私はもう
誰かの苦しみの上に成立させた
どんな音楽も
映画も
写真も
ニュースも
服も
化粧品も
笑いも
スポーツも
場も
欲しくない。
緑を抜け、海を見ながら、こういうところを通りたかったという道のりを辿り、年上の友だちに会いにいく。
この服でいいかな?と思ったけど、7月半ばに薄くて軽い夏服を着ない私なんてありえないからよしとする。
空の色と雲の強さが夏。
どんなにきついことがあっても、泣いても、空を見上げるだけで世界のうつくしさ気前のよさにびっくりする。
もしかしたらあんなに苦労をして死んじゃって、という人がいるかもしれないけど、明日死んだとしても自分は特別に幸福な人だったと思うと思う。
別れた人とも出会った喜びがあり、もう会わないとしても、過ごした時間は失われることはない。
喜びと感謝と、こころからの祝福を空に放つ。
みんな、ありがとう、と。
冷凍庫を整理しようとしたら息子が通りかかったので「これあっちに運んでくれない?」と手伝ってもらった。
あのさあ、はっきり言ってこの全てがなくても問題ないと思う、と彼が言うので、全くその通り、と答える。
それよりスペースを空けて人別に区切って使う方がいいんじゃない。
私もそう思う。
私も、もうあることすら忘れたものが埋蔵されているより、お腹が空いたこどもがぱっと取り出して食べられるようにした方がいいと思う。
なんとなく捨てられず取っておくことは、実はあちこちに影響する大きな罪(という言葉が強すぎるなら決断しないという選択)なんじゃないか。
とはいえ今すぐ全て捨てることはできないので、今週は解凍したものを食べて暮らそうと思ってる。
あるいは全部捨てる、かも。
嵐が吹き荒れているから、娘がご飯を食べられなくても仕方ないなと思いながらフルーチェを作る。
空の少し高いところ、だけどすごく高くはないところで、音もなくうるさくガチャガチャと色んな形のものがぶつかり合っている。
空気に含まれた濃厚な水の気配に耐えながら、びしゃびしゃの地面に身を寄せて時折ぽんぽんとあやす。
誰も理解できない大きな機械がごおんと動き始めていて、どう見てもいいことはありそうにないけれどすぐには止まりそうにない。
まだまだ荒れそう。
落ち着いて。
時々ちゃんと息をして。
生き延びて。