ここに最初訪れたのは、2008年でした。9年も前のことでした。
あの時、覚えているのは、ここに来た日、腹痛があって近くの薬局でブスコパンを買いました。
その後入院したような。
9年前の記事です。
春を愛でる こおり桃源郷
説明はこちらをお読みください。
前日は暴風でその前は、一晩中雨だった。 さすがに桜はかなり落ちましたが、昨年からここへ来ようと考えていましたので、このチャンスを逃したら来年 . . . 本文を読む
白虎隊像
慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦い後、会津藩では軍制をフランス式に変え、戦力を重視し、玄武隊、青龍隊、朱雀隊、白虎隊の年齢別による組織をつくりました。
白虎隊の隊士達は、16から17歳の少年達で編成されていました。
朱雀隊を主力として第1線に配置し、それに続く青龍隊に国境を護らせ、玄武隊、白虎隊、幼少隊は、その予備軍でした。
つまり白虎隊は戦闘に出る予定はなく、主に城中の . . . 本文を読む
このブログの中では二度目の大内宿です。
大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
また、以前の記録では天正18年(1590 . . . 本文を読む
福島県南会津郡下郷町にある景勝地で全長200mにわたって、大規模な奇岩が整列しています。
国の天然記念物に指定されています。 流れは大川です。 この川沿いに芦の牧温泉があります。
虚空蔵尊
このつり橋揺れるんですよ。
さて大内宿に行きますか!
. . . 本文を読む
境内に小さな標柱「会津藩戦勝地跡」があり、大勝利だった材木町の戦いが偲ばれる。
隣接の秀長寺には、「秀長寺古戦場の碑」などが建立されている。
鎮座地:福島県会津若松市材木町1丁目10−13
祭 神:住吉三神
底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)・息長帯 . . . 本文を読む
案内板によると
この稲荷神社は約六百年まえにお城ができた頃から守護神として祀られていました。当時はこれより東手の三ノ丸にあったものを現在の地にうつされたといわれています。
伝説によれば、築城の縄張りに苦心した芦名直盛が勧請先の田中稲荷神社に祈ったところ、霊夢があり目覚めてみると降り積もった雪に狐の足跡があり、それをしるべとして築城の縄張りを決め、名城を築くことができたと伝えられています。
現在は . . . 本文を読む
久しぶりに猪苗代湖に立ち寄ってみました。
夕刻と言うこともあってお店は閉まっていましたね。
背景に磐梯山が写りこみ雲は放射状になっていて綺麗でしたよ。
面積は琵琶湖、霞ヶ浦、サロマ湖に次いで日本第4位で
面積は103.3 km² 周囲 50 km 最大水深 94.6 m 水深平均 51.5 m です。
冬には白鳥が飛来します。 宮城県の伊豆沼・内沼には第一陣が飛来したよう . . . 本文を読む
ここは、先日、荒脛巾神社の写真を撮影に行った時に風景に惹かれて車を止め写したものです。
彼此7~8年もなるでしょうか。
仕事で青森県を走行中のことでした。 私は十和田湖から八甲田を越え途中から黒石市に降り、田舎館村を抜け平川市のアップルランド(南田温泉)に向っていました。
丁度色付き始めた秋・・・今頃だったのかも知れません。
田んぼアートで有名な田舎館村に差し掛かると目の前は煙で全く視界が . . . 本文を読む
宮城県の小学校の修学旅行と言えば、やはり福島・会津若松が定番ですね。
宿は芦の牧温泉か東山温泉と決まっていたものです。 磐梯高原もありますかね?
ところが、今回の原発で会津地方は大打撃です。
もっと書きたいのですが、本題と掛け離れますのでこの辺で・・・ どうか会津に行きたいと思っている方は是非足を延ばして見てください。
この歴史に満ち溢れた街は、歴史愛好家には必見だと思います。
この鶴ヶ城ひとつ . . . 本文を読む
会津若松の青春通りの続きです。
「はいらんしょ」は「お入り下さい」の方言ですね。そのまま店名にしたようです。
なんとシンガーミシンの看板が・・
市内の観光スポットを回るハイカラさんです。
このようにレトロな町並みがつづきます。
その中に清水屋旅館跡・・・
ここは、大東銀行会津支店です。ここには、清水屋という旅籠がありました。
宇都宮城の激戦から逃 . . . 本文を読む
野暮用で新潟へ
折り返し会津まで向ました。
何せこの台風の影響で微妙な天候でした。 そんな訳でのんびりも出来ずワラワラと回って来ました。
野口英世青春通りとは、英世が15歳から19歳までこの街で生活していたことから呼ばれるようになりました。
ご存知のように英世は幼い頃囲炉裏で火傷をし15歳の時この街にある會陽医院で手術を受けます。
これをきっかけに彼は医学の道を志すわけですね。
そこで手術を受 . . . 本文を読む
この灯台は明治32年に設けられました。
沖合い40kmの海上まで100万カンデラの光を放ち、船の安全を守っています。
また、音の灯台(霧信号)、電波の灯台(無線方位信号)も併設されています。
海抜73メートルの灯台からは周辺の海岸を一望することができます。
位置 (北緯 36度59分31秒 東経 140度59分07秒)
倅のいる日立に向かう途中に立ち寄りました。
風が強くて、海も荒れてい . . . 本文を読む
若い頃、国道6号線を通ると、よく寄ったものです。
だって入場料が無料ですからね。
何年ぶりになるのか・・・いや数十年ぶりなのかも知れません。
久しぶりに寄り道してみました。
おやおや、昔はもう少し白く綺麗だったのですが、すっかり汚れや雑草が生えてしまっているようです。
この観音像は、昭和6年(1931年)に荒嘉明が建立に着手、以来約80年の歳月が流れました。
現在八十八尺で完成す . . . 本文を読む
先日の花見山の帰り道・・・
外観だけ写真に収めました。
桑折町ですが、伊達家の発祥の地ですね。
総二階建で、塔屋を頂く疑洋風様式による近代役所建築。
明治12年に保原町に設置されていましたが、明治16年4月に本町に移された。
建築当初その威容を示していた塔屋は振動が大きい理由で明治20年解体撤去されていましたが、昭和54年の工事によって塔屋が復元されました。
昭和52年6月27日、国指定文化財 . . . 本文を読む