故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

うまいこと言いのええことしい(Part2)

2024-12-14 10:51:30 | よもやま話

絵のタイトルは、「そばを作る人」です。
遠くの平らで広い土地ではなく、我が家の上の畑でそばを作る。
それだけのことです。


今日のタイトルは、「うまいこといいのええことしい(Part2)」です。
我が町のことを、他の地区の人に聞くと、
昔から、「我が町の人は、悪いことは他人のせい、良いことは自分の手柄」と言うそうです。
それを聞いた妻が、「うまいこと言いのええことしい」ばっかしじゃと、うつむき笑います。

市役所(福祉協議会)が主催するプラチナ大学に参加しました。
ボランティア活動を啓蒙する大学のことでした。
「ボランティアとは、好きなことの延長であり、まず話すことから始まります」と司会者が言った。
市役所が、ボランティア活動に賛同し、補助金を出して応援する。
自前で資金調達ができなくなると消滅するものが、時々あります。

私のボランティアに関する認識はこうです。
散歩する老人がいる。
そんなにも長生きしたいかと同時に、
元気な街だという印象を持つ。
里がきれいならと、誰にも褒められないが草刈りをする。
こんなことかなと思う。
散歩する老人や草刈りをする人は、自分がボランティアをしているとは露ほども思わない。

朝近所の人に会うと、「どこへいくん」があいさつ代わりでした。
これから悪さをしに行く餓鬼には、酷なあいさつでした。
閉鎖的な島が嫌いで、都会に出ました。
憧れた都会生活は、点と点を行ったり来たりする暮らしでした。
働けど、我が爪に灯りをともす。
東京タワーに行ったこともありませんでした。

憧れの大企業に勤める者の離職率は低いが、離婚率は高かった。
良い給料を信用に、銀行が融資する。
若い時に、一軒家が買えた。
嫁と子供を残し、偉くなるために地方へ単身赴任となる。
給料が良いから、残ったものも残したものも暮らしに困らない。
妻は、相談したい時にできぬ寂しさから、抜き差しならぬ関係を持つ。
夫は、安近短の地方生活に満足する。
一つの給料で、二つの暮らしが始まったからよしとしましょう。

転職しながら給料をどんどん上げました。
自由時間を会社に差し出すようになりました。
歩きながらプロジェクトのことを考え、新しい技術を仕込み、役立つ付き合いをしました。
家族のため、会社のため、そして自分のためにほとんどの時間を使いました。
ボランティアとは無縁でした。
好きなことを嗜(たしな)む余裕もないし、仕事以外の話はしませんでした。

糟糠の妻を亡くしました。
仕事に没頭する私には、出張する国内や海外の都市はどこも同じでした。
仕事場とホテルの往復ですから無理もありません。
同窓会で50年ぶりにある女性と会いました。
出張先の一つで、何の感動もなかった広島が、俄然輝き始めました。
かつてあった画廊や古本屋を探し、街角の趣きに興味を持ち始めました。
まったくの「うまいこと言いの、ええことしい」です。

「うまいこと言いのええことしい」は悪い意味も持つものですが、
時には、「災い転じて福となす」のような、視点を変えてくれます。
プラチナ大学に出て、一人の老人と携帯電話番号を交換する友人になりました。
私の「うまいこと言いのええことしい」は、この後どんな発酵物を産み出すのか楽しみです。
腐らないように、ぬか床を混ぜることも忘れないようにしましょう。

2024年12月14日

この言葉に出会ったのは、2024年10月24日投稿記事、「うまいこと言いのええことしい」です。
こう思うと、
「うまいこと言いのええことしい」は自分の中にあるのじゃないかと反省する。
他人を悪くいうのに、一ひねり加えただけです。
どの人も、いつでも、そんなもの。
(記事より抜粋)


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