アラハバキ神社 この文字は、またもや表示できず。
鎮座地:福島県会津若松市湊町大字赤井
祭 神:塩椎神(しおつちのかみ)
「古事記」では塩椎神と表記していますが、「日本書紀」・「先代旧事本紀」では
塩土老翁・塩筒老翁と表記しています。つまり鹽竈神社の祭神と一緒になりますね。 多賀城の荒脛巾神社は鹽竃神社の末社とされていますから、つな . . . 本文を読む
仕事の関係で近くまで行ったので立ち寄りました。
カメラを持って行かなかったので今回は携帯での写真です。
ここは市営地下鉄の富沢車庫の入り口にあります。
大正15(1926)年11月25日
待ちにまった木造製の四輪単車の市電が仙台の街を駆け抜けた。
最初営業を始めたのは大町一丁目~仙台駅前~荒町間の3.3km。
昭和3年(1928)年になると市内循環線と芭蕉の辻線が完成する。
その後延長され、 . . . 本文を読む
先日、野蒜の様子を見に行く時に45号線を通ったのですが、残念な光景を目にしました。
自らの船で生産していた人達が直接販売していた「生産直売所」です。
鉄の骨組みと看板だけが残っていました。
海水が国道に流出しないように、土嚢が積み重なっています。
実は2008年1月27日にスナップに収めていました。
酷いですね。
船もダメージを受けているようです。
今年の冬は、こ . . . 本文を読む
花とパイプ椅子・・・ここで最愛なる家族が亡くなったのでしょう。
手向けられた花を囲むようにパイプ椅子が並んでいます。
きっと何時までもこの場所から離れられず椅子に腰を掛けこの景色を呆然と眺めていたことでしょう。
時間があれば、ここに来て楽しかった在りし日を思い出しているのに違いありません。
野蒜駅正面から橋を渡ったところです。
この松林の中を抜ける道を行くと海にでます。 と云っても松林は無くなり . . . 本文を読む
1~2時間前の様子ですが、窓から下を覗くと路面が水面と変化していました。
やばいかも?? 玄関を出ると皆がざわめいています。
下を見ると、道路の水位が上がっているのです。
駐車場に止めている車は、ナンバープレートが隠れてしまいました。
早めに気付いた人は、車を移動しましたが、私が表に出た時は手遅れでした。
しかし、駐車場の場所が良かった為私の車はギリセーフです。
そこに、消防車が到着、 . . . 本文を読む
瓦礫の撤去も進み、道路も通行可能になっただろうと思い以前記事にしていた多賀城市の八幡神社に行ってきました。
2008年に記事を書いています。その時の写真と比べて見ましょう。多賀城市/八幡神社
まずは、第一の鳥居ですがかなりの長い大きな揺れの影響でしょう。柱だけになってしまいましたね。
木が枯れてしまってます。
以前の状態
道を挟んで横には瓦礫(金属)が山済みでした。よく見るとローリーのタン . . . 本文を読む
昨日、野蒜や蒲生そして多賀城の神社を取材していた時、45号線を利用したのですが、松島を通過した時ヨットの姿が見えました。
久しぶりの光景です。 ここには東北学院大のクラブの小屋が以前ありましたが、今はどうなっているのか?
帆を見ると、新潟や東京の文字も見えます。 大会でもしていたのでしょうかね?
出雲の神からの贈り物
新米が送られて来ました。一粒残さず食べますよ。維真尽さんが丹 . . . 本文を読む
気になっていた蒲生干潟をやっと訪れることが出来ました。
仙台新港の横から蒲生の町に入って行きました。
いや、正確には町だった所・・・・になってしまいました。
悔しいですね~ 3.11の大地震と津波は、次々と私の想い出の地を消して行きます。
正直見たく無い!と言う思いが私の足を止めていたのかもしれません。
この地は、私の祖母(母方)の生まれた地です。つまり私のルーツなのです。
小学生の時 . . . 本文を読む
荒鎺神社
タイトルには、こ鎺の漢字は使えないようです。
やはりここも、田んぼの中にポツンと鎮座していました。
鎮座地:会津若松市町北町大字中沢字平沢396
住所がわかっていたので、ナビでピンポイントで行けるかと思いきや・・・迷いました。
ナビが連れて行ったところはGoogleマップと全く同じ場所であったのですが、一面田んぼで神社が見当たりませんでした。
しばらくクルマでウロウロ・ . . . 本文を読む
仁和多利神社(仁和田里権現社)
御祭神:武内宿祢之命 例祭:旧九月十九日
由 緒:板碑から抜粋
本社は後醍醐天皇之御宇元応元年笠神村の邑人ら病門守護のため末申之方字上ノ台に勧請し奉り仁和田里権現社と称した。
本殿は元禄十二巳卯年九月晦日造営にかかり今に流造を在置し、宝永七年、元文四年、安永五年、文政十一年の
棟札を社蔵し住昔の鎮守護持今に伝わる。
明治四年神佛分離に伴い権現号を廃し . . . 本文を読む
宮城県の小学校の修学旅行と言えば、やはり福島・会津若松が定番ですね。
宿は芦の牧温泉か東山温泉と決まっていたものです。 磐梯高原もありますかね?
ところが、今回の原発で会津地方は大打撃です。
もっと書きたいのですが、本題と掛け離れますのでこの辺で・・・ どうか会津に行きたいと思っている方は是非足を延ばして見てください。
この歴史に満ち溢れた街は、歴史愛好家には必見だと思います。
この鶴ヶ城ひとつ . . . 本文を読む
会津若松の青春通りの続きです。
「はいらんしょ」は「お入り下さい」の方言ですね。そのまま店名にしたようです。
なんとシンガーミシンの看板が・・
市内の観光スポットを回るハイカラさんです。
このようにレトロな町並みがつづきます。
その中に清水屋旅館跡・・・
ここは、大東銀行会津支店です。ここには、清水屋という旅籠がありました。
宇都宮城の激戦から逃 . . . 本文を読む
残念ながら、修復工事の為このように状態でした。
中にある小さな社がブルーシートで覆われていまして、その中を見ることも叶いませんでした
鎮座地: 仙台市泉区古内仁渡
祭 神:天之水分神 (あまのみくまりのかみ)
※水分神(みくまりのかみ)を調べますと、流水をの分配をつかさどる神とあります。
古事記上に速秋津日子・速秋津比売 . . . 本文を読む
野暮用で新潟へ
折り返し会津まで向ました。
何せこの台風の影響で微妙な天候でした。 そんな訳でのんびりも出来ずワラワラと回って来ました。
野口英世青春通りとは、英世が15歳から19歳までこの街で生活していたことから呼ばれるようになりました。
ご存知のように英世は幼い頃囲炉裏で火傷をし15歳の時この街にある會陽医院で手術を受けます。
これをきっかけに彼は医学の道を志すわけですね。
そこで手術を受 . . . 本文を読む
鎮座地:宮城県仙台市泉区市名坂字西裏61
祭 神:伊邪那岐命・伊邪那美命
由緒
神社の記録によりますと万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇にお祀りされた。
※修林壇(現在の七北田小学校の南側付近住所は字東裏)
天正年間(1573年~)に八つの村の総鎮守として祀られました。
【市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈 古内・松森・鶴谷】
こ . . . 本文を読む