その夜は、久しぶりに居酒屋で二人っきりの「乾杯!」





楽しい夜となりました。

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今年1年を振り返る(その1)

2024年12月27日 | 雑感

あと数日で、2024年が終わります。

 

今年一年を振り返ってみると、

いつになく、人の出入りの多い一年でした。

 

1月に大町の姉夫婦を呼んで新年会が出来ました。

主人の兄夫婦も呼んで、年寄りだけのいい新年会が出来ました。

明くる日、大町の姉夫婦は

ばあちゃんに会いに、施設に出向いてくれました。

その20日後、母が亡くなりました。

良い時に母に会ってくれたなあ、と思いました。

危篤になって連絡すると「あの日会えたからいいわ」と姉は言い、

その日が母との最期となりました。

 

通夜には50人からの親族がこの家に集まりました。

床が抜けるんじゃないか(笑)、通夜振舞いの料理は足りるか(苦笑)と心配しましたが

うちの嫁たちを中心に、姪・甥の嫁たちが気を利かせてよく動いてくれて

心配には及びませんでした。

同年齢の孫たちははしゃぎまくって、それはそれは賑やかでした。

この席で初めて、長姉の孫の嫁や、ひ孫(母にとっては玄孫)に会ったりして

「名刺交換」じゃないけれど、

あちらこちらで、「よろしく」のあいさつが行き交っていました。

 

四十九日・初彼岸・新盆等

一年間人寄りがあり、こちらは疲れましたが

まあこれも、実家を守る役目だなあ、と頑張りました。

 

極めつけは、年の暮れの娘の出産。

母の生まれ変わりかもしれませんね。

一人があちらの世界に行ったら、

新しい命がこちらの世界に来てくれました。

 

大変な一年ではありましたが、

思い出に残る一年でもありました。

 

 

 

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