![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/6a/17bd5b0290d5b747108691a38dbcd442.jpg)
北野の異人館の通りの一段下に鎮座していました。
御祭神:田心姫命(別名、多紀理姫命・沖津島姫命)
鎮座地:神戸市中央区山本通1-3-5
御由緒
当社の創建年代は不詳であるが、一説には推定四世紀とも云われている。
御祭神は田心姫命、天照大御神が素戔嗚尊と剣玉を交換して契約の際のお生まれになった三女神五男神の一柱で、福岡県宗像郡沖の島鎮座の宗像大社より勧請されたといわれ大国主の后として、御一緒に日本国土開発と経営に協力された。
また神功皇后が三韓からの帰途神験特に著しかったので巡拝された一社で、爾来、生成発展、交通安全、厄除、縁結びの守護神として御神徳の高い神様で、旧八部郡北野村鎮守として奉斎されている。
生田神社の裔神八社のうち一宮であり、元禄三年(1690)の書に「市の宮」と記載され、神社を中心として一定の日に市の立つところであったといわれている。
本殿は戦災で焼失したが、昭和三十年再建された。
阪神淡路大震災にも無事だった。
末社に伊久波神社(伊久波戸田宿袮命)が祀られている。社殿はすっきりりした春日造りで、奈良県添上郡大柳生村山口神社の境内社戸隠神社の重要文化財の社殿を模して昭和二十二年再建されたものである。
又、熊高稲荷神社が祀られ、古くから商売繁盛等霊験あらたかとして信仰されている。
三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。これが宗像大社が祀る、沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」である。
この三社江の島に行った時にありましたね。
三泊しましたが、毎日10Km以上歩いてました。この日も・・・特にこの日は坂道でこの上にある北野天満神社があることに気付かず帰ってしまった。残念!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/bd/6edc610892629bfcd2acbe977ee55c81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b6/5e7b7cd2b253012adb9b7606e3ba58ba.jpg)
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手水舎の建物は、元大和郡山城主本多忠直公の御門(1710年築)を再移築したものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/db/4555554fce94d389994dee039d991242.jpg)
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なんと末社の伊久波神社が後ろにあったとは、これも気づかず後のまつり、戻る力も無く異人館の方へ向かいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/02/0db2946a56c228ace67b8980024f7e0c.jpg)
限られた時間に観ようと思うといつも、いつも見逃し後悔しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/square_p.gif)
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当社の創建年代は不詳であるが、一説には推定四世紀とも云われている。
御祭神は田心姫命、天照大御神が素戔嗚尊と剣玉を交換して契約の際のお生まれになった三女神五男神の一柱で、福岡県宗像郡沖の島鎮座の宗像大社より勧請されたといわれ大国主の后として、御一緒に日本国土開発と経営に協力された。
また神功皇后が三韓からの帰途神験特に著しかったので巡拝された一社で、爾来、生成発展、交通安全、厄除、縁結びの守護神として御神徳の高い神様で、旧八部郡北野村鎮守として奉斎されている。
生田神社の裔神八社のうち一宮であり、元禄三年(1690)の書に「市の宮」と記載され、神社を中心として一定の日に市の立つところであったといわれている。
本殿は戦災で焼失したが、昭和三十年再建された。
阪神淡路大震災にも無事だった。
末社に伊久波神社(伊久波戸田宿袮命)が祀られている。社殿はすっきりりした春日造りで、奈良県添上郡大柳生村山口神社の境内社戸隠神社の重要文化財の社殿を模して昭和二十二年再建されたものである。
又、熊高稲荷神社が祀られ、古くから商売繁盛等霊験あらたかとして信仰されている。
三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。これが宗像大社が祀る、沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」である。
この三社江の島に行った時にありましたね。
三泊しましたが、毎日10Km以上歩いてました。この日も・・・特にこの日は坂道でこの上にある北野天満神社があることに気付かず帰ってしまった。残念!
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手水舎の建物は、元大和郡山城主本多忠直公の御門(1710年築)を再移築したものである。
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なんと末社の伊久波神社が後ろにあったとは、これも気づかず後のまつり、戻る力も無く異人館の方へ向かいました。
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限られた時間に観ようと思うといつも、いつも見逃し後悔しています。
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