城柵の時代と多賀城
トップの絵(南大門)を再現中です。ここに置かれていました。
現在の古代東北史研究には、東北の歴史の独自をあるがままに認識し、それを評価していくという姿勢が求められる。
また、ここ30年ほどの新発見の出土文字資料の蓄積が進みその研究も進歩を遂げた
木簡(もっかん)漆紙文書などの一次資料は断片的ものが多いと言え
正史などからは、うかがいがたい支配の具体相を知ることの . . . 本文を読む
日本武尊
中央で作られた蝦夷像
東北地方の古代史研究に長年取り組まれた高橋富雄氏は、次のように述べている。
「エミシというのは、政治的に中央の命に奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者達をさしていた」(『蝦夷』)
古代の文献を見る限り、「エミシ」の語が特定の異民族をさすとは考えられない。
その言語は、本来大王に反抗する人々を指すものであった。
しかし、『日本書紀』がつくられた時代 . . . 本文を読む
土偶
蝦夷を簡単に説明はできない、時代背景による呼ばれかたや何をもって蝦夷になるのか不明な部分もあります。
日本古代史において大問題であり未解決なのです。
蝦夷(エミシ)とアイヌは基本的に分けて考えるべきだと考えています。
さて、ここに「蝦夷」と表記していますが、皆さんは何とお読みしたでしょう。
何度も私の記事の中で記載していますが、蝦夷は国家側が東北地方の住民に対する呼称として使用した . . . 本文を読む
偽書「東日流外三郡誌」の正体1
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
偽書「東日流外三郡誌」の正体3
偽書「東日流外三郡誌」の正体4
偽書「東日流外三郡誌」の正体6
偽書「東日流外三郡誌」の正体7
偽書「東日流外三郡誌」の正体8
偽書「東日流外三郡誌」の正体9
現在引用または編集している参考文献は偽書「東日流外三郡誌」事件から・・・『私』と記載している部分は=(著者:齊藤光政)東奥日報社編集委員 . . . 本文を読む
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偽書「東日流外三郡誌」の正体4
偽書「東日流外三郡誌」の正体6
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偽書「東日流外三郡誌」の正体8
この偽書を信じたいという方は、このブログのタイトルの1からすべてをしっかり読んでいただきたい。
参考文献にしたこの古本を買って読んでいただければ一番いいのだが、それも大 . . . 本文を読む
偽書「東日流外三郡誌」の正体1
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偽書「東日流外三郡誌」の正体4
偽書「東日流外三郡誌」の正体6
偽書「東日流外三郡誌」の正体7
筆跡鑑定
野村の和田氏に対する訴訟から五ヶ月後のことだ。
1993年3月 青森地裁の記者室にて・・・・
青森古文書研究会会長の鈴木政四郎と副会長の佐々木隆次の大きな声が響いた。
「『外三郡誌』の筆者や内容 . . . 本文を読む
偽書「東日流外三郡誌」の正体1
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
偽書「東日流外三郡誌」の正体3
偽書「東日流外三郡誌」の正体4
偽書「東日流外三郡誌」の正体6
佐藤
伝承に過ぎないことでも、文字になれば、それが事実なんだと思ってしまう。このような傾向はあちこちにたくさんあります。
そういう話にちょっと関連して言うとこの間、たまたま九月に遠野の常堅寺という河童狛犬のあるお寺の息子さんと、(息子さ . . . 本文を読む
「東日流六郡誌絵巻」のデタラメサ・・・から
対談者プロフィール 小野寺永幸 1925年 岩手県生まれ 岩手青年師範学校卒業 東京大学教育学部に学ぶ、中学校校長を歴任後、東北史学研究所所長
著書に「みちのく古里物語」「秘録少年農兵隊」など、多数
千坂氏は2話で紹介しています。
小野寺永幸 地元一関の事でも、おかしいなと思うことが随分 . . . 本文を読む
偽書「東日流外三郡誌」の正体1
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
偽書「東日流外三郡誌」の正体3
偽書「東日流外三郡誌」の正体4
虚報を作り出す人々から・・・・
斎藤 大化改新の時に蘇我蝦夷によって焼かれたはずの「天皇記」「国記」が、和田さんのところの石塔山神社にあるという話がありまして、古田さんも講演会などで、「見つかれば素晴らしい。歴史を覆す」と言っておりました。
その文書のことは19 . . . 本文を読む
偽書「東日流外三郡誌」の正体1
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
偽書「東日流外三郡誌」の正体3
偽作者は仏教に無知な現代人
偽作者の教養の無さが「東日流外三郡誌」表れていることを発見できない「東北」にも問題があるのではないかと言っている。
例えば、市浦村(後で詳しく記述します)というのは、昭和三十年に合併してできた村なのに「東日流外三郡誌」に載っていること。
または、大湯ストーンサークル環状列 . . . 本文を読む
偽書「東日流外三郡誌」の正体1
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
出土や報道の後に文書が出る
千坂 彼ら(古田史学の会)は現在の考古学出土品と「東日流外三郡誌」の記述とが、一致しているという主張もしているようですが、、その点考えですか。 斉藤さんは「壺のいしぶみ」について批判しておられますね。
斉藤 色々な資料を参考にして、あれだけ書きまくった和田氏の文書の中から、ある一点のみを考古学と一致し . . . 本文を読む
前回の記事偽書「東日流外三郡誌」の正体1
大事なことを忘れていました。「東日流外三郡誌」とは何なのか話しをていませんでした。
和田喜八郎氏によって公開された文献で「和田家文書」とも呼ばれています。その一部が「東日流外三郡誌」です。
内容ですがその昔・・・・
神武天皇の東征によって大和を追われた長髄彦の一族がアソベ族、ツボケ族などと呼ばれた津軽の原住民を平定してアラハバキ王国なるものを建て、大 . . . 本文を読む
阿弖流為(茨城県・鹿島神宮蔵)
一話はこちら
津軽を中心に東北のアラハバキ神社を調べて行くと、御神体は殆どが鉄鉱石である。
岩木山神社もアラハバキを祀っているが、御神体は黒い鉄のような石だ。
十三湊に近い洗磯崎神社も鉄鉱石を御神体にしている。
鉄を発掘する者にとって、最初に掘りだした大きな鉄の塊は、そこがどれだけの山かの目安となる大事なものだ。
南部藩のため働いた山師の間でも、最初の鉄塊を神と . . . 本文を読む
「東北・蝦夷の魂」 高橋克彦著から抜粋して一部御紹介します。
古代東北を探っていくと、世界の龍信仰や日本神話とのつながりが見えてくる。
天照系の神々に出雲を追われた国つ神たちは東北へ移動した。
蝦夷は東北を「ひのもと」と呼び、朝廷は東北を道の奥と呼んだ。
すなわち中央政権の支配が及ばぬ地として「陸奥(みちのく)」と名付けたのである。
東北の民は朝廷軍など中央の権力と何度も戦い、全てに敗北した。 . . . 本文を読む