境内に小さな標柱「会津藩戦勝地跡」があり、大勝利だった材木町の戦いが偲ばれる。
隣接の秀長寺には、「秀長寺古戦場の碑」などが建立されている。
鎮座地:福島県会津若松市材木町1丁目10−13
祭 神:住吉三神
底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】
この四神を総称して住吉大神と云っています。
末 社:秋葉社・神明社・八幡社・稲荷社・菅原社
由 緒:御勧請、1384年この頃南北朝時代の為、北の年号は至徳元元年・南は元中元年になります。
神社の案内版には、北朝の後小松天皇の名と年号が記してあります。
会津藩主(七代) 葦名直盛公の命により鎌倉から当地に来て移住していた簗田盛胤は上京し足利将軍義満公より会津四郡並び隣国まで商人の司となることを許され帰国にあたり大阪住吉大社の御分霊をこの地に勧請して新たに市場を開くことがあれば自ら烏帽子、直垂を着して商人等を従い当神社に詣で市神祭を行い商法の式を定めたという。
これは、正月十日会津若松十日市の始祖なり。
元は簗田市と云って大町に於いて俵引きなどを行った。
上の向って右の阿形ですが、これも珍しく花に足を掛けています。
これで三体目です。
二の鳥居は朱色の両部鳥居ですね。
実は、道路の横に鳥居があってこちらが東側は向いている正面の表参道に見えるのですが、本殿は西を向いており、どうみても裏から入っている感じです。
こちらが本殿ですが、西向きです。
そして、本殿の前にも・・つまり西側に鳥居があります。
しかし、こちらが元もとの表とするならば、扁額は裏側にあるべきですが、内側についており、鳥居の向こう側には、台座らしいものがあり昔は何か建っていたようです。
そして、道らしいものはありません。 やはり先ほどの鳥居が表側なのでしょう。
何故、本殿が西を向いているのか・・・
理由は、神功皇后を祀っていることと社宝に神功皇后遠征の図等がある。
それで、神功皇后三韓征伐により方位を西向きに定めたとある。
三韓征伐(さんかんせいばつ)とは、『日本書紀』に記載されている、仲哀天皇の后で応神天皇の母・神功皇后が行ったとされる新羅出兵を指す。新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、新羅征伐と言う場合もある。
明治戊辰の役では社前にて激しい戦火を交え会津兵は勝利の凱歌を挙げる、此の戦を住吉磧(かわら)の戦いと云う。
境内社(末社)
左から、菅原神社・八幡社・神明社
妙義社・秋葉社・愛宕社が祀られている。
小さな狛犬がいました。
この狛犬も花を押さえていませんか?
こちらは、劣化し姿がよくわかりません。 ちょっと「もぞこい」ですね。
古峰神社はどこにもありますね。
中を覗きましたが板に書いた祭神は消えてわからない状態でした。
お稲荷さんでしょうか? 沢山みえますね。
折角立ち寄ったのでご紹介させていただきました。
外しますが
エモンガケが また いいですねぇ (^_-)-☆
確かにww
幕末までは仙台につぐ総人口の街でした。
その歴史も、複雑なものがあるんだなぁ。と思います。
しかも3本もぶら下がってるし…
それによく見りゃこのハンガー社の土台って
灯屋の無くなった灯籠の石柱じゃないか???
何処にもあるような神社でしたが、色々と歴史に係わってきた神社でした 。
様々な歴史の渦に巻き込まれた会津ですね。
新旧混じった不思議な会津地方です。
手水場なら手拭いとかありますから可能性はありますが?
何かを掛けたのでしょうが片付けないのはチョコチョコ使うのですかね ?
現在は睡眠時無呼吸症候群の治療を始め、機械の呼吸器を付けて、再度糖尿病で入院することになりそうです。いやはや(大泣)。
さて神功皇后ですが、年代的には魏志倭人伝の卑弥呼とイヨの時代にマッチします。
韓国の研究者は卑弥呼が朝鮮出身の細鳥女で、イヨが神功皇后と申しているようです(笑)。
仮に卑弥呼=神功皇后としますと、「卑弥呼は鬼道に仕え・・・」との話ですが、「神功皇后はムカツヒメが憑いた」とされています。そして「日高見国を取るべし」と・・・。
そのとき「波しか見えない」とチャチャを入れた神功皇后の夫の仲哀天皇は、祟り殺されています。
更に三韓征伐から帰ってきた神功皇后の前に天照大皇神が現れ、「我が荒魂から離れよ」と言われ、ムカツヒメの憑依は解けたとか。
神功皇后は外に「息長足姫、息長帯姫」と呼ばれています。その姿を思い浮かべると「天細女命」が思い浮かびます。つまり神功皇后は巫女。
そして鬼道とは「ムカツヒメ=天照大神荒魂=瀬織津姫」となります。
そしてそこに鬼渡の神を重ねると更に更に面白いことが判ります。
これはまたの機会に。
ではでは。
でアシナ氏が今やたら気になってきてますよ。別件でなんですけど田村麻呂と蘆名氏の接点ないのかな?勝手なイメージでは似てますので。で困った事に鎌足がまた同じイメージでして。ミナカタさんもかなあ?福島辺りならばある時代もあるんではないかな?と。
古峯さんでは大天狗よりも烏天狗がレアだと思っていたらテレビでは大天狗でした。赤と青ですね。青の方が縁あるのかと思ったけどうちの関係では青は不在で赤のが縁ありそうに思ったんで大天狗は納得。住吉さんも筒の付く祭神さんなのでもちろんミナカタさんも関係しそうなイメージ。
で面白いのが以前気になったのが鳥居が青いから赤に変わった所あるんであら〜っと思ったんですけど結構それありなのかも?と。
まずは場所ですね。古峯ならば日光とも関係しそう。住吉さんはかなり気になりますし、古川とも神的にも関係ある縁もあるんですよね。福島と宮城の接点もこちらのプログなので気になって眠れないです。8733
赤と青がどうも分からなくなってしまう人がいるんですけどどうもそこの関係みたいですね。なんか理解出来てきましたよ。
赤の夕日の木の信仰と蛇、青の朝日の石や金属の信仰と牛これって元は同じなのかも?如来系で薬師か大日かで置き換えると。牛は怖い人もいるので蛇のがいいのか?女だからか?私はスムーズみたい。
ケヤキの槻の木の繋がりでは狐じゃないお稲荷さんや薬師信仰や木の信仰。五月はいい時期。
まさかこれが出雲王国の信仰なのかなぁ?お水や井戸やお湯も。出雲王国ってフィリピンとも関係してくるかも?南国から日本にやってきた方々?
見渡神社の場所各地で見てみましたけど、薬付く山や念仏〜とある場所はかなり興味持っています。9538、5613
古峰神社は何度か行ってました。興味が無かったころ仕事で行きました。 古峰講が宮城には結構ありまして、祈祷してもらい、近くで直会をしてお神酒を頂きます。
最近は天狗の御朱印が人気があるようです。そのうち行きたいと思いますよ。
この辺では「こばはらさん」といいます。 地名の古峯ヶ原(こぶがはら)からきていると思います「こぶがはらさん」ともいいます。 なかなかの古社ですね。
田村麻呂と蘆名氏は時代が違うので子孫の事がわからないと繋がりのある無しはわかりませんね。
坂上田村麻呂について記事にしようと書きかけの記事がそのままあるのですが、渡来してきた人物で田村麻呂のお爺さんとか父親からの話が長くてやめてしまいました。そのうち短く纏めたいと思っています。