日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

できること

2019年03月23日 | 命について
家族と仲良くする

家を片付ける

そういうことって世界平和につながってると思うよ。
ほんとに。

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ほぼ幼なじみ

2019年03月22日 | 出会った人たち
打ち合わせに現れた今回のパートナーはどこから見ても仕事のできる人だったので、気後れした私は椅子の中で身を小さくした。

一緒に仕事をしてわかったけど、その人は頭が良くて綺麗なだけでなくオープンであたたかい人だった。

お昼を食べながら話していたら、お互いの父親が同じ仕事だったことがわかった。
時期は違うけれど、そんなところに行く日本人はほぼいない遠い小さな国の同じ町にいたこともわかった。
二人とも子どもの頃カドノチエコちゃんと遊んだことがあるとわかった。
同じ大学を一年違いで卒業していて、卒論の指導教授も同じだった。

すごい偶然!ってその人はびっくりしていたけど、なんだか私はわかってた気がしてあんまり驚いていなかった。

えーと、今まで会わなかったのが不思議なだけで、私たち多分幼なじみみたいなものなんじゃないかな。同じ仕事くらいするかもよ。

遅くなったけど、これから友達になりましょう。

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大人の時間

2019年03月22日 | 命について
先月のある一日、午後に夜に楽しく学んだ。

真剣に学ぶ時間ももちろんだけれど、みんなで移動する感じとか、お腹すいたねって分けあって食べたチョコパンとか。

こんなにいい大人になって、こんなに豊かに学んだり遊んだりすることになるなんて思っていなかった。

誰かがしたり顔で言ってくるようなことなんて、聞く必要はない。

正確には聞くべきものと聞くべきでないものを、自分で感じとるしかない。

嫌なもの、なりたくないものにはならなくていい。

自分がなりたいものになればいい。












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変容

2019年03月17日 | 命について
子どもが大人になるということが、多分、本当にはわかっていなかった。

中途半端な時間に娘と二人、何ご飯とも言えない食事をしているんだけど、何年か前たしかに同じ食堂に座っていた子どもは目の前にいる若い大人になった。

娘は大変な思春期を通り抜けいろんなものと折り合いをつけながら、彼女にふさわしい若い人になった。

助けてくれたたくさんの人のおかげもあるけれど、いくつもの季節が彼女の上を通り過ぎるうちに、苦しむ小さな子どもの中に元々内包されてあったものが枝が伸び花が咲くようにこういう形になったのだと思う。

何も変わっていないそのままの娘なのに、でも大きく、しっかり、大人になった。

その事実にあらためて向き合って、私はすごくびっくりしている。












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nirvāṇa

2019年03月16日 | 命について
涅槃nirvāṇaと言うとあの世と思う人もいるでしょうが、本来ブッダはこの世のことを言ったんですと藤田一照さんは言う。

現代語に訳するなら「自由」
そしてその自由には三種類ある。

ひとつめ、囚われからの自由 free from

ふたつめ、囚われから自由になった後にどう行動するかという自由 free to do

みっつめ、助けが必要な人に求められた時にavailableである自由(慈悲 )

荷物は少ない方が自由に人に仕えることができるから私たちは家族を持たないんですよ、とティクナットハン師は言ったそうだ。

私が思うにそれは state of mind
いや state of being

仏教なんて関係ないただの普通の私たちも、どんどん自由になれるといい。

空を飛ぶ鳥のように。

この世のnirvāṇa、まいにちの生活の中にある涅槃。


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