忘年会があったよ。
何回目かの、お寺の忘年会。
ちょっとだけ舐めた香り高いお酒(獺祭)
プロ選手お下がりの由緒正しいテニスボールを踏んでから
カードで今年を振り返り来年を占った。
(時間切れでお勉強はなし)
みんなで声を届ける遊びをして最初は声をかける側、その後背中を向けて受け取る側になった。
背中の手前で一瞬立ち止まる声の気配がした。
上を通り越してはいない。
私かな、違うかな?
(私ならうれしいけど)
斜め後ろの人宛てかな?
「どこに声が届きましたか」の質問に、みんなそれぞれに指を指す。
私の辺り、ちょっと後ろ、左。
ギャラリーにも質問。
指はてんであちこちに向いたりはしない。
なんとなくふんわりまとまった空間を示す。
正解は?
私だった。
おおさわくんによれば、声の大小や声質は関係ない。
声を届かせようとすればするほど届かない。
声が出る、そこに自分があれば声は届く。
自分で自分を邪魔してるものに気づいてそれを修正するチャレンジ。
出す側と受け取る側の間に声はある。
美味しいお弁当を食べて一旦のお開きの前、声をかけてくれたかずはさんとちょっと話した。
「私かな?違うかな?って遠慮してるのが見えた」
「そうなの、私ならうれしいけどそうじゃないかなって思って」
ごめんごめんうれしかったって、空気で酔っ払った彼女を温まったダウンごと抱きしめた。
指示されたから声をかけただけなのに「声をかける」ということの大きさがじわじわ沁みてくる。
私たちはみんな自分の声を探している途上にあるのかも。
それまでは。
例え声が届かなくても。
隙間は言葉やハグで埋めればいいよ。
