腰痛が回復し、1ケ月振りに仕事に復帰した。
一日中、拘束されるのはやはりきついと感じるものである。
1月も、「疲れたら休むの生活」を経験したので、反動ともいえる。昨日より、今日と身体は順応していくものである。
忘れていた心配事が、蘇ってくるのである。
あれはどうした、これはまだかと気になり始めるのである。
働く意味は、責任感を感じることでもある。お金の代償だけとは言えない。関わる仕事をまともにやり抜きたいという意欲が出てくるのである。それには、言いたくないことも伝えなければならない。
「雨、雨、ふれふれ」とのんきにあじさいを眺めた。
責任も、義務もない油断ばかりの生活も魅力的である。
物事を感性だけで見ることは、心の洗濯であり休息だと改めて感じる。働くことは悪くない。少しのプレッシャーを跳ね除ける勇気と知恵を楽しめるからである。同じ目的を持つ友人たちとプロジェクトを遂行するには、一人だけ怠ける訳にはいかないのである。
また頑張ってみようという機会をつかむことが、働く意味とも言える。
2014年6月