普段一人ならあんまりお茶もしない。
せいぜいマックの100円コーヒー。
だからしぼりたてカラマンダリンジュース、森のミルクアイスフロートは、お使い帰りにひとりで飲むには贅沢すぎる。
だけどこの飲み物はただの飲み物ではないんだな。
「私はこれを飲む」という行為、をする。
天災も人災も戦争も疫病もあるいは個人的な災難もなく、この店が続いて、生活も続いて、こういうことができる世界、生活であってほしいって祈るように飲む。
儀式のように。
ルーレットのテーブルでこの世界線にチップを置き、こちらに賭けると意思表明する、象徴のように。
だからそのお金は飲み物代なんだけど、飲み物代じゃなくて、今の生活に投げ込む賽銭。
ちいさな祈り。
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