日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

ニ十五、二十一 ショックのみなさまへ (感想文)

2022年04月09日 | 感想文/創作物
 娘を乗せた車を運転しながら「現在」のヒドが「海?そんなことあったっけ」と言ってから、SNSにはヒドの記憶喪失説や「彼」の死亡説が出回った。

 あんなに特別な夏を、特別な相手を忘れることなんかありえないはずなのに。死んだ以外に説明はつかない、と。


 どうしても私たちは「なんで別れたの?」と思う。不当である、認められない、許したくないと思ってしまう。


 20年も経ったら大概のことは忘れてるだろうし許せてもいるはずなのに。


 何故?と意識は納得のいく理由を要求するけど、これがそれですというひとつの答えが存在するわけでもない。


 ただそうなってしまった。お互いをとても愛してはいても、タイミングが合わずに別れてしまった。そんなことはよくあることだ。


 だいたい別れるというのはそんなに悪いことだろうか。別れというのは出会いを全うしたということでもある。出会った結果起きることが全て起こり、縁が邂逅のスパークを終えてまたそれぞれの旅へと還っていく。


 ああいう愛やこういう愛を、やってみなければ涙の別れもなかったかもしれないけど、それではヒドじゃない。


 私たちがこんなに一生懸命に応援したのは、決して何かのせいにはせずに自分で引き受けて進んでいく彼女の覚悟と勇気を愛したからじゃないか。


 そうしたら私たちは大きく拍手をして、少しだけ自分も彼女のように、と力をもらえばいいんだと思う。









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一番おとなになった人(感想文)

2022年04月04日 | 感想文/創作物

 あんまり寒くて昨日は一日こたつ(概念としてのこたつ)でおやつを食べたり猫に乗られたり仕事をしたり韓流ドラマを見たりして暮らした。


(寒いのもあるけどここ数日なぜだか珍しく家から離れたくない気分だった)


 空を映す大きなスクリーンの前に座る気象予報士たちの恋愛ドラマ。非の打ち所のなくうつくしいけれどいまいち何考えてんのかわかんない主役カップルの、横で階上で斜め後ろでリアルに展開するサブカップルたちに目が行ってしまう。


 例えば長い単身赴任から帰宅した夫に伝えるべき悲しみと怒りを10年分溜めて立ち尽くす不満顔妻(私はその夫、オム主任役の俳優の身体の使い方が好きだった)


 またはこのドラマの始まりから比べて誰よりも成長した、主人公(パク・ミニョン)のダメ元婚約者を奪って結婚したポニーテイル(ユラ)


 なにしろダメ元婚約者は本当にダメで、元婚約者(パク・ミニョン)の現恋人(ソン・ガン)のことを知っては動揺し、現妻の元同棲相手(これもソン・ガン)を知っても動揺し、酔った勢いで元婚約者に絡みにいったりしちゃうから。


 頼れると思って人から取って結婚したのにこんなはずじゃなかった、ポニーテイルはそんな気持ちを抱えて実家に帰り、誰にも言えない身体の変化を抱えてひとりで決断する。


 そうするとですね、物語の最後には最初とは全く違う大人の女性が立っている(はず。実はまだ最後まで見てないけど)


 こたつでぼんやり考える。一人で苦しむ時間を過ごさずに、そんな風に成長するということができるだろうか。


 おそらく無理。


 どんなこどもにも少しも苦しんで欲しくないけれど、苦しみと成長はセットなんだよなあ。


 カッコいいモノローグしてる美男美女より、カッコ悪くじたばたする人たちにばかり目がいくドラマだったよ。







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地獄が呼んでいる(感想文) 多少の演出

2021年11月30日 | 感想文/創作物

なんなの?!あれは?!


白昼どうどうと異形なものが残酷に人を殺す。


誰も何もそれを止めることはできない。


ただ震えながらそれを見ているだけ。


理解不能、どんな祈りも届かない。


だけどそれはさ、今もいつでも現実に起きていることだよね。

演出であんな風に単純な怪物とプロセスにしているだけで。 


誰もが不意打ちのように、時には宣告され、どんなに願っても抗うことはできない。

最後は燃やされて骨になるところまで。


「死ぬ」ってことだよね。


一番根底の、宗教の起源。






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地獄が呼んでいる(感想文) 神だっていい迷惑

2021年11月29日 | 感想文/創作物

まだ最初の方しか見ていない、Netflixで現在一位の「地獄が呼んでいる」。


煤けたマシュマロマンみたいな怪物たちが予告された人をボコボコにした上で黒焦げにする。

なにがなんだかわかんないけど、全くひどい。


理不尽、不条理、非人道的、理解不能。


人為的ではないとすると、それは広義の自然現象と言えなくはない。


そういうものに直面した時に人はどうするかっていうと、「答え」を切望する。

例えどんなに残酷なものであっても、なにか理屈をつけて理解したい、すっきりしたいんだよね。


どんなに問いかけても神は答えないから、そこを埋めるように人は創意工夫する。


なんでかって?


だってわからないまま立ち尽くすより、何か出来合いの物語を受け入れて平伏す方が簡単だからだよ。








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我らがゾンビたち(感想文)

2021年10月17日 | 感想文/創作物

 友人たちに勧められた韓流ドラマを見始めた。韓国時代劇×ゾンビものの「キングダム」。


 私はホラーは見たくないんだけど、ゾンビは割と嫌いではない。いや、若干好きかも。あの、人でない感じ。あらゆる規則、ルールをぶっちぎり本能と無意識が噴出する感じ。


 ホラーは大抵、自我意識、執着の表れだから暗くて苦しいんだけど、ゾンビは基本的に陽気なんだよね。演じ手も感じているはずの気持ちよさが伝わってくるのかも。ゾンビはある意味、祭り、だから。


 ゾンビ疫病から民を救おうとする世子が主人公なんだけど、度々ドローンに映されるなだらかな美しい大地、森、川、がもうひとつ大きな主役のように思える。その有機的なフィールドで何か均衡が損なわれるとカチリとスイッチが切り替わり、ゾンビたちが泉のように湧き出て広がっていく。


 重い年貢に苦しめられ、ついには人を食うまで追い詰められた人民は、不死身の化け物になって「人の治める地」を襲う。無差別に公平に出会う人全てに全力で食らいつく。宮廷の陰謀、政ごとの勢力争い、様々な意味の世界を無化する津波。その時ゾンビたちは自然の理に反するものではなく、おそらくは理そのものの一翼。


 化け物は醜く恐ろしくおぞましい。でも同時にこの上なく、そう、そこには心惹かれる魅力がある。何も映さないその白濁した目をのぞき込む時、私たちは自分にも隠された自分の一部に出会うのではないか。


 人としてこうありたい、こうありたくない、といういくつもの切なる願いの井戸の底に映る月。


 その月のようでもある、我らがゾンビたち。


























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