神輿渡御
鹽竈神社の神輿を御座船「鳳凰丸」に、志波彦神社の神輿を「龍鳳丸」にそれぞれ奉安し、百数十艘に及ぶ供奉船(ぐぶせん)を従えて松島湾の海上を渡御します。
私は、先回りしてマリンゲートヘ・・・
リュックに入れて置いた水をチビチビ飲みながら、神輿の到着を待ちました。
Oh! いましたいました。 御供船です。
まだ人はまばらですが、次の写真は大勢集まっています。
ちょと写真を飛 . . . 本文を読む
日本三大船祭の一つです。
他には、厳島神社の管絃祭、貴船神社(神奈川県真鶴町)の貴船まつりがあります。
輿丁(よちょう)と呼ばれる装束に身を包んだ16名によって神輿が担がれ二百二段の階段になっている表参道をお下がりになります。
この階段は手ぶらでもかなり大変・・・夜に下りたことがありますが、足元が見えない状態では、怖いのです。
神輿はマリンゲートから御座船(ござせん)に奉安され海上渡御となり . . . 本文を読む
最近、テレビにチラホラ出演している、手相占いの島田秀平さんが番組の中で、特に強調している、手相に『神秘十字線』があります。
この手相の持ち主は、鋭い感性の持ち主だそうです。
頭脳線と感情線又は運命線と交わることで十字型をしています。
本日携帯からのアップなので見難いですかね?
私にも両手にありました。
具体的にどんな人が多いかと申しますと、神秘的な事に対して興味を持つ人で占いや宗教に対し . . . 本文を読む
本日のことですが、最近サンファンバウティスタ号のアクセスが多く、完成させようと思い、黒船造船の地に向いました。途中でのこと、神社の鳥居が目に入り、チラッと見えたのが、ズーッと気になっている三角の扁額の鳥居が見えたのです。車をバックさせ、鳥居の前に車を止め、外に降りた時でした。自転車の女子中学生が通りすがりに「こんにちは~!」と大きな声で挨拶をしていったのです。上の写真の子達です。 二人共当たり前の . . . 本文を読む
市史通信に巽門の話があったので今回pickupしてみました。仙台城の顔であった大手門は、昭和20年(1945)の空襲で失われてしまいました。このブログでも何度か紹介しています。国宝でもありましたが惜しいことをしました。※上の写真は仙台城大手門ですが、この飾りは初代善蔵さんが手掛けた飾り金具です。善蔵って誰だ!?ってことになりますが、今の(株)タゼンさんの初代ですね。実は、この初代の善蔵さんは、 「 . . . 本文を読む
仙台藩御用酒仙台市博物館は元々三の丸の跡地に出来ています。政宗の時代はまだ戦国時代、その為に山城の形を形成していました。当時はここから本丸に登ったと思います。隅櫓の横に大手門がありますが、あの場所は当時城の外側だったのではという意見もあります。このことについては、次回にいたします。さて、御用酒の話ですが、仙台藩祖伊達政宗公は慶長十三年(1608年)柳生但馬守宗矩の仲介により大和の榧森(かやのもり) . . . 本文を読む
黄金の都シカン インカ帝国のルーツ仙台市博物館に行ってきました。観覧料は大人1200円でしたが、市政だよりにあった割引券を切り抜き百円引き!!入り口で案内用のヘッドフォンを借りましたが、今の技術が進歩しているのを実感!下敷きの様なボートに番号があり、タッチペンの様なものでPi!とするとそこの案内をする。 もっと前からあったのだろうけど恥ずかしながら知らなかった・・・・・・・・・・・ . . . 本文を読む
海には霧が立ち込めていました。
ここは田老町です。今は宮古市と合併したようですが・・・
津波防災の町としても有名で、津波対策の研修で他県の港町から研修のお客様が勉強に来ます。
何度かそんなお客様を連れて来たことがありました。
記録に残る大きな津波は・・・・
明治三陸津波:明治29年(1897年)6月15日
最大波高は、14.6mを記録している。
この時、釜石で8.2m、船越で1 . . . 本文を読む
赤穴洞穴 (岩泉町岩泉)
時期:縄文(中期~晩期) 発掘されたもの:土器・石器・骨角器・獣骨・貝殻
標高110m 幅5m/奥行き160m/高さ2.5m
龍泉洞を後にして、太平洋側へ・・・・北に向えば北山崎などのリアス式海岸の究極が見れます。
久慈も間も無くですよ。
又、南部の殿様は赤松が好きだったとか、お陰でこの辺も松茸の宝庫です。
海側の街道筋にも沢山の歴史のこぼれ話 . . . 本文を読む
青の洞窟と云っても、カプリ島の "青の洞窟"ではなく
岩手県下閉伊郡岩泉町にある「龍泉洞」のことです。
日本三大鍾乳洞の一つで、山口県の「秋芳洞」や高知県の「龍河洞」とここの龍泉洞です。
三箇所行ってますが、高知の龍河洞は足がガクガクしてしまいましたよ。
岩手には沢山の鍾乳洞がありますが、観光化され立派に作られているのはここになりますね。
5000m以上あると言われる中で700mが公開 . . . 本文を読む
盛岡から、455号線を太平洋側に向かいました。
最初に見えて来るのは外山ダム。民謡外山節の発祥の地ですね。
またしばらく行くと岩洞湖が見えてきます。
途中の山間の家はこのような感じで放牧をしています。
まだまだ茅葺の家が残っています。
ここは、旧小本街道で塩の道と呼ばれました。
太平洋から塩をベコ(牛)に乗せて運んだのですね。
そこで出来た歌が南部牛追い歌ですね。
あーさんスタイルで・ . . . 本文を読む
岩手県の面積は県では日本一の面積であることはよくご存知でしょう。
四国四県とほぼ一緒とも言われます。
それでは、岩手県の「岩手」はどのような理由から名が付いたのでしょう。
大和物語りによれば「平城天皇の御代にみちのくの国から鷹が献上され帝はこれは岩手となづけた」とある。
しかし、一般的な俗説としては、「三ツ石と鬼の手形」の物語りが岩手の地名や不来方(こずかた)の起源や地名であるといわれている。 . . . 本文を読む
数年前から気になっていた社に行ってきました。
利府街道つまり石巻街道(仙台松島線:県道8号線)を走っていると鳥居
と奥のほうに小さなお堂の様な社が見えるのです。
松島の裏側といいますか、北西の辺りで、松島チサンカントリーのあたりです。
何の神社かと思って楽しみにして行きましたら、馬櫪神を祀る馬櫪神社でした。
どうも、平安時代、京都から勧請したもののようです。
石碑 . . . 本文を読む