
上記の写真は、丹六塩釜店前に乗り上げた小型観光船
塩釜を襲った津波・・・TUNAMI
昨今、地震や津波で災害を受けている国や町はメディアに取り上げられ、私達も目にするが、その様子は痛々しい。
以前、津波防災で研修のお客様をよく連れて行った町があります。
それは、岩手県三陸の田老町です。
この町は、慶長の大津波(1611年=慶長16年)波高15~20mや明治・昭和になっても何度も町を全壊させられた。
津波に対してのノウハウを生かし、防災のレベルは高い。
山の壁面に当時の波の高さを印しているがその高さには驚かされました。
田老町についてはいづれ・・・
さて、TUNAMIの言葉は世界共通語となるほど日本は地震大国であり、それに伴い津波も発生しやすく多いということになるでしょう。
私の身近にある塩釜の港にはどんな影響があったのでしょう。
昭和に塩釜に影響を及ぼした津波にはこんなのありました。
三陸沖地震:昭和8年3月3日
十勝沖地震:昭和27年3月4日
カムチャッカ強震:昭和27年11月5日
宮城県北地震:昭和37年4月20日
宮城沖地震:昭和53年6月13日

写真は旧本塩釜駅の前を通る国道45号線
緑の建物と書いたのは、現存しているようなので後で見比べて見ます。
上記の写真は、昭和35年のチリ地震津波です。
塩釜市の海岸前、北浜あたりは海抜ゼロメートル地帯です。
チリ中部沿岸で起きたM8の地震により24時間を要して太平洋を横断し宮城県沿岸に第一波が押し寄せた。
波長の長い複雑な波は大きく反復を繰り返し塩釜を襲った。
被災した店舗は432店、被災戸数1136戸、死者2名、重軽傷者204名、全壊18、流失1、半壊15、床上浸水826、床下276、災害救助法が適用された。

上記の写真は、観光桟橋です。
塩釜には、午前3時22分に第一波が押し寄せた。
波の高さは2.9mを測定。
観光船は大小60隻あまりが岸壁や路上に打ち上げられて大破したのです。
緑の建物と現在の様子。

以前UP済みですが再度登場


ここでも緑の建物が登場しています
本日の写真 緑の建物の横から

チリ地震津波関連ですが、下の写真は志津川町(南三陸町)

流れ着いた臼で遊ぶ子供と濡れた漫画本を読む少年「アサヒグラフ」1997年掲載
再び掲載、旧本塩釜駅

次回は、塩釜の街を車の中からスナップ!
塩釜を襲った津波・・・TUNAMI
昨今、地震や津波で災害を受けている国や町はメディアに取り上げられ、私達も目にするが、その様子は痛々しい。
以前、津波防災で研修のお客様をよく連れて行った町があります。
それは、岩手県三陸の田老町です。
この町は、慶長の大津波(1611年=慶長16年)波高15~20mや明治・昭和になっても何度も町を全壊させられた。
津波に対してのノウハウを生かし、防災のレベルは高い。
山の壁面に当時の波の高さを印しているがその高さには驚かされました。
田老町についてはいづれ・・・
さて、TUNAMIの言葉は世界共通語となるほど日本は地震大国であり、それに伴い津波も発生しやすく多いということになるでしょう。
私の身近にある塩釜の港にはどんな影響があったのでしょう。
昭和に塩釜に影響を及ぼした津波にはこんなのありました。
三陸沖地震:昭和8年3月3日
十勝沖地震:昭和27年3月4日
カムチャッカ強震:昭和27年11月5日
宮城県北地震:昭和37年4月20日
宮城沖地震:昭和53年6月13日

写真は旧本塩釜駅の前を通る国道45号線
緑の建物と書いたのは、現存しているようなので後で見比べて見ます。
上記の写真は、昭和35年のチリ地震津波です。
塩釜市の海岸前、北浜あたりは海抜ゼロメートル地帯です。
チリ中部沿岸で起きたM8の地震により24時間を要して太平洋を横断し宮城県沿岸に第一波が押し寄せた。
波長の長い複雑な波は大きく反復を繰り返し塩釜を襲った。
被災した店舗は432店、被災戸数1136戸、死者2名、重軽傷者204名、全壊18、流失1、半壊15、床上浸水826、床下276、災害救助法が適用された。

上記の写真は、観光桟橋です。
塩釜には、午前3時22分に第一波が押し寄せた。
波の高さは2.9mを測定。
観光船は大小60隻あまりが岸壁や路上に打ち上げられて大破したのです。
緑の建物と現在の様子。

以前UP済みですが再度登場


ここでも緑の建物が登場しています


チリ地震津波関連ですが、下の写真は志津川町(南三陸町)

流れ着いた臼で遊ぶ子供と濡れた漫画本を読む少年「アサヒグラフ」1997年掲載
再び掲載、旧本塩釜駅

次回は、塩釜の街を車の中からスナップ!
チリ地震津波が塩竈港に到達した、当にその時!
「ワシは本塩釜駅のホームで電車を待っていて、来々軒のわきから国道に船が打ち上げられた瞬間を見た!」とオイラの親父が語っていました…
ホントすかやぁ~~~?
ところで、本塩釜駅ホームの左端の四角い二階建ての建物
手前の二階に洋食屋のレストランぶんや、奥の平屋部分が兄弟屋靴店だったちゃね
どっちも駅跡に建てた塩竈一番館の中に今もあるよねぇ~♪
来来軒の写真は撮って来ましたが、昔の写真はありません残念です。
親父さんは見たんだとおもうよ。
緑の建物、ずっと残っているんですね。
自然の力には、何者も敵いませんね。
厄介な町・・・なんて言うと叱られそうですが、それでも住み続けるんですねぇ
拙でも、そうするかも・・・
いい意味でも悪い意味でも
世界に繋がってるという感じですね
海は繋がっているのだと実感させられますね。
先日の地震でも太平洋側はしばらく注意報がでてましたよね。
どんなに距離があっても繋がっていれば伝導するんですね。
今、爆撃音が続いてます。
自衛隊の演習だろうか???
遠くにあるのですが、夜だからなのかここまでかなりの音で聞こえます。
七ヶ浜花渕で。午前一時ごろバイクで帰宅。
海の様子はこれと言って変わらなかったとのことですが、塩竈へ戻り、市場へ行こうとしたときにいつもと違う潮位を感じたそうです。釣をしたばかりなので潮見表の時刻が頭にあったそうです。
さて、会社(築港)へ戻ったとたん、津波が。
波が音もせず、流れこんできたそうです。
「だれすごかったおんなや」
今でも話す父です。夜釣りが長引けば。海岸で遭遇していたかもしれなかったのでした。
花渕にいたら飲み込まれて居たかもしれませんね。
これだけは、ラッキーと言うしかありせんね。
当時の気象庁はどこまで警戒し警報を出せたのか? 私にはわかりません。