姫路城/白鷺城
生憎の曇り空で。ちょっとがっかりしましたがここまで来ることが出来たことに感謝です。
やはり姫路城はbackが青空の方が生えますからね。
次回行くときは、姫路に宿泊したいと思います。
アマチュア無線でいうと兵庫のこのエリアは3エリアです。
例えばその場合コールサインは「JA3×××」になります。私の自宅からは7メガヘルツでの交信では相性が良く姫路市内の局や兵庫の局とはよく繋がりま . . . 本文を読む
神戸はここで一区切り・・・姫路城も行きましたので次回にでも・・
写真羅列します。
ファミマは風景に馴染むように・・・
スパイダーマン
ここの小籠包
ペキンダック・・・歩きながら食べました。
メリケンパーク
対岸の神戸モザイクに神戸駅から向かっている時・・・
なんでエルビスプレスリ . . . 本文を読む
鎮座地:神戸市中央区下山手通り1-2-1
御祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)
御由緒:神宮皇后摂政元年(201年)三韓よりの帰途、今の神戸港の沖合で船が進まなくなった為に神占を行ったところ、稚日女尊が現れ、「私は活田長峡国(いくたながおのくに)に居りたい」【日本書紀にある】と申されたので、海上十狭茅(うながみのいさち)によって祀られました。
当初は、布引山【砂山(いさごやま)】に祀られてい . . . 本文を読む
三宮神社
御祭神:湍津姫命 (天照大神之御子)
御鎮座:神戸市中央区三宮町(旧地名)攝津国矢田部神戸村
御由緒:創始年代不詳ねれど江戸時代享保年間の手水鉢、寛延元年の石灯籠が現存しているが、」それは以前尼崎藩領であったため、藩公の信仰の篤い所から奉納されたものと伝聞されている。
明治維新以前は周辺は三・四十戸余りの田園的一寒村であったが慶應三年十二月七日(1868年1月1日)に神戸の浦 . . . 本文を読む
ジャニーズで「嵐」の愛称「ニノ」こと、二宮 和也さんのファンには聖地のようです。
今回は訪問した順番では無く、数字の順にアップさせていただきました。
二宮神社
正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊・應神天皇
(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)長い名前なので、略称でオシホオミ(忍穂耳)ですかね。
この意味は?「正しく吾は勝った。速やかに勝った神霊である」。オシは「多し」で「多くの . . . 本文を読む
北野の異人館の通りの一段下に鎮座していました。
御祭神:田心姫命(別名、多紀理姫命・沖津島姫命)
鎮座地:神戸市中央区山本通1-3-5
御由緒
当社の創建年代は不詳であるが、一説には推定四世紀とも云われている。
御祭神は田心姫命、天照大御神が素戔嗚尊と剣玉を交換して契約の際のお生まれになった三女神五男神の一柱で、福岡県宗像郡沖の島鎮座の宗像大社より勧請されたといわれ大国主の后として、御一 . . . 本文を読む
鎮座地:神戸市中央区多聞通3-1-1
御祭神:楠木正成公(くすのきまさしげこう)大南公
及び湊川戦で殉節された一族十六柱等
摂社:甘南備神社の御祭神は大南公夫人
湊川の戦いは、南北朝時代の延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐 . . . 本文を読む
インスタで有名になった。撮影ポイントですが、今でも並んでいます。
ということですが、更新がめっきり減って申訳ございませんでした。
今回巡った神社は、湊川神社、一宮神社、二宮神社、三宮神社、生田神社です。
挙式の前撮りなのか? 新郎新婦がかっこよく撮影してました。お幸せに!
ライトアップするまで結構待ちました。
かわいい孫に逢いに行ったのですがね。
ついでに神社巡り。 . . . 本文を読む
追記5月14日 世界遺産になりましたね。 上から見ることができる施設が、堺市役所じゃなくて、この公園にあれば、ここの存在が実感できるだろうなぁ・・・・と思います。
大阪編は今回が最後になります。
実は、長男の嫁がここの出身で、孫が生まれたので顔を見に行きました。
最大の目的はそれだったのですが、堺に来てここを観ずには帰れません。
というわけで、路線バスできました。
遅れて記事にし . . . 本文を読む
え~ こんなに変わってた?
以前に行ったのは、何十年前だったかもう忘れましたが、コンクリートの壁にガラガラの展望台。
もう、見学に来る人はいないのだろうと思っていました。
こんなに派手に賑やかになっていたとは、展望台には20分~30分待ちでしたね~
驚きました。
この電車に駅員さんのような女の子のキャラクターが車輌に描かれてい . . . 本文を読む
創祀
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇 . . . 本文を読む