映画「おくりびと」の中では、バスの中(鶴岡市銀座通り)で女子高性に臭いと言われ、慌てて銭湯「鶴乃湯」に行きましたね。
最初の仕事も(腐敗した遺体)この鶴岡がロケ地でした。
その中から、鶴の湯に行ってきました。
「のみさいぐが?」「いぐいぐ」のシーンですね。
屋根の上の看板は外されていますので撮影用に取り付けられたようですね。
場所を上山市に移動しまして、大悟と美香の自宅として設 . . . 本文を読む
「おくりびと」の中では、一番印象深いシーンではないでしょうか。
このシーンは、酒田から北上し鳥海山の麓でのロケです。
ありました、ありました・・・この看板のお陰で探すのが容易です。
この川は月光川といいます。
街の人が、椅子を置いてくれています。
ご想像の通り・・・・・・座りました。www
河川敷公園にはゲートボール場などがありました。
次回は . . . 本文を読む
「おくりびと」酒田編のつづきです。
山居倉庫が出てきますが、車窓からチラッとです。
折角ですから、チョットご覧を・・
詳しくは、以前の記事:湊町・酒田1山居倉庫
吉永小百合さんではありません。 「そんなこと、言われなくてもあたり前田のクラッカー・・・って古いし
それでは、映画のシーンを見てみましょう。
初めての仕事に向かうシーンですね。しかしあの現場は鶴岡でした。
蔦の絡まる建 . . . 本文を読む
「おくりびと」
今回は前回のNKエージェントに利用された、旧割烹小幡さんの和風建造物でのロケ現場です。
鶴の湯のおばちゃんが亡くなり、美香(広末涼子)が顔を拭くシーンですね。
後ろの冷蔵庫はそのままありましたよ。写真撮るの忘れたよ。
この洗面器はと思ったら、街の人が準備して置いてくれたようですね。
さて外に出ると、向かい側には、日枝神社がありました。
立派な鳥 . . . 本文を読む
映画「おくりびと」を見た人ならおわかりでしょう。
今更説明するほどではございませんが
第81回米国アカデミー賞 外国語映画賞受賞!!
第32回日本アカデミー賞10冠!!
監督:滝田洋二郎 脚本:小山薫堂 音楽:久石 譲
本木雅弘 広末涼子 山崎 努 等・・・・・
見ていない方は、予告編を貼り付けたのでご覧下さい。
おくびと公式HP
おくりびと 予告篇
今回は、大悟 . . . 本文を読む
湯の浜からの夕陽です。
しばらく「おくりびと」と山形県内にの記事が続くと思いますが、お付き合い下さい。
昨日、今日と二日間は天気に恵まれ、鳥海山も月山も望めることが出来ました。
今日は炎天下(32度)の中を2時間以上歩いたら、すっかり日に焼けてしまいました。
それでは、久しぶりに見た、湯の浜からの夕陽をご覧下さい。
まずは、ポイントに・・・この道から南の由良漁港に向かうシーンが「おくりび . . . 本文を読む
窓越しにキーボードを叩いていると、窓が茜色に染まった。
夕焼けだ! 「夕焼けに鎌をを研げ」と言う言葉がある。
それは、夕焼けになれば翌日は、晴れに違いないから、鎌を研いで明日の仕事の準備をしておけと言うことだ。
オット!そんなところでは無い! 写真を撮ろうと机の引き出しからカメラを取り出し二階へ駆け上がった。
窓を開けるとさわやかな風が僕の頬を撫で前髪が風になびいた。
「美しい」・・・ . . . 本文を読む
「ローマの休日」』(Roman Holiday)この名作を見たのは、実はローマから帰って来てからでした。
勿論リアルタイムでは見ていません1953年の映画ですからね。
生まれていませんでした。
帰ってきて、すぐに「ツタヤ」に走りました。
感動しましたね~ ローマの街自体が変わっていないからです。
当然法律で規制されていることもあり、ほぼ500年程前の建物が並んでいるからです。
映画のシーンでも . . . 本文を読む
当初、女郎山(小松崎?)辺りからの風景を撮りたかったのですが、車で行けるとこではありませんね。この辺りは、住宅街(塩竃の坂はどこもですが)・・・
結果行き着いた先はここでした。
塩竃市立第二小学校
千賀の浦を望めば東北ドック(造船所)も見えます。
この辺の道は狭いですね。 塩竃の一番の問題点ですね。怖いのは火事の時に消防車が近くまで行くが大変ですね。
地図で気になっていた梅の宮神社 . . . 本文を読む
十八夜観世音堂
平成20年9月10日 河北新報より
仙台市太白区長町一丁目の十八夜観世音堂の「菩薩立像」が、八世紀後期ごろの奈良時代に造られた仏像の可能性が高いことが九日、東北大と市博物館の調査で分かった。
大和朝廷があった近畿で発祥した針葉樹の一本造りで東北に現存する最古の木彫り像とみられる。
観世音の半径2キロには、東北最古の役所「郡山官衛(かんが)」や官衛に付属する「郡山廃寺」「陸 . . . 本文を読む
本日の職場からの夜景
今日はここに泊まりです。今日は……つまり勤務地はいつも変わると言うことですね。
携帯からのアップなので写真ピンボケで失礼します。
このタワーの話しはいずれ……
ところで、本題です。
明明後日……
すぐ読めましたか?「しあさって」です。
以前から気になっていたのが、この「しあさって」と「やのあさって」でした。
辞典を引くと、あさっての翌日。 やのあさって。 とな . . . 本文を読む
徳川幕府十五代将軍【徳川慶喜】(1837-1913)
将軍としての在職は(1866年-1867年)
水戸徳川斉昭の七男で一橋徳川の9代目に迎えられたが1866年に15代将軍となる。
写真はコピーのコピーで画質が悪いですがご了承を・・・
20代の慶喜公
50代と思われる慶喜
鳥羽・伏見の戦いに敗れて大阪から江戸に帰り、江戸を戦禍から守るために江戸無血開城を行ったわけですね。
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写真は、昭和27年頃の西公園です。
池があり庭園のようですね。この頃から桜の名所であったことは間違いありません。
藩政時代この西公園は、武家屋敷でした。
明治8年に公園とし仙台市内でももっとも歴史のある公園です。
当初は桜ヶ岡公園と称しましたが戦後西公園と呼ばれるようになりました。
榴ヶ岡公園の東公園に対してこちらを西としたのでしょう。
先日より西公園に所在する、源吾茶屋やブロンズ像・臥竜梅な . . . 本文を読む
仙台の市電が計画されたのは明治40年のことです。
大正になると道路の新設や拡張の予算が立ち、大正15年11月25日に開業を迎えました。
10両の市電が仙台の街を走り始めたのです。
写真は戦時中の様子ですが、非常に混み合っているのがわかります。
軍帽を被った兵隊さんらしき人やボロボロになった革のランドセルを背負っている小学生も見えます。
その隣りの白いリュックの上級生らしい男の子の足元を見る . . . 本文を読む
むかしむかし、あったど・・・
一人息子さ、嫁(よめご)もらったれば、その嫁ごは働きはいいんだげんとも、顔色が日増しに青くなるんだど。
それで、お姑さんが心配して・・・
「嫁ごや嫁ご、おめぇ、どごが悪いのか? 顔色悪いげんとも・・・。」
って言ったれば、
「おがさん(お母さん)。おれ、屁出でぇの我慢すてっから、こうなったんだおん」って言うんだど。
そしたら、おがさんは、「屁なんていとやすいごった . . . 本文を読む