北四番丁にある味の素のビル、仙台の人にはおなじみのビルですね。
昔の看板の方が私にとっては記憶が深いですね。
近況、明け番や休みの日は色々な手続きがあって飛んで歩いてます。
なかなか訪問出来ませんが、お許し下さい。
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仙台の市電が計画されたのは明治40年のことです。
大正になると道路の新設や拡張の予算が立ち、大正15年11月25日に開業を迎えました。
10両の市電が仙台の街を走り始めたのです。
写真は戦時中の様子ですが、非常に混み合っているのがわかります。
軍帽を被った兵隊さんらしき人やボロボロになった革のランドセルを背負っている小学生も見えます。
その隣りの白いリュックの上級生らしい男の子の足元を見る . . . 本文を読む
後ろ乗り、前降りに変更された頃の写真です。 フロントには、後ろ乗りの表記が・・・
下の写真は、昭和24年(1949)導入されたトレーラー型バスです。
なんと最大130人乗り 1948年式の日野製です。
仙台駅前に並ぶ貸切バス、ボンネットバスの横にはバスガイドさんが並んで、観光客を待っています。
車体のカラーリングは現在と変わらないラインのようです。
私も10台のバスを引き連れリー . . . 本文を読む
2008年2月20日(金)
前日の夜から雪
朝・・・積もってる~
平成19年・・・仙台ホテルが無くなる噂を聞き、携帯でパチリ・・・
老舗の仙台ホテルは、市民に愛され続けていますが、やはり古い建物になってしまっている現実はありますね・・・・
何度かパーティーや披露宴に出席しましたが、天井が低く狭い感じがあります。
ホールの中に柱があり、邪魔でしたね~。
平成17年に改 . . . 本文を読む
塩竈マリンゲートの横から湾内を眺めた
築港には倉庫が並ぶ・・・
撮影場所には、こんな建物がありましたね。
観光汽船や湾内の島々から学校に通っていた友人もいました。
浦戸寒風沢や浦戸桂島そして野々島・・・彼らは、最終の船に間に合わなければ自宅に帰れません。 それを理由に帰らないで遊んでいた奴も・・・苗字は、内海さんとか多いですね。
寒風沢(さぶさわ)には、伝説のお地蔵さんがいます。
なか . . . 本文を読む
写真:昭和22年/東一番町、左手のコンクリートが藤崎デパートです。
明治・大正・昭和初期の地図を見る。
前回の記事のあたりの地図です。
明治34年です。地図も閑散としてます。右上地方裁判所とカットされてますが、道路を挟んで憲兵隊がありました。
大正元年:地方裁判所と憲兵隊の間の通りは、前回の記事に記載してある、裁判所横丁と呼ばれていた頃ですね。三越の辺りには、別府温泉の文字が、銭湯だった . . . 本文を読む
東一番丁もイルミネーションで飾られてました。
仙台の方なら東二番丁通りにある、タワービルは良くご存知でしょう。
その南側の横丁、東一番丁の江陽写場に抜ける通りは、明治33年に一番町の角に森徳座と言う劇場が出来てから「森徳横丁」と呼ばれ、その前身の森民座があった頃は、「森民横丁」と呼ばれていたようだ。
このタワービルの前は、市立病院がありましたが、その昔には仙台地裁があり . . . 本文を読む
昭和40年
先日、職場の仲間と忘年会と言うこともあり、チョット早めに出てぶらぶら歩きながら、国分町へ向かいました。
まずは、知る人ぞ知る名掛丁センター
オッ!看板綺麗になってる
名掛丁は仙台藩の組士たちの屋敷跡が、商店街に変わった町です。
以前にも述べましたが「丁」は侍「町」は町人街ですね。
藩士の身分は、一門・一家・準一家・一族・宿老・着座・太刀上で門閥七等と言われました。
※「閥」は門柱 . . . 本文を読む
旧陸軍歩兵第四連隊兵舎は、明治37年当時の外観構造に復元保存され、その後昭和53年6月16日、仙台市有形文化剤(建造物)に指定され、現在、仙台歴史民俗資料館として、地域や市民の方々に利用されています。 . . . 本文を読む
榴岡のお花見は、仙台では有名ですね。
綱村公が釈迦堂を建てた時、正岡(三沢初子)「伊達騒動で有名ですね」の霊を弔う為に植えた桜のようです。
この公園の東側に、第四連隊兵舎が明治7年(1874)に造営されたのです。
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