昔々・・・山間にお爺さんとお婆さんが住んでいました。
ある日のことです・・・一人の青年が旅をしていましたが、日が暮れてしまい一夜の宿を求めて来ました。
「トントン・・・トントン」
『あれ、今頃だれですかね~ お爺さん』
『どれどれ見て来よう』
お爺さんは、土間の戸を開けに立ち上がりました。
「こんばんは、日が暮れてしまい道に迷いました。
今夜泊めて頂くわけにはいかないでしょうか。 . . . 本文を読む
ちょっと昔は、東北の駅に着くと、よく訛(なま)った駅員さんのアナウンスが駅構内や列車の中に響き渡ったものです。
その訛りのお陰で大きな間違いをしてしまったおばぁさんの話しです。
青森のおばあさんが仙台に行くことになりました。
青森から東北本線に乗り、仙台へ。
青森を出て間もなく、ある駅に着いたとき 『あさめし~あさめし~』ちょっと昔は、東北の駅に着くと、よく訛(なま)った駅員さんのアナ . . . 本文を読む
明治17年の台風で壮大な夢は、打ち砕かれ『幻の港』になってしまった築港跡が宮城県にある。
私がそこを訪れたのは17歳の頃だと記憶している。
友人に誘われ、その跡地を見に行った。
彼は自慢げに話してくれた。
『ここは、横浜のようなデッカい街になっていたはずなんだ。』
『築港跡を見に行かないか?』
そんな誘いに乗って自転車で行ったような気がする。
そこは、宮城県桃生郡鳴瀬町小野(現在の . . . 本文を読む
江戸時代の旅人は、1日に何キロ歩いたのだろう。
私は、最初こんな歌を思い出しました。
『♪お江戸日本橋七つ立ち 初上り アアコリャコリャ 行列揃えて あれわいさのさ こちゃ高輪 夜明けの提灯消す こちゃえ~ こちゃえ~♪』
最初の、疑問は七ツって何時? でした。
きっと暗いうちに出発して、高輪に着いた頃夜が明け、提灯の火を消したのだろうと想像がつきます。
調べているうちにいろんな事がわかっ . . . 本文を読む
社殿屋根
伊達家の話をしていると、切っても切れないのが大崎八幡宮でしょう。初詣やどんと祭(仙台での呼び名で関東あたりでは「どんど焼」でしょうか?も終わり静かかなぁ・・・と思いきや、観光バスが2台入ってました。団体でのご祈祷だったようです。 どんと祭には裸参りもあり、賑やかなのですが、生憎泊まり勤務で行くことが出来ませんでした。車で行ったので北参道から入ります。この鳥居は平成17年と新しいです . . . 本文を読む
天守閣が見えますが、松島城観光ホテルの天守閣です。
しかしながら、2003年にその歴史を閉じ現在は天守閣は残されたものの、駐車場になりました。
天守閣をバックに撮った写真が我が家にありました。
昭和31年です。
マリンピア松島水族館です。
この写真も昭和31年です。
竜宮城のイメージですね。
. . . 本文を読む
小さい頃から両親に連れられ、幾度と無く訪れた松島です。
昔は、ヘルスセンターや松島タワーなどがあり、遊んだものです。
確か動物園もあったような?
しかし、いまだにここだけは入った事がありませんでした。
チョット小高い山と云うか島と云うか、一段高い見晴らしのいい所です。
地元では、よくCMに使われる場所で、『白松がモナカ』さんもここじゃないかな(^_^)b?
それでは、階段を上っ . . . 本文を読む
島の上に建てられた五大堂ですが、陸地から五大堂の間に小さな島が二つあります。
ですから、三つの橋を渡らないといけないのです。
それでは、入口の階段を上って行ってみましょう。
まず一つ目は、普通の橋ですが、他の二つは、『すかし橋』になっています。
説明文です。ご覧下さい。
すかし橋は、板を見てると怖く無いのですが、したの海を見るとふらっとバランスを崩しま . . . 本文を読む
今日は、どんより雲に雪がチラツキましたが、寒さにもめげず松島へ
松島に向かう途中、田里律庵を覗いたが、スルーパス
地元では有名ですね。 二番目に美味い店が売りでしたかね?
一番目は、お袋の味でしょ
団体も受け付けてますよ! 少々割高かな?。 下の割烹は、かなりお高いです!
最近行ってないけど割烹の方は今でもやってるのかなぁ?
普通この道は戻るのですが、久しぶりに奥へ行って見 . . . 本文を読む
海外も国内も添乗業務で旅に出た時は、自分のお土産をは買うことは、基本的にご法度だった。
だから土産はほとんど無かったのでした。・・・
たまに気が向くと木彫りの人形などを買っていた。
犬や猫は、コレクションするには種類が多すぎる。
馬が好きなのだが、あまり無い・・・
いつの間にか、象たちが私の側にいた。
今気づいたのだが、この最後の象の中に、もう一個象が彫ってあった . . . 本文を読む
この三つの廟所で一つだけ、大きな違いがあったのが、お分かりになりましたか
藩祖 伊達政宗公と二代藩主 忠宗公の廟所には天女が彫られていますが、
三代綱宗公には鳳凰の絵らしきものが、描かれています。
何故、綱宗公には女性の彫り物や絵が描かれていないのでしょう。
何故、わずか2年間で隠居しなければならなかったのか
その辺の話しを出来るだけ簡単に説明したいと思います。
仙台藩 . . . 本文を読む
善応殿(ぜんのうでん) 『3代藩主・伊達綱宗公』 (1640~1711)
感仙殿の隣にあるのが、この善応殿です。
そこで今まで、出してなかった写真があります。
よく見比べていただきたいと思います。
大きく違う点が一箇所あります。
瑞鳳殿 仙台藩主 伊達政宗
感仙殿 二代藩主 伊達忠宗
善応殿 三代藩主 伊達綱宗
非常にわかりやすいと思います。
その回答 . . . 本文を読む
瑞鳳殿の屋根の隅には竜頭瓦が2枚、合わせて8枚使われている。
古い瓦は、瑞鳳殿の西側に展示してありました。
瑞鳳殿の横に資料館があります。 霊屋が再建される際に発掘調査されその際に発見された副葬品が一部展示されています。
発掘の記録のビデオも放映されてますので、是非御覧下さい。
それでは2代藩主・伊達忠宗公/3代藩主・伊達綱宗公の霊屋を見て見ましょう。
杉木立をぬけると、すぐ見えて来まし . . . 本文を読む
4話続くこの記事は、一つにまとめました。
こちら 「瑞鳳殿」
伊達政宗については、以前記事にしましたが、今回はその廟所である。
仙台市青葉区霊屋下にある瑞鳳殿に行って来ました。 この住所の霊屋(おたまや)もやはり、
ここに廟所があるから、その地名になったのかも知れませんね?
駐車場から坂道を上がると左手に瑞鳳寺がありますが、これは後ほど触れましょう . . . 本文を読む
ランチを採りにレストランへ・・・
後輩と二人で向かった。
普通にパスタでも食べようと英文のメニューを見てほぼ決まっていた。
そこに、ウェイトレスが水を持ってきて 『Japanese』
私達は、 『Yes』と答えると、私達のメニューを取り上げ、
日本語メニューを持ってきた。
そして驚いたのは・・・、同じ料理を見たら、日本語メニューの方は高い
料金はどちらも、A$(オーストラリアドル)表記 . . . 本文を読む